俳優の広末涼子(ひろすえりょうこ)さん。
ポケベルのCMで一躍有名となり、俳優として「鉄道員」「おくりびと」などの人気作に出演、歌手としても「MajiでKoiする5秒前」などの楽曲で大ブレイクしました。
そんな広末涼子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は広末涼子の母親の顔画像!実家の父親や兄弟など家族情報もまとめた!
という事で、広末涼子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
広末涼子の実家はお金持ち?
まずは広末涼子さんの実家について調べてみました!
広末涼子の実家の場所は高知県高知市・高知駅南西
高知県高知市出身の広末涼子さん。
父親は高知県高知市帯屋町に商業ビルを所有し、ご両親で雑貨店を経営されています。
地元では広末涼子さんの実家・廣末家は名士として知られているようですね。
ただし、住まいも帯屋町なのかは明確ではありません。
広末涼子さんは、高知市立追手前小学校(閉校)・高知市立城北中学校を卒業。
上記地図は城北中学校の通学区域の一部を示したものです。
実家は城北中学校の通学区域内、かつ雑貨店のある帯屋町近く(高知駅南西)の地域にある可能性が高いと考えられますね。
広末涼子の実家はお金持ち?
広末涼子さんの実家の経済状況を調べたところ、
広末涼子の実家は、お金持ちの可能性が高い
と、いうことがわかりました。
詳細を見ていきましょう!
広末涼子の実家は経営者一族!
広末涼子さんの先祖は、高知県高知市帯屋町で「広末金物店」を開業しました。
広末金物店を開業したのは、広末涼子さんの曽祖父・廣末静一(ひろすえせいいち)さん。
しかし、太平洋戦争末期の1945年、高知大空襲の際に店を焼失。
曽祖父・廣末静一さんは、焼け跡から鍋や釜などを掘り起こして、地べたで商売を再開したと伝えられているのだとか。
そして、廣末静一さんの長男・廣末昌三(ひろすえしょうぞう)さんが戦死したため、次男で広末涼子さんの祖父にあたる廣末隆久(ひろすえたかひさ)さんが家業を継ぎます。
祖父・廣末昌三さんは広末金物店を再開させて繁盛したものの、1983年に隣接する飲食店の火災によって再度店舗を失いました。
当時、金物店の経営状況は厳しかったそうです。
そのため、祖父・廣末隆久さんの長男で広末涼子さんの伯父・廣末幸彦(ひろすえゆきひこ)さんは、金物店の跡地に商業ビル「アベニュー」を建設。
アベニューは帯屋商店街の中(高知市帯屋町1-13-23)にあります。
アベニューには、高知県第一号店となるマクドナルドや、その他のテナントも次々と入居しました。
アベニューを運営する株式会社廣末金物店の情報には「広末雅士」さんという名前も記載されていました。
広末涼子さんとの関係性は不明ですが、いとこの可能性が考えられますね。
広末涼子の父親は商業ビルのオーナーで、両親は雑貨店を経営!
広末涼子さんの父・廣末忠彦(ひろすえただひこ)さんは、アベニューのすぐそばにある商業ビル「アベニューⅡ」のオーナーです。
アベニューⅡは、高知県高知市帯屋町1-14-1にあります。
広末涼子さんのご両親の経営する雑貨店「mamaikuko(ママイクコ)」は、アベニューⅡの一角にありましたが、2024年4月に移転。
移転とともに、店名は「AND COLOR(アンドカラー)」に変更されたそうです。
お洒落な雑貨店として日々賑わっているようですね。
広末涼子さんのご両親の所得に関しては、明らかではありません。
しかし、商業ビルのテナント料および雑貨店の事業所得があることを踏まえると、高所得者であることは間違いないでしょう。
よって、上記の情報を総合すると、広末涼子さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうです。
広末涼子さんの実家の繁栄の背景には、戦後・混乱期の曽祖父や祖父の努力があったんですね。
広末涼子の実家の両親はどんな人?
広末涼子さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
広末涼子の父親はビルオーナー!
広末涼子さんの父親の情報をまとめました!
広末涼子の父・廣末忠彦はビルオーナー!
広末涼子さんの父・廣末忠彦(ひろすえただひこ)さん。
イケメンで、俳優と言われてもおかしくないですよね!
広末涼子さんの父・廣末忠彦さんは、1955年高知県高知市生まれ。
年齢は69歳頃とみられます。(2024年時点)
横浜にある大学を卒業し、地元・高知市に戻ったそうです。
現在は、高知市帯屋町のアーケード街にある商業ビル「アベニューⅡ」のオーナー。
そして、雑貨店「AND COLOR」(旧:mamaikuko)を経営されています。
経営者で娘は人気俳優ということから、地元では有名な方なのかもしれませんね。
「広末涼子の父親は亡くなった」という噂はデマ!
