モーニング娘。の元メンバー・加護亜依(かごあい)さん。
若干12歳でモーニング娘。としてデビューし、グループ内ユニット「タンポポ」「ミニモニ。」「W」のメンバーとしても大活躍されました。
そんな加護亜依さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は加護亜依の母の年齢や顔画像!実家の病院や親子エピソードもまとめた!
という事で、加護亜依さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
加護亜依の実家は病院?
加護亜依さんの実家に関して、
加護亜依の実家は病院なの?
と、ネットやSNS上で噂されています。
実際に病院を経営しているのか調べてみました!
「加護亜依の実家は病院」はデマ!
加護亜依さんの実家に関する噂については、結果からいうと、
「加護亜依の実家は病院」はデマ!
ということがわかりました。
噂の根拠として考えられるのは、次の通りです。
加護亜依の母親が看護資格を持っているとの情報があるから
2020年放送のバラエティ番組で、加護亜依さんの実家が登場。
白い外観の家で、窓のデザインもおしゃれですよね。
そして室内の様子がこちら。
自宅内部も天井・壁・床や、家具に至るまで全て白で統一されています。
生活感があまり感じられず、清潔な様子から「病院なの?」と言われたのかもしれません。
加護亜依の実家はお金持ちではない!!
加護亜依さんの実家を病院だとする噂と共に、「お金持ち」との噂もあります。
この噂も結論からいうと、
「加護亜依の実家がお金持ち」はデマ!
ということで、実際の実家の経済状況はどのようなものだったのか調べてみました。
加護亜依は実家の生活費、継父の借金を返済していた
加護亜依さんの母・亜樹(あき)さんは、17歳のときに妊娠、18歳で結婚・出産を経て、加護亜依さんが1歳のときに離婚されています。
その後、母・亜樹さんは27歳の時に再婚。
加護亜依さんの弟2人・妹1人が生まれました。
母・亜樹さんは、子育てのために主婦として家庭を支えていたようです。
母・亜樹さんの再婚相手で、加護亜依さんの継父にあたる人物は、運送会社を経営。
一部では「加護運送」という社名だったといわれています。
しかし、継父は、加護亜依さんがデビューしたのと同時期に事業に失敗。
莫大な借金を抱えていました。
一方、12歳にしてモーニング娘。としてデビューし、トップアイドルに上り詰めた加護亜依さん。
デビュー2年目・14歳にして、
推定年収は4,000万円超
と、破格の稼ぎっぷり!
当時、加護亜依さんは中学生にも関わらずベンツを購入したり、奈良県にある実家を建て替えたりしました。
建て替え後の実家は、地元では「加護御殿」と呼ばれていたのだとか。
また、加護亜依さんは当時を振り返って、
未成年だったので親に全部、給料明細を預けていたんですけど。家が運送会社やっていて、トラックが十何台、増えていました。
と、明言はしていませんが、知らないうちに自身の収入が継父の事業に充てられていたことを示唆しています。
そして、実は、継父の借金の返済と実家の生活費を加護亜依さんが背負っていたことが判明。
加護亜依さんの収入全てが借金の返済・実家の生活費に充てられましたが、それでも足りなかったそうです。
加護亜依の実家は所属事務所に借金を頼むほど困窮?
18歳の時に喫煙していたことが週刊誌で報じられ、大きな問題に発展した加護亜依さん。
その時、実家にはわずかなお金しか残されておらず、母・亜樹さんからは、
所属事務所からお金を借りられないか
と、相談されていたと言われています。
結局、加護亜依さんの2度目の喫煙問題が起きたと同時期に、金銭的な問題でご両親は離婚。
喫煙問題の影響で厳しい状況に置かれていた加護亜依さん。
家族を養うためにパチンコ店での営業や際どい写真集などの仕事を受けていたそうです。
若くして家族を支えるというプレッシャーは、想像を絶するほどに大きかったのではないでしょうか。
以上の情報から、加護亜依さんの実家はお金持ちではなく、むしろ経済的に非常に厳しい状況に置かれていたことがわかりました。
スキャンダルで取り沙汰されてしまいがちな加護亜依さんですが、今後は心身ともに安心できる環境で仕事や子育てができるといいですね。
加護亜依の実家は奈良県大和高田市南部!
