A-PLUSに所属している俳優の、高橋文哉(たかはしふみや)さん。
そんな高橋さんの出身地や子供の頃について気になっている方が多いようです。
そこで今回は、高橋文哉は春日部出身で実家はどこ?地元の小学校や子供の頃も調査!
という事で、そんな高橋文哉さんの出身地や子供時代についてまとめました!
目次
高橋文哉の実家は春日部市!
髙橋文哉さんがどんな場所で生まれ育ったのか気になりますよね。
そこで髙橋文哉さんの地元について調べてみました!
高橋文哉の出身地は埼玉県春日部市!
高橋文哉さんは埼玉県春日部市の出身である事が公表されています。
インタビューにて出身地のお国自慢を聞かれた高橋さんは、
埼玉なんですけど、都会にアクセスしやすいところ。地元の名物は桐たんすと、クレヨンしんちゃん!
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com/)
このように答えています。
『クレヨンしんちゃん』の舞台となっているのが春日部市というのは有名な話ですよね!
実際、春日部市内にはクレヨンしんちゃんにまつわるものがたくさんあるんです。
春日部駅の看板にしんちゃんが描かれているのを見ると「まさに」という感じがしますよね!
この他にも市内には銅像があったり、走るバスにもクレヨンしんちゃんのイラストが描かれていたりと、とにかく春日部市はクレヨンしんちゃんだらけなんだそうです。
桐たんすについては『春日部桐箪笥』という木工品がありました。
こちらの桐箪笥は伝統的に春日部市周辺で作られており、桐の美しい木目を活かしたデザインがとても人気のようです。
高橋さんの発言とこれらの特徴からも、実家が春日部市にあるのは間違いなさそうですよね!
髙橋文哉の実家の場所は!?
高橋文哉さんの出身地が春日部市なのは確定と見て良いようですが、それでは実家はどの辺にあるのでしょうか。
調べてみましたが、やはり実家の詳しい住所については明らかになっていないようです。
これだけ人気のある高橋さんの実家の場所が判明したら、聖地巡礼をするファンが押し掛けて大変でしょうからね…
ここで手がかりになるのが、高橋文哉さんが通っていた中学校が春日部市立豊野中学校だという噂がある事です。
そこで春日部市立豊野中学校の通学地域を調べてみました。
- 赤沼
- 調子口
- 藤塚
- 六軒町
- 本田町
- 豊野町
これらの住所に自宅がある場合、春日部市立豊野中学校へ通学するようです。
そのため、高橋文哉さんの実家もこの住所のいずれかにあるかもしれません。
ですが高橋さんが春日部市立豊野中学校に通っていたと明言しているわけではないため、あくまでも「その可能性がある」という感じですね。
かつてのファンレターの受け取り先が春日部市内の郵便局!
実は以前、高橋文哉さんへのファンレターの宛先として、『庄和米島郵便局』が指定されていた時期があるようなんです。
2017年あたりの時期ですので、高橋さんが芸能活動を始めた当初のファンレター送付先という事になりますね。
こちらの郵便局の所在地は、埼玉県春日部市米島1133-51です。
【庄和米島郵便局】
郵便局留については最寄りの郵便局でする事がほとんどだと思いますので、高橋文哉さんの実家がこの近くという可能性が考えられます。
当時は事務所に入ったばかりで、人気が出るまでは高橋さん自身やご家族がそういった管理もしていたのかもしれませんね!
ですがこちらの『米島』という住所だと、高橋さんが通っていたとされる春日部市立豊野中学校の通学地域からは外れてしまいます…
そこで注目したいのが、次にお話しする「お母さんが営んでいたお弁当屋さん」です!
高橋文哉の母親が営んでいたお弁当屋さんの近所!?
高橋文哉さんのお母さんは『おかんのごはん でぶや』というお弁当屋さんを経営していました。
地元の人に愛された素敵なお店だったようですよ。
お店は2018年いっぱいで閉店してしまったようですが、その所在地を調べてみました。
『おかんのごはん でぶや』があった場所は春日部市米島979のようです。
そして地図上で調べてみたところ、このお店は前述のファンレターの宛先だった『庄和米島郵便局』の近所だった事がわかりました!
