大谷翔平の父親の職業は三菱やトヨタ勤務?身長や現在の写真も調査!

プロ野球選手の大谷翔平(おおたにしょうへい)選手。

大谷翔平
出典: https://full-count.jp/2024/04/23/post1546379/

MLBでMVPに2度輝くなど、日本で最も注目を集めるスポーツ選手で、2024年シーズンはロサンゼルス・ドジャースでプレーしています。

そんな大谷翔平選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?

今回は大谷翔平の父親の職業は三菱やトヨタ勤務?身長や現在の写真も調査!

という事で、大谷翔平選手の父親についての情報を調べました。

大谷翔平の父親の顔画像はある?

大谷翔平選手の父・大谷徹(おおたにとおる)さん。

大谷翔平の父・大谷徹
出典: https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/09/21/kiji/20220921s00001002620000c.html

ふとした表情が大谷翔平選手と似ていると言われています。

日本の最高峰のスポーツ選手を育てたお父さんはどんな方なのでしょうか?

まずは、プロフィールについて調べてみました!

大谷翔平の父・大谷徹のプロフィール

大谷翔平選手の父・大谷徹さんのプロフィールと高校卒業までの経歴をまとめてみました!

大谷翔平の父・大谷徹のプロフィールを紹介!身長はなんと182cm!

大谷翔平選手の父・大谷徹さんのプロフィールは以下の通りです。

年齢・・・1962年生まれ、62歳(2024年時点)
出身地・・・岩手県北上市
兄弟姉妹・・・妹1人
身長・・・182cm

父・大谷徹さんも高身長ですよね!

ちなみに、大谷翔平選手の父方の祖父・大谷正幸(おおたにまさゆき)さんもなんと身長180cm!

いずれも同年代の方の中では高身長だったことでしょう。

次項では、父・大谷徹さんの中学・高校時代の経歴をご紹介します。

大谷翔平の父・大谷徹は、中学時代は当初陸上部だった!

父・大谷徹さんは、野球好きの父・大谷正幸さんの勧めで、幼いころから野球に親しんでいました。

しかし、中学校に上がり、

父・大谷徹

丸坊主になるのが嫌だ

との理由で、陸上部に入部。

持ち前の運動能力の高さで、中学校2年生の時に三種競技A(100m走、砲丸投、走高跳)で県大会6位に入賞するなど活躍します。

実績を残しますが、

父・大谷徹

「(6位で)自分の目の前に5人いることが我慢できない」「野球なら個人で優劣がつくことがない」

と考え、2年生の途中に野球部へ転部。

エース兼4番打者として活躍するようになります。

負けず嫌いで二刀流なところは、大谷翔平選手との繋がりを感じますね・・・!

そして、県内の野球強豪高校から注目されるようになった父・大谷徹さん。

甲子園出場を目指して、岩手県立黒沢尻工業高等学校に進学します。

大谷翔平の父・大谷徹の甲子園出場は叶わなかった

父・大谷徹さんが進学した、黒沢尻工業高校は甲子園に通算2回出場した実績がありました。

甲子園を目指し、懸命に練習に励みますが、

父・大谷徹

ピッチャーは1年生のときにダメだと。クビですね。内野もちょこっとやらせてもらいましたけど、すぐに外野手になりました

と、外野手に転向・専念することになります。

ただ、残念ながら高校1年生の時は惜しくも県大会決勝で盛岡第一高校に敗退、2・3年生の時には初戦敗退。

高校3年生の夏に早々に敗退したショックは大きく、野球が嫌になったのだとか。

その頃、父・大谷徹さんは、千葉の名門チームでプレーする先輩のツテで、千葉の製鉄会社への就職が内定していました。

社会人野球を通じてプロ野球選手になる機会を伺っていましたが、

父・大谷徹

もう燃え尽きた

と、意気消沈した父・大谷徹さんは内定を辞退。

ところが、

父・大谷徹

10月とか11月になると、また、野球をやりたくなってしまったんですよ、これが。

と、まさかの野球熱が復活!

監督に「やっぱり野球がしたい」と申し出たそうです。

その後、今度は黒沢尻工業高校の野球部OBのツテで、社会人野球の三菱重工横浜のセレクションに参加。

無事合格し、高校卒業後は神奈川に移り、三菱重工横浜野球部に入団しました。

紆余曲折ありながらも、父・大谷徹さんの野球への情熱は絶えなかったんですね。

大谷翔平の父親の職業は三菱やトヨタ勤務?

大谷翔平選手の父・大谷徹さんの職業について調べてみました!

