俳優の安藤サクラ(あんどうさくら)さん。
2007年に映画「風の外側」でデビュー後、映画「愛のむき出し」「百円の恋」等の注目作に次々と出演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど、実力派俳優として知られています。
そんな安藤サクラさんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は安藤サクラの父は奥田瑛二!母親や親子エピソードもまとめた!
という事で、安藤サクラさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
安藤サクラの実家はお金持ち?
まずは安藤サクラさんの実家について調べてみました!
安藤サクラの実家の場所や住所はどこ?
安藤サクラさんは東京都出身。
残念ながら、それ以上詳細な場所は明かされていません。
ただ、安藤サクラさんは学習院初等科に入学後、大学(国際交流学部)まで全て学習院に通っていました。
そのため、学習院初等科のある新宿区を中心とした都心に実家があることは間違いないと見られます。
一部では、学習院初等科のある四ツ谷駅周辺では、と言われていますが確証はありません。
安藤サクラさんの家族は、本人含め全員が芸能・文学に携わっている著名人。
よって、今後もプラバシーを尊重し、詳細な場所が明かされる可能性は低いと言えるでしょう。
安藤サクラの実家はお金持ち?
安藤サクラさんの実家の経済状況を調べたところ、
安藤サクラの実家は裕福だが、父・奥田瑛二は映画製作に大金をつぎ込み借金もした
ということがわかりました。
「実家が裕福」とする理由は2つ。
安藤サクラと姉・安藤桃子は私立校出身で留学経験がある
ただし、後述しますが、父・奥田瑛二さんが映画製作に莫大な資金を投入したこともわかりました。
安藤サクラの父・奥田瑛二は俳優、母・安藤和津はエッセイスト
安藤サクラさんの父・奥田瑛二(おくだえいじ)さんと、母・安藤和津(あんどうかづ)さん。
父・奥田瑛二さんは、俳優の他、映画監督・声優・ナレーター・画家として幅広く活躍されています。
母・安藤和津さんも、エッセイストやコメンテーターとして活躍。
それぞれの年収の具体額は公表されていませんが、1千万超から億を超える年もあったかもしれません。
父・奥田瑛二さんは派手な飲みっぷり・遊びっぷりでの散財が有名ですが、資産家であることに変わりはないでしょう。
安藤サクラと姉・安藤桃子は私立校出身で留学経験がある
安藤サクラさんと姉・安藤桃子さんの学歴は次の通りです。
安藤桃子…学習院初等科~高等科、高校在学中に英国留学しロンドン大学芸術学部を次席で卒業、米・ニューヨーク大学へ進学・卒業
それぞれ名門校を卒業されているんですね・・・!
学習院初等科~大学まで通ったとすると、教育に掛かる費用は1,600万円を超えるとされています。
姉・安藤桃子さんの学費は明らかではありません。
ただ、留学して更に2つの大学を卒業しているとなると、1,600万円を優に超える金額だったと考えられますね。
よって、姉妹2人の教育にかかった費用の総額は、4,000万円を超えていても不思議ではないと言えるでしょう。
父・奥田瑛二は映画製作の為に大金を使い、借金もした!
2019年にインタビューに応じた母・安藤和津さんによると、
(父・奥田瑛二が映画を製作した際に)億単位のお金をつぎ込んでしまったので、私が働かなければ生活できない状態でした。(中略)今やっと、借金を全額返し終えたかどうかというところじゃないかしら。
と、父・奥田瑛二さんが映画製作のために莫大な資金を投入し、更には借金をしていたことを明かしています。
上記の情報を総合すると、安藤サクラさんのご実家はお金持ちの可能性が高そうですが、一時期は金銭的に悩む時期があったこともわかりました!
芸能・文学で活躍するご両親と、確かな教育のもと、安藤サクラさんと姉・安藤桃子さんは才能豊かな女性に育ったんですね。
安藤サクラの実家の両親(父・母)はどんな人?
安藤サクラさんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
安藤サクラの父親は俳優・奥田瑛二!
安藤サクラさんの父親で俳優の奥田瑛二(おくだえいじ)さん。
俳優としてアウトロー役などを幅広く演じる父・奥田瑛二さんですが、映画監督としても活躍されています。
そんな父・奥田瑛二さんのプロフィールをまとめました!
