レスリング選手でタレントの浜口京子(はまぐち きょうこ)さん。
オリンピックに3大会連続出場し、2大会連続で銅メダルを獲得。現在競技活動は「引退」ではなく休止状態という。強さとピュアを併せ持った稀有なキャラとして人気。武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授の肩書ももつ。
そんな浜口京子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は浜口京子の父親は死んでない!アニマル浜口の現在や母親など家族も調査!
という事で、浜口京子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
浜口京子の実家はお金持ち?
まずは浜口京子さんの実家について調べてみました!
浜口京子の実家の場所は東京都
浜口京子さんは東京都台東区のご出身です。
ご実家は「アニマル浜口トレーニングジム」を経営。
- 〒111-0032 東京都台東区浅草3丁目19−1
- 90年から“プロレスラー育成コース”をスタート
- 子どもからシニアまで幅広い利用者層
2019年10月25日に現在の場所に移転・OPENされたようですね。
浜口道場の門下生を名レスラーとして多く輩出。
プロレスへの恩返しということで、一般会費以外は週3回の指導料も道場使用料も“無料”!
プロレス好きなタレント・有吉弘行さんも
浜口道場出身選手はいい選手が多い。浜口道場、ずっと続けていってほしい
と絶賛しています。
実家近くには浅草寺もあり、「三社祭」で御神輿を担いだそうです。
浅草のお祭りと元気な浜口京子さん、よくお似合いです!
浜口京子の実家はお金持ち?
浜口京子さんの実家は、一般練習生、門下生と利用者の多いトレーニングジムを経営していました。
幼い頃から大勢の人に囲まれて育ったということなので、経営状態は良かったのではないでしょうか?
そして中学・高校は私立のスポーツ校、武蔵野中学校・武蔵野高校に進学しています。
武蔵野高校 入学金・学費
初年度のみの納入金入学金220,000 円 施設費150,000 円 教育充実費-その他50,000 円 初年度のみの納入金 合計(A)420,000 円 | 年学費授業料456,000 円 施設維持費48,000 円 教育充実費-その他48,000 円 年学費 合計(B)552,000 円 |
初年度納入金 合計(A+B) | 972,000 円 |
※その他は、<初年度>父母会入会金、生徒会入会金 <年学費>父母会費、生徒会費 など
※別途、積立金、学校指定品費等あり
レスリングに打ち込むため高校は中退していますが、中高私立はお金のかかる選択です。
そして、高校でレスリングに転向するまでは
・空手
・バレーボール
・水泳
などに打ち込んでいます。
水泳は特にスポーツ推薦で中学に入学したくらいの実力でした。
上記の情報を総合すると、浜口京子さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
子供のスポーツは何を選択してもある程度の金額は必要となります。
ジムの経営も多少の浮き沈みはあるかと思いますが、大きく移転もされています。
アニマル浜口さんの人徳によるところも大きいのではないでしょうか?
浜口京子の実家の両親(父・母)はどんな人?
浜口京子さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
浜口京子の父親はアニマル浜口!
浜口京子さんのお父さんは…
アニマル浜口さんこと、濱口平吾(はまぐちへいご)さん!
今年のお誕生日で喜寿(77歳)を迎えます。
テレビで見る機会こそ減りましたが、まだまだ元気!ご健在です。
- 1947年8月31日生まれの76歳
- 島根県出身
- ボディビルダーからプロレスラーに転向
- 1987年に引退後、アニマル浜口レスリング道場を開く
- 2008年の北京オリンピックでは、中国当局に『要注意人物』としてマークされ、あまり自由に行動できなかった
- 熱狂的なジャイアンツファン
娘の浜口京子さんも、
年齢を重ねても純粋で、温かいし優しい。でも恥ずかしがり屋。本当に尊敬できる存在
「お父さん大好き」があふれるコメント!