大谷翔平選手の父・大谷徹は、三菱重工横浜に入社し妻と出会った

父・大谷徹さんは、黒尻沢工業高校卒業後に三菱重工横浜に入社。

野球部では外野手として活躍します。

大谷翔平の父・大谷徹の社会人野球時代の記録
出典: http://chokikai.com/2022.01.01M/custom4.html

入団1年目で肩を故障してしまいますが、1、2番打者の外野手として主力に近い位置でプレーします。

しかし、6年目・24歳の時、監督から来季以降は戦力外となることを通告され、現役引退を決意。

そして、引退した1986年の冬、同じく三菱重工横浜のバドミントン部だった加代子(かよこ)さんと結婚します。

大谷翔平の両親
出典: https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/04/03/kiji/20180403s00001007034000c.html

それ以降は、三菱重工横浜のグループ企業社員として業務に専念していました。

残念ながらプロ野球選手になることは叶わなかった父・大谷徹さん。

しかし、ここで妻・加代子さんと出会ったことが、後に大谷翔平選手というビッグプレーヤー誕生に繋がるんですね。

大谷翔平の父・大谷徹は、後にトヨタ自動車東日本となるメーカーへ転職

父・大谷徹さんは長男・大谷龍太(おおたにりゅうた)さん誕生後の1991年、後にトヨタ自動車東日本と統合される自動車ボディーメーカーに転職。

そして、長女・大谷結香(おおたにゆか)さん誕生後の1993年7月、地元である岩手県北上市の隣にある水沢市(現奥州市)に移住しました。

移住してから2016年末まで、父・大谷徹さんはこのメーカーに勤務しています。

大谷翔平の父・大谷徹の勤務先・トヨタ自動車東日本
出典: https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230304-OYT1T50063/

ここでの勤務形態は、

  • 昼夜2交代制
  • 昼の部は午前8時から夕方5時まで、夜は午後8時から朝5時まで
  • 大谷翔平選手が中学生頃までは、昼夜は1週間交代

長男・大谷龍太さんが野球を始めた頃はあまりにも多忙で、

父・大谷徹

ほとんど協力できなかったことが心残りだった

と、父・大谷徹さんは、野球を教えてあげられなかったことを悔やんでいました。

そのため、大谷翔平選手が小学校の時は少年野球チーム「水沢リトル」のコーチ(後に監督)、中学生の時は「一関リトルシニア」のコーチを、それぞれ務めます。

大谷翔平
出典: https://timely-web.jp/article/2194/

父・大谷徹さんは、どんなに仕事が忙しくても指導し続け、時には一睡もせずに練習に打ち込んだこともあったのだとか。

大谷翔平選手が卒団したその後も少年野球の指導を継続し、2016年末をもってトヨタ自動車東日本を退社。

メジャーリーグに挑戦する大谷翔平選手のサポートと、「金ヶ崎リトルシニア」での監督業に専念するためだったといわれています。

ちなみに、長男・大谷龍太さんは独立リーグ退団後、父・大谷徹さんが勤務するメーカーが立ち上げた「トヨタ自動車東日本硬式野球部」に所属。

大谷翔平の兄・大谷龍太
出典: https://www.nikkansports.com/baseball/news/201806060000793.html

以前は選手兼コーチでしたが、現在はコーチに専念されているそうです。

お兄さんも二刀流だったんですね。

大谷翔平の父・大谷徹は、現在「金ケ崎リトルシニア」の監督

大谷翔平選手の父・大谷徹さんは、2014年に有志と共に「金ヶ崎リトルシニア」を立ち上げました。

大谷翔平の父・大谷徹)金ヶ崎リトルシニア監督)
出典: https://first-pitch.jp/article/coaching-methods/20231117/5907/

2024年4月時点では、150人以上が在籍。

卒団生は、花巻東高校や一関学院高校などの野球名門校に進学することも少なくないようです。

その中には、アメリカの超名門校・スタンフォード大学への進学を発表した、佐々木鱗太郎選手の名前も!

大谷翔平の父・大谷徹の教え子・佐々木鱗太郎
出典: https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/02/15/kiji/20240214s00001002747000c.html

「金ケ崎リトルシニア」では、勝利第一主義ではなく、育成を重視した指導を行っています。

練習試合や地域の大会では、ベンチ入りした選手を可能な限り起用するのだとか。

そのため、全国大会の出場などの実績はありませんが、卒団生には甲子園出場者が複数人います。

野球だけをがむしゃらにするチームではなく、野球を通じて成長を目指すチームなんですね。

大谷翔平と父親の親子エピソードもまとめた!

大谷翔平選手と父・大谷徹さんとのエピソードをまとめてみました!