奈良県大和高田市出身の加護亜依さん。
大和高田市立浮孔(うきあな)小学校、大和高田市立片塩(かたしお)中学校(後に目黒区立第十中学校に転校)に通っていました。
地図は浮孔小学校の通学区域を示したもので、近畿日本鉄道・南大阪線「浮孔駅」および「高田市駅」が最寄り駅。
通学区域には次の地域が指定されています。
大字田井、田井新町、大字勝目、蔵之宮町、甘田町の一部、西三倉堂1丁目の一部、西三倉堂2丁目、中三倉堂1丁目・2丁目、東三倉堂町の一部、南今里町の一部
加護亜依さんはアイドルになってから、実家を建て替えています。
浮孔小学校に通っていた当時と場所に変わりがなければ、上記通学区域内に実家があるといえるでしょう。
ちなみに、加護亜依さんは浮孔小学校の4~6年生の時、お笑いコンビ・天才ピアニストのますみさんとクラスメイトでした。
ますみさんといえば、上沼恵美子(かみぬまえみこ)さんのモノマネでお馴染みですよね。
ますみさんによると、加護亜依さんは当時から華があって目立つ存在だったのだとか。
加護亜依さんの実家について調べたところ、思わぬ繋がりがあることもわかりました。
加護亜依の母はどんな人?顔画像は?
加護亜依さんの母・亜樹(あき)さん。
若くて綺麗なお母さんですよね・・・!
母・亜樹さんが30代後半の頃の写真を見ると、加護亜依さんと瓜二つです。
加護亜依さんは間違いなく母親似ですね!
母・亜樹さんの現在の年齢は推定54歳前後で、旧姓は「池田」と判明しています。
母・亜樹さんについて調べてみると、娘・加護亜依さんと同じく波乱万丈な人生を送ってきたことがわかりました。
加護亜依の母・亜樹は、18歳で結婚・出産を経験
母・亜樹さんについて調べてみました!
加護亜依の母・亜樹は、18歳で結婚・出産を経験
加護亜依さんの母・亜樹さんは、17歳の時に高校の同級生との間に加護亜依さんを授かります。
そして高校中退後、18歳で加護亜依さんの父親である人物と結婚し出産。
ところが、加護亜依さんが1歳の時にご両親は離婚しました。
父親はその後、覚せい剤の使用容疑で逮捕されたといわれています。
加護亜依さんは、実の父親の顔を知らないまま育ちました。
加護亜依の母・亜樹は27歳で再婚・3人の子どもに恵まれる
加護亜依さんの母・亜樹さんは、27歳の時に再婚。
その後、加護亜依さんの異父兄弟にあたる弟2人・妹1人が生まれます。
母・亜樹さんの再婚相手で、加護亜依さんの継父にあたる人物は、加護亜依さんのことも可愛がってくれたのだそう。
継父は運送会社「加護運送」を経営していたものの、仕事は上手くいかず、莫大な借金を抱えていました。
当時、加護亜依さんはトップアイドルとして大ブレイク。
ご両親はその収入の全てを、本人の知らないうちに借金の返済・生活費に充てていました。
しかし、それでも足りずに家族は困窮。
結局、加護亜依さんの2度目の喫煙問題と同時期に離婚されています。
一時、関係が悪化した加護亜依さんと母・亜樹さんでしたが、現在は良好な関係だそうです。
加護亜依の母・亜樹は、放課後デイサービスを経営
加護亜依さんには弟さんが2人、妹さんが1人おられます。
2017年、加護亜依さんは上の弟・永遠(とわ)さんが18歳(2024年時点で25歳)になったことブログで報告。
そのうえで、
言うことでもないのかな?と今まで避けてきたんですがご存知の方もいると思います。私のすぐ下の弟は広汎性発達障害です。
と、公表。
加護亜依さんは、弟の障がいについて自身も家族も随分と勉強したとし、
母は弟や、同じ障害を持つ子のために放課後デイサービスを経営しています
と、明かしました。
公表に際しては、弟本人も自身の障がいを理解した上で了承しているとのこと。
加護亜依さんによると、弟さんはとても明るい性格で、頼もしく成長してくれたのだとか。
母・亜樹さんは、少しでも息子と同じ境遇の子どもやその親の力になろうと努力されたんですね。
ちなみに、加護亜依さんの妹・姫亜(ひめあ)さんは、過去にテレビ番組に出演。
可愛らしい方ですよね!