オリンピックイヤーだった今年、TBS「ひるおび」で、ご自身のアテネ五輪の映像に触れ、
父と二人三脚でつかんだ栄光の銅メダル、
“京子は世界一強いんだよ”と言い続けてくれて、私も最重量級のレスラーとして頑張ることができた
と振り返ります。
カメラに向かって「お父さんいつもありがとう~!!」と絶叫。
スタジオは温かな拍手に包まれました。
浜口京子さんが13歳の時、お父さんは娘の様子がおかしいことに気付きます。
「元気がないな」と感じ、
「京子、将来の話をしよう」と声をかけ3~4時間じっくり話をします。
この時、浜口京子さんは空手、バレーボール、水泳など、
チャレンジしていくら頑張っても、表彰台には上がれない日々。
しかもそこで「でも諦めずに頑張るぞ」という気にもなれず、挫折を味わっていました。
そして、話しているうちに心の奥底にあった
『レスリングをやってみたい』
という気持ちに気付き、父に告白します。
経験者の父には、なかなか言い出せなかったようです。
お父さんは「大変だぞ。それでもやりたいのか?」と確認
娘の強い意志を聞いて、
「それじゃあ、わたしのトレーニングジムで体作りをしなさい」
この日から3ヶ月間の練習を経て、ボディビルの大会に出場
史上最年少の奨励賞を獲得し、浜口京子さんに大きな自信を与えました。
娘の不調・スランプを知っていたので、
「レスリングをやりたい」のは水泳から逃げたい気持ちではないか?
とも思いましたが、お父さんは、それを問い詰めることはしませんでした。
ただ、「これから何をするにしても、まずはカラダを作っておけば、将来必ず役にたつ!」
とジムをすすめたんだそうです。
浜口京子さんは、97年世界女子選手権75kg級で、当時の無敵女王・劉東風(中国)を下して優勝。
お父さんは、始めた当初、そんな未来をこれっぽっちも想像できなかったと言います。
しかし、96年、二度目の世界選手権で7位の成績だった娘に
負けた理由は何だと思う?
力負けはしなかった。投げで負けただけだよ!
この会話で、もしかしたら「京子なら世界を獲れるぞ!」と、親の勘が働きます。
小さい頃からレスリングをしてきた選手は、やはり技術が飛び抜けているそうです。
スタートが遅かった浜口京子さんは、スキルでは敵いません。
でも、こどもの頃から誰より力が強かったこの子ならパワーでいけると確信したそうです。
何度倒れても立ち上がり、這いつくばって上を向くその姿は、
我が子ながらカッコいいなぁ
と思うそうです。
浜口京子さんが世界大会で優勝した時、マットに上がり肩車していたお父さん。
実は親父に肩車をしてもらうことが小さい頃の夢だったお父さん。
自分の夢をかなえてもらったような気がして、感謝しているそうです。
父であり、指導者であるアニマル浜口さんに聞く大事なポイントは
・自分のこどもは何が一番得意なのか
・才能を見抜く
・それを上手に引っ張り出してあげる
それには、家族で真剣に向き合ってちゃんと話を聞いてあげて、会話すること。
それと、親の「気合」や態度(背中)を見せる。
口で言うだけでなく、親も素のままぶつかっていって、一心不乱にやる。
・朝5時に起きて、毎日一緒に走る。
・練習も、死に物狂いでやる。
アニマル浜口のテーマは、「気合入れて集中、笑って解放」
そして、お父さんは常に、勇気づけの言葉を投げかけることを意識していました。
「大丈夫! うまくいく! 京子には出来る! やれば出来る! 必ず出来る!」
178cmと、レスラーとしては決して恵まれた体格とは言えなかった、お父さん。
