プロ野球選手の周東佑京(しゅうとううきょう)さん。
NPBにおける育成選手出身者初の盗塁王かつ、連続試合盗塁記録の世界記録保持者です。
そんな周東佑京さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は周東佑京はハーフや中国人じゃなくて父親も母親も日本人!家族もまとめた!
という事で、周東佑京さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
周東佑京の実家はお金持ち?
まずは周東佑京さんの実家について調べてみました!
周東佑京の実家の場所は、群馬県みどり市!
周東佑京さんの実家は群馬県みどり市にあります。
周東佑京さんは群馬県新田郡藪塚本町(現:太田市)で生まれました。
太田市立藪塚本町小学校2年生のときに「藪塚リトルファイターズ」で軟式野球を始めます。
そして太田市立藪塚本町中学校時代に「太田ボーイズ」で硬式野球を始めました。
ここまで見てきたように、太田市と縁が深いことがわかりますね。
そのため周東佑京さんのプロフィールなどでは太田市出身と書かれていることも多いです。
しかし2019年に放送されたTBS「バース・デイ」で、周東佑京さんが特集されたときのこと。
そこでは群馬県みどり市にある実家を訪ねる様子が放映されていたといいます。
番組ではそんな周東の群馬県みどり市にある実家を訪ね、支配下登録された同じ年に一気に日本代表にまで上り詰めた俊足の“秘密”を深掘り。
引用:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/11/11/kiji/20191111s00001004255000c.html
太田市とみどり市は隣接している市です。
周東佑京さんの実家はちょうどその境界にあり、太田市内の学校へ通うことになったのかもしれませんね。
以上のことから、周東佑京さんの実家は群馬県みどり市内の太田市方面にあると考えられそうです。
周東佑京の実家はお金持ち?
周東佑京さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えられます。
その根拠は以下のとおりです。
- 野球と水泳を並行して習っていた
- 高校・大学と私立学校へ通っていた
それぞれについて紹介していきます。
野球と水泳を並行して習っていた
周東佑京さんは小学校時代は少年野球に所属し、中学校からはリトルリーグに所属していました。
習い事として野球をやる場合、月謝は平均で5000円ほどかかるようです。
一般的な習い事とあまり大差はないように思えますね。
ただ野球は道具代や遠征費などもかかります。
以下は少年野球で1年間にかかる費用の一例です。
入会金:約5,000円
ユニフォーム代:約15,000~20,000円
道具代:約48,000~73,000円
スポーツ保険料:約1,000~2,000円
遠征費・合宿費:約10,000~20,000円
イベント費用:約1,000円~合計:約80,000~121,000円
引用:https://www.lessonpark.jp/article/baseball-monthly-fee
また硬式野球になると道具代の値段は更に高くなります。
周東佑京さんは小学2年生から中学3年生まで野球を習っていたため、それなりの費用となっていそうですね。
それに加え、周東佑京さんは小学校時代には水泳も習っていたそうです。
スイミングスクールの月謝は7,000~10,000円が相場とのこと。
野球と並行して水泳を習わせられるのは、実家に経済的余裕がある証拠ではないでしょうか。
高校・大学と私立学校へ通っていた
周東佑京さんが通っていた高校と大学はどちらも私立学校です。
以下は周東佑京さんが通っていた高校と公立高校の初年度納入金を比較したもの。
- 東京農業大学第二高等学校:808,200円
- 公立高校の平均:510,000円
そしてこちらが通っていた大学と公立大学の比較です。
- 東京農業大学生物産業学部:154万3800円
- 公立大学の平均:81万7,800円
かなりの差があることがわかりますね。
これだけの金額を負担できるということは、やはり実家はそれなりに裕福なのではないでしょうか。
上記の情報を総合すると、周東佑京さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
周東佑京の実家の両親(父・母)はどんな人?
周東佑京さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
周東佑京の父・孝宜はトラックの運転手!
