アメリカ大学野球選手の佐々木麟太郎(ささきりんたろう)選手。
岩手県の花巻東高校で父・佐々木徹さんの指導のもと、高校野球で通算最多となる140本塁打を記録し、2024年9月からアメリカ・スタンフォード大学へ進学することを発表しました。
そんな佐々木麟太郎選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は佐々木麟太郎の父は花巻東の監督!母親や親子エピソードもまとめた!
という事で、佐々木麟太郎選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
佐々木麟太郎の父は花巻東の監督!
佐々木麟太郎選手の父親に関する情報をまとめました!
佐々木麟太郎の父親は、花巻東高校野球部監督・佐々木洋!
佐々木鱗太郎選手の父・佐々木洋(ささきひろし)さん。
精悍な顔立ちが印象的ですよね!
父・佐々木洋さんは、佐々木麟太郎選手のほか、
菊池雄星(きくちゆうせい)投手
など、野球界を代表する選手を輩出した、岩手県の野球名門校・花巻東高校野球部監督を務めています。
そんな父・佐々木洋さんのプロフィールは次の通り。
出身地…岩手県北上市
出身校…岩手県立黒沢尻北高校、国士舘大学
現役時代のポジション…捕手
指導歴…横浜隼人高等学校、花巻東高等学校
趣味…盆栽
父・佐々木洋さんは農家の次男として誕生。
岩手県立黒沢尻北高校時代に甲子園出場経験はありません。
大学卒業後、教員としてのキャリアをスタートし、2000年に岩手県の花巻東高等学校の教員として赴任。
当初は、バドミントン部や女子ソフトボール部の顧問を務めていたのだとか。
2002年に野球部の監督に就任すると、2005年夏には初の甲子園出場を果たしました。
2009年には、菊池雄星投手を擁するチームとして、春のセンバツで準優勝、夏の甲子園大会ではベスト4に進出。
花巻東高校野球部は、これまでに春のセンバツ3回、夏の甲子園大会には8回出場を果たしています。
父・佐々木洋さんが、監督としていかに優れた指導者であるかが窺えますね。
佐々木鱗太郎の父・佐々木洋は「人として成長」できるよう指導
佐々木洋さんは、子ども達や選手達に対して、
を軸として指導してきました。
教え子である大谷翔平選手や菊池雄星投手が、アメリカの球場でゴミを拾ったり、道具を整理整頓する姿は現地でも話題になりましたよね。
父・佐々木洋さんは、
運というのは、運をつかむために自らをコントロールしている人のもとにしか来ない
として上で、「自分自身の何をコントロールしているか」「運気を挙げるために気を付けるべきこと」を次のように語っていました。
父・佐々木洋さんは「言葉」こそが最も重要だとしています。
試合中に相手・審判などを野次ったり、悪口を言った途端に運気が下がり、必ず次の回に点を取られたりするのだとか。
反対に、ピンチの時に前向きな言葉を使うと、実際に結果が付いてくると実感しているそうです。
友人や共に過ごす人を自らの意思で選び、相手から刺激を受けることができるとのこと。
父・佐々木洋さんは、野球で逆転されて落ち込んだり、反対に得点して大騒ぎするチームには脅威を感じないとした上で、
負けている時に、笑顔でファイティングポーズが出るチームは怖いと思う。
と、明かしています。
監督自身が不安を抱いたりすると、瞬く間にチーム全体へ伝播するため、特に表情・態度のコントロールには注意を払っていると語っていました。
「とにかく敵を作らず、味方を作ること」が運を呼び込んでくるのだとか。
花巻東高校野球部では、宿泊先を出る際は綺麗に掃除するそうです。
すると、宿泊先の従業員はとても喜び、わざわざ球場にまで足を運んで応援しに来てくれたこともありました。
もちろん、宿泊先だけではなく球場のベンチでも物をキチンと並べたり、試合後の清掃も徹底しています。
父・佐々木洋さんは、
何をやってもツイている人と、何をやっても空回りする人の差はこの4つではないかと思っています。
と語っていました。
人を惹きつける行いや、その人自身の魅力こそが人間性、ひいてはチーム力の向上に繋がっているんですね。
佐々木麟太郎の母・玲香はどんな人?
佐々木麟太郎選手の母親についての情報もまとめました!
佐々木鱗太郎の母・佐々木玲香は地域の運動会で大活躍?!
佐々木麟太郎選手の母親・佐々木玲香(ささきれいか)さん。
母・佐々木玲香さんの詳細な情報は公表されていません。
母・佐々木玲香さんの年齢は、推定40歳代半ば~50歳前後。
前出の写真は、地域の運動会のときのもので、何かで表彰された父・佐々木洋さんの代打で母・佐々木玲香さんが表彰台に上がるシーン。
競技にも出場されていました。
一部では、
母・佐々木玲香さんもスポーツ経験者?高校の寮母をしているのでは?