自分にもきっとこの言葉をかけて鼓舞してきたんでしょうね。
娘の浜口京子さんも絶大な信頼を寄せ、
父のように強くなりたいと憧れて、チャレンジできた。
私は自分に自信がない方ですが、父は私を信じてくれた。だからこそ私は戦い続けてこられたんです。
お父さんから学ぶことはたくさんあるそうです。
口喧嘩はたくさんしたけれど、大きな反抗期はなかったという浜口京子さん。
親の一生懸命な姿を見て、思いをくみ取ってくれていたのかも。
それに、浜口家は母親はもちろん、子育ての環境にたくさんの人がいました。
ジムにはこどもからお年寄りまでいろいろな世代がいて、レスリングでプロを目指す若者もたくさん来ていた。
家族だけでなく、みんなが力を合わせ、浜口京子さんを育ててくれたのだ
とお父さんは思っています。
ただ、どんなに一緒に練習をしても、マットに上がる時は1人。
最後の最後は、こどもを信頼して送り出してあげるしかないんです。
親子でスポーツをしていると、
苦しいことは多いけれど、美しく、素晴らしい瞬間がたくさん待っています。
「人生は素晴らしいものだ」というのを、お父さんは子育てから教わったと言います。
あのにぎやかなお父さんにこんな一面があったとは…いいお父さんですね。
テレビ朝日の番組「キョコロヒー」に浜口京子さんが出演した際のこと
娘に対するアニマル浜口さんの態度にヒコロヒーさんから物申す場面がありました。
14歳の浜口京子さんの親子トレーニングに密着したVTRで、
コーナーの最後に親子で買物したり、食事を楽しんだりしていました。
親子団欒の中、突然涙を流す浜口京子さん。
普段なかなか話せないお父さんとたくさん会話でき、涙が出るほど嬉しかったんだとか。
そんな娘の姿を見たお父さんがひとこと
お前の若さをくれよ。俺の渋みをお前にやるから
と謎の提案。
さらに「お茶って知ってる?」と別の話題に熱く語りだします。
これにヒコロヒーさんが怒り出し、
意味わからへん。ちゃんともっと喋れ、家の中で。泣かすな娘!
と説教。
「もうちょっと興味ある話してあげて。何喋ってんねん」と思いやると、
当の浜口京子さんも
今VTRを見て、私も同じ気持ちです
お父さんと会話できてうれしくて泣いちゃう浜口京子さんもピュアですが、
お父さんも照れ屋だから、とんちきな行動になったんでしょうね。
まさにピュアな父娘です。
だって、お父さんは浜口京子さんにとって
・練習場、試合会場にいると落ち着く
・いい試合ができる
・家族が側にいてくれるだけでパワーを出せる
存在ですからねー。
浜口京子の母親は縁の下の力持ち
浜口京子さんのお母さんは浜口初枝(はまぐち はつえ)さん
- 浅草出身
- 柔道をやっていた
- 母親と小料理「香寿美」を経営
- 83歳 夫のアニマル浜口さんより7歳年上の姉さん女房
- 2021年8月からジムで筋トレを始める
お母さんは、最重量級で闘う娘のためにずっと食事を作り、
心身ともに浜口京子さんを支えました。
13歳で初めて「プロレスラーになりたい」といったら、お父さんはいい顔をせず、お母さんも反対。
しかし、「格闘技をするならレスリングの基礎を知った方がいい」と、
お母さんがアマチュアレスリングの道場を探してきてくれました。
辛い練習になんども泣いたという浜口京子さん。
汗で重たくなった練習着をリュックに入れて、バスに乗って家に帰ると、
お母さんはいつもバス停で待ってくれていました。
自転車のカゴにリュックを乗せてくれて、
『今日はこんな技ができなかった』『苦しかったね』と話しながら帰ります。