生年月日…1950年3月18日(74歳/2024年6月時点)
出身地…愛知県東春日井郡高蔵寺町(現:春日井市)
身長…175cm
血液型…AB型
出身校…東邦高等学校、明治学院大学法学部(中退)
特技…ギター、ブルースハープ、挿絵、絵画
主な出演作品…映画「もう頬づえはつかない」「金曜日の妻たちへIII 恋におちて」「男女7人夏物語」等
主な監督作品…「るにん」「長い散歩」
親族…弟・安藤豊彦は苔玉作家、父・安藤豊は元春日井市議会議員
父・奥田瑛二さんは、小学5年生の頃に映画「丹下左膳」を観て役者を志します。
役者になるに体格を良くするべきと考え、中学校では野球部、高校ではラグビー部に所属。
大学進学前に、
上京して役者を目指したい
と、当時春日井市議会議員だった父・安藤豊(あんどうゆたか)さんに打ち明けたものの反対されたため、
政治の勉強をするため
と、説得してなんとか了解を得たそうです。
父・奥田瑛二さんは明治学院大学法学部入学と同時に、衆議院議員・丹羽兵助(にわひょうすけ)の秘書として住みこみの書生生活を送りました。
大学では演劇部にも参加。
ところが、秘書としての仕事をしながら学生生活を過ごすうち、これでいいのかと悩んで逃げ出し、大学も中退してしまいます。
生活のために夜の仕事に就き、客の紹介でモデルの仕事を始めて、CMなどにも出演。
俳優の夢を諦めきれなかった父・奥田瑛二さんは、1976年に「円盤戦争バンキッド」の主人公役でデビュー。
しかし、その後は役に恵まれず、29歳の頃には家賃が払えずに代々木公園などでホームレスのような生活をしていたのだそう。
この頃に出会い、自宅に父・奥田瑛二さんを招いて食事を振る舞っていたのが、後に妻となる安藤和津さんでした。
父・奥田瑛二さんの輝かしい活躍の背景には、長く苦しい下積み時代があったんですね。
安藤サクラの母親はエッセイストの安藤和津
安藤サクラさんの母親でエッセイストの安藤和津(あんどうかづ)さん。
笑顔が安藤サクラさんとそっくりな美女ですよね!
エッセイストやタレントとして活躍する母・安藤和津さんのプロフィールをまとめました!
旧姓…荻野→犬養
生年月日…1948年3月6日(76歳/2024年6月時点)
出身地…東京都台東区
出身校…学習院初等科~高等科、上智大学文学部(中退)
親族…父・犬養健は元法務大臣、祖父・犬養毅は元内閣総理大臣、従姪(いとこの娘)・緒方貞子は日本人初の元国連難民高等弁務官
娘さんたちと同じく、母・安藤和津さんも学習院を卒業されているんですね。
そして、親族には名だたる政治家の名前があります・・・!
詳しく見ていきましょう。
安藤サクラの母・安藤和津の家系図がすごい!
安藤サクラさんの母・安藤和津さんの家系をご紹介します!
母・安藤和津さんは、大物政治家の犬養健さん、犬養毅さんを父・祖父に持っているんですね!
安藤サクラさんの祖父で、母・安藤和津さんの父親の犬養健(いぬかいたける、または、いぬがいたけし)さん。
1896年7月28日生まれ、1960年8月28日没。
犬養健さんは、元内閣総理大臣・犬養毅(いぬかいつよし)さんの三男として生まれました。
政治家として活躍し、法務大臣(第2代・第3代)、衆議院議員を12期務めています。
母・安藤和津さんの誕生時、犬養健さんは51歳。
孫と祖父に見られることが多かったのだとか。
母・安藤和津さんは、いわゆる妾(めかけ)の子として生まれました。
そのため、犬養健さんと過ごす時間はそう多くは無かったのだそう。
母・安藤和津さんの母親の荻野昌子(おぎのまさこ)さんは、女手ひとつで母・安藤和津さんを育てました。
安藤サクラさんの曽祖父で、母・安藤和津さんの祖父・犬養毅(いぬかいつよし)さん。
1855年6月4日生まれ、1932年5月15日没。
犬養毅さんは第29代内閣総理大臣を務めた人物として有名ですよね。
内閣総理大臣の他にも、数々の役職を歴任しています。
中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)等
しかし、1932年5月15日に起きた五・一五事件で、武装した陸海軍の青年将校たちよって暗殺。
当時の日本に大きな衝撃を与えただけでなく、歴史に残るほどの大事件となりました。
安藤サクラさんの再従姉(はとこ)で母・安藤和津さんの従姪の緒方貞子(おがたさだこ)さん。
1927年9月16日生まれ、2019年10月22日没。
緒方貞子さんは、国際政治学者で日本人初の国連難民高等弁務官を務めたことで有名な人物です。
また、
上智大学名誉教授、独立行政法人国際協力機構理事長、国連人権委員会日本政府代表、アフガニスタン支援政府特別代表を歴任、日本の模擬国連活動の創始者
と、数々の役職を歴任し、国際的に活躍する女性の第一人者としてトップを走り続けてきました。
徹底して「現場主義」を貫き、世界の紛争地に赴いて難民を支援。
精力的に活動し続けた緒方貞子さんの姿は、今もなお世界中の人々の尊敬を集めています。
母・安藤和津の母親は波乱万丈な人生だった
安藤サクラさんの母・安藤和津さんは、東京柳橋で荻野昌子(おぎのまさこ)さんと犬養健さんのもとに生まれました。
母・安藤和津さんが生まれた当時、荻野昌子さんは26歳、犬養健さんは51歳と、27歳の年の差!
