鈴鹿央士の実家は岡山のどこ?昔の画像や幼少期など地元時代も調査!

「MEN’S NON-NO」の専属モデルであり、俳優としても活躍されている鈴鹿央士(すずか おうじ)さん。

俳優の鈴鹿央士

デビュー作となる映画『蜜蜂と遠雷』では新人賞を総なめにし、一気に注目が集まった若手演技派俳優です。

そこで今回は、鈴鹿央士の実家は岡山のどこ?昔の画像や幼少期など地元時代も調査!ということで、鈴鹿央士さんの実家や、幼少期の画像、エピソードについてまとめてみました。

ぜひ最後までご覧ください。

目次

鈴鹿央士の実家は岡山のどこ?

鈴鹿央士さんは、岡山県出身であることが公式プロフィールで明らかにされています。

しかし、それ以上の詳細な情報については公表されていないのです。

鈴鹿央士さんの実家は岡山のどこなのでしょうか、関連エピソードをご紹介していきます。

自然が豊かな田舎

都会派か田舎派か?と聞かれると、即答で田舎派と答える鈴鹿央士さん。

自身の実家も自然豊かな田舎にあるという話を、いろいろなインタビューでしているのです。

鈴鹿央士さんは山や田んぼに囲まれた田舎で育ったそうで、実家では寝ている時にコオロギやカエルなどの虫の音が庭から聞こえてくるのだとか。

僕は実家の真裏に山があるような田舎で育ったので、上京したての頃は建物に囲まれた東京での生活になかなか慣れなくて…。

岡山にいる時はコンビニに行くだけでも、その道中に畑や田んぼ、川があって季節が変わるごとに木や花を見ては「あ、もうこれくらい育っているんだな」と感じていたんです。

ただコンビニに行くだけでも良い散歩だったんだな〜と、今になって思いますね…。

引用:TV Bros. WEBインタビュー(https://tvbros.jp)

田んぼや川が広がった、のどかな風景が目に浮かびますね。

鈴鹿央士さんは「田舎で自然に囲まれて育って良かったな」と思っているそうですよ。

実家は岡山市内?

鈴鹿央士さんの実家が田舎であるという話から、郊外なのでは?と思いましたが、岡山市内にあるという情報をたくさん目にします。

噂レベルの情報ですが、本当なのかどうか詳しく調べてみました。

現在記事は削除されているようなのですが、山陽新聞では以前に鈴鹿央士さんを「岡山市出身」と紹介していたようです。

地元の新聞社ですから、知っていた情報を書いた可能性はありますよね。

また、鈴鹿央士さんの出身高校は岡山市内東区にある岡山県立西大寺高校と言われています。

鈴鹿央士さんは高校時代に、映画『先生!、、、好きになってもいいですか?』の撮影にエキストラとして参加していた時に、主演の広瀬すずさんに見初められて、その後スカウトされたというのは有名な話です。

その映画の撮影現場となったのが、西大寺高校と岡山学芸館高校の2つの学校。

そして、鈴鹿央士さんの「県立高校に通っていた」という発言から、私立である岡山学芸館高校ではなく西大寺高校だと特定されました。

2歳上の兄の影響で、同じ県立高校に進み、同じバドミントン部に入りました。

自転車通学で、部活後は友達とコンビニで唐揚げを買い食いして、たわいもない話で盛り上がっていました。

引用:朝日新聞デジタル(https://www.asahi.com/)

高校へは自転車で通っていたという鈴鹿央士さん。

実家から高校までの距離は、ある程度近かったのではないかと考えられます。

ひょっとすると鈴鹿央士さんの実家は、西大寺高校のある岡山市内東区周辺にあるのかもしれないですね。

鈴鹿央士の幼少期の顔画像はある?