広末涼子さんの父親について調べてみると、ネット上で「亡くなった」と噂されていることがわかりました。
しかし、実際にそのような報道があったことはなく、広末涼子さんの父親は健在である可能性が限りなく高いと言えます。
この噂が広まった背景には、
というニュースが関連しているとされています。
作中では親子役だったわけではありません。
しかし、広末涼子さんが高倉健(たかくらけん)さん演じる主人公と深く関わる役どころだっただけに、関連付けられて噂となったのかもしれませんね。
広末涼子の母親は広末涼子と激似で超美人!
広末涼子さんの母親に関する情報もまとめました!
広末涼子の母親は広末涼子と激似で超美人!
広末涼子さんの母・廣末真弓(ひろすえまゆみ)さん。
広末涼子さん本人かと思うほど、そっくりで美人なお母さんですよね!
広末涼子さん自身も母・廣末眞弓さんの昔の写真を見て、
自分かと思った
と、驚くほどのそっくりぶり。
そんな母・廣末眞弓さんのプロフィールは次の通りです。
生年月日…1956年(68歳/2024年現在)
出身地…北海道旭川市生まれ、埼玉県・神奈川県育ち
性格…非常にポジティブであっさり
母・廣末眞弓さんは、父・廣末忠彦さんと神奈川県で出会って結婚。
結婚を機に高知県に引っ越し、24歳の時に広末涼子さんを出産しています。
父・廣末忠彦さんのが経営する雑貨店「mamaikuko」(現:AND COLOR)で働いているのだとか。
現在も店頭に立っておられるのかはわかりませんが、父・廣末忠彦さんと同じく地元では知られた存在だと考えられますね。
広末涼子と母・廣末眞弓のエピソード
広末涼子さんと母・廣末眞弓さんのエピソードをご紹介します!
広末涼子さんは、予定日よりも1カ月早く生まれ、出生時の体重は2,000gほどしかありませんでした。
さらに産まれた時に息をしておらず、担当医が叩きながら、
生命力が強いから大丈夫ですよ
と、母・廣末眞弓さんに言ってくれたのだそう。
その言葉通りに息を吹き返し、元気に成長した広末涼子さん。
幼少時代は実家の経営する雑貨店がある帯屋町のアーケード街でローラースケートをしたり、川遊びをするなど、活発な少女で目立っていたそうです。
広末涼子さんは、小学校の頃から女優になるのが夢だったのだとか。
高知にいたら女優になれないから、東京に出て学校に通いながらオーディションを受けたい
との思いから、関東の親戚宅に滞在の予約をしていたそうです。
そんなある日、書店で偶然オーディション雑誌を見つけ、母親・廣末眞弓さんへ相談。
数打ちゃ当たるんじゃない?100個やったら1個くらい引っかかるかも。
と、母・廣末眞弓さんの後押しもあって、クレアラシルのオーディションに臨みます。
すると、なんと1発で合格!
見事CM出演を果たしました。
その後、様々な芸能事務所や出演依頼の声掛けがありましたが、母・廣末眞弓さんは、
芸能人が通う学校ではなく、普通の高校に合格してからね
と、当時まだ中学生だった広末涼子さんに対して、高校合格までは芸能活動を認めなかったのだそう。
この発言に対し、
チャンスを逃しちゃったらどうするの
と、反論する広末涼子さんでしたが、母・廣末眞弓さんは、
それでチャンスを逃したら、あなたはその程度。
と、ばっさり。
その言葉を受け、広末涼子さんは猛勉強の末に品川女子学院へ無事進学し、芸能活動との両立を叶えました。
広末涼子さんの母・廣末真弓さんは、子どもたちに、
どんな時も笑顔でいること
以上2点を特に教え込んできたそうです。
広末涼子さんは芸能界に入って、
「しっかりご挨拶ができますね」「いい家庭で育ったんだね」
と、言われる事が多く、両親に感謝していると明かしています。
また、母・廣末眞弓さんからは、
口角を上げて笑うと可愛いよ
と、アドバイスされていたとのこと。
確かに、広末涼子さんといえばこの可愛らしい笑顔!