周東佑京さんの父・孝宜さんは運送業を営んでおり、自らもトラック運転手であるそうです。
1967年生まれの58歳。
孝宜さんも中学時代に野球をしており、ポジションは投手だったそうです。
しかし投げ過ぎで肘を故障をしたため、野球は断念。
そういった経験もあり、周東佑京さんに野球の指導をすることはあっても、怪我から身を守ることを第一に意識させていたそうです。
ちなみに孝宜さんも足の速さにはかなりの自信を持っていたとのこと。
球界随一の俊足を誇る周東佑京さんですが、遺伝の影響も大きいのかもしれませんね。
周東佑京の母・園美は熱烈な巨人ファン!
周東佑京さんの母・園美さんは熱烈な巨人ファンであるそうです。
園美さんは1963年生まれの61歳。
周東佑京さんは母親の人柄について、
優しいです。怒られたこともあんまりないです
と笑顔で明かしています。
そんな園美さんはですが、実は元巨人の篠塚和典さんの大ファン。
しかし周東佑京さんがそのことを知ったのはプロ入り後だったそう。
そんな母・園美さんは、息子にも大好きな野球を始めてもらいたかったため、あらゆる手を尽くしてきたそうです。
結果的に周東佑京さんがプロ入りしてくれて大喜びしているでしょうね。
周東佑京はハーフ?中国人?
ネット上では周東佑京さんがハーフや中国人と言われることもあるそうです。
周東初めて見たけど足はやっ!
— 〓V.I.P〓(おおともりょう) (@vip_japanA) October 19, 2019
周東佑京って中国人かと思ったわ😳
そう言われる理由としては、
- 「周東佑京」という名前が珍しいから
- 顔立ちがアジア系のハーフにも見える
といったものがあるようですね。
ただ前述の通り、周東佑京さんの両親は日本人。
珍しいように思える「周東」という苗字も、出身地である群馬県では比較的多く見られるそうです。
結論としてはネット上の憶測だったということになります。
周東佑京の両親のエピソードも紹介!
ここからは周東佑京さんとご両親のエピソードを紹介します。
野球を始めさせるために考えた両親の作戦
前述の通り、周東佑京さんの父親は野球経験者。
そして母親は大の巨人ファンでした。
そのため両親ともに、息子には野球をやってほしかったといいます。
しかし周東佑京さんが保育園のときに始めたのはサッカー。
このままだとサッカーやっちゃうんじゃない
と夫婦で話すなど、不安がっていたそうです。
そこで父親が考えた作戦が、自宅のテレビで巨人戦を流す刷り込み作戦。
夕食時にはほぼ必ずといっていいほど巨人戦がテレビで流されていたのだとか。
そのおかげもあり、小学2年生のときに周東佑京さんは
(野球を)やりたい
と自ら言い出したそうです。
ご両親はガッツポーズだったでしょうね!
元々真面目な性格だったという周東佑京さんは、その後は熱心に野球に打ち込んでいったそうです。
多少強引ではありましたが、今では周東佑京さんも野球に出会わせてくれて感謝しているかもしれませんね。
原点となった父の「非スパルタ教育」
今や球界を代表する選手となった周東佑京さん。
その活躍の原点には、幼少期の父親の「非スパルタ教育」がありました。
小学2年生から野球を始めた周東佑京さん。
父親も野球経験者ということで、時にはその指導にあたることもありました。
しかしそこで行われたのは、一般的に想像するような熱血指導ではなかったといいます。
とにかく小さい頃は体を酷使しないように、本人には『投げるな』『体を守れ』と口酸っぱく言い聞かせました
元気盛りだった幼少期の周東佑京さんは練習をしたがり、制することに苦労したそうです。
孝宜さんは中学時代の怪我が原因で、野球を断念した過去があります。
そのため息子には同じ悔しさを味わってほしくなかったのでしょう。
周東佑京さんは高学年まで水泳も習っていました。
そこにも息子を思う孝宜さんの狙いがあったそうです。
水泳は体が鍛えられると同時に、肩周りの可動域が広がる働きもあります。
そのため野球につながる体力強化や故障防止にもなるとのこと。
孝宜さんの方針が活き、周東佑京さんは体が出来上がる頃には誰にも負けない快足を手にしていたそうです。
野球をやらせてくれた親への感謝を忘れることはありません
と周東佑京さんが語るのも納得ですね!
