元プロ野球選手で平成の怪物の愛称で親しまれた松坂大輔(まつざかだいすけ)さん。
プロ野球選手引退後は野球解説者・野球評論家として活躍し、自身のYouTubeチャンネルやインスタグラムも開設するなどSNSにも力を入れています。
そんな松坂大輔さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は松坂大輔の実家の家族まとめ!兄弟や両親(父・母)はどんな人かも調査!
という事で、松坂大輔さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
松坂大輔の実家はお金持ち?
まずは松坂大輔さんの実家について調べてみました!
松坂大輔の実家の場所は東京都江東区東陽町!
松坂大輔さんの実家は江東区東陽町にあります。
詳しい住所までは特定できませんでしたが、出身小学校がある南陽小学校付近に実家があると思われます。
東陽町は区役所や公共施設・企業オフィスなどが集まる場所で「行政・ビジネスの中心地」と言われています。
松坂大輔さんが家族でよく足を運んでいた焼肉屋「加留美亭」も小学校から徒歩10分圏内の東陽町にあります。
こちらのお店は元々は江東区木場にお店を構えており、2012年に東陽町に移転してきたとのことです。
ちなみに松坂大輔さんのお気に入りは和牛上ハラミなのだとか。
松坂大輔さん御用達ということでTVで取り上げられたこともあり、地域でも評判の美味しい焼肉屋さんのようです。
松坂大輔の実家はお金持ち?
松坂大輔さんの実家がお金持ちであるかどうか調べてみましたが、具体的な根拠となる情報は見つかりませんでした。
松坂大輔さんの学歴や幼少期の習い事などから情報を探ってみましょう。
①学歴
②習い事
③弟の発言
①学歴
- 東京都江東区 塩崎保育園
- 東京都江東区立南陽小学校
- 東京都江東区立東陽中学校
- 神奈川県横浜市金沢区 私立横浜高等学校
- 大学へは進学せず、西武ライオンズからの1位指名を受けプロ野球入団
幼児期は保育園に通園していたようですので、ご両親が共働きだったのでしょうか。
小学校と中学校はは区立に通学しておりますが、高校は私立高校へ進学されています。
横浜高校の初年度学費を調べてみると、初年度納入金400,000円+年学費612,000円=1,012,000円かかります。
3年間で2,236,000円かかりますので、公立高校に比べたらそれなりの資金が必要ですよね。
②習い事
習い事は5歳から小学校3年生まで地域の剣道塾「福住剣友会」に通っていたようです。
剣道の月謝は3,000円程で、年間で36,000円かかります。
幼少期の習い事の情報は剣道のみでした。
③弟の発言
松坂大輔さんの弟がとあるインタビューで次のように語っていました。
高校進学時に私立か公立かを選択する際、「兄が私立へ行っていたこともあり、家庭の経済状況がめちゃくちゃ貧しいわけでもないが裕福ではなかったので、必然的に公立高校かなと。私立に行くなんて言えなかった。」と話す場面がありました。
以上の情報から、松坂大輔さんの実家は日常生活が無理なく過ごせる一般的な家庭ではないかと推測されます。
幼少期の習い事である剣道は相当厳しかったようですので、基本的な礼儀作法が身に付き、忍耐力と精神力が培われていき、後に偉大なプロ野球選手となる松坂大輔さんを築き上げていったのかもしれませんね。
松坂大輔の実家の両親(父・母)はどんな人?
松坂大輔さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
松坂大輔の父親は子煩悩でいい人!
松坂大輔さんの父親の名前は松坂諭(さとる)さん。
北海道稚内市出身。
2024年で71歳になります。
松坂大輔さんの父親は高校卒業後、集団就職のようなかたちで東京の下町(江東区)の運送会社へ働きに出ました。
松坂大輔さんが高校卒業する頃、運悪く父親の会社が倒産してしまったそうですが、松坂さんが西武ライオンズに入団したことで西武グループの仕事が回ってきたのだとか。
運送会社で勤務していた頃は勤務時間が選べたため、毎日午後3時半には家にいられるように早番勤務を希望していたとのことです。
子煩悩な父
松坂大輔さんの父親が「子煩悩」であるエピソードがありましたのでご紹介します。
父親が勤務時間を早めて午後3時半に家にいる理由は、子供との時間を大切にするためだそうです。
父親が保育園のお迎えへ行くこともあり、帰宅後は暗くなるまで外で遊んでいたのだとか。
キャッチボール、サッカー、相撲、テニス、時には遠出をして釣りをするなど様々な遊びを子供と一緒に楽しんでいたようです。
夕飯は必ず家族全員で食卓を囲むという松坂家の構図があり、家では絵本や紙芝居を読んであげて子供とのコミュニケーションを欠かさず子煩悩な父親だったことがわかります。
父親は子供の自主性を大切にし、野球だけに固執しせず、子供が遊びたいものに付き合うという子育て論を持っていたようです。
やりたかったらやりなさい、やりたくなかったらやめなさい、本人の意思を尊重していたのだとか。
松坂大輔さんの父親はお酒が飲めず、同僚との付き合いより子供と遊んでいた方が楽しかっとも話していました。
それにしても、これだけ子育てに協力的で子供との時間を大切にする父親は当時は珍しかったのではないでしょうか。
ちなみに松坂大輔さんが野球を始めたきっかけは、幼少期に父親が草野球でプレーする姿を見てキャッチボールをするになり、自然と野球をするようになったのだそうです。
松坂大輔さんにとって父親の存在は大きく、色々な遊びや教えを常に行動で示してくれ、まさに父親の背中を見てたくましく育ってきたのかもしれませんね!