そのため考えられるのは、庄和米島郵便局留でファンレターを募集していた2017年だと『おかんのごはん でぶや』は営業している時期ですので、お母さんがお店の合間に郵便局に出向いて受け取っていたのではないかという事です。
そうであればファンレターの宛先が、実家があるかもしれない春日部市立豊野中学校の近くの郵便局でないとしても辻褄が合いますよね!
いずれにしても、確証のある情報ではありませんので、また詳しい情報が判明し次第お伝えしたいと思います!
高橋文哉の子供の頃は?
高橋文哉さんは子供の頃、どんな少年だったのか知りたいですよね。
どんな子供だったのかという質問に対して高橋さんは、
「泣き虫、負けず嫌い、うるさい」ですかね。僕は小さい時から異質と言われていて、それは大きくなった今も言われています(笑)。
引用:モデルプレス(https://mdpr.jp/interview/)
と答えています。
とても元気な少年時代だったのだなと想像がつきますよね!
幼稚園時代の髙橋文哉
高橋文哉さんは自身の一番小さいときの記憶については、幼稚園時代だと明かしています。
幼稚園の年長の頃、体育館で寝てたこと。兄がバレーボールを習っている体育館によく連れて行かれて、ボールがバウンドする音がいつも子守歌でした。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com)
高橋文哉さんは3人兄弟の末っ子だそうで、子供の頃は2人のお兄さんにかわいがられていたんでしょうね!
高橋文哉さんのご兄弟についての詳細な情報はこちら
他にも、朝顔を一生懸命育てていたなどの思い出があるそうですよ。
現在の優しい性格に通じるものがあって、子供の頃の高橋文哉さんが目に浮かぶような気がしますね!
子供の頃の夢は郵便配達員!
高橋文哉さんは子供の頃、将来は郵便配達員になりたいと思っていたらしいんです。
配達の赤いバイクに憧れていて、兄から「お前は珍しいな」って言われてました。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com/)
高橋さんは小さい頃、赤い色が大好きだったらしく、持ち物も赤いものばかりだったようなんです。
赤い色が好きという理由で郵便配達員になりたい弟は、確かにお兄さんから見るとちょっと珍しいと感じるかもしれませんね!笑
幼い頃は病弱だった
幼少期の高橋文哉さんはずっと元気いっぱいの少年だったのかと思いきや、どうやらそうでもないようなんです。
生まれた直後は高熱を出していたといい、
集中治療室にずっといました
引用:モデルプレス(https://mdpr.jp/news/detail/)
と明かしています。
その後も高校生くらいまで、体温調節をするのがうまくできなかったみたいなんです。
ですのでただ活発だっただけではなく、病弱な身体と格闘していた子供の頃だったようですね。
高橋文哉が通っていた地元の学校は?
高橋文哉さんが通っていた小学校についても調べてみました。
ですが現在のところ、高橋さんの出身小学校については明らかになっていないようです。
候補として挙げられているのが、春日部市立桜川小学校と春日部市立南桜井小学校のどちらかではないかと、ネット上では噂されているようです。
【高橋文哉の出身小学校と噂の桜川小と南桜井小】
2つの小学校は距離的にも近く、お母さんが経営していた『おかんのごはん でぶや』からだと比較的通いやすそうですね!
それから春日部市立豊野小学校も可能性として考えられる気がします。
その理由として、この小学校は高橋文哉さんの出身と言われている春日部市立豊野中学校の近くに立地しているためです。
やはり小学校を卒業したタイミングで引っ越しなどをしない限り、中学校も同じ学区内の場所に通うと思われますよね。
ですので高橋文哉さんが通っていた小学校は、
- 春日部市立桜川小学校
- 春日部市立南桜井小学校
- 春日部市立豊野小学校
のどれかの可能性がありますが、現在これといった決定的な証拠もありませんので、予想に過ぎないという状況です。
高橋文哉さんの中学校・高校時代についてはこちらをご参照下さい。
高橋文哉さんの小学生時代について具体的に見ていきましょう。
髙橋文哉の小学生時代のエピソード
高橋文哉さんがどんな小学生時代を過ごしていたのかを調べてみました。
2020年4月16日に髙橋さんは自身のTwitterで、10年前の画像を公開しています。
2020年4月時点では高橋文哉さんは19歳ですので、その10年前だと9歳、つまりこの画像は小学3年生か4年生の頃の高橋さんの姿という事だとわかります。
小学生の頃から、整った顔立ちをしている様子がわかりますので、この頃から人気者だったに違いないですね!
