北京オリンピックの日本代表に内定した、
スキージャンプの岩渕香里(いわぶちかおり)選手
平昌オリンピックに続き2大会連続で北京オリンピック出場が内定しています。
今回はそんな岩渕香里選手の両親はどんな人?実家や出身地は?気になる兄弟姉妹も調査します。
岩渕香里の両親(父・母)はどんな人?
お父様の名前は「岩渕享秘(あきやす)」さん。
現在の年齢は60歳になります。
こちらの画像は、2018年の平昌オリンピック出場の際、上田市役所で開かれた壮行会の様子です。
海外遠征中で会場に行けなかった岩渕香里選手に代わって、父・享秘さんが出席されました。
【右・岩渕享秘さん】
ちなみに左の方は、スキージャンプ選手の今井胡桃選手ですね。
岩渕香里選手と今井胡桃選手は、二人とも長野県上田市出身という共通点があります。
次は岩渕香里選手のお母様について調べてみました。
お母様の方の名前は見つかりませんでしたが、お母様の情報を書いてあるブログを発見。
2010年に「スキー・グルメ日記」にお母様自身が投稿した内容に、「給食の仕事の休憩中に投稿」との文字が。
2010年の頃の内容なので現在も働いているかはわかりませんが、当時お母様は給食に関わるお仕事をなさっていたことが伺えます。
お父様のお仕事はわかりませんでしたが、写真を見るからに、まじめで優しそうなお父様ですよね。
お母様の投稿されたブログも、なかなかノリが良く明るい人のような印象を受けます。
2012年、岩渕選手がイタリアでの遠征中に両膝の前十字靭帯を断裂。
手術とリハビリで選手生命の危機が訪れた際、両親にジャンプを続けるのか心配されたそうです。
岩渕香里選手は「やる!」と決意し、両親に不安な顔は見せられないと気丈にふるまいました。
この時ご両親は選手を「やめるだろう」と思っていたようですね。
怪我の酷さ、リハビリしても元のように飛べるかわからない。
娘の辛い顔を見たくなかったのかもしれませんね。
しかし岩渕香里選手は、辛いリハビリ生活・厳しい筋力強化メニューに耐え、見事に競技復帰!
2018年の平昌オリンピック出場となります。
初の五輪出場に、父・享秘さんは「やっと来たな。楽しそうに飛んでいる。」とジャンプ台を見つめていたそうです。
お母様も、リハビリ期間で娘が初めて冬の雪を滑れない生活をに「今年の冬はつまらないな・・・」と言っていたそうです。
岩渕香里選手の復帰を一番待ち望んでいたのはご両親だったのでしょうね。
娘のことを大切に思っているからこそ、リハビリで苦しむ顔は見たくない。
でも、娘がやると決めたら全力で応援する!素敵なご両親だと感じました。
岩渕香里に兄弟姉妹は居る?
岩渕香里選手にはお姉さんと妹さんがいます。
岩渕選手は3姉妹の次女になります。
家族構成は父・母3姉妹の五人家族で皆さんアルペンスキー経験者だそうです。
姉妹の情報はそれ以上ほとんどなく、選手として調べても出てきませんでした。
こちらの画像は、岩渕香里選手が家族旅行に行った時のインスタ投稿で、
おそらく姉妹の足を映したものだと思います。
岩渕香里選手は「家族旅行はいつも私抜きだった」とインスタに書かれているので、
おそらく選手になって忙しく活動しているのは岩渕香里選手一人で、
お姉さんや妹さんは選手にはなっていないのではないかと思います。
更に調べていくうちに妹さんに関してこんな情報を発見!
2010年に岩渕香里選手のお母様が投稿したブログの内容です。
この内容を見るに、妹さんが中学生時代では選手として活動していたことがわかりますね。
2010年時で中学2年生(14歳)と言うことは現在の年齢は25歳くらいでしょうか。
28歳の岩渕香里選手とは3歳差になりますね。
岩渕香里選手がアルペンスキーを始めたのは小学校の低学年の時。
理由は「スキー以外の選択肢が他になったから」だそうです。
雪の多く降る地域では当たり前の習い事だったんですかね?
お姉さんや妹さんも同じ理由からアルペンスキーを始めたのでしょうね。
その後、岩渕香里選手は小学6年生の時、友人に誘われてアルペンスキーからスキージャンプに転向しています。
妹さんはジャンプに転向せずアルペンスキーを続けていたようですね。
お姉さんの情報が全くないのでまたわかり次第報告しますね。
岩渕香里選手が北京オリンピックで注目されればもっと情報が出てくるかもしれませんね。
岩渕香里の実家や出身地も調査!
岩渕香里選手の出身地は長野県上田市です。
1年のうちに雪が降らない期間は4月~11月までの7・8か月間だけなんだそうで、
冬はかなり長い期間雪が降り積もり、周辺にはスキー場がたくさんあるようです。
岩渕香里選手の出身中学校は、地元上田市菅平にある「菅平中学校」です。
公立中学校なので、岩渕香里選手の実家はこの校区内にあるのだと想定されます。
そんな岩渕香里選手、小6の頃にスキージャンプに転向してからは徐々にその才能を開花させていきます。
2009年3月3日、国際蔵王ジャンプ大会NHK大会に出場。
結果は21位、これが岩渕香里選手の初の国際戦デビューとなりました。
その後本格的にジャンプに専念するために、長野県にある「飯山高等学校」に進学。
同じ長野県ですが実家からは通えず、寮生活をしていたそうです。
2010年1月、高校1年時コンチネンタルカップシェーンヴァルトニシューナッハ大会で、日本人最高位となる16位を獲得。
2011年~2012年ワールドカップに初戦から参戦。第11戦の蔵王で自己最高の7位を獲得しました。
卒業後は長野県にある「松本大学」に進学。
関東の有名な大学からのお誘いもあったそうなのですが、ジャンプを行う環境を一番に考え長野に残ることを決めたそうです。
大学時の成績も素晴らしく、2012年のサマーグランプリでは10位。
その後の国内戦2戦でも、あの高梨沙羅選手を破って優勝するほどの成績をあげています。
同年の9月に着地時の失敗で大怪我を負い、リハビリ生活に入るも翌年の7月には復帰。
その後2016年1月のTVh杯ジャンプ大会で、3年4ヵ月ぶりに優勝を果たします。
大学卒業後は、長野県長野市に本社を置く「北野建設株式会社」に入社。
北野建設スキー部に所属しています。
この会社は、長野県でスキーを続けたかった岩渕香里選手が「ここに入りたいな」と学生時代から思っていた会社だそうです。
長野県で生まれ育ち、長野県からオリンピック選手へ。
地元を愛する岩渕香里選手をもっと応援したくなしますね。
平昌オリンピックでは12位に終わりましたが、北京オリンピックではぜひ地元長野にメダルを持ち帰ってきてほしいですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
女子スキージャンプ岩渕香里さんの両親はどんな人?実家や出身地、兄弟姉妹について調査しました。
両親そろって娘の活躍を応援している姿が伺えました。
怪我を乗り越えてまた雪上に戻ってきた娘には言葉にならないほどの思いがあったと思います。
姉妹に関してはまだまだ分からないことが多いですが、北京オリンピックをきっかけに情報が出てきてほしいですね。
北京オリンピック後、地元長野に笑顔で帰ってくる岩渕香里選手を見たいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!