俳優の草刈正雄(くさかりまさお)さん。
ダンディな二枚目役からコメディまで、その幅広い演技力で活躍しています。
そんな草刈正雄さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は草刈正雄の母スエ子や父ロバートの顔画像!兄弟など家族も調査!
という事で、草刈正雄さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
草刈正雄の実家はお金持ち?
まずは草刈正雄さんの実家について調べてみました!
草刈正雄の実家の場所は北九州市小倉北区昭和町!
草刈正雄さんは北九州市小倉北区昭和町の出身であることを公表しています。
草刈正雄さん自身は長い間、出生地も北九州市小倉北区昭和町であると思っていたようです。
しかし2023年8月に放送されたNHK『ファミリーヒストリー』の調査で、生まれは別の場所であることが判明。
実は出生地は福岡県京築地域(行橋市)であったことがわかりました。
両親は草刈正雄さんが生まれる前に離れ離れになっており、母親は出産を機に小倉へ移住。
そこで女手一つで草刈正雄さんを育ててきたそうです。
以下に草刈正雄さんが卒業した学校をまとめました。
学校名 | 住所 |
北九州市立中島小学校 | 福岡県北九州市小倉北区昭和町16−1 |
北九州市立白銀中学校 | 福岡県北九州市小倉北区白銀1丁目13−1 |
東京都立青山高校定時制 | 東京都立青山高等学校 |
放送大学 | 千葉県千葉市美浜区若葉2丁目11 |
草刈正雄さんは高校時代に福岡で開催されたファッションショーを見に行った際に、モデルとしてスカウトされます。
その後、17歳で上京。
その翌年に資生堂の専属モデルとなり、人気を集めました。
当時通っていた福岡市立小倉西高校定時制から東京都立青山高校定時制へと転校し、卒業しています。
卒業後も芸能活動を続けながら、放送大学を卒業しました。
勉強熱心な方なのでしょうね。
以上をまとめると、草刈正雄さんは北九州市小倉北区昭和町の出身であると言えそうです。
草刈正雄さんは2013年12月14日に「第55回北九州市民文化表彰」を受賞しています。
名誉北九州市民と言えそうですね!
草刈正雄の実家はお金持ち?
草刈正雄さんの実家はお金持ちではありませんでした。
その根拠は以下のとおりです。
- 貧困の母子家庭で育てられた
- 小学生の頃からアルバイトを掛け持ちしていた
それぞれについて紹介します。
貧困の母子家庭で育てられた
前述の通り、草刈正雄さんは母子家庭で育てられました。
母親は実家を頼ることもできず、仕事を掛け持ちしながら懸命に草刈正雄さんを育てたそうです。
その経済的困窮に耐えかねて、母親は草刈正雄さんと列車に飛び込んで心中することも考えたとか……。
知らない土地で誰も頼れる人がいないというのは想像以上に辛いのでしょうね。
小学生の頃からアルバイトを掛け持ちしていた
そのような状況もあり、草刈正雄さんは小学校の頃からアルバイトを掛け持ちしていました。
新聞配達と牛乳配達の仕事を掛け持ちし、その後に登校していたそうです。
すべては貧しい家計を少しでも楽にするためです。
中学校時代にも、早朝から通常の倍の量の新聞を配達して家計を助けようとしていました。
草刈正雄さんの目から見ても、母親が経済的に苦しんでいることは明らかだったのでしょう。
中学卒業後も世界文化社の代理店で本のセールス、小倉の文具店の配達員などで働きつつ、福岡市立小倉西高校定時制に入学します。
モデルとしてスカウトされたのはその頃でした。
草刈正雄さん自身はモデルをやりたいという願望があったわけではなく、全てお金のために始めた仕事だったとのことです。
結果的にモデルを始めたことで月収は2倍以上にも増え、安定した生活を送れるようになったとか。
幼少期からの苦労が報われて良かったですね。
ここまでの情報を見ても、草刈正雄さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。
ダンディな姿からは想像できないほどの苦労をされてきたことがわかります。
草刈正雄の実家の両親(父・母)はどんな人?
草刈正雄さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
草刈正雄の父・ロバートは実は生きていた!