小学4年生の頃、料理に目覚める
現在も料理上手として知られている高橋文哉さんですが、料理に目覚めたきっかけはなんと小学4年生の頃らしいんです。
料理を初めて作ったのは、小学校4年生のとき。お母さんの誕生日にハンバーグを作りました。
結局は作ってもらったようなものでしたけど(笑)。できあがったハンバーグを食べたお母さんが、笑顔で「ありがとう。おいしい」って言ってくれたとき、心の中で何かが決まったんです。
引用:よみタイ(https://yomitai.jp/)
お母さんの誕生日に手料理を作ろうと思うとは、お弁当屋さんをやっていたほどの腕前のお母さんとしても凄く嬉しかったでしょうね!
そこで褒めてもらえた高橋さんは、将来は料理人になりたいと思ったようなんです。
お母さんの喜ぶ顔を見て将来の夢を決めるなんて、やっぱりとても優しい子供だったんですね。
そして小学生の高橋さんは、翌年のクリスマスには包丁を、さらに翌年にはフライパンをサンタさんにお願いしたんだとか。
クリスマスプレゼントに調理器具を希望する小学生って、滅多に聞きませんよね。
サンタさんもきっと予想外過ぎて、びっくりしていたのではないでしょうか。笑
小学生の頃にバレーボールを始める
高橋文哉さんは子供の頃から運動神経抜群で、小学1年生のときにバレーボールを始めたそうなんです。
もともとお兄さんがバレーボールをやっており、そのチームの監督から「入れ」と言われたのがきっかけなんだとか。
やはり高橋さんの運動神経の良さを見抜いた監督が勧誘したという事なんでしょうね。
ですがそんな高学年までずっと続けていたバレーボールを、5年生のときに辞めてしまったそうなんです。
野球がやりたかったという理由で辞めたそうですが、後になって高橋さんはその事を後悔しています。
インタビューを受けたときに、人生の中で後悔している事を聞かれた際にも、
いっぱいあるなぁ……。小5で一度、バレーを辞めたこと。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com)
と振り返っており、大人になっても忘れられないほど悔やんでいるみたいですね。
高橋さんは中学時代にまたバレーボール部に入っているため、ずっと続けていたらもっとうまくなっていたという気持ちがあるのかもしれませんね。
小学生の頃から自分のサインを考えていた
今でこそ大人気俳優になりサインを書く機会も多い高橋文哉さんですが、なんとすでに小学生の頃、自分のサインを考えていたらしいんです!
小学生の頃からサインを書くのに憧れていて、いっぱい考えていたんです。授業中にもサインを練習したり。
引用:NEWS ポストセブン(https://www.news-postseven.com)
授業中にこっそりやっているつもりの事って、だいたい教卓からだと丸見えなので先生にバレてるんですよね。笑
でもその当時はまさか、将来自分が本当にサインを書くような仕事につくなんて思わなかったでしょうね!
現在では高橋さんはサインを結構いろいろと変更しているようですが、小学生時代にたくさん考えた中から使用しているものもあるかもしれませんね!
まとめ
今回は高橋文哉さんの地元や子供の頃について調べてみました!
まとめ
- 高橋文哉の実家は埼玉県春日部市にあり、以前は同じ市内に母親のお店もあった
- 高橋文哉は元気いっぱいな一方で病弱な面もある子供時代を過ごした
- 高橋文哉の通っていた小学校は現在のところ不明。その頃始めたバレーボールの思い出が強く残っている
子供の頃は少し身体が弱かったという一面もあった高橋文哉さん。
これからますます忙しくなると思いますので、体調には気をつけて頑張ってもらいたいですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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