横浜DeNAベイスターズの山崎康晃(やまさきやすあき)投手。
![山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_1.jpg)
「小さな大魔神」の愛称で知られ、プロ1年目から頭角を現し、2021年には東京オリンピックの日本代表選手として金メダルを獲得しています。
そんな山崎康晃投手の実家や、お母さん・兄弟姉妹はどんな方達なんでしょうか?
今回は山崎康晃の母・ベリアの死因は病気?父親や家族エピソードもまとめた!
という事で、山崎康晃投手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
山崎康晃の母はフィリピン人のベリアで死因は…?
山崎康晃投手の母・ベリアさん。
![山崎康晃の母・ベリア](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_9.jpg)
笑顔のチャーミングなお母さんですよね!
母・ベリアさんは、19歳の時にフィリピンの首都・マニラ郊外にある、「パテロス」という町から、出稼ぎと日本語を学ぶために来日。
翌年に日本人男性と結婚し、山崎康晃投手の姉・山崎麻美(やまさきあさみ)さんと山崎康晃投手を授かりました。
![幼少時代の山崎康晃と姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_8.jpg)
しかし、山崎康晃投手が小学校3年生の時にご両親は離婚。
その後、山崎康晃投手と姉・山崎麻美さんは、母・ベリアさんに女手ひとつで育てられました。
ここでは、そんな母・ベリアさんについてまとめてみました!
山崎康晃の母・ベリアは、闘病の末に病死
山崎康晃投手の母・ベリアさんは、2021年に亡くなっています。
母・ベリアは闘病の末に病死、詳細は未公表
2021年10月30日、山崎康晃投手の母・ベリアさんが51歳という若さで亡くなったことを、所属する横浜DeNAベイスターズが公表。
![山崎康晃と母・ベリア](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_2.jpg)
詳細な死因については遺族の意向で明かされていません。
ただ、後に山崎康晃投手から、亡くなる数年前から大きな病気で余命宣告を受け、闘病していたと明かされました。
山崎康晃投手によると、当初の余命は2年。
最終的に、闘病生活は3年に及びました。
母・ベリアさんの余命宣告を受けた山崎康晃投手は、
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自分にできることは何でもしようと思ったんです。
と、母・ベリアさんの為になんでもすると決意。
そのエピソードを順にご紹介します。
山崎康晃は母ベリアの為に部屋を借り、フィリピンの祖母を呼び寄せた
母・ベリアさんの余命宣告を受け、
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最後の時間を家族で過ごしたい
と、考えた山崎康晃投手。
姉・山崎麻美や周囲と協力し、同一マンション内に部屋を2つ借りました。
さらに、山崎康晃さんの祖母で、ベリアさんの母親をフィリピンから呼び寄せます。
当時、祖母は89歳と高齢。
脚腰も万全の状態ではなかったものの、来日が叶い、娘・孫にも会えて、とても喜んでいたそうです。
母・ベリアさんは8人いる兄弟姉妹の下から2番目。
母・ベリアさんはそんな大家族の為に、来日後から山崎康晃投手が大人になるまでの間、仕送りを続けてきたのだそう。
山崎康晃投手は、
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これからはその仕送りも僕がサポートしますから
と、今後は自身がフィリピンの家族を支えると伝えたそうです。
そして、母・ベリアさんをフィリピンに帰らせたいとも考えた山崎康晃投手。
しかし、残念ながらコロナ禍で実現しなかったのだとか。
母・ベリアさんも、山崎康晃投手も思いやりに溢れた方なんですね。
山崎康晃は母・ベリアの為に日帰りで沖縄へ行った
山崎康晃投手のプロ入り後、母・ベリアさんは沖縄キャンプに行くことを、毎年の楽しみにしていました。
楽しい思い出の詰まった沖縄が大好きだったという母・ベリアさん。
![山崎康晃と母・ベリア、姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_24.jpg)
![山崎康晃と母・ベリア、姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_24.jpg)
闘病中に、
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(沖縄)キャンプに行きたかったな
と、こぼします。
それを聞いた山崎康晃投手はシーズン中の休みだった月曜日の早朝、飛行機に飛び乗り、那覇空港へ向かいました。
那覇空港でファストフード店「A&W」のハンバーガーとルートビアを購入し、羽田空港へとんぼ帰り。
沖縄での滞在時間は40分ほどだったそう。
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闘病生活が厳しい状況で、とにかく何でもしてあげたい、そこまでしなければ後悔すると思っていました。
と、とにかく母・ベリアさんの為に行動していたという山崎康晃投手。
母・ベリアさんは、ハンバーガーこそ食べられなかったものの、ルートビアを飲んで、
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おいしいね