大谷翔平の名前は、父・大谷徹がつけた

大谷翔平選手の名前は、父・大谷徹さんが名付けました。

地元の奥州平泉にゆかりある源義経の八艘飛び(はっそうとび)のイメージ「翔」と平泉の「平」を組み合わせたそうです。

大谷翔平の名前の由来・八艘飛び
出典: https://ootoshi.official.ec/items/76096532

大谷翔平選手はその名の通り、世界に飛び立ち、躍動しているんですね!

選手・監督としての大谷翔平と父・大谷徹の関係

父・大谷徹さんは、小学校・中学校時代の大谷翔平選手にとっては、父で且つ指導者。

大谷翔平選手は、

大谷翔平

息子だからと特別扱いするわけにもいかない。僕も父親としてはあまり見ていなかった。

と、当時を振り返っています。

一方で、監督が自分の子どもを試合に使うためには、皆が納得するほどの圧倒的な実力がなければならないと考えていた大谷翔平選手。

チームメートの誰よりも練習したそうです。

ただ、チームはアットホームな雰囲気で、にプレッシャーを感じることなく野球を楽しめたとのこと。

父・大谷徹さんが、大谷翔平選手にも周囲にも気遣わせないような空気を作っていたのでしょう。

大谷翔平と父・大谷徹との「野球ノート」

父・大谷徹さんと大谷翔平選手は、大谷翔平選手が小学校2年生から5年生頃まで「野球ノート」と題した交換日記をつけていました。

大谷翔平の野球ノート
出典: https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/29/kiji/K20160929013442810.html

「野球ノート」はミニサイズのキャンパスノート。

大谷翔平選手が試合での反省や課題を記し、父・大谷徹さんが評価やアドバイスを書き込んでいました。

「野球ノート」には、父・大谷徹さんの3つの言葉が繰り返し書かれています。

「大きな声を出して、元気良くプレイする」
「キャッチボールを一生懸命に練習する」
「一生懸命に走る」

この言葉は、大谷翔平選手の心に今も強く残っているのだとか。

大谷翔平
出典: https://www2.myjcom.jp/special/tv/thema/los-angeles-dodgers/column/detail/20240325.shtml

確かに、大谷翔平選手は、いつでも一生懸命で大きな声でプレーし、走塁も全速力ですよね!