草刈正雄さんの父親はアメリカ合衆国ノースカロライナ州出身のロバート・H・トーラーという方です。
ロバートさんは福岡県築上郡八津田村(現在の築上町)にある築城基地に米軍兵として派遣されていました。
そこでバス車掌として働いていた草刈正雄さんの母親と出会います。
その後、ロバートさんは幹部候補生学校に入るため帰国。
その際に草刈正雄さんの母親は福岡県に帰郷しますが、すでに草刈正雄さんを身ごもっていました。
草刈正雄さんは母親から「父は正雄を妊娠していた最中に朝鮮戦争で戦死した」と伝えられていました。
そのため草刈正雄さんも父親について、メディアなどで長年そのように紹介してきたそうです。
しかし事態は急転し、父親は2013年まで生存していたことが明らかになりました。
詳細は後ほど紹介するのでぜひご覧ください!
草刈正雄の母・スエ子は女手一つで息子を育てた!
草刈正雄さんの母親は草刈スエ子さんという方です。
スエ子さんの母親は、スエ子さんを生んだ後に離婚。
それもあって7歳のときに奉公へと出ることになります。
その後は努力の甲斐もあり、18歳にして女性の花形職業のひとつである路線バスの車掌となりました。
ロバートさんと出会ったのもその頃です。
その後、ロバートさんが東京の羽田基地の所属となり、それに付き添う形で退職。
しかし前述のとおり、ロバートさんはアメリカに帰国してしまいます。
すでに草刈正雄さんを身ごもっていたスエ子さん。
女手一つで子育てをすることになっていきます。
その当時、混血児は「あいの子」と呼ばれ、強い偏見に晒されていました。
そういった事情もあってスエ子さんは実家を頼れず、幼馴染が嫁いでいた青果店の2階で草刈正雄さんを出産します。
経済的な困窮から列車に身投げしようとも考えたスエ子さんですが、草刈正雄さんの顔を見ては思い直していたそうです。
貧困に喘ぎながらも草刈正雄さんを育てあげたスエ子さんですが、後に草刈正雄さんに呼ばれて東京へと移住しました。
晩年の15年ほどを草刈正雄さんと同居していたそうですが、2010年に他界しています。
草刈正雄さんが俳優として活躍し、最期まで一緒に暮らせたのは幸いだったのかもしれません。
草刈正雄の両親のエピソードも紹介!
ここからは草刈正雄さんの両親のエピソードを紹介していきます。
70年越しに判明した父の真実
スエ子さんから父・ロバートさんは戦死したものと伝えられていた草刈正雄さん。
しかし中学生のときに伯父から「お前の親父は生きてるぞ」と突然教えられます。
ただ驚きはしたものの、母のことを思ってそれ以上の詮索などは一切しなかったそうです。
草刈正雄さんもそれで構わないと思っていたのでしょう。
そんな状況が変わったのは2023年のことです。
NHK『ファミリーヒストリー』の中で父親が2013年まで生きていたことが判明。
まるでフィクションのような展開は大きな反響を呼びました。
実はこの番組から草刈正雄さんにオファーがあったのは2回目。
1度目は15年ほど前のことで、『ファミリーヒストリー』が開始して間もない頃でした。
1度は断った理由を、草刈正雄さんは
「どうしようかな」と考えたんですけど、おふくろが一言「やめなさい」と
と答えています。
他人の生活も関わる話なので、あえて事を荒立てる必要もないと考えていたのでしょう。
しかしその後、スエ子さんは亡くなり、娘からの後押しもありオファーを受けることになります。
スタジオで取材の様子を見ることになった草刈正雄さんですが、内心では
自分としては、「結局、父親は見つからなかった」で終わるものだと思い込んでましたから
と考えていたそうです。
しかし実際はスエ子さんとロバートさんの職業、出会いなど、草刈正雄さんですら知らないことの連続でした。
そして番組は限られた情報を基に、ついにロバートさんの甥・ジェイ・カラハムさんを突き止めます。
草刈正雄さんのいとこのジェイさん
— 壱調神雄 (@tsutigumo1998) August 14, 2023
そっくりやん#ファミリーヒストリー #NHK pic.twitter.com/UHkBZCro6q
こうして見ると草刈正雄さんと非常に似ていますね。
DNA検査でもジェイさんと草刈正雄さんは97%の確率で従兄弟の関係だと結論付けられます。
そしてジェイさんを通じ、20代のロバートさん写真も見つかることになりました。
こちらも草刈正雄さんの面影があるように思えます。
ただこの写真を見たとき、草刈正雄さんは
友達は「あれは間違いようがないだろう」と言ってました(笑)。けれども、親父さんの写真を見ても「俺、こんな顔してるの?」って。「なんとなく似ているような気もするけど、違うよな」とか、番組でも言いましたけど「想像に近いと言えば近いかな」とか、いろいろとね
