柔道男子日本代表として活躍をされている、永瀬貴規(ながせたかのり)さん。
パリオリンピックの柔道男子81キロ級で金メダルを獲得されました。
そんな永瀬貴規さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は永瀬貴規の両親は父は公務員では母アスリート!兄弟など家族もまとめた!
という事で、永瀬貴規さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
永瀬貴規の実家はお金持ち?
まずは永瀬貴規さんの実家について調べてみました!
永瀬貴規の実家の場所は長崎県長崎市文教町!
永瀬貴規さんの実家の場所は、長崎県長崎市文教町周辺だと言われております。
そう言われる理由としては、
- ご出身:長崎県長崎市
- 出身小学校:長崎大学教育学部附属小学校(長崎県長崎市文教町4−23)
- 出身中学校:長崎大学教育学部付属中学校(長崎県長崎市文教町4−23)
ということで、長崎県長崎市に非常にゆかりのある生活をされているためです。
学校を選んだ理由は、家からも近く、環境が良かったという情報もありました。
ちなみに、男子生徒の1割が毎年鹿児島県の名門ラ・サール中学校に合格するレベルの高い小学校だったようです。
以上から、永瀬貴規さんの実家は長崎県長崎市文教町周辺の可能性が極めて高いでしょう。
永瀬貴規の実家はお金持ち?
永瀬貴規さんの実家は人並かそれ以上の収入があったのではないでしょうか。
そう考えられる理由としては、
- 父親は国家公務員の税関職員のため、実家は官舎でそこまで広くなかった
- 父親は転勤族で単身赴任をしていた
- 実家は子ども部屋もなかった
- 母親は元テニス選手のアスリート
ということで、特別に裕福な実家で育ったというエピソードまでは見つかりませんでした。
しかし、税関職員は給料が高い職業と言われますので、人並かそれ以上の収入はあったのではないかと考えられます。
以上から、永瀬貴規さんはある程度は裕福な家庭で育った可能性が高いと言えるでしょう。
永瀬貴規の実家の両親(父・母)はどんな人?
永瀬貴規さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
永瀬貴規の父親は政司!
永瀬貴規さんの父親は、政司さんと言います。
父・政司さんの職業は長崎税関職員の公務員だったようですが、2017年に定年退職をされたとのこと。
長崎税関は長崎や熊本、鹿児島が管轄区域であり、転勤も多い仕事のようです。
しかし、永瀬貴規さんは、
- 長崎大学教育学部附属小学校
- 同中学校
- 長崎日大高校
と長崎県で育っているため、単身赴任で家族を養ってくれたようです。
実際に、母親は当時のことについて、
「夫が単身赴任で、仕事をこなしながら3人の子育てをしていた私は趣味を持つ余裕がなかった」
と話しているので、単身赴任で間違いないようです。
実家も「官舎」だったそうで、決して広くはなく子供部屋もなかったそうです。
しかし、家族が身を寄せ合うように暮らしていたため、家族はとても仲が良かったとのこと。
父親は転勤族でしたが、おそらく小学校から大会に出ていた息子が柔道に集中できるように引っ越しをしなかったのではないでしょうか。
永瀬貴規の母親は小由利!
永瀬貴規さんの母親は、小由利さんと言います。
母親は、過去にインタビューなどで顔写真が公開されていました。
もう少し、お顔の様子がわかる写真もありました。
母・小由利さんの年齢や職業などの情報はありませんでしたが、元テニス選手だったようです。
長崎県長崎市出身で高校時代には全国大会に出場した経験もあるような腕前なんだとか。
永瀬貴規さんが中学生時代には学校に柔道部がなかったようで、車で約80分もかかる場所に稽古に母が連れて行ってくれたようです。
さらに、息子の身体づくりのために毎朝カスピ海ヨーグルトを食べさせてくれたとか。
息子の柔道のために送迎や食事面で支え続けていた優しい母親ということがわかりますよね!
永瀬貴規の両親のエピソードも紹介!
永瀬貴規さんの両親のエピソードを紹介します。
息子は特に反抗期もなかった!
母親と永瀬貴規さんはずっと仲良しは母子関係だったようでです。
学生時代についても、思春期は大人ぶって親を避けるものですが、そんな反抗期もなかったんだとか。
むしろ、食事面でも母親はとてもサポートをしてくれたようで、
きょうの晩御飯はなにかな。
と母親のご飯をむしろ楽しみにしていたようです。
そんな息子が世界大会などで活躍をするようになると、母親にバッグや時計をプレゼントしていたという情報もありました。
母親としても、親孝行な息子と思っているに違いないですね!