と喜んでくれたそうです。
山崎康晃は、母との約束だった念願の家を建てた
山崎康晃投手は、野球の名門・帝京高校へ進学させてくれた母・ベリアさんに、手紙をしたためていました。
![山崎康晃から母への手紙](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_17.jpg)
![山崎康晃から母への手紙](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_17.jpg)
そこには、
「本当に頑張ってプロ野球選手になるから。年収5000万もらって、家でも、なんでも、買ってやるから」(一部抜粋)
と、母・ベリアさんへの感謝とともに、山崎康晃投手の決意が綴られています。
その言葉通り、母・ベリアさんの闘病生活の最中、山崎康晃投手は手紙での約束通り家を建てました。
完成した家に3回ほど家族みんなで行ったのだとか。
母・ベリアさんが亡くなる3日前にも、
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お家に行きたいな
と、母ベリアさんがこぼしたため、担いで行ったのだそう。
既に末期の状態で、酸素吸入しながらの厳しい状況でしたが、
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最後にいい思い出ができたと思います。
と、山崎康晃投手は振り返っています。
母・ベリアの最期を看取った山崎康晃
母・ベリアさんが亡くなったのは、2021年シーズンの最終戦当日でした。
広島県のマツダスタジアムで行われれる試合の為に、山崎康晃投手は前日から広島入り。
悩んだ山崎康晃投手でしたが、
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チャンスがあれば最後に(クローザーとして)9回を投げたいと思っていました。
と、広島行きを決意。
しかし、試合当日の朝、母・ベリアさんの容体が厳しいとの連絡を受けすぐに帰京。
母・ベリアさんの最期を家族とともに看取ることができたのだそう。
母・ベリアさんは病床にあっても、
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「あの子は投げた?」「ベイスターズは勝った?」
と、山崎康晃投手のことを常に気にかけていたのだとか。
本当に愛情深いお母さんだったんですね。
山崎康晃と母・ベリアのエピソード
山崎康晃投手と母・ベリアさんにまつわるエピソードをまとめました!
いつも笑顔で明るかった山崎康晃の母・ベリア
山崎康晃投手の母・ベリアさんは、子どもたちにいつも言い聞かせてきたことがあります。
それが、
と、常に笑顔でいること。
![山崎康晃と母・ベリア](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_10.jpg)
![山崎康晃と母・ベリア](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_10.jpg)
その言葉通り、写真に写る母・ベリアさんはいつも満面の笑み!
山崎康晃投手はその言葉を支えに、周囲へいつも気を配り、いつも明るく振る舞うことを心掛けきたのだとか。
笑顔の絶えないお母さんに育ててこられたからこそ、山崎康晃投手はいつも笑顔でファンへのサービスにも力を入れているんですね。
山崎康晃はウイニングボールを母・ベリアや姉・山崎麻美に贈るのが恒例
プロ入り後、抑え投手として活躍してきた山崎康晃投手。
白星やセーブを挙げるたび、ウイニングボールを母・ベリアさんや姉・山崎麻美さんに贈ってきました。
![山崎康晃と母・ベリア、姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_3.jpg)
![山崎康晃と母・ベリア、姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_3.jpg)
ウイニングボールのプレゼントは定番となっており、ファンの間でも親孝行キャラとして知られているのだとか。
家族3人で支え合ってきただけに、感謝の思いが強いのでしょうね。
母・ベリアは、山崎康晃の一言で日本に残ることを決意
山崎康晃投手のご両親は、山崎康晃投手が小学校3年生の頃に離婚。
![幼少時代の山崎康晃と母・ベリア](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_6.jpg)
![幼少時代の山崎康晃と母・ベリア](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_6.jpg)
母・ベリアさんは故郷・フィリピンに帰ろうか、と思っていたそうです。
日本に残れば、寂しい思いをさせたり、経済的に苦労することが目に見えていました。
しかし、山崎康晃投手の父親を交えて家族4人で話し合いをした際、
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おれは野球が続けたい
と、山崎康晃投手がこぼします。
その山崎康晃投手の一言で日本に残ることを決意した母・ベリアさん。
家計を支えるために早朝から工場へ勤務、夜は飲食店に務めるなど、寝る間を惜しんで働きます。
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一緒にご飯を食べる時間もない。生きることでとにかく精いっぱい。
と、母・ベリアさんは苦しかった日々を振り返っていました。