と意外な冷静な反応でした。
ご本人だと意外とわかりにくいのかもしれません。
草刈正雄さんが生まれた翌年、スエ子さんはロバートさん宛に手紙を送っています。
しかしその手紙は本人の元に届くことはなく、叔母のジャニタさん、お姉さん、お母さんによって隠し通されることになりました。
その結果として、ロバートさんは、ヘルガさんという女性と結婚した後に除隊。
婦人服販売などで生計を立てながら、2013年に83歳で亡くなりました。
仮にスエ子さんの手紙がロバートさんの元に届けば、草刈正雄さんの人生もまた違ったものだったかもしれません。
それについて草刈正雄さんは憤りを感じているかと思いきや、
手紙がトーラー家のお姉さんとお母さんで止まっていたことに関しては、「そうだったのか」と納得しました。「なんで?」「どうして?」とは思いませんでした
と淡々と語っています。
時間が経っていることもあり、草刈正雄さんとしてはどこか現実離れしたことのような気分だったのかもしれません。
しかし番組が進行するに連れて、草刈正雄さんの目からは涙が止まらなくなります。
おふくろのことやふたりで暮らしていた頃を思い出しますから、どうしてもこみ上げてくるものはありました。アメリカでの取材も、知るよしもなかったことが次々とわかってね。淡々と見ていたつもりでしたけど、昔からモヤモヤしていたものがスッキリしましたし、おふくろと親父が愛し合っていたこと、トーラー家の方々が僕ら母子を気にかけてくれていたこともわかりましたしね
続けて「でも、一番こみ上げたのはジャニタさんの手紙ですね」と語った草刈正雄さん。
ジャニタさんの手紙には
どうか どうか 私たちに会いに来てください あなたのことを思って 涙を流す日々は もう終わり これからは笑顔だけです
と書かれてありました。
同年12月29日には続編となる『ファミリーヒストリー特別編~アメリカへ 決意の旅路~』が放送されています。
番組ではジャニタさんと対面する草刈正雄さんの姿が放送され、再び感動を呼びました。
ジャニタさんも草刈正雄も、会えて良かった。
— ちや (@purplelizeye8) December 29, 2023
#ファミリーヒストリー pic.twitter.com/Z1vB1YDsIO
お互いのわだかまりが解消される結果になって本当に良かったですね。
決して父を悪く言わなかった母
ロバートさんとは音信不通となり、貧困の中で懸命に育児をしてきたスエ子さん。
しかし草刈正雄さんはスエ子さん口からロバートさんの悪口を聞いたことはなかったといいます。
それどころかロバートさんを褒めることもあったそうです。
それと親父のことは、よく褒めていましたよ。「本をたくさん読んでいる人だった」とか、ようするに勉強家だったみたいなことをね。おそらく僕の教育のために、そうやって話していたんでしょうけどね。「父親みたいに、おまえも本を読みなさい。勉強しなさい」という。実際に、親父はそういう人だったのかもしれませんけどね
草刈正雄さんが言うように、父という模範を示すことがスエ子さんの教育の一環だったのかもしれません。
それでもスエ子さんの境遇でもあれば、恨み言のひとつでも吐きそうなものです。
それ以外にも、スエ子さんはロバートさんの容姿を褒めることもあったとか。
「あんたなんて問題にならないわ」「あんたよりハンサムだった」と、親父のことを褒めているのを聞くたびにホッとはしていました
引用:https://bunshun.jp/articles/-/68097?page=2
スエ子さんはロバートさんを愛し続けていたのかもしれませんね。
バットを持った母親に追いかけ回される
そんなスエ子さんですが、草刈正雄さんからすると「すごく厳しい人」という印象だったようです。
母は、ひと言でいうと“すごく厳しい人”だったかな。典型的な“九州の女”。でも今思えば、『私が父親代わりにならなきゃ』という思いもあったのかもしれませんね。母は日用品の卸売店で働きながら、女手ひとつで僕を育ててくれましたから
幼少期は「バービー」という愛称で呼ばれ、やんちゃな性格をしていたという草刈正雄さん。
近所の人から「おたくのバービーちゃん、つないどいて」と言われるほどだったそうですよ。
そんな草刈正雄さんを案じ、スエ子さんは人一倍厳しく育てようとしていたそうです。
父親がいないということも理由のひとつだったのかもしれません。
ときにはバットを持ったスエ子さんに追いかけ回されたりもしたとか!