バス停で母の姿が見えると安心し、とても心強かったそうです。
毎朝ランニングする浜口京子さんの横を自転車で伴走もしました。
お父さんが現役当時、頸椎損傷の大けが。
半年に及ぶリハビリにつき合い、リングへの復帰も後押ししました。
浜口京子さんを出産した後も、応援に会場へ足を運んでいたそう。
浜口京子さんをおんぶしながら喉がつぶれるまで声援を送り、
夫へ罵声を浴びせる客には哺乳瓶を投げつけることもあったそうです。
過激だけど…かっこいい✨
アテネ五輪(2004)
3位決定戦で銅メダルを獲得した浜口京子さん。
準決勝では、判定に納得がいかず激怒したお父さんを一喝。
「負けてもいいの。家族は幸せなんだから」
金メダル確実と言われながら準決勝で負け、ショックの大きかった浜口京子さん。
電話で初枝さんに「ごめんなさい」と伝えると、
「ケガがなく終わってよかった。今まで勝てとは言わなかったけど、日本から多くの方々が応援に来てくれている。だから今度は勝たないとダメだよ。水で顔を洗って目を覚ましなさい!」
と、いつも優しいお母さんが厳しい一面を見せた。
2006年世界選手権
第3ピリオドをテクニカルフォールで敗北し、銀メダル。
涙を流す娘に向かって「良くやった。顔を上げろ」と励ました。
さらに負けてしまったことで言葉を詰まらすお父さんに対し、
「世界で2番なんだから、お父さん、がっかりすることないじゃない。
やるのは京子で、一生懸命したんだからいいじゃない」
お父さんをなだめ、娘を励ます。
ひとりで何役もこなしていたんですね!
浜口京子さんの大応援団は、お父さんお母さんを筆頭に大会名物となってましたが、
元レスリング世界女王で総合格闘家の山本美憂さんは、
レスリングの海外の大会などでやってもらえるとホームの雰囲気になるのでありがたかった
さらに、ある大会で相手選手が体中にオイルを塗って(※反則)登場。
山本美憂さんが、大声で審判に指摘するもまったく気づいてもらえなかったが、
スタンドから初枝さんが太鼓を叩きながら
「オイル〜!ベタベタ〜!」
とアピールしてくれ、元気づけられたことを感謝していました。
余談ですが、北京オリンピックの前に鼻骨骨折し練習ができなくなった娘に
その期間に「なにか学びなさい」と促したお母さん。
運転免許証を取りに行き、仮免許テストのひっかけ問題に完敗。
50回くらい落ち続けたそうです。
最終的に免許を取得しますが、教習所の先生から1通の手紙が届き、
京子ちゃんは運転しないでください
と言われてしまったそうです。
御年83歳とは思えない元気な母・初枝さん。
お母さんは若い時、趣味としてジムでトレーニングしていたそうです。
娘がアスリートを目指すようになってから、サポートのため断念。
娘が第一線から退いた後、再び筋トレに目覚め、80歳から再開。
姿勢も美しくなったそうです。
自分のためのトレーニングを楽しんでできるお母さん。
これはあのパワフルな応援も納得ですね!
浜口京子の両親のエピソードも紹介!
お父さんとお母さんの出会いは、浅草の小料理屋でした。
母・初枝さんが自分の母親と切り盛りしていた「香寿美」。
ここの板前さんが元相撲取りで、ラッシャー木村さんの兄弟子だった縁から
先輩であるラッシャー木村さんに飲みに誘われ、お父さんが来店します。
「席があるかどうか、見てこい」と言われ、戸を開けて覗いたアニマル浜口さん。
カウンターの割烹着を着た初枝さんと目が合って一目ぼれ。
ちなみにお母さんは目があった時、
ヤクザが来た!