今でも、母親のことを、
母が一番のファンです!
と言う姿からも、母子の深い絆を感じることができますね!
パリオリンピックでも金メダルを獲得された永瀬貴規さん。
母親へどんなプレゼントをしたのか、情報が公開されるといいですね!
永瀬貴規は用心深い子どもだった!?
体重4200グラムで生まれた永瀬貴規さんは、とにかく「用心深い」子供だったとのこと。
母・小由利さんが最も印象に残っているのが、息子が3-4歳頃の出来事とのこと。
父や姉、兄と一緒に4人乗りのブランコに乗った時に落下され、父は、
「これはダメだ。ケガをする」と絶句したんだとか。
しかし、永瀬貴規さんはブランコの下で静かにうずくまったままだったようで、
頭を上げたら危ない。黙ってこうしてたら大丈夫って思った。
と、まだ保育園に上がる前にも関わらず、冷静な判断で両親を驚かせたんだとか。
今でも柔道での冷静な判断が光る永瀬貴規さんですが、そのセンスは幼少期の頃からあったということですね!
大叔父がすごい人だった!
なんと、永瀬貴規さんの父方の大叔父は世界選手権2位の経歴を持つ平尾勝司さんなんだとか。
その影響もあり、永瀬貴規さんは平尾勝司さんが師範を務める「養心会」で柔道を学び始めたようです。
永瀬貴規さんが柔道を習い始めたのは6歳の頃のようですが、兄も同じタイミングで柔道を始められたとのこと。
永瀬貴規さんが柔道の強さの秘密は、大叔父の影響や幼少期からの練習環境が良かったこともあるのかもしれませんね!
母はどの会場にも息子の応援に駆け付ける!
母・小由利さんは息子の応援には、どんな場所にでも訪れていたようです。
日本の裏側にある、ブラジルのリオデジャネイロにももちろん応援にかけつけたんだとか。
過去のインタビューでは、お金はかかるけど絶対に応援に行くんだとも答えており、息子を応援する気持ちが伝わりますよね。
母親によると最初の頃は、母の応援を恥ずかしがっている時もあったという永瀬貴規さん。
しかし、今では母親などからの熱い声援を力に変えて戦っているに違いないでしょう!
両親のモットーである文武両道を貫いていた!
永瀬貴規さんは文武両道で勉強もできるタイプでした。
両親からの勧めもあり、国立の長崎大学教育学部付属小学校・中学校に通った永瀬貴規さん。
高校は長崎日大高校に進学し、両親からのモットーの文武両道を貫き「国立大学進学」クラスに進学しています。
両親からの「高校時代は、柔道だけでなく勉強をするように」というアドバイスもあり、筑波大学に進学。
他にも柔道の名門私立高校からの誘いもあったようですが、高校1年生のころから両親とともに魅力に感じていた筑波大学を選んだようです。
柔道でこれだけの才能がありながらも、両親のモットーである文武両道を貫く永瀬貴規さんの芯の強さを感じますね!
永瀬貴規の兄弟姉妹も調査!
永瀬貴規さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
永瀬貴規の兄弟は兄1人と姉1人!
永瀬貴規さんには兄が1人と姉が1人がおられます。
兄は永瀬諒さんと言い、日本体育大学に進学していたようです。
現在は、地元の長崎県の長崎南山高校で「保健体育の先生」として働かれているんだとか。
柔道をされていたようで、「全国他愛区学生柔道体重別選手権」では準優勝も経験しています。
兄・諒さんも弟と同じく、柔道の実力者だったことがわかりました!
なお、お姉さんに関しては、名前や職業、顔写真などの情報は公開されていませんでした。
特に柔道をしていたという情報も内容です。
ちなみに、母親は3兄弟について、お互いが常に目の届くところで育ったせいか
「3兄弟が喧嘩をしているところを見た記憶がない」
と話していたので、幼少期から仲の良い兄弟だったということが伺えますね!
まとめ
今回は永瀬貴規の両親は父は公務員では母アスリート!兄弟など家族もまとめた!
という事で、永瀬貴規さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 永瀬貴規の実家の場所は長崎県長崎市文教町周辺だと言われている
- 永瀬貴規の実家はある程度のお金持ちだったのではないかと考えられる
- 永瀬貴規の父親は政司と言い、長崎税関で勤めていたが、2017年に定年退職をしている
- 永瀬貴規の母親は小由利と言い、元テニス選手で、高校時代には全国大会の出場経験もあった
- 永瀬貴規は3兄弟であり、兄・諒は地元の高校で保険体育の先生であり、姉の情報は特になかった
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。