そういえば、バットを持ったおふくろに追いかけられたこともありました。きっと、いたずらが過ぎたんでしょうね(笑)
また映画館でタダ見をしているのをバレた際、館主に「警官、教師、親のうち誰に通報するか」と聞かれた草刈正雄さんは、
親だけは勘弁してください
と訴えたといいます。
当時の草刈正雄さんにとって、スエ子さんは恐怖の対象だったようです!
今は亡き最愛の母の教え
2010年に他界したスエ子さん。
そんな最愛の母への思いを草刈正雄さんが明かしたことがありました。
17歳のときにモデルの仕事をするため上京することになった草刈正雄さん。
スエ子さんとしても当然寂しい思いはあったでしょうが、引き止めるようなことは無かったといいます。
僕がモデルになるため上京するときには、母はまったく反対しませんでした。内心は行かせたくなかったのかもしれませんが、『好きにしていいよ』と背中を押してくれました
草刈正雄さんはその1年後に、スエ子さんを東京へ呼び寄せます。
収入は上がっていたものの、まだまだ安定とは程遠い状況。
スエ子さんを呼び寄せたのは正直なところ「賭け」だったと草刈正雄さんは振り返ります。
その3ヶ月後、資生堂のCMに大抜擢され、そこから俳優の道が開けた草刈正雄さん。
1988年の結婚を機にスエ子さんとは別々に暮らすことになりましたが、体調を崩しがちのスエ子さんを見かねて再び同居することになります。
僕の結婚を機に母とは別々に暮らすようになったのですが、母が体調を悪くしてから亡くなるまで15年ほどは同居していました。母は孫の世話もよくしてくれて、娘たちをあちこち連れていってくれていましたね
幸せな日々を送っていた草刈正雄さん親子でしたが、2010年の夏、スエ子さんは脳梗塞で他界。
スエ子さんに対し、草刈正雄さんは「もっとしてあげられることがあったのでは」と後悔することもあると言います。
東京に呼んでよかったのかと、落ち込んだりもしました。母は最期まで“九州女”でしたから、東京で僕たちと暮らしたことが果たして幸せだったのか……
上京当時、30代だったスエ子さんの未来を奪ってしまったのではないか。
最期まで未婚を貫いたスエ子さんのことを今でも思い起こすそうです。
母子家庭であり、長らく共に暮らすなど深い絆を感じさせる草刈正雄さんとスエ子さん。
草刈正雄さんも母を失った悲しみは大きかったようですが、そのなかで気がついた「母の教訓」がありました。
生前、母は『ありがとう、ごめんなさいと素直に言える人になりなさい』とよく言っていました。歳を重ねれば重ねるほど、素直になるのが“勝ち”だなと思うようになりました。経験を積んでくると変なプライドが身についてしまいがちなので、素直であり続けるのは難しいですよ
「でも、そうした垢を削ぎ落として、謙虚に頑張っていきたいですね」と続けた草刈正雄さん。
波乱の人生を歩んできた草刈正雄さんとスエ子さんですが、だからこそ理想の親子関係となったのかもしれません。
草刈正雄の兄弟姉妹も調査!
草刈正雄に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
草刈正雄に兄弟姉妹はおらず一人っ子?
が、草刈正雄さんには兄弟や姉妹の情報は見つかりませんでした。
草刈正雄さんの母・スエ子さんは女手一つで草刈正雄さんを育ててきました。
その生涯を再婚せずに終えたとのことなので、ご兄弟はいないと考えられます。
ただし父・ロバートさんは帰国後に再婚をしているため、腹違いの兄弟と呼べる人は存在するかもしれません。
ただ草刈正雄さんの父の生存が明らかになった『ファミリーヒストリー』ではそのような情報はありませんでした。
これだけ情報が無いということは草刈正雄さんには兄弟や姉妹はおらず、一人っ子の可能性が高そうですね。
仮に腹違いの兄弟が存在したとしても、公表することはないのかもしれません。
まとめ
今回は草刈正雄の母スエ子や父ロバートの顔画像!兄弟など家族も調査!
という事で、草刈正雄さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 草刈正雄の実家の場所は北九州市小倉北区昭和町
- 草刈正雄さんの実家はお金持ちではない
- 草刈正雄の父親はロバート・H・トーラーで、実は生きていた
- 草刈正雄の母親は草刈スエ子で、女手一つで息子を育てた
- 草刈正雄に兄弟姉妹はおらず一人っ子だが、腹違いの兄弟姉妹がいる可能性はある
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。