広末涼子さんの笑顔は、母・廣末眞弓さんの教育の賜物なのかもしれませんね。
広末涼子の母方の祖父のルーツは長野県塩尻市
NHKの番組「ファミリーヒストリー」で、母・廣末眞弓さんのルーツが明かされていました。
広末涼子さんの母方の祖父・安藤正順(あんどうまさのり)さんは1920年頃に長野県塩尻市に生まれました。
ところが、祖父・安藤正順さんが8歳の時に、なんと父親(広末涼子さんの曽祖父)が失踪。
そのため、祖父・安藤正順さんは長野県塩尻市にある曹洞宗の寺・興龍寺に預けられ、そこで育てられたそうです。
18歳となった祖父・安藤正順さんは、自ら志願して陸軍に入隊し、中国大陸に渡り各地を転戦。
しかし、1943年・23歳の時に胸膜炎にかかり帰国しました。
大阪堺市旭ヶ丘町にあった傷痍軍人大阪職業補導所に入り、薬品の調合や鉱物の成分含有量を調べる化学分析の技術を学びます。
そして1945年、終戦を迎えると故郷・長野県塩尻市に戻り、当時25歳だった祖父・安藤正順さんは仕事を探し始めます。
晴れて昭和電工の塩尻工場に採用されたものの、入社早々に北海道旭川市の旭川工場に転勤。
その旭川工場の事務所でタイピストとして働く綾智枝子(あやちえこ)さんと出会い、結婚しました。
その後、広末涼子さんの母・廣末眞弓さんに恵まれ、埼玉県や神奈川県に転居。
晩年は神奈川県で過ごされたそうです。
広末涼子の母方の祖母のルーツは香川県三豊市
広末涼子さんの母方の祖母・安藤智枝子(あんどうちえこ)さん。
そのルーツは香川県三豊市下高瀬地区にありました。
祖母・智枝子さんの実家・綾(あや)家は農家で、小作人を雇っていたのだとか。
しかし、近隣にあった高瀬川の氾濫で耕作地が奪われたために、一家は北海道旭川市へ移住。
その後1926年に祖母・智枝子さんが誕生します。
そして1946年、祖母・智枝子さんは20歳の時に、地元の昭和電工旭川工場へタイピストとして入社。
その後間もなくして、6歳年上の安藤正順さんと出会い、2年後に結婚。
祖母・綾智枝子さんは、2021年時点で神奈川県横浜市在住。
94歳とご高齢でしたが、非常にお元気な様子だったそうです。
広末涼子の両親のエピソードも紹介!
広末涼子さんのご両親のエピソードをご紹介します!
広末涼子の両親が知り合ったきっかけは、父親のナンパ
広末涼子さんの母・廣末眞弓さんは、高校卒業後に横浜市の専門学校へ進学。
ある時、横浜駅前で一人の男性から、
ちょっとお茶しましょう
と、声をかけられます。
それが、当時横浜市内の大学に通っていた父・廣末忠彦さんでした。
それを機に2人は交際を開始。
2年後、大学を卒業する父・廣末忠彦さんは、地元・高知市に戻って家業を支えることにします。
別れが近づいた頃、母・廣末眞弓さんが、
帰るのなら、結婚はできないわね
と、ひとこと。
その言葉に焦った父・廣末忠彦さん。
なんと本人へのプロポーズより先に、母・廣末眞弓さんの実家・安藤家に結婚の許可を貰いに行きます。
そして、更に2年後の1979年に2人は結婚。
母・廣末眞弓さんも、夫と共に高知市の金物店で働き始めたそうです。
父・廣末忠彦さんは、結婚に少々前のめりだったようですね。
しかし、それもそのはず。
母・廣末眞弓さんは、しばしばナンパを受けるなどモテる方だったそうです。
父・廣末忠彦さんが焦るのも無理はなかったといえそうですね。
広末涼子の兄弟姉妹も調査!
広末涼子さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
広末涼子の妹は保育士!!
広末涼子さんには妹さんが1人おられます。
広末涼子の妹は保育士!!
広末涼子さんの妹・廣末衣美(ひろすええみ)さん。
妹・廣末衣美さんは、広末涼子さんの3歳年下で2024年に41歳になります。
妹・廣末衣美さんは、高知県内の高校を卒業後に東京の大学へ進学。
大学卒業後は、保育士として東京の保育園に勤務し、一時期広末涼子さんと暮らしていたこともあったのだとか。
プライベートでは、同じく高知市の男性と3年間の遠距離恋愛を経て結婚。
現在は地元・高知市に戻り、お子さんにも恵まれ、一部情報では高知でも保育士として勤務されているとのこと。
広末涼子さんと妹・廣末衣美さんは、お互いに良き相談相手として、育児に関することなどよく話す仲なのだそう。
2人姉妹なだけに、幼い頃から仲が良かったのでしょうね。
まとめ
今回は広末涼子の母親の顔画像!実家の父親や兄弟など家族情報もまとめた!
という事で、広末涼子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 広末涼子の実家は高知県高知市・高知駅の南西で、お金持ち!
- 広末涼子の父親はビルオーナーで雑貨店を経営、母親は広末涼子とそっくりな超美人!
- 広末涼子の妹は保育士!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。