いい人すぎる父
松坂大輔さんの父親が「いい人」であるエピソードがありましたのでご紹介します。
松坂大輔さんの高校野球での活躍が評価され、プロの道へ進むかどうか世間が注目した際のことです。
都内の松坂家の自宅前に連日のように取材陣が張り込みをしていたそうです。
仕事帰りの父親が記者に向けて「皆さんも大変だね。こんなふうに取材ってするんだねえ。初めてみたよ。これ聞いて、どんな話を記事にするの?」と初めて見る光景に興味深々だった様子。
そしてある時「僕はもう本人の中で心は決まってると思ってるんだけどね。プロに行きたいんだと思うよ。だったら行けばいいのに」と本人より先に重大発言をしてしまいました!
その後にポロリと「俺、余計なこと言っちゃった?」と口にしたようですが、翌日には大きくスポーツ紙の見出しに「松坂、父激白『大輔はプロ』」と記載されていたのだとか。
後日の取材でも父親は「皆さん、もう勘弁してよ。嫁さんにも大輔にもめちゃくちゃ怒られたよ。なに余計なことしゃべってんだよって。みんなして記事を書くからさあ」と照れ笑いしながら話したそうです。
連日のように張り込む取材陣に毎日大変だなぁ~、何か話をしてあげないと、と黙っては帰れないと思ったのでしょうか、いい人すぎる父親の人柄が裏目に出てしまったようですね。
松坂大輔の母親も子煩悩!
松坂大輔さんの母親は松坂由美子(ゆみこ)さん。
青森県東津軽郡蟹田町(現在の外ヶ浜町)出身。
年齢は父親と同じく2024年で71歳になります。
写真一番右側が母親の由美子さん。(一番左側は父親の諭さん。)
父親と同じく高校卒業後に東京へ上京。
父親と同じ運送会社に事務員として働いていたようです。
母親が27歳の頃松坂大輔さんを出産。
荒木大輔さんに憧れて息子に「大輔」と名付けたのだとか。
子育てと仕事を両立し忙しい中でも子供と遊ぶ時間も大切にし、公園へ連れて行っては鬼ごっこやかくれんぼ・ジャングルジムなどに付き合っていたそうです。
ご両親共に子煩悩で子育てに積極的だった様子が伝わってきますね。
ご両親からの愛情をたっぷりと受けて大物野球選手に成長した松坂大輔さん。
松坂大輔さんが試合で日米通算165勝目を挙げた日は母親・由美子さんの誕生日だったようです。
母親の誕生日に勝利を挙げた際、松坂大輔さんは母親について次のように語っていました。
どんなときも、自分の記事や写真を楽しみにしてくれた。幼少時代、津軽半島の母の実家に家族4人、車で帰省するのが楽しみな少年だった。今でも母の日や誕生日の贈り物は欠かさない。最愛の母への最高のプレゼントになった。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201805010000031.html?Page=1#goog_rewarded
自分の記事を楽しみにしている母親の姿を思い浮かべ、試合での復活勝利が母親への誕生日プレゼントになったと語る松坂大輔さん。
毎年母の日や誕生日に贈り物を欠かさずプレゼントしている様子からも、大人になっても母親へ感謝の気持ちを忘れず親孝行をしていることが伝わってきますね!
松坂大輔の両親のエピソードも紹介!
松坂大輔さんと両親のエピソードも紹介したいと思います!