そんな母・ベリアさんの苦労や努力を理解していたものの、山崎康晃投手は寂しかったのだそう。
同級生や上級生から投げかけられた、
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お前の母ちゃん、何やってんだよ
という何気ない一言に傷つき、喧嘩をしたこともあったのだとか。
また、反抗心から夕飯に手をつけなかったり、アパートの壁など殴ったこともありました。
お母さんが頑張ってくれていることをわかっていただけに、山崎康晃投手は気持ちのやり場がなかったのかもしれませんね。
ダブル(ハーフ)であることを悩んだ時期もあった山崎康晃
フィリピン生まれの母・ベリアさんに、女手ひとつで育ててこられた山崎康晃投手。
健康保険証に書かれた名前がローマ字だったり、各種申請書を見た時に、
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うちは他のうちとは違うんじゃないか
と、父親がいないこと、ダブル(ハーフ)であることをコンプレックスに関していた時期もあったのだとか。
しかし、成長するにつれて、
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「様々なルーツがあることは強みになる」「自分にしかできないこともある」「強い身体なのは親のおかげ」
と、前向きに考えるようになったのだそう。
また、愛情深い母・ベリアさんに育てられて、
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人よりも強くて優しい心を持って、人を大切にすることができる
と、育った環境が自身を強く、優しくしてくれたと明かしています。
山崎康晃は母・ベリアに「お弁当が美味しくない」と言ってしまった
山崎康晃投手が小学校3年生の時に離婚したご両親。
父親は山崎康晃投手が所属していた少年野球チームのコーチを務めており、土日に会う機会がありました。
そんなある日、山崎康晃投手は、
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お母さんのお弁当が美味しくない
と、父親にこぼします。
すると、料理人だった父親は、
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来週から俺が弁当を作るからお母さんに伝えておけ
と言い、山崎康晃投手はそのまま母・ベリアさんに伝えてしまったのです。
母・ベリアさんは何も言わなかったものの、とても落ち込んでいたのだとか。
しかし、山崎康晃投手が中学生になる頃、懸命に仕事に励みながらも育ててくれる母・ベリアさんに強い尊敬の念を抱くようになります。
ようやく苦労がわかるようになり、
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いつか必ず恩返しをするんだ
と、決意。
母・ベリアさんの苦労はもちろんですが、山崎康晃投手も複雑ないろんな思いを乗り越えてきたんですね。
山崎康晃は名門・帝京高校で挫折しそうになったが、母・ベリアに追い返された
かねてより憧れだった、野球の名門・帝京高校へ進学した山崎康晃投手。
![帝京高校時代の山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_19.jpg)
![帝京高校時代の山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_19.jpg)
帝京高校2年時には夏の甲子園、3年次には春の選抜に出場し、いずれも準々決勝まで進むなど、充実した高校生活を送っていました。
ただ、入学当初の春はそのレベルの高さに圧倒され、グラウンドの外で直立不動、グラウンド整備に追われる日々。
また、細身だったという山崎康晃投手。
母・ベリアさんは毎朝1升炊きの炊飯器でご飯を炊き、昼食に白米3合を持たせるなど、体を大きくするために尽力しました。
そんな中、2年生の春の終わり頃、山崎康晃投手はある事件を起こします。
苦手な教科の課題を提出しなかった山崎康晃投手。
帝京高校野球部・前田三夫(まえだみつお)監督も知るところとなり、野球部全体の問題に発展。
追い込まれた山崎康晃投手は、
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課題は自宅にあります
と、咄嗟に嘘をつき、自宅に戻ります。
「野球部を辞めるしかない」と思った山崎康晃投手は、
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帝京辞める
と、母・ベリアさんに告げました。
しかし、母・ベリアさんは、そんな理由で退部することを許しません。
すぐにタクシーを呼び、山崎康晃投手を乗せると、
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絶対に途中で降ろさないで!
と、タクシーの運転手に5千円を渡して頼みます。
そして、前田三夫監督にもすぐさま連絡し、
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この子が野球を辞めたら生きがいがなくなる。一生懸命やらせるから、辞めさせないでください。
と、伝えました。
無事、帝京高校に到着した山崎康晃投手でしたが、待ち受けていたのは鬼の形相の前田三夫監督。
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お前、母ちゃん泣かせんなよ!