2024年時点で23~24歳と推定されます。
13歳年下の妹・姫亜さんは、モーニング娘。時代の加護亜依さんを知らないのだとか。
そのため、Wikipediaなどを見て過去の経歴だけでなく、スキャンダルのことも知ったと笑いながら明かしていました。
加護亜依と母のエピソードもまとめた!
加護亜依さんと母・亜樹さんのエピソードをまとめました!
加護亜依の母・亜樹は、本当は「パセリ」と名付けたかった
加護亜依さんと母・亜樹さんのエピソードをご紹介します!
加護亜依の母・亜樹は、本当は「パセリ」と名付けたかった
「亜依」という名前は、母・亜樹さんと、亜樹さんのいとこの名前から1字ずつもらってつけられたのだそう。
「誰からも愛されるように」との思いが込められていましたが、「愛」という名前が当時流行していたため、「亜依」になったのだとか。
しかし、加護亜依さんが中学生の頃、
本当は「パセリ」にしたかったの
と、母・亜樹さんから明かされます。
なんでも、
3文字の名前にしたいと思っていて、かつ「パセリ」という響きが好きだった
というのが理由だったのだそう。
加護亜依さんは、「加護パセリ」にならなくて良かった、と心底思っているそうです。
加護亜依は生まれた時、危険な状態だった
1988年2月7日、奈良県の病院で誕生した加護亜依さん。
生まれたばかりの加護亜依さんは産声を上げず、顔は真っ青。
心停止の状態で、
死んじゃった…
と、当時19歳だった母・亜樹さんは、泣きじゃくったそうです。
暫く呼吸もなかったものの、ほどなくして産声を上げて泣きだしたのだとか。
主治医曰く、加護亜依さんは「奇跡の子」。
加護亜依さんによると、生まれながら心臓に穴が開いていたのが原因でした。
穴は自然に塞がったものの、未だに心臓が痛むこともあるそうです。
幼少時代の加護亜依は、母・亜樹のスカートの中に隠れていた
幼少時代とても人見知りだったという加護亜依さん。
母・亜樹さんが近くにいないと、とにかく不安だったそう。
当時、母・亜樹さんの世代ではロングスカートが流行。
母・亜樹さんとスーパーへ行っても、なにかあるとロングスカートの中に潜り込んで、お尻に抱きついていたのだとか。
スカートがめくれ、下着が見えそうになり、
「やめて~!」「ダメ!」
と、母・亜樹さん注意されると、加護亜依さんは大泣き。
あまりにもくっつく加護亜依さんに困った母・亜樹さん。
スカートを履くのをやめ、パンツスタイルに切り替えたのだそう。
くっつき虫は、加護亜依さんが5歳頃まで続いたそうです。
シャイで寂しがり屋だった加護亜依さんの微笑ましいエピソードでした。
まとめ
今回は加護亜依の母の年齢や顔画像!実家の病院や親子エピソードもまとめた!
という事で、加護亜依さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 加護亜依の実家が病院はデマ!実家は奈良県大和高田市で、困窮していた
- 加護亜依の母・亜樹は若くして出産・結婚・離婚・再婚を経験、現在は放課後デイサービスを経営
- 加護亜依の母・亜樹は、本当は「パセリ」と名付けたかった!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。