息子の心を動かした父の檄
息子の怪我予防を第一に考える一方で、父・孝宜さんは野球への向き合い方には厳しさを見せることがありました。
チームの父母会の役回りがあるため、周東佑京さんの両親は毎週末の試合に同行。
それによって周東佑京さんの妹たちも好きな場所に出かけることができない状態でした。
あるとき、孝宜さんは
妹たちの犠牲の上に成り立っているんだぞ。ぬるい気持ちでやるくらいならやめてしまえ!
と檄を飛ばしたといいます。
今後野球を長く続けるには、自分に対する厳しさもなければ駄目だと考えたのでしょう。
父親からそんなことを言われたら反発する子供もいそうですよね。
しかしその後、周東佑京さんは遠征にいったときには妹に、
何か欲しいものはないの
と聞くなど、野球と向き合いつつも思いやりを持った性格へと変わっていったといいます。
当時から周東佑京さんの中には野球を続けていく確固たる決意があったのかもしれませんね。
父が「佑京」に込めた想い
苗字と同様に特徴的である「佑京」という名前。
名付けたのは父親であり、F1レーサー・片山右京さんから取った名前とのことです。
片山右京さんは単身英国に渡り、自らの力でF3からF1へとのし上がっていった方。
自分の息子には自分の力でのし上がってほしいという気持ちがあって付けました
と、孝宜さんはそこに込められた想いを明かしました。
また「右京」ではなく「佑京」にしたのは、自分の名前と同じ画数にしたいという思いがあったそう。
「孝宜」も「佑京」も画数は15画。
孝宜さんは祖父から地元で有名な神社から名付けてもらった過去がありました。
そのため、息子も同じ画数にしたかったそうです。
WBCでの活躍で、世界にその名を知らしめた周東佑京さん。
名付けた孝宜さんも満足していることでしょうね。
親戚から判明した俊足のDNA
周東佑京さんの俊足の原点には、そのDNAも関係しているといいます。
実は父親のいとこは、1992年バルセロナ五輪の陸上男子110メートルハードルに出場した岩崎利彦さん。
元110mハードル日本記録保持者でもあり、現在は川村学園女子大学で陸上競技部の指導を行っているそうです。
いとことはいえ、オリンピック出場選手が親戚にいるのはとても珍しいことですよね。
周東佑京さんは俊足に生まれるべくして生まれたのかもしれませんね。
周東佑京の兄弟姉妹も調査!
周東佑京に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
周東佑京の兄弟は姉が1人と妹が2人!!
周東佑京さんには姉が1人と妹が2人おられます。
このうち、長女と次女については情報はほとんど見つかりませんでした。
末っ子の三女は周東美来さんで、周東佑京さんより6歳年下となっています。
美来さんは兄について、
昔から遠征に行くと、必ずお土産を買ってきてくれました。今も会うと『何か欲しいものはないの』と聞いてくるんです
と話しています。
優しいお兄さんのようですね。
兄妹の仲は現在も良好であるらしく、妹とはよく電話で連絡を取り合っているそうですよ。
4人兄妹のなかで唯一の男の子ということもあり、昔から頼れる存在だったのかもしれません。
まとめ
今回は周東佑京はハーフや中国人じゃなくて父親も母親も日本人!家族もまとめた!
という事で、周東佑京さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 周東佑京の実家の場所は群馬県みどり市
- 周東佑京の実家は少なくとも裕福な家庭
- 周東佑京の父・孝宜はトラックの運転手
- 周東佑京の母・園美は熱烈な巨人ファン
- 周東佑京はハーフでも中国人でもなく、日本人
- 周東佑京の兄弟は姉が1人と妹が2人
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。