男子卓球選手の張本智和(はりもとともかず)さん。
2024年のパリオリンピック日本代表に選出されています。
そんな張本智和さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は張本智和の国籍は中国?妹や両親など実家の家族情報もまとめた!
という事で、張本智和さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
張本智和の実家はお金持ち?
まずは張本智和さんの実家について調べてみました!
張本智和の実家の場所は宮城県仙台市!
張本智和さんは宮城県仙台市で生まれ育ちました。
両親からの影響もあり、2歳にしてすでにラケットを握っていたそうです。
その後は仙台市立東宮城野小学校へ入学します。
卓球ではすでに頭角をあらわし、小学6年生の頃には世界ジュニア選手権に史上最年少で選出されています。
その傍らで進学塾に通うなど、勉学にも励んでいたそうです。
学内での成績は常にトップクラス。
また学力テストでは宮城県の上位10位に入った経験もあるそうです。
卒業後は東京都北区立稲付中学校へと進学しました。
東京へ引っ越したのはJOCエリートアカデミーに入校したことが理由です。
JOCエリートアカデミーは将来有望な競技者の育成機関。
本部が東京都北区にあることから、ほど近い中学校へと通うことにしたようです。
中学2年生のときに史上最年少で世界選手権の日本代表へと進出。
ベスト8の成績を残します。
また同年のチェコオープンで初優勝を飾り、ワールドツアー史上最年少記録を更新。
中学生ながら世界レベルの選手へと成長しています。
高校は神奈川県横浜市にある日本大学高等学校に通いました。
日本大学高等学校は卓球の強豪校として有名であるわけではありません。
そこには卓球だけではなく勉学にも励みたいという張本智和さんの想いがあったようです。
また卓球部には在籍せず、セミプロ卓球リーグ「Tリーグ」所属の木下グループの下で練習を行っていました。
2021年の東京オリンピックで五輪初出場。
16強に入る成績を収めます。
2022年4月からは早稲田大学の人間科学部eスクールへと入学。
eスクールとはオンラインで学位が取得できる通信教育課程のこと。
張本智和さんは海外遠征が多くなることを踏まえてeスクールを選択したようです。
同月にドイツ・ブンデスリーガ1部のTTCノイ・ウルムへと加入。
活躍の場を海外へと移しています。
東京や神奈川に住んでいた時期もありますが、張本智和さんは宮城県仙台市で生まれ育ちました。
以上のことから、宮城県仙台市が実家だと結論付けられそうです。
張本智和の実家はお金持ち?
張本智和さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうです。
根拠は以下の通り。
- 両親が元プロ卓球選手
- 実家で卓球場を運営している
それぞれについて紹介していきます。
両親が元プロ卓球選手
後ほど詳しく紹介しますが、張本智和さんのご両親は元プロ卓球選手です。
その経歴を活かし、2人ともがコーチや監督として卓球の指導にあたっているとのこと。
張本智和さんのお父さんは男子ジュニア日本代表のコーチを務めていました。
またお母さんはマレーシア代表の監督を務めた経験もあるそうです!
2人ともかなり優秀な指導者なのでしょうね。
サッカーを例にすると、代表チームのコーチだと年収が数千万にもなることがあるようです。
国際的な組織や代表チームのコーチだと、年収数千万円以上が報道されることもあり、トップクラブや有名選手を指導する場合は更に高額な年収が期待されることもあります。
引用:https://www.tsr.ac.jp/column/15319/
種目が違うので一概には当てはめられませんが、代表の監督ともなるとかなりの報酬が支払われると予想できるのではないでしょうか。
元プロスポーツ選手としても知名度もありますし、セカンドキャリアに困ることはなさそうです。
実家で卓球場を運営している
そんなご両親ですが、現在は実家に「張本卓球場」を開設し、そこで指導者として活動されているそうです。
張本卓球場ではコース別で料金が分かれており、また指導料が発生するジュニアクラブも存在します。
他には卓球教室も行っているようです。
練習風景の写真を見ると、かなり賑わっているように見えますね。
これだけの賑わいであればかなりの収入になっていそうです。
張本智和さんのネームバリューで今後はさらに会員が増えていくかもしれません。
上記の情報を総合すると、張本智和さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうですね。
張本智和の実家の両親(父・母)はどんな人?
張本智和さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
張本智和の父・張本宇は元プロ卓球選手!
