プロサッカー選手の長友佑都(ながともゆうと)選手。
インテル・ミラノなどの強豪チームでプレーし2021年にFC東京へ復帰、2024年3月には1年4カ月ぶりに日本代表に選出されて話題になりました。
そんな長友佑都選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は長友佑都の実家は愛媛県西条市!両親(父・母)や兄弟など家族も調査!
という事で、長友佑都選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
長友佑都の実家はお金持ち?
まずは長友佑都選手の実家について調べてみました!
長友佑都の実家の場所は愛媛県西条市北東部
愛媛県西条市出身の長友佑都選手。
西条市は、近隣の市とともに臨海部で大規模な工業団地を形成する、製造業の盛んな街です。
そんな西条市で生まれ育った長友佑都選手ですが、小学校3年生のときに両親が離婚。
長友佑都選手と姉・弟の3姉弟は、母親とともに母親の実家近くに引っ越しました。
その際、西条市立三芳小学校から西条市立神拝(かんばい)小学校へ転校。
上記地図は神拝小学校の通学区域を示したもの。
神拝小学校は西条市の北東部に位置しています。
通学区域は以下の通り。
神拝甲(かんばいこう)、喜多川、樋之口、古川、本町、大町の一部
現在も変わりなければ、上記地域の中に長友佑都選手の実家があると考えられます。
長友佑都の実家はお金持ち?
長友佑都選手の実家の経済状況について調べてみました!
長友佑都の父親の実家は新聞販売所
長友佑都選手の父・長友洋行(ながともひろゆき)さんの実家は、大きな新聞販売所を経営していました。
その家では、父方の祖父母と3世代で生活。
大きな家で祖父母に可愛がられながら、何不自由ない幼少時代を過ごしました。
しかし、長友佑都選手が小学校3年生の時に転機が訪れます。
長友佑都の母親は女手ひとつで子ども3人を育てた
長友佑都選手の両親は、長友佑都選手が小学校3年生のときに離婚。
離婚の理由は明らかにはされていませんが、母・長友りえさんによると離婚前から経済的に苦境に立たされていたのだとか。
離婚当時、母・長友りえさんの実家には姉夫婦が同居していたため、
とにかく自分の力で一生懸命育てようと腹をくくりました
と、実家を頼ることなく、子どもたち3人を女手ひとつで育てることを決意。
離婚後の住まいは、かなり古い長屋風の2DKで、トイレはぼっとん便所。
貯えのないまま、そのアパートで子どもたちと4人での生活をスタートさせます。
母・長友りえさんは、冠婚葬祭の司会業を朝早くから夜遅くまで毎日こなしていました。
長友佑都選手の父・長友洋行さんからの養育費の有無は明かされていません。
ただ、生活はやはり楽ではありませんでした。
しかし、母・長友りえさんは、
子供にかかるお金は必要なものだから、気にしなくていい
と、教育には惜しみなくお金をかけていたのだとか。
子どもたち3人の中学校以降の学歴は、判明している限りで以下の通りです。
長友佑都・・・東福岡高校→明治大学政治経済学部
姉・長友麻歩(ながともまほ)・・・津田塾大学
弟・長友宏次郎(ながともこうじろう)・・・東福岡高校→関西大学
子どもたちは、いずれも私立校を卒業。
周囲は心配したそうですが、母・長友りえさんは教育ローンを利用したりしながら学費を工面しました。
中学校まで公立校、高校・大学(大学はひとり暮らし)を私立校に通ったとすると、1人あたりの教育費用は約1,685万円だとされています。
よって、3人の教育費用の合計は、概算で約5,057万円。
更に、長友佑都選手と弟・長友宏次郎さんはサッカーの名門・東福岡高校出身。
寮生活だったため、高校から学費とは別に生活費もかかっていたことになりますね。
また、母・長友りえさんは自身の万が一にも備えて、生命保険を3,000万円もかけていたのだとか。
そんな母・長友りえさんの背中を見て育ってきた長友佑都選手。
明治大学の卒業を待たずして、プロに進むことを決意します。
2008年に在学したままサッカー部を退部し、FC東京と正式契約を締結。
プロサッカー選手になることを急いだ理由の一つとして、
女手一つで自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった
と、語っています。
ここまでの情報を見ても、長友佑都選手のご実家がお金持ちであるという確証は見つからず、むしろ経済的に厳しかったことがわかりました。
しかし、現在の長友佑都選手の推定総資産は500万米ドルだといわれています。
なんと、日本円で約7億7千万円(1米ドル=約154円換算、2024年4月16日時点)!