と、特大の雷を落とされたのだそう。
前田三夫監督は、
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実際に勉強が原因で辞めた部員もいる。お母さんの気持ちに圧倒されたよ。
と、当時を振り返っています。
反省した山崎康晃投手。
翌日に母・ベリアさんへ小さな花束を贈りました。
そして、「中途半端は良くない」と、その日から勉強や練習に取り組む姿勢も変わったそうです。
山崎康晃は母・ベリアの思い胸に、横浜DeNAベイスターズへの残留を決意した
2022年のオフシーズン、アメリカ・メジャーリーグ行きを噂されていた山崎康晃投手。
FA権を行使せずに、横浜DeNAベイスターズと6年に及ぶ長期契約を結びます。
![山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_21.jpg)
![山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_21.jpg)
この契約には、6年契約を途中で破棄する条項は含まれていません。
メジャーリーグ挑戦が夢だったという山崎康晃投手は、この決断に悩みに悩んだのだそう。
「横浜で優勝したい」という思いと、母・ベリアさんとの思い出が横浜残留を決定づけたのだとか。
2021年にFA権を取得した際、山崎康晃投手は母・ベリアさんに相談。
その際、
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あなたがベイスターズのユニフォーム着てプレーしている姿が好き
と、言ってくれた母・ベリアさん。
そんな母・ベリアさんとの思い出を胸に、横浜DeNAベイスターズで活躍することを誓ったそうです。
母・ベリアの思い出の味は「ソーパス」!
山崎家の食卓には、日本料理と母の故郷・フィリピンの料理が並んでいたそうです。
その中でも、特に山崎康晃投手が大好きだったのは、フィリピン料理の「ソーパス」。
![フィリピン料理のソーパス](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_22.jpg)
![フィリピン料理のソーパス](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_22.jpg)
「ソーパス」とは、牛乳をベースにしたスープで、肉や野菜などがたっぷり入っているのだとか。
山崎康晃投手は、
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僕はニンニクが大好きなので、お母さんはニンニクをいっぱい入れてくれていた。お母さんは亡くなる前にそのレシピをお姉ちゃんに伝授しておいてくれたんです。
と、母・ベリアさんが亡き後も山崎康晃投手がソーパスを食べれるよう、姉・山崎麻美さんにレシピを伝授したと明かしています。
山崎康晃投手は、キャンプに入る前や開幕前など、節目節目にソーパスを食べてるのだそう。
ソーパスを食べるたびに、母・ベリアさんの笑顔が浮かんできそうですね。
山崎康晃の実家はお金持ち?
山崎康晃投手実家についても調べてみました!
山崎康晃の実家は、東京都荒川区西日暮里
山崎康晃投手の実家の場所を調べました!
山崎康晃の実家は、東京都荒川区西日暮里
東京都台東区下谷生まれ、東京都荒川区西日暮里育ちの山崎康晃投手。
地元・荒川区立第六日暮里小学校、荒川区立屋久八幡中学校に通っていました。
![山崎康晃の出身校に関する写真](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_15.jpg)
![山崎康晃の出身校に関する写真](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_15.jpg)
第六日暮里小学校は、西日暮里駅の北東部に位置しています。
![第六日暮里小学校の校区](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_26.jpg)
![第六日暮里小学校の校区](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_26.jpg)
地図は第六日暮里小学校の通学区域を示したもの。
通学区域には、
西日暮里1丁目、5丁目、6丁目の一部
以上の地域が指定されているため、この中に山崎康晃投手の実家があると考えられます。
最寄駅の西日暮里駅には、山崎康晃投手が東京オリンピック野球日本代表として金メダルを獲得したことを記念して、金色のポストが設置。
![西日暮里駅にある、山崎康晃の五輪金メダルを記念して設置されたポスト](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_27.jpg)
![西日暮里駅にある、山崎康晃の五輪金メダルを記念して設置されたポスト](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_27.jpg)
地元からも愛されている選手なんですね。
山崎康晃の実家の近所に野球選手・森本稀哲が住んでいた
山崎康晃投手の実家近くには、幼少時代から家族ぐるみの付き合いだった森本稀哲(もりもとひちょり)選手が住んでいました。
![森本稀哲](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_28.jpg)
![森本稀哲](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_28.jpg)
12歳年上の森本稀哲選手に憧れていた山崎康晃投手。
小学2年生の頃に、森本稀哲選手も入っていたチームに入り野球を始めます。
森本稀哲選手の進学した名門・帝京高校野球部の応援のために、甲子園まで足を運んだこともあったのだとか。
![山崎康晃と森本稀哲](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_7.jpg)