張本智和さんの父・張本宇(はりもとゆ)さんは元プロ卓球選手です。
宇さんは中国四川省の出身。
もともとは張宇(ざんう)という名前でしたが、2014年に日本へ帰化。
それを機に張本宇(はりもとゆ)と名を改めています。
張本智和さんと同じく卓球選手だったという宇さん。
かつては国体の男子ダブルスで3位になるなど、中国国内でもトップクラスの選手でした。
その後、1993年に来日。
そのきっかけは金メダルにも輝いた女子卓球選手・小山ちれさんに声をかけられたことでした。
小山ちれさんの練習パートナーを務めていた宇さんですが、日本に留まるつもりはなかったと振り返っています。
海外でいろんな経験を積んだあと、中国へ帰ってプロチームの指導者になることが、当時の中国選手たちの多くが目指し、歩む道でした
自身もそうした道を歩むと思っていましたが、1998年に転機が訪れます。
仙台ジュニアクラブの指導者として再来日した宇さんは、その半年後に結婚。
まだ日本語は流暢ではなかったものの、母国へは帰らずに日本での生活を決意します。
その決意に至った理由として、ひとつは日本の子供たちに卓球を教えるのが楽しかったこと。
もうひとつは2003年に張本智和さんが生まれたことがあったそうです。
もし宇さんが帰国を選んでいたら、張本智和さんは中国の選手になっていたのかもしれませんね。
張本智和の母・張凌も元プロ卓球選手!
張本智和の母・張凌(ちゃんりん)さんも元プロ卓球選手です。
宇さんと同じく中国四川省の出身。
卓球選手としては、1994年の全中国選手権では混合ダブルスで準優勝。
1995年の第43回世界卓球選手権では中国代表として出場しています。
また引退後の1996年にはマレーシア女子ナショナルチーム監督を務めました。
選手としても指導者としても輝かしい成績をおさめられています。
1998年には張本宇さんと日本で結婚。
その当時、張凌さんがなぜ来日していたのかは不明です。
ただ宇さんのインタビュー記事ではすでに交際していたとあるため、一緒に来日していたのかもしれませんね。
仙台の地を拠点にした半年後、宇は交際していた張凌と籍を入れ、一緒に暮らすようになったのだ。
出典:https://number.bunshun.jp/articles/-/853549?page=1
同年に仙台市で張本卓球場を立ち上げ、現在はそこでコーチを務めています。
張凌は中国国籍?
帰化を機に姓を変えた張本宇さんとは違い、張凌さんは選手時代から同じ名前です。
そのことから、張凌さんは帰化していないのではないかという情報が見られます。
張凌さんの現在の国籍を断定する情報はありません。
ただ、張本卓球場のコーチ紹介では、張凌さんは張本凌(はりもとりん)と名乗っています。
2014年時点では張凌さんは帰化していなかったものの、現在は帰化して張本凌と姓を変更している、という可能性はあるかもしれません。
張本智和の両親のエピソードも紹介!
ここからは張本智和さんとご両親のエピソードを紹介します。
卓球よりも勉強
張本智和さんのご両親は2人とも元卓球選手。
幼い頃から卓球の英才教育を受けてきたのかと思いきや、実際は勉強に割く時間のほうが多かったといいます。
練習時間は多くても1日2時間。
他の子供達と同じだったようです。
その理由として、宇さんは
私は仙台ジュニアクラブの指導者ですから、60人近くいる子供たちを平等に指導しなければいけません
と語っています。
宇さんも張本智和さんに教えたい気持ちはあるものの、それを立場が許さなかったようですね。
また張凌さんは明確に卓球よりも勉強を重視する方針だったようです。
世界レベルの実力者になった現在でも、張凌さんは「トモ(智和)は卓球で生きていかなくてもいい」と思っているのだとか。
その理由を
アスリートはいつケガをするかわからないし、トップまでいくのも大変ですから
と答えています。
宇さんも張凌さんもかつては国内でもトップレベルの選手でした。
だからこそ、その厳しさを理解しているのでしょうね。
自ら希望して学習塾へ
子どもの将来は卓球選手じゃなくてもいいと思っていたご両親。
しかし張本智和さんは2歳の頃にはすでにラケットを持ち、張凌さんとラリーをしていたそうです。
ご両親の想いとは裏腹に、張本智和さんは幼稚園の頃には
卓球選手になりたい
とはっきりと口にしていたのだとか。
しかし勉学を疎かにしていたわけではありません。
小学校にあがる時、張本智和さんは自ら学習塾に入りたいと申し出たそうです。
限られた時間の中で、張本智和さんは塾と学校の宿題をまず片付け、それから卓球をする日々を送りました。
人一倍負けず嫌いだったという張本智和さん。
卓球も勉強も決して負けたくはなかったのでしょう。
当時を振り返った宇さんは
その結果、集中力は他の子供たちより高められたと思います
と、その生活習慣が競技にも活きたと語っています。