子供の喜びが自分達の喜び
松坂大輔さんがプロ野球選手になったことが自分たちの人生の至福と言い切るご両親。
両親共に子育てに積極的だったことから「子供の喜びが自分の喜び」と親子が一心同体の様子が伝わってきます。
ご実家には松坂大輔さんの写真が所狭しと並んでおり、幼少期から合計で100枚以上の写真が飾られているのだとか。
高校時代から大物選手としてTVで脚光を浴び、プロ野球選手~メジャーリーグでの活躍と輝かしい成績を残してきた松坂大輔さんはご両親にとって自慢の息子さんであることは間違いないでしょう。
祖父は強肩の持ち主
平成の怪物と言われた松坂大輔さんの肩は父方の祖父譲りなのだとか。
祖父の名前は徳次さん。
81歳で亡くなっていますが、松坂大輔さんのDNAは祖父から受け継いでいると言っても過言ではないエピソードがありました。
戦時中樺太(現サハリン)の野砲隊にいた徳次さんは当時55メートルだった隊内の手投げ弾の遠投記録を63メートルに塗り替えた強肩の持ち主だったそうです。
戦後、北海道に引き揚げ、コンブやタコの漁師になったようですが、腕は丸太のように太かったといいます。
写真一番左側が祖父・徳次さん、一番右側が祖母・みさ子さん。
松坂大輔さんはプロ野球入団後も祖父母が住む北海道稚内へ遠征となると時間を見つけて会いに行っていたそうです。
祖父が他界した際には棺に18番のユニホームを着せて見送ったという松坂大輔さん。
両親への親孝行だけではなく、祖父母に元気な姿を見せに会いに行くことで祖父母孝行もしていたことが伝わってきますね。
松坂大輔の兄弟姉妹も調査!
松坂大輔に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
松坂大輔の兄弟は2歳年下の弟!!
松坂大輔さんには2歳年下の弟がおられます。
弟の名前は松坂恭平(きょうへい)さん。
物怖じせず、自分が納得するまでは周りがやっていても実行しない意志が強いタイプ。
2024年で42歳になります。
結婚しており、奥様はフリーアナウンサーの廣川明美さん。
子供が一人。
現在は奥様のご実家である新潟県に移住。
これまで様々な仕事に携わっていたようですが、現在は株式会社ONE4ALLの代表取締役社長。
ご報告
— 松坂恭平 (Kyohei Matsuzaka) (@kyohei1982) September 11, 2023
株式会社ONE4ALLの代表取締役に就任し、ONE OF THE ANSWER(ワンオブジアンサー)というスポーツブランドを立ち上げました。
主な事業は野球グラブの製造販売です。
前職での経験を活かし、企画から営業、販売、販促と一気通貫で仕事させてもらっています。… pic.twitter.com/yP2hx5338Z
スポーツに携わりながらモノづくりの仕事をすることに挑戦していきたいと自ら社長に就任。
熱いチャレンジ精神が伝わってきますね!
これまでの生い立ち
松坂恭平さんのこれまでの経歴を辿ることができましたのでご紹介します。
- 小学1年生で野球を始め、所属チーム江戸川南リトルで投手と内野手を務め、全国3位の成績をおさめる。
- 中学時代は軟式野球をしており、高校進学時に幾つもの強豪私立高校の野球部から勧誘があったものの、経済的事情(父親の会社倒産)により都立篠崎高等学校へ進学。また、高校球児=坊主に疑問を感じていたこともあり、家から近く野球部で坊主でなくてもよい学校を自ら探し篠崎高校を選択。
- 高校卒業後に法政大学へ進学。
- 大学卒業後、株式会社コクド(西武グループ)に入社、わずか10日間で退職届提出。
- 2005年、アンダーアーマーを取り扱うスポーツ用品メーカー・ドームに就職。2023年退職。
- 仕事をする傍ら、社会人野球のTokyo Bay lustersに所属。
- 2023年、野球用品を中心としたスポーツブランド「「ONE OF THE ANSWER(ワン・オブ・ジ・アンサー)を立ち上げ、グラブを中心に商品開発と販売を行う。
- 株式会社ONE4ALLで代表取締役社長となり現在に至る。
兄との比較
兄・松坂大輔さんがTVで活躍するようになってから、常に比較されてきたという弟の恭平さん。
高校時代は兄の背中を見て兄に追いつきたいと努力し、汗を流しひたすら練習に励みました。
しかしマスコミに「松坂大輔の弟」という肩書をつくられ、周囲に勝手に比較され高校時代の一時期に生きづらさを感じていたと言います。
そんな中でも変わらず接してくれた両親に弟の松坂恭平さんは救われたそうです。
当時の松坂恭平さんにとってご両親の揺るぎない愛情と変わらない家族の日常が唯一の安らげる場所だったのかもしれませんね。
ちなみに兄弟同士は子供の頃一緒に遊ぶというよりお互い同級生同士で遊ぶことが多く、社会人になってから兄弟で連絡を取り合うことが多く関係性が深くなったようです。
ご両親が愛情をもって育て立派な大人に成長した松坂家のご兄弟、これからは兄弟が力を合わせ親孝行に努めていくことを期待したいですね。
まとめ
今回は松坂大輔の実家の家族まとめ!兄弟や両親(父・母)はどんな人かも調査!
という事で、松坂大輔さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 松坂大輔の実家は東京都江東区東陽町!
- 松坂大輔の父親は子煩悩でいい人、母親も子煩悩!
- 松坂大輔の2人兄弟で2歳年下の弟がいる!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
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[…] さらに、上地さんは横浜高校で松坂大輔さんとバッテリーを組んでいたというのは有名な話です。 […]