![山崎康晃と森本稀哲](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_7.jpg)
活躍する森本稀哲選手を見て、
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帝京のタテジマのユニホームが格好いいな
と、さらに憧れを強くし、自然と帝京高校に行きたい気持ちが芽生えたそうです。
野球があったことと目標となる人物が身近にいたことで、まっすぐに育つことができたんですね。
山崎康晃の実家はお金持ちではない
山崎康晃投手の実家の経済状況は、結論からいうと厳しいものでした。
ご両親の離婚後、母・ベリアさんに女手ひとつで育てられた山崎康晃投手と姉・山崎麻美さん。
![山崎康晃と母・ベリア、姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_25.jpg)
![山崎康晃と母・ベリア、姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_25.jpg)
母・ベリアさんは子どもたち2人のために、朝は工場、一旦帰宅し子どもたちの夕食を作り、夜は飲食店で働くなど、息つく間もなく働いていました。
当時の実家の経済状況を、
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![](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_1.jpg)
「家庭環境は厳しかった」「1着のユニホームをずっと泥んこのままやってた」「誕生日に買ってもらった安いグローブを長く使っていた」
と、山崎康晃投手は振り返り、決して金銭的なゆとりはなかったと明かしています。
山崎康晃投手が中学3年生の頃、母・ベリアさんは金銭的な理由から公立校に進学することを望んでいたのだとか。
しかし、山崎康晃投手は進路調査で、
と、書いて提出。
母・ベリアさんもビックリの選択だったそうです。
しかし、家計は苦しかったものの、母・ベリアさんは帝京高校に進学させてくれました。
さらに、高校3年生でドラフト会議にかからなかった山崎康晃投手は大学で野球を続けることを決断。
私立大学を好きに選択する金銭的な余裕がなかったため、練習が厳しいことで有名な亜細亜大学へスポーツ推薦で進学。
![亜細亜大での山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_29.jpg)
![亜細亜大での山崎康晃](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_29.jpg)
亜細亜大学には給付型・減免型など、多様な奨学金制度があるため、山崎康晃投手が利用した可能性もありますね。
以上の情報から、山崎康晃投手の実家はお金持ちではなく、むしろ経済的に厳しい状況に置かれていたことがわかりました。
ただ、今や山崎康晃投手は日本球界を代表するピッチャーに成長。
幼い頃の山崎康晃投手や母・ベリアさんの苦労が実を結んだんですね。
山崎康晃の姉も調査!
山崎康晃投手のお姉さんについても調べました!
山崎康晃の姉・山崎麻美も山崎康晃を支えてきた!
山崎康晃投手の姉・山崎麻美(やまさきあさみ)さん。
![山崎康晃の姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_5.jpg)
![山崎康晃の姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_5.jpg)
お母さん譲りの笑顔が素敵で可愛らしい方ですよね!
姉・山崎麻美さんは、山崎康晃投手の2歳年上で33~34歳(2024年現在)。
その他、詳細な情報は明らかにはされていません。
ただし、自身のX(旧Twitter)では、主に弟・山崎康晃投手や、自身の子どもたちと応援する様子を投稿。
![山崎康晃と姉・山崎麻美、甥・姪](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_12.jpg)
![山崎康晃と姉・山崎麻美、甥・姪](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_12.jpg)
姉・山崎麻美さんには少なくともお子さんが2人おられ、結婚されているようですね。
幼い頃から山崎康晃投手と姉・山崎麻美さんは大の仲良しでした。
![山崎康晃と姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_13.jpg)
![山崎康晃と姉・山崎麻美](https://family-athome.com/wp-content/uploads/2024/05/yamasakiyasuaki_13.jpg)
喧嘩をすることもありましたが、助け合ってきたのだそう。
姉・山崎麻美さんは、多忙な母・ベリアさんに代わって、山崎康晃投手の泥まみれのユニホームを洗うのが日課だったのだとか。
時には遊びに行きたい気持ちもあったものの、弟のサポートにやりがいを感じていたそうです。
母・ベリアさんから、山崎康晃投手の大好物でフィリピン料理の「ソーパス」の味を受け継いだという姉・山崎麻美さん。
山崎康晃投手は、偉大な母・ベリアさんはもちろん、姉・山崎麻美さんにも支えられてきたんですね。
まとめ
今回は山崎康晃の母・ベリアの死因は病気?父親や家族エピソードもまとめた!
という事で、山崎康晃投手の実家や母親、姉など家族についての記事をお届けしました。
- 山崎康晃の母・ベリアは女手ひとつで2人の子どもを育て、闘病の末に病気で亡くなった
- 山崎康晃の実家は東京都荒川区西日暮里で、経済的には厳しかった
- 山崎康晃の姉・山崎麻美も、山崎康晃を支えてきた!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。