きっと母・長友りえさんに恩返ししておられることでしょう。
長友佑都の実家の両親(父・母)はどんな人?
長友佑都選手の実家のお父さん、お母さんについても調べました!
長友佑都の父親は北海道で会社を経営!
長友佑都選手の父・長友洋行(ながともひろゆき)さん。
父・長友洋行さんのプロフィールは以下の通りです。
・1960年頃生まれ、64歳(2024年時点)
・愛媛県東予市三芳(現:西条市)出身
・実家は大きな新聞配達所を経営
・2010年、北海道苫小牧市で農産物・水産物専門商社「株式会社DAICHI」を設立
・愛媛県西条高校野球部出身で4番を務める
・長友洋行の父親は明治大学出身の元ラガーマン
長友佑都選手の父・祖父も、競技は違えどスポーツマンだったんですね!
長友佑都選手の両親は、長友佑都選手が小学校3年生だった1995年頃に離婚されています。
その後の父親の経歴やいきさつは不明ですが、現在は北海道苫小牧市で「株式会社DAICHI」を経営。
会社の設立は2010年ですが、2009年に長友佑都選手が父・長友洋行さんに会うために北海道苫小牧市に訪れています。
そのため、既にその頃には現地で事業を営んでいたのかもしれませんね。
父・長友洋行さんは離婚後は離れて暮らしてはいたものの、子どもたちのサッカーの試合があれば応援に駆け付けていました。
3姉弟の中で離婚を最も強く反対した長友佑都選手とは、しばらくわだかまりもあったのだとか。
しかし、現在は良好な関係だそうです。
長友佑都選手が海外でプレーしていたときは、報道で怪我や負傷交代の情報があるとすぐに連絡。
長友佑都選手をいつも気にかけておられるそうです。
長友佑都の母親は司会業をしながら子ども3人を育てた!
長友佑都選手の母・長友りえさん。
プロフィールは以下の通りです。
・1962年4月5日生まれ、62歳(2024年4月現在)
・愛媛県西条市生まれ
・短大卒業後、2歳年上の長友洋行と結婚
・1995年頃、33歳で離婚
・長友佑都の個人事務所「株式会社オフィス長友」代表取締役に就任
・現在は各地で子育てに関する公演活動を行う
・長友りえの父・吉田達雄と叔父・吉田実は元競輪選手
長友佑都選手の母方の祖父や大叔父もアスリートだったんですね!
長友佑都選手のスプリント力や持久力は、遺伝なのかもしれませんね。
母・長友りえさんは、父・長友洋行さんとの離婚後、司会業をしながら女手一つで子どもたち3人を育ててきました。
長友佑都選手は、絶対にプロになると決意し、2002年にサッカーの強豪東福岡高校に進学。
経済的負担を心配しましたが、この時を振り返って、
この決断がなかったら、地元で細々とサッカーを続け、そこでサッカー人生は終えていた
と語り、育ててくれた母・長友りえさんを尊敬し、とても感謝していると明かしています。
長友佑都の両親のエピソードも紹介!
長友佑都選手と母・長友りえさんのエピソードをご紹介します!