と思ったそうです。
それから毎日お店に通い続けたお父さんですが、すぐにアメリカ遠征で遠距離に。
空港まで見送りに来てくれたお母さんに
これでお別れなのかな…と覚悟するお父さんでしたが
お母さんは寂しい思いをしないようにと、
・レトルトのカレーやインスタントラーメン
・日本の歌を入れたカセットテープなど
を渡してくれました。
このお母さんの優しさに触れ、
「こんな女性、手放したら二度と現れない!」
と惚れ直したんだそうです。
交際は手紙のやり取りがメインで、ファイトマネーが入るたびに国際電話
当時の電話代は30万円を超えたとか。
年末休みには、現地で落ち合ってハワイでデートもしました。
お母さんの人生初の海外旅行がハワイでデート。
彼に会いに行くなんて言ったら親が許すわけがないから、
店で一緒に働いていた女の子と二人でツアーに申し込んだお母さん。
お父さんは、先に着いていたお母さんがムームーを着て空港に迎えに来たのを覚えてるそうです。
アメリカ暮しの長かったお父さんは英語ができたそうです。
それがまた、かっこよく見えてね
猛烈なアプローチを経て結婚…かと思えば壮大な大恋愛だったんですね。
アニマル浜口さんは1983年4月、ラッシャー木村さんと仲間割れし、
その後の試合を無断欠場してぷっつりと消息を絶ちます。
連日、アニマル浜口さんの居場所を知らないか?と自宅に電話が殺到
返答に困り、ノイローゼ気味になった初枝さんは東京・築地の東スポ本社を訪問。
アニマル浜口さんは
プロレスを愛するがゆえにとった行動だ。何も心配しないでくれ。2、3日留守にするからな
と言い残し、カバンひとつで出かけて行きます。
ウチの人は間違った方向に足を踏み入れるような人ではありません。それは信じていますが、ただ職場放棄してファンのみなさんにご迷惑をかけ、大変心苦しく思っています。
と帰宅して説明するよう、紙面を通じて呼びかけてほしいと依頼にきたのでした。
おとなしい性格だった私が、強く、たくましく生きられるようになったのは、
両親のおかげと感謝する浜口京子さん。
感謝しつつもケンカもしょっちゅうだそうで
原因は、他愛もないこと。
ピリピリしたケンカも、雰囲気に耐えられず、誰かが笑うとそれで終わり。
ケンカも、浜口家のコミュニケーションの一つかもしれないと言います。
仲直りに最適な方法は、
・相手にマッサージをすること
・おいしくて、温かいものを一緒に食べること
マッサージは、触れることで、気持ちもつながる気がするとか。
お互いにカッとなっていたものが、スーッと溶けて心が穏やかになってくる。
マッサージとおいしいものを一緒に食べること。
これが浜口京子流の仲直りの秘訣だそうです。
浜口京子の兄弟姉妹も調査!
浜口京子に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
浜口京子の兄弟は弟!!
浜口京子さんには弟さんがひとりおられます。
- 浜口剛史(はまぐち たけし)さん
- レスリングの選手として全国大会で活躍
- 浜口道場長(トレーナー)を務めている
- 中学生の長男と小学生の次男の父親
弟さんは高校の頃までバレーボールをしていて、レスリングを始めたのは大学に入ってからだそうです。
2019年レスリング全国マスターズ選手権78㎏では、見事優勝を果たしました。
弟さんは日々の練習や世界大会でウォーミングアップを一緒にしてくれる大切な存在。
顔だちはお父さんと似ていますね!
弟さんは結婚していて、二人の男の子のお父さんでもあります。
兄・京太郎くん 15歳
10歳の時に野球を始めていて、将来の夢はスポーツメーカーの会社員
7歳下の次男・佳太郎くん 8歳
お兄ちゃんは、水曜日のダウンタウンでテレビ出演もしていましたね。
弟さんは浜口京子さんの元来の性格、「大人しくて控えめ」な方なんでしょうか。
浜口家は家族揃ってみんな仲が良さそうでなによりです!
まとめ
今回は浜口京子の父親は死んでない!アニマル浜口の現在や母親など家族も調査!
という事で、浜口京子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 浜口京子さんのご実家は東京都台東区浅草。トレーニングジムを経営しています。
- 浜口京子さんのご両親は大恋愛の仲良し夫婦。力強い応援が有名です。
- 浜口京子さんの兄弟は弟・剛史さん。浜口道場の道場長を務めています。
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。