俳優の三浦友和(みうえらともかず)さん。
1972年に俳優デビューし、1974年に映画「伊豆の踊子」で映画初出演、50歳以降は特に映画での活躍が顕著で、日本アカデミー賞やブルーリボン賞受賞に加え、紫綬褒章・旭日章綬章を受章するなど日本を代表する俳優として知られています。
そんな三浦友和さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は三浦友和と篠ひろ子は兄弟じゃない!両親など実家の家族もまとめた!
という事で、三浦友和さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
三浦友和の実家はお金持ち?
まずは三浦友和さんの実家について調べてみました!
三浦友和の実家は、かつて東京都立川市にあった
三浦友和さん、本名・三浦稔(みうらみのる)さん。
1952年1月28日生まれ(72歳/2024年7月時点)、山梨県塩山市(現:甲州市)です。
小学校3年生の時に東京に転居するまで、山梨県甲州市塩山上萩原と北都留郡小菅村鞍部の境にある峠「大菩薩峠」のふもとの地域で計6回引っ越したのだそう。
その後、小学校3年生の3学期に父親の転職を機に東京都・新宿区の社宅へ転居。
更に、中学校入学時には東京都立川市に転居しています。
三浦友和さんは、地元の公立校・立川市立第二中学校を卒業。
上図は立川市立第二中学校の通学区域を示したもので、現時点では次の地域が指定されています。
曙町1丁目の一部
曙町2~3丁目の全域
高松町1~3丁目
栄町1丁目・2丁目の一部
栄町3丁目
栄町4丁目の一部
緑町の全域
当時の通学区域とは異なる可能性もありますが、この地域を中心とした周辺地域に三浦友和さんの実家があったと考えられます。
ただし、2011年の報道によると、三浦友和さんは東京都国立市にある自宅をバリアフリー化し、ご両親を呼び寄せました。
よって、立川市の実家は既に手放している能性が高いと言えるでしょう。
三浦友和の実家はお金持ち?
三浦友和さんの実家の経済状況を調べてみました!
三浦友和の父親は元警察官で、民間企業へ転職している
三浦友和さんの父親は、警察官として山梨県警日下部警察署塩山分庁舎に務めていました。
しかし、三浦友和さんが小学校3年生の時に山梨県警を退職し、東京都のバス会社「国際興業」に転職。
国際興業は優良企業として知られていたのだとか。
そのため、年収は当時の平均か、それ以上はあったと考えられますね。
三浦友和は大学へは進学しなかった!
三浦友和さんの学歴は以下の通りです。
中学校…立川市立第二中学校
高校…東京都立日野高等学校
専門学校…日本電子工学院(1年で中退)
三浦友和さんは高校まで公立校で、専門学校へ進学するものの1年で中退。
また、三浦友和さんにはお姉さんが1人おられます。
姉・篠塚弘子(しのづかひろこ)さんは三浦友和さんの1歳上のお姉さんで、学歴は公表されていません。
仮に姉弟いずれも公立校出身だと仮定すると、教育費の負担額は比較的抑えられていたと言えるでしょう。
ここまでの情報を見ても、三浦友和さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。
特に実家が「お金持ちだった」「貧しかった」という情報はないため、経済的にはごく一般的な家庭だったと考えられますね。
三浦友和の実家の両親はどんな人?
三浦友和さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
三浦友和の父親は元警察官で民間企業へ転職!
三浦友和さんの父親に関する詳細な情報や顔写真は公表されていません。
父親の年齢は、2018年12月24日時点の報道で91歳とあるため、2024年時点では97歳だと考えられます。
父親は、山梨県警日下部警察署塩山分庁舎の元警察官(巡査)。
仕事の都合上、転居を繰り返していたそうで、
引っ越し続が続くのは、子どもの教育によくない
と、考えた父親は、三浦友和さんが小学校3年生の3学期の時に山梨県警を退職。
家族で東京へ転居することを決め、バス会社「国際興業」へ転職しました。
子ども達の成長や教育環境を第一に考えてくれる、優しいお父さんなんですね。
三浦友和の父親の実家周辺では、かつて大規模な土砂崩れがあった
三浦友和さんは、父親の実家が富士五湖の西湖(山梨県南都留郡富士河口湖町)付近の村にあったと明かしています。
三浦友和さんによると、自身が中学1年生頃に、
(父親の実家のあった村が)土砂崩れに遭い、100人以上亡くなったんです。知り合いも沢山いました。ところが、うちは全員助かった。
と、大規模な災害に遭ったにもかかわらず、奇跡的にも親族は無事だったのだとか。
当時、実家に住んでいた父親の弟が異音に気付き、祖母を背負って親族全員で自宅から脱出。
三浦友和さんは、
この決断もすごいことですが、逃げる方向も大事だった。その時、たまたま左に逃げたので助かった。
と、親族が助かったのは本当に偶然が重なったからだと明かしていました。
この土砂災害は、1966年9月25日に台風の影響で発生した「足和田土石流災害」を指すと考えられます。
この災害により、旧:足和田(あしわだ)村にかつて存在した根場地区・西湖地区では集落ごと土砂に押し流され、死者・行方不明者は計107名に上りました。
いずれの地区も同じ場所での復興は困難だったため、全世帯で集団移転することを決断。
このことから、三浦友和さんの父親の実家は西湖南西部にあると考えられます。
三浦友和の母親も山梨県出身で専業主婦だった?