長友佑都は中学時代グレかけていた
実は、中学時代にグレかけていた長友佑都選手。
小学校6年生の時に、愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けますが、結果は不合格。
長友佑都選手は、地元・西条市立北中学校に進学し、サッカー部に入部します。
しかし、当時のサッカー部は弱小チームで荒れていました。
部員は練習をサボるのが当たり前で、部室にはタバコの吸殻。
セレクションに落ちたショックと荒れた環境で、長友佑都選手のサッカー熱はすっかり冷めてしまいました。
長友佑都選手も髪を染めて、不良仲間たちとゲームセンターに入り浸るようになります。
それでも、母・長友りえさんは、ゲームセンターに行くなとは言いませんでした。
また叱ることもなく、長友佑都選手を信じて見守ります。
時には、ゲームセンターまでお弁当を届けることもあったのだとか。
この時のことを母・長友りえさんは、
反抗期の初めって、どこかで親に悪いなと思っている。(中略)だから、佑都が自分自身で気づくのをじっと待っていたんです
と、振り返っています。
長友佑都選手はやがて母・長友りえさんの思いを察し、再びサッカーに注力するようになりました。
ちなみに、長友佑都選手がサッカー部に戻った過程には、サッカー部顧問の井上博教諭も一役買っていたのだとか。
長友佑都選手がゲームセンターで丁度ゲームをしていたとき、井上博教諭がやってきました。
その際に、
母さんがこれ見てたらどう思う?母さんのために頑張らないかんやろ
と言われ、部活に引きずり戻されたのだそう。
井上博教諭の一言で、母・長友りえさんの思いに気付いたのでしょうね。
そんな長友佑都選手が、一流のプロサッカー選手にまで成長したことで「長友家式子育て方法」が脚光を浴びます。
母・長友りえさんは著書「心は、強くなる」を出版。
各地で子育てに関する講演活動も行っておられます。
母・長友りえさんの忍耐強さには感服してしまいますよね。
長友佑都の兄弟姉妹も調査!
長友佑都選手に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
長友佑都の兄弟は姉と弟!!
長友佑都選手にはお姉さんと弟さんがおられます。
長友佑都の姉・長友麻歩はイタリアで同居していた!
長友佑都選手の姉・長友麻歩(ながともまほ)さん。
2010年のワールドカップ南アフリカ大会では、「美女サポーターがいる!」と話題になりました。
姉・長友麻歩さんは、長友佑都選手の1歳上の1985年生まれで、2024年に39歳を迎えます。
名門・津田塾大学卒業後は、東京都内でOLをされていたのだとか。
しかし、長友佑都選手がイタリアのインテル・ミラノに移籍する際に退職し、語学留学も兼ねて同行。
現地では同居し、得意の料理などで長友佑都選手をサポートしました。
長友佑都選手のオフの日にお茶をしていると、「彼女では?」と間違えられたこともあるのだとか。
そんな姉・長友麻歩さんには子どもが2人いるそうで、長友佑都選手のインスタグラムにも登場。
1人は「こうせい」くんというのだそう。
「長友麻歩さんは夫と離婚している」との情報もみられますが、真偽は定かではありません。
また、現在もイタリアで生活しているとの情報もありました。
語学に堪能な方のようなので、きっと充実した生活を送っておられるのでしょう。
長友佑都の弟・長友宏次郎は東京ガス勤務?
長友佑都選手の弟・長友宏次郎(ながともこうじろう)さん。
写真は、長友佑都選手と弟・長友宏次郎さん(写真左)とされるもの。
年齢は、長友佑都選手の2歳下で、1988年生まれの36歳(2024年時点)。
弟・長友宏次郎さんも幼少時代からサッカーに励んできました。
高校も兄・長友佑都選手と同じく、サッカーの強豪・東福岡高校へ進学。
高校卒業後は関西大学へ進学し、プレーを続けていました。
長友佑都選手曰く、長友佑都選手よりもサッカーのセンスがあって上手だったのだとか。
しかし、サッカーのキャリアは大学で終えているようで、大学卒業後は東京ガスに勤務しているといわれています。
調べてみると、東京ガスの社員として記事に掲載されていました。
同姓同名の別人の可能性もありますが、笑った口元が長友佑都選手と似ているようにも見えますね。
まとめ
今回は長友佑都の実家は愛媛県西条市!両親(父・母)や兄弟など家族も調査!
という事で、長友佑都選手の実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 長友佑都の実家は愛媛県西条市北東部にあり、経済的なゆとりはなかった
- 長友佑都の父・長友洋行は北海道で会社を経営し、母・長友りえは司会業をしながら子ども3人を育てた
- 長友佑都の姉・長友麻歩はイタリアで同居していた、弟・長友宏次郎は東京ガス勤務?
以上の内容がわかりました。
日本代表に復帰した長友佑都選手の活躍が楽しみですね!
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。