鈴鹿央士さんの幼少期の顔画像はあるのでしょうか。

探してみるとMEN’S NON-NO WEBの特集内でいくつか見つかりましたので、ご紹介していきます。

まず1つ目がこちら。

俳優の鈴鹿央士の幼少期
出典:https://www.mensnonno.jp

とても小さくて可愛らしいですね。

現在と同じく色白で、瞳が大きくキレイなので、鈴鹿央士さんだとすぐにわかります。

これはお祭りに行く時の恰好なんだそうです。

幼少期は夏になると家族で祖父母の家に帰省して、だんじり祭へ出かけていたんだとか。

家族で並んで花火を見たり、線香花火をしたりしていたそうですよ。

母方の祖父母の家が海の近くで、家の前に寝られる椅子を並べて、みんなで打ち上げ花火を見たことが良い夏の思い出だったなと。

蚊取り線香を焚いて、手持ち花火もして…という時間がとっても楽しかったです。

引用:WEB ザテレビジョン(https://thetv.jp/)

素敵な夏の思い出ですよね。

では2つ目の画像がこちら。

俳優の鈴鹿央士の幼少期
出典:https://www.mensnonno.jp

これは14歳の時の画像だというのですが、もう少し幼く見えますね。

このころには、もうすでにイケメンです。

鈴鹿央士さんは子どもの頃、「こんにゃくになりたい」と言っていたのだとか。

「ふにゃふにゃしてて、なんかいい」と思っていたそうです。

もしかすると、ちょっと変わり者だった幼少期を過ごしたのかもしれないですね。

以上、鈴鹿央士さんの幼少期の顔画像をご紹介しました。

鈴鹿央士さんは、子どもの頃から瞳が大きくてイケメンだったことがわかりましたね。

鈴鹿央士の幼少期のエピソードは?

すでにいくつか幼少期のエピソードをご紹介しましたが、他にもありましたので順にご紹介していきます。

怪我が多かった幼少期

鈴鹿央士さんの幼少期は、よく怪我をする子どもだったんだそうです。

幼少期の思い出について聞かれた際には、インタビューで次のように語っていました。

実家のリビングに四角の机があるんですけど、小さいときによくお兄ちゃんとケンカをして僕は逃げる側で、転んじゃって机の角に顔をぶつけて、今でも眉毛がハゲているんですけど。

そういう怪我があったり、お兄ちゃんも階段から転げ落ちちゃったりして、すごい怪我常習犯な子ども2人だったなと、今思いました。(笑)

引用:モデルプレスインタビュー(https://mdpr.jp)

怪我をして病院に行き、その帰りにもう一度怪我をしてまたすぐに病院に行ったこともあるのだとか。

1日に2回も病院に行くなんて、すごくやんちゃな幼少期だったのかもしれないですね。

口裂け女が苦手だった

鈴鹿央士さんは子どもの頃、口裂け女が苦手だったんだそうです。

今でも口裂け女の顔が忘れられず、何かあるたびに思い出してしまうんだとか。

しかし、怖い話を聞くのは好きで寝る前にYouTubeで聞くこともあるようですよ。

口裂け女が苦手になった原因については明かされていなかったのですが、何かトラウマがあるのかもしれないですね。

それにしても、口裂け女を怖がっている幼少期の鈴鹿央士さんを想像すると、ちょっと可愛いと思ってしまいますね。

運動とゲームが好きな少年

鈴鹿央士さんは子どもの頃、運動が好きでしたがゲームにもかなりハマっていた様子

友達とは公園で遊んだり、家でポケモンや遊戯王などのゲームをして遊んだりしていたそうです。

また、小学生の時は空手と体操をそれぞれ3年間ずつ習っていて、現在も体が柔らかいのが自慢なんだとか。

鈴鹿央士さんがハマっていたポケモンについては、次のようなエピソードも話していました。

都市伝説に入るのかはわからないけれど、「ポケモンおじさん」と呼ばれている人がいました。

学校の近くの公園に出没するのですが、強いポケモンをたくさん持っていて、仲良くなるとポケモンがもらえたり、交換してもらえたりするという噂があって。

僕も2、3匹、ほしかったポケモンと交換してもらいました。

引用:Yahoo!ニュース(https://news.yahoo.co.jp)

嘘みたいな話で笑っちゃいますよね。

鈴鹿央士さんの幼少期のエピソードは、ほっこりするものが多くますます応援したくなりますね。

まとめ

ということで今回は、鈴鹿央士さんの実家や、幼少期の画像、エピソードについてご紹介しました。

  • 鈴鹿央士さんの実家は、岡山県の自然に囲まれた田舎。
  • 鈴鹿央士さんの幼少期の顔画像は、瞳が大きくてイケメン。
  • 鈴鹿央士さんの幼少期は、怪我が多いやんちゃな子どもだった。

今後も、若手俳優の鈴鹿央士さんの活躍を応援していきたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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