犬養健さんには本妻がおり、荻野昌子さんはいわゆる妾(めかけ)でした。
荻野昌子さんは石材店を営む家庭に生まれるも、石材店が倒産。
そのため、女学校を中退し柳橋の芸者となり、後に料亭「をぎ乃」を始めました。
母・安藤和津さんを犬養健さんは認知したものの、荻野昌子さんはシングルマザーとして料亭を切り盛りしつつ女手ひとつで子育てします。
荻野昌子さんは大変厳しい人だったのだとか。
母・安藤和津さんがが友人と映画などに出かける予定だと聞くと、その友人宅に電話で確認するほど。
犬養健さんからの援助の有無は明かされていません。
ただ、母・安藤和津さんは小学校から大学まで私立校。
それを踏まえると、荻野昌子さんが懸命に働き、育ててきたことは間違いないでしょう。
安藤サクラの両親のエピソードも紹介!
安藤サクラさんとご両親のエピソードをまとめました!
安藤サクラは父・奥田瑛二が監督を務める映画に出演!
2007年に俳優デビューした安藤サクラさん。
実はその出演作は、父・奥田瑛二さんが監督を務めた映画「風の外側」でした。
主演女優がクランクイン直前に降板したため、その代役として出演したのだとか。
この作品には、なんとご両親も出演しているほか、姉・安藤桃子さんも助監督として参加しているそうです。
一家で作り上げた作品だったんですね!
父・奥田瑛二は、安藤サクラが出演したNHK連続テレビ小説を欠かさず視聴!
安藤サクラさんは、2018年度下期のNHK連続テレビ小説「まんぷく」で主演を務めました。
念願のNHK連続テレビ小説の主演オファーでしたが、当時出産・育児のために引き受けるかどうか相当迷っていたとのこと。
そんな安藤サクラさんの背中を、父・奥田瑛二さんをはじめとした親族が押したことで主演が実現!
NHKも全面的にフォローし、安藤サクラさんは大阪での撮影に子連れで参加。
父・奥田瑛二さんは「まんぷく」を毎日欠かさず視聴し、
元気をもらっている
と、語っていましたが、終盤にはなんと自身も「まんぷく」に出演!
安藤サクラさんは作中で親子に見えないかどうか心配していたものの、家族は父・奥田瑛二さんの出演をとても喜んでいたのだそう。
父・奥田瑛二さんは正月明けすぐの撮影で、
オレはちょっと散歩に出て、まんぷくのセリフを・・・
と、正月中「まんぷく」で頭がいっぱいだったのだとか。
撮影当日は、
撮影に入る直前は父も私も緊張していたので、私はあえて見ないようにしました。父は孫をめでてから撮影に入っていました。
と、お互い意識しないようにしていたと明かしています。
父・奥田瑛二は、たとえ学芸会でも指導に手を抜かない
安藤サクラさんが学芸会でヒロイン役に抜擢された時のこと。
快く練習に付き合ってくれた父・奥田瑛二さんでしたが、
バカヤロー!学芸会みたいな芝居してんじゃねえ!
と、本気で怒りながら熱血指導!
そんな父・奥田瑛二さんに安藤サクラさんは、
だってこれ学芸会なんだもん
と、反論。
すると、
あ、そうか学芸会だったか…
と、父・奥田瑛二さんはようやく我に返りました。
父・奥田瑛二さんは強面なイメージが強いですが、少々天然なところも持ち合わせているんですね。
父・奥田瑛二と母・安藤和津は対照的?!
安藤サクラさんが子どもの頃、
1+1はなんだ?
と、父・奥田瑛二さんに聞かれたため、
2
と、答えると、なんと怒られてしまったのだとか。
更に、授業で先生の教えと異なる絵を描くと、父・奥田瑛二さんは褒めてくれたのだそう。
用意された答えなんて面白くない、ということだったのでしょうか・・・。
しかし、母・安藤和津さんは自由に振る舞う安藤サクラさんのために、学校に呼びだされたこともあったそうです。
父・奥田瑛二さんは直観的で芸術家肌、母・安藤和津さんは現実主義なのかもしれませんね。
安藤サクラが女優になりたいと言った時の両親の反応
安藤サクラさんが、
女優になりたい
と、初めて父・奥