三浦友和さんの母親に関しても、詳細な情報や顔写真は公表されていません。
母親は、山梨県東山梨郡神金村(現:山梨県甲州市の北東部)出身で、三浦友和さんも神金村で生まれました。
母親の年齢は、2018年12月24日時点の報道で92歳とあるため、2024年時点で推定98歳。
職業等は明かされていませんが、父親がもともと転勤族でそのご東京に転居したことを踏まえると、専業主婦の可能性が高そうですね。
三浦友和の両親のエピソードも紹介!
三浦友和さんは、2018年12月24日のインタビューでご両親がそれぞれ91歳・92歳(当時)だと明かし、
トイレも自分で行ける
要介護1
と、ご両親が高齢ながらも元気な様子であると語っています。
ご両親は同じ敷地内の別棟に住んでいて、三浦友和さんの妻で元歌手の山口百恵(やまぐちももえ)さんが食事のお世話をしていました。
週3回ほど夕食に宅食を頼んだり、姉・篠塚弘子さん夫妻も時折顔お世話をしていたそうです。
それでも、妻・山口百恵さんがご両親を病院へ連れて行くなど、介護負担は大きかったのだとか。
三浦友和さんは、
下の世話が始まったら、施設に入れることも今から考えています
と、語っていました。
その言葉通り、2021年には「三浦友和の両親が施設に入居した」と報じられています。
よって、現在は一緒には暮らしておられないようですね。
三浦友和の兄弟姉妹も調査!
三浦友和さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
三浦友和の姉・篠塚弘子は元歌手で現在はペンションを経営!
三浦友和さんにはお姉さんが1人おられます。
三浦友和の姉・篠塚弘子は元歌手で現在はペンションを経営!
三浦友和さんの姉・篠塚弘子さん。
三浦友和さんの1歳上で、1950年ないし1951年生まれの73歳(2024年時点)とみられています。
姉・篠塚弘子さんは、過去に本名で旧姓の「三浦弘子」や芸名「牧陽子」として、歌手・タレント活動をされていました。
姉・篠塚弘子さんは、1986年に山梨県北杜市高根町清里の森にペンション「LaVERDURA(ラベル デューラ)」をオープン。
静かな森の中に佇む、人気のペンションだそうです。
翌1987年に、ラリードライバーの篠塚健次郎(しのづかけんじろう)さんと結婚。
篠塚健次郎さんは、自動車の世界ラリー選手権とパリ・ダカール・ラリー(通称パリダカ)における、日本人初の優勝者として知られています。
1988年3月3日には、長男・篠塚建太(しのづかけんた)さんが誕生。
篠崎健太さんは、伯父である三浦友和さんの影響もあって俳優を志し、現在は俳優「絲木健太(いとぎけんた)」として舞台を中心に活躍されています。
絲木健太さんは、三浦友和さんの息子でいとこにあたる、シンガーソングライター・三浦祐太朗(みうらゆうたろう)さん、俳優・三浦貴大(みうらたかひろ)さんとは、3兄弟のような関係なのだとか。
世界各地を転戦して留守がちな父・篠塚健次郎さんに代わって、三浦友和さんが子ども達をビシっと叱ってくれたのだそう。
絲木健太さんにとって三浦友和さんは「怖い伯父さん」だったものの、目標となる存在にだったんですね。
姉・篠塚弘子の夫・篠塚健次郎は2024年3月18日に死去
「生涯現役」を掲げて、言葉通りの活躍をしてきた姉・篠塚弘子さんの夫・篠塚健次郎さん。
しかし、残念ながら2024年3月18日、すい臓がんのため逝去。
75歳でした。
篠塚健次郎さんの逝去に伴い、姉・篠塚弘子さんはコメントを発表。
この3週間、篠塚建次郎は頑張って頑張って、サハラ砂漠と闘ってきたのだと思います。そして今朝、(パリ・ダカールラリーのラストランとなる)ラックローズにゴールしました。
と、篠塚健次郎さんの闘病生活と最期をラリーになぞらえるとともに、ファンへの感謝を述べています。
篠塚健次郎さんの死は国内外でも大きく報道されており、世界中のラリーファンから愛されていたことが窺えますね。
三浦友和の姉は篠ひろ子じゃない!
三浦友和さんのお姉さんに関して、
三浦友和の姉は俳優の篠ひろ子?
との誤解があるようです。
俳優の篠ひろ子(しのひろこ)さん、本名・西山博子(にしやまひろこ)さんは、1948年3月8日生まれで宮城県仙台市出身。
旧姓は「沼澤(ぬまさわ)」であり、三浦友和さんとの血縁関係は一切ありません。
篠ひろ子さんが三浦友和さんの姉だと誤解されるのには、2つの要因があると考えられます。
①三浦友和の姉「篠塚弘子」と「篠ひろ子」の名前が単純に似ている
②篠ひろ子も、2023年11月24日に夫で作家の伊集院静(いじゅういんしずか)を亡くしている
「篠塚弘子」さんと「篠ひろ子」さんは、確かに似ている名前ではありますよね。
また、近い時期に、いずれも夫を亡くしているという点で共通しています。
この2点から、「篠塚弘子」さんと「篠ひろ子」さんを混同してしまうケースがしばしばあるようですね。
まとめ
今回は三浦友和と篠ひろ子は兄弟じゃない!両親など実家の家族もまとめた!
という事で、三浦友和さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 三浦友和の実家は東京都立川市にかつて存在し、実家の経済状況は平均的だった可能性が高い
- 三浦友和の父親は元警察官で子どもたちのために転職、母親は山梨県出身で専業主婦だった?
- 三浦友和の姉・篠塚弘子は元歌手で現ペンションオーナー!俳優・篠ひろ子は姉じゃない!
以上の内容がわかりました。