父の教え通りに基本に忠実なところも、大谷翔平選手の強みの一つなのかもしれません。

大谷翔平の父・大谷徹が唯一禁止したこと

大谷翔平選手の父・大谷徹さんは、自由に野球をさせる中でも一つだけ厳しく禁じたことがあります。

それは、

どんなに上手く投げれなくても、打てなくてもグラブやバットを絶対に投げない

ということ。

父・大谷徹

悔しい気持ちは分かる。でも、それをやったってチーム内に良い影響を与えない。

と、物にあたって自分は多少気が晴れても、周囲のためにならないと説いていたのだとか。

プロ野球選手でも、不調なときにグラブやバットを叩きつけたり、時にはバットをへし折ってしまう選手もいます。

そんな中でも、大谷翔平選手は父・大谷徹さんとの約束を守り、いかに調子が悪くても物にあたることはありません。

多くの子どもたちに知ってもらいたいエピソードですよね。

大谷翔平の父・大谷徹は、家に野球を持ち込まない

大谷翔平選手が小学校~中学校まで、選手と指導者の関係だった大谷翔平選手と父・大谷徹さん。

父・大谷徹さんには心掛けていたことがあります。

それは、

できるだけ自宅へ野球を持ち込まない。

ということです。

大谷翔平選手が小学生の頃は、練習が終わったあとに一緒にお風呂に入っていました。

野球の話をすることはありましたが、練習を簡単に振り返る程度。

本格的に話し込むことはなく、お風呂上がりは親子として日常会話をするだけ。

父・大谷徹さんは、

父・大谷徹

(成長期なので)家でも熱血指導をしてしまうとケガにつながる場合があったから、意識的に家では指導をしなかった。

と、大谷翔平選手の身体のことを考えて、自宅での練習は自主練にしていたんですね。

大谷翔平の両親は、大谷翔平を叱った記憶がほとんどない

大谷翔平選手のご両親には、大谷翔平選手を叱った記憶がほとんどないそうです。

どの家庭でもあるように、大谷翔平選手も兄弟喧嘩はしていました。

もっぱら、その相手は歳の近い2歳上の姉。

父・大谷徹

どっちもダメだと2人を怒ったことはあったけど、それぐらい。何か悪いことをして怒ったことはない。

と父・大谷徹さんは明かしています。

ただ、過去に唯一本気の声で叱ったことがありました。

それは、大谷翔平選手が小学校低学年の頃のこと。

映画「ハリーポッター」のキャラクターが表紙に描かれた分厚いノートを大切にしていたという大谷翔平選手。

購入当初から、表紙のほんの一部に剥がれた部分があったのだとか。

母・大谷加代子さんによると、

母・大谷加代子

翔平は、(剥がれた部分が)気になって色を塗ったんですけど、思い通りにいかなくて更におかしくなって、泣いて怒って。

と、明かしています。

幼い頃の大谷翔平選手には、自身の大切にしている物が傷ついたりすると感情をむき出しにして怒り出す、という一面がありました。

ハリーポッターのノートで大谷翔平選手が泣き喚いた時は、

父・大谷徹

そんな小さなことで怒るんじゃない!

と、父・大谷徹さんが大きな声で叱ったのだとか。

父・大谷徹さんが大谷翔平選手を怒ったのはこの時のみ。

ただ、当の大谷翔平選手自身は全く記憶にないのだとか。

大谷翔平選手のご両親は物事の良し悪しを子どもたちに伝えて、子どもたちもそれをきちんと理解していたんですね。

だからこそ、子どもたちを叱ることがなかったのでしょう。

大谷翔平はお小遣い制で、両親がお金を管理していた

2017年当時の記事で、

年俸2.7億円だが、本人は月10万円のお小遣い制
お金はすべて両親が管理している
野球以外のことには全く関心がない無頓着な性格

と、紹介されていた大谷翔平選手。

最近でこそ高級外車に乗ったり、ハワイの高級別荘を購入したとの報道がありますが、大谷翔平選手自身がお金をかけるのは必要なもののみ。

ちなみに、大谷翔平選手は、2022年に実家の大規模にリフォームする際に、

大谷翔平

リフォーム代金を出したい

と、ご両親に提案。

しかし、ご両親は、

両親

貯めておきなさい

と、その申し出を断ります。

リフォーム工事は、ご両親が全額負担したとのこと。

これまでご両親にお金の管理を任せていた大谷翔平選手。

ただ、2024年に入ってからは、

ロサンゼルス・ドジャースへの移籍
妻・真美子さんとの結婚
金銭にまつわるトラブル

と、大谷翔平選手には大きな環境の変化がありました。

そのため、今後のお金の管理に関しては、変化する可能性は十分考えられますね。

大谷翔平は、お年玉も両親に渡したままにしていた

お金に関心がないといっても過言ではなかった大谷翔平選手。

それは幼いころからだったそうで、

お年玉は使う予定が無いと両親に渡していた
修学旅行で使わなかったお小遣いの残りをきちんと返していた
私服がほとんどなかったため、兄のジーパン・母のポロシャツで出かけたこともある

というエピソードがご両親から明かされています。

大谷翔平選手は、決して我慢しているわけではなく、潜在的に「無駄なことにはお金をかけなくてもいい」という意識があったのでしょう。

私服がなくて家族に借りたというエピソードは、いかにも大谷翔平選手らしいですよね。

大谷翔平の両親は、子どもの前で夫婦喧嘩をしない!

大谷翔平選手のご両親の間には、大谷翔平選手が幼い頃に決めた約束事があります。

それは、

子どもの前で絶対に夫婦喧嘩をしない!

と、いうこと。

子どもたちの居心地が悪くなったり、大人の顔色を窺ったりすることを防ぐためだったのだとか。

ご両親はいつでも朗らかで、家庭の雰囲気を明るくすることを心掛けていました。

そのため、家庭がギスギスすることはなく、大谷翔平選手には反抗期がなかったそう。

父・大谷徹さんと大谷翔平選手は、大谷翔平選手が中学校2年生になるまで一緒に入浴するほど仲良し!

大谷翔平と父・大谷徹、入浴イラスト
出典: https://ameblo.jp/sachiyo2015/entry-12806287614.html

やはり、両親の作る家庭の空気は子どもに大きく影響するんですね。

大谷翔平選手も妻・真美子さんと、これからきっと明るく朗らかな家庭をいかれ築いていくことでしょう。

まとめ

今回は大谷翔平の父親の職業は三菱やトヨタ勤務?身長や現在の写真も調査!

という事で、大谷翔平選手の父親の職業や、エピソードについての記事をお届けしました。

  • 大谷翔平の父・大谷徹の写真・プロフィールを紹介!身長はなんと182cm!
  • 大谷翔平の父・大谷徹は、三菱重工横浜・トヨタ自動車東日本に勤め、現在はリトルシニアチームの監督!
  • 大谷翔平と父・大谷徹は、親子二人三脚で野球選手としての基礎を築いた!

以上の内容がわかりました。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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