卓球も勉強も自発的に行っているのが素晴らしいですね。
父が帰化を決意した理由
小学4年生のとき、張本智和さんは日本国籍を取得します。
人生を大きく左右する決断ですが、それを迫られたのは全日本選手権への出場のとき。
「一般の部」に出場するには日本国籍が必要でした。
前述のとおり、当時の宇さんはいずれ中国に戻りコーチをするという考えがありました。
それもあって複雑な心境だったようです。
しかし「東京五輪で金メダルをとりたい」という張本智和さんの夢を尊重するため、宇さんは息子とともに帰化を決断します。
2014年には日本卓球界からの推薦もあり、日本国籍を取得しました。
その結果、張本智和さんは全日本選手権で優勝。
日本代表の座を獲得します。
非常に複雑な問題ではありますが、このことを振り返って宇さんは
帰化した直後は複雑な感情もありましたが、今は日本人として日本代表になった息子をサポートすることにまったく迷いはありません
と晴れやかに語っていました。
張本智和さんも帰化当初は厳しい言葉を投げられることもあったそうです。
しかし現在はそれを乗り越え、
最初はちょっとつらい気持ちがありましたけど、どんなトップ選手でもあることなので、今は嫌なことは全くないです
と吹っ切れている様子でした。
外野の言葉は気にせず、日本代表として頑張ってほしいですね。
「チョレイ!」に込められた父との約束
張本智和さんの代名詞といえば得点の際に発する「チョレイ!」の掛け声。
何か意味があるのかと思いがちですが、これは中国語でも日本語でもなく、自然に口から出てきた言葉なのだそうです。
ただそこには父との約束が込められていました。
もともと恥ずかしがり屋で、自分を出さない性格だという張本智和さん。
そんな張本智和さんを見た宇さんは、
勝負に向かうときに大切なのは精神力。そのためには、まず自分から元気な声を出すこと
と指導したそうです。
最年少記録を次々と塗り替えてきた張本智和さん。
見方を変えれば、常に年上の選手と戦ってきたことになります。
そういった舞台で臆せず立ち向う勇気を生む言葉。
それが「チョレイ」だったのですね。
現在の張本智和さん勇猛果敢な姿を見て、宇さんは
試合になると別人。すごい集中力ですよね
と舌を巻いている様子。
ここまで変貌するとは思っていなかったのかもしれません。
息子の快進撃を支えた母の教育論
数々の最年少記録を塗り替えてきた張本智和さん。
少しぐらいは慢心してしまいそうなものですが、現在にいたるまで卓球界のトップを走り続けています。
そこには母・張凌さんの教育論が根底にありました。
張凌さんは張本智和さんが試合に勝っても「自慢するのはよくないことだ」と常々語ってきたそうです。
また、
県大会で優勝しても『全国にはまだ強い子がいる』と言いましたし、日本一になっても『世界にはもっとすごい選手がいる』と言いました
と常に謙虚さを忘れないように戒めてきたのだとか。
その言葉が張本智和さんの快進撃を支えてきたのでしょうね。
張本智和の兄弟姉妹も調査!
張本智和に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
張本智和の兄弟は妹!!
張本智和さんには妹がおられます。
卓球選手の張本美和さんです。
2008年6月16日生まれの16歳。
張本智和さんと同様に2歳から卓球を始めました。
2014年に父と兄と共に中国から日本へ帰化しています。
当初は中国を中心にプレーをしていましたが、そこでの活躍により日本でも注目を集めるようになりました。
その一方で兄と同様に勉強も得意であり、全国模試で1位になったこともあるそうです!
張本美和選手✨全国模試1位🎉
— TBS炎の体育会TV🌈 (@taiikukaitv) October 16, 2021
ご両親の教育の一環として、「1に健康、2に勉強、3に卓球」なんだそうです。#体育会TV #張本美和 pic.twitter.com/5BqCKHOouH
2021年には全国中学校卓球大会の女子シングルスで初優勝。
また2024年にはパリオリンピックの団体戦要因として選出されています。
兄妹での五輪代表は史上初の快挙。
一緒にパリへと出発する姿も話題になりました。
兄妹でメダルを持ち帰ってきてほしいですね!
まとめ
今回は張本智和の国籍は中国?妹や両親など実家の家族情報もまとめた!
という事で、張本智和さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 張本智和の実家の場所は宮城県仙台市
- 張本智和の実家はお金持ちの可能性が高い
- 張本智和の父・張本宇は元プロ卓球選手
- 張本智和の母・張凌も元プロ卓球選手
- 張本智和の兄弟は妹・張本美和で卓球選手
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。