との声もありますが、現状そのような情報はないようですね。
ちなみに、運動会後の宴会を楽しむ母・佐々木玲香さんと見られる写真もありました。
地域住民同士の距離が近く、親しい様子が窺えますね。
佐々木麟太郎と両親のエピソードもまとめた!
佐々木麟太郎選手とご両親に関するエピソードもまとめました!
佐々木鱗太郎と両親のエピソードまとめ!
佐々木鱗太郎選手とご両親のエピソードをご紹介します!
佐々木鱗太郎の名前は父・佐々木洋が付けた!
佐々木麟太郎選手の「麟太郎」という名前は、江戸時代末期から明治時代初期に活躍した武士で政治家の勝海舟(かつかいしゅう)に由来しているそうです。
勝海舟は、軍艦・咸臨丸(かんりんまる)に乗り、日本で初めてアメリカ・サンフランシスコまでの太平洋を渡った人物。
その勝海舟の幼名・通称が「麟太郎」というのだそう。
佐々木鱗太郎選手は、
色々な意味を込めて、父が名前を付けてくれたと思っています
と、語っていました。
佐々木麟太郎選手もアメリカへ渡ることになったのは、宿命だったのかもしれませんね。
父・佐々木洋は佐々木麟太郎に他校の野球部を勧めていた
佐々木麟太郎選手は、父・佐々木洋さんが監督を務める花巻東高校野球部で活躍しました。
当初、父・佐々木洋さんは、花巻東高校ではなく他校の野球部を勧めていたそうです。
しかし、花巻東高校の先輩である菊池雄星投手や、大谷翔平選手の活躍を目の当たりにしていた佐々木麟太郎選手の意思は固かったのだとか。
この時のことを取材で尋ねられた、佐々木麟太郎選手が中学時代に所属した「金ヶ崎リトルシニア」監督でロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手の父・大谷徹さんは、
麟太郎は花巻東しか考えてないという言い方をしたので。でも、監督さんとかお父さんのことを考えたときにやりにくい部分は多々あるだろうと。
と明かし、佐々木麟太郎選手が選手だけでなく人間としても成長してくれると期待したそうです。
そして、大谷徹さんは父・佐々木洋さんのもとを訪ね、
ウチの麟太郎を何とか見てもらえないですか?入れていただけませんか?
と、佐々木親子双方の背中を押したのだとか。
大谷徹さんの存在無くしては、「花巻東高校の佐々木鱗太郎」は誕生しなかったのかもしれません。
佐々木鱗太郎のスタンフォード大進学の決め手は同大野球部監督の言葉だった
父・佐々木洋さんは、佐々木麟太郎選手のスタンフォード大学進学の決め手について、
父親のように預かりたい。彼の人生に寄り添って次のステージに行けるように。
という、スタンフォード大野球部のデービット・エスカー監督からの言葉が心に響いたと明かしています。
進路に関しては日本のプロ野球・日本の大学も選択肢にあったのだとか。
しかし最終的には、佐々木麟太郎選手の様々な可能性を考慮して、米国留学という結論に辿りついたそうです。
また、父・佐々木洋さんは「選手としての佐々木麟太郎」に対して、
菊池雄星、大谷翔平よりは可能性は感じていない
と、厳しい言葉こそ使っていたものの、
(怪我で筋力を付けきれなかったという)その点はまだ伸びる可能性はある。後は本人次第かなと思います。
と、厳しさの中にも優しさを滲ませていました。
佐々木麟太郎選手の今後の活躍が本当に楽しみです!
佐々木麟太郎は父の日に父・佐々木洋へ感謝を伝えていた
2024年6月17日、佐々木麟太郎選手はMLBドラフトリーグに出場し、本拠地で初安打を記録。
佐々木麟太郎選手は、トレントン・サンダーのメンバーとして、アメリカ・ニュージャージー州で行われた試合に「5番・DH」で先発出場していました。
また、この日は「父の日」でもあり、佐々木選手は自身のインスタグラムで父・佐々木洋さんの写真とともに「Happy Father’s Day」と投稿。
佐々木麟太郎選手は父・佐々木洋さんへ、感謝と尊敬の念を抱いているのでしょう。
まとめ
今回は佐々木麟太郎の父は花巻東の監督!母親や親子エピソードもまとめた!
という事で、佐々木麟太郎選手のご両親についての記事をお届けしました。
- 佐々木麟太郎の父親は、花巻東高校野球部監督の佐々木洋!
- 佐々木鱗太郎の母・佐々木玲香は、地域の運動会で大活躍?!
- 佐々木麟太郎と両親のエピソードまとめ!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。