東京パラリンピック自転車・トラック女子3000メートル個人追い抜き(運動機能障害C1~3)日本代表の藤井美穂(ふじい みほ)選手。
かわいらしい顔をされていますよね!
今回は藤井美穂(パラ)の実家の母・父を調査!兄妹や実家にwiki経歴も!
という事で、そんな藤井美穂選手について調べました!
目次
藤井美穂(パラ自転車)のwiki経歴をチェック!
早速ですが、藤井美穂選手の経歴を見ていきましょう。
幼少時~小学校
茨城県水戸市で生まれた藤井美穂選手。
出産予定日よりも3ヶ月近く早い産後29週と4日で帝王切開により取り上げられます。
一緒に生まれてくるはずだった双子の妹がお腹の中で息絶えてしまい、美穂選手の命を救うための措置だったそうです。
その時の美穂選手の体重は700グラムほどで、死産となってしまった双子の妹の影響により、右足は壊死していたそうです。
生後10日目、壊死していた右足を付け根部分から切断し、命をとりとめます。
しかし、そんな体を幼い頃から不自由に感じたことはなかったという藤井美穂選手。
生後8ヶ月でベッドに手を付き、残った左足だけで立ち上がり、1歳の頃には片足で三輪車を乗りこなし、周囲を驚かせたそうです。
幼稚園に通うようになっても、ハンデをものともせず、クラスにもすぐに馴染んだという美穂選手。
運動会でも大勢の観客の前で気後れすることなく、元気にダンスを踊っていたそうです。
しかし、小学生になった美穂選手を、人生初めてとなる試練が襲います。
学校で上級者に「一本足」とからかわれた美穂選手。
楽しみにしていた小学校の運動会に行きたくないと言い出したそうです。
しかし、母親からの叱咤激励もあり、運動会に出場した美穂選手。
それ以降、美穂選手は何事にも全力でチャレンジしたそうです。
そして、小学校6年生の時、偶然テレビで観た車椅子テニスをきっかけに
いつか自分も出たい
とパラリンピック出場を意識するようになったんだとか。
中学校時代
中学に入ると様々なスポーツに挑戦した美穂選手。
始めに入部した卓球部では
1年生の時だったんですけど、健常者の子に勝ったこともありました
と、幼い頃からの負けん気の強さと勝負事に対する意識の高さを見せていますね。
そして、あるスポーツで才能が開花します。
それが…
走り高跳び!
そうなんです、なんと藤井美穂選手、義足を外して挑む走り高跳びでも、太もも切断部門で1m38cmという世界記録を樹立するほどの選手だったんです。
2016年のリオデジャネイロオリンピックを目指し、義足の陸上クラブ『ヘルスエンジェルス』にも在籍し、練習に励んでいた美穂選手。
しかし、走り高跳びは競技人口の少なさから、走り高跳びはリオ五輪での競技には不採用になってしまいます。
そんな時、美穂さんが出会ったのが自転車競技です。
北京大会からリオ大会まで、5つのメダルを獲得している藤田征樹(34)選手の装具を作っていた斎藤拓さんの勧めだった。
引用:けいりんマルシェ
と自身の義足の装具士だった斎藤拓さんの勧めで、静岡・伊豆市にあるサイクルスポーツセンターで初めて自転車に乗った美穂選手。
苦しかったが、どこか心地よかった。
引用:けいりんマルシェ
と、自転車にのめり込んでいきます。
そして、自転車競技を始めてからわずか1ヶ月でワールドカップに参戦。
結果は惨敗でしたが、自転車競技でパラリンピックを目指す決意を固めます。
乗るたびにタイムが向上し、自転車に乗るのが楽しくて仕方がなかったという美穂選手ですが、後1歩のところで惜しくもリオ五輪での代表を逃してしまいます。
※リオパラ五輪の時は日本に出場2枠があったが、派遣されたのは1枠。2番手だった藤井美穂選手の出場は見送られた。
しかし
実力がないのにパラって出られちゃうんだと思われたくなかったし、実力がなかったから派遣されなかったことは自分でも納得しています
引用:PRESSPORTS
と、さらに実力をつける事を誓った藤井美穂選手。
2021年4月には国際大会でも活躍した沼部早紀子さんが、パラサイクリング協会のヘッドコーチ(HC)に就任。
そして所属会社のの全面サポートもあり、現在は勤務時間の半分をトレーニングに当てられるようになったそうです。
万全の調子で望む東京パラ五輪。
パラリンピックだからといって特別に意識はしません。全力でお客さんが見て楽しいと思えるレースをしたいですね。魅せるレースを
生まれてこられなかった妹の分まで私は生きている。妹のためにも頑張る
引用:けいりんマルシェ
と気合は十分です。
藤井美穂の実家や両親(父・母)が凄い!
藤井美穂選手のご両親についても調べてみました!
藤井美穂さんの父親はどんな人?
藤井美穂さんのお父さんに関しては情報がありませんでした。
美穂選手が生まれる前から出張続きで家を空ける事が多かったというお父さん。
多忙な生活を送っているという事で、全国を飛び回るエリートサラリーマンなんでしょうね。
藤井美穂選手の母親はどんな人?
藤井美穂選手のお母さんは由美子という名前です。
生まれた時から美穂さんに寄り添い続け、時には優しく、そして時には厳しく、美穂さんを支えたお母さん。
小学校時代、鉄棒がどうしてもうまく出来ない美穂選手に
できなくてもいい。でも、もう一度だけチャレンジしてみよう
と声をかけたそうです。
美穂選手はそのずっとその言葉を胸に秘め、くじけそうになった時も諦めなかったんだとか。
また、小学校時代に上級生にからかわれ、運動会への参加を嫌がった美穂さんに対し、
やるだけやってだめならいいけど、
最初から諦めるなんてお母さん許さないよ!
と心を鬼にして、厳しい言葉をかけた事もあるそうです。
美穂さんの事を心から想ってないと言えない言葉だよね。
そんなお母さんの言葉がなければ今の美穂さんはないかもしれない、と思うと…
本当に凄いお母さんですよね。
ただただ尊敬…
藤井美穂さんに兄妹は居る?
藤井美穂さんには3歳年下の真美(なおみ)さん、9歳年下の芙美(ふみ)さん、そして一緒に生まれてくるはずだった双子の妹、瑠美さんと三人の妹さんがおられます。
妹さんについては殆ど情報がありませんでした。
ただ、美穂選手の妹さんですから、2人ともめちゃくちゃかわいくて姉妹仲が良いんでしょうね。
まとめ
今回は藤井美穂(パラ)の実家の母・父を調査!兄妹や実家にwiki経歴も!
という事で、東京パラリンピック自転車・トラック女子3000メートル個人追い抜き日本代表の藤井美穂選手について調べました。
生まれて10日で右足を失った藤井美穂選手。
しかし、そんなハンデを物ともしない、強い心と身体を持った選手でしたね。
そして、そんな美穂選手を支えたお母さんの由美子さんも素敵な人でした。
お父さんや妹さんに関してはあまり情報がないですが、新たな情報があれば追記したいと思います。
とにかく、東京パラ五輪での藤井美穂選手のメダルには期待大ですね!
最後までお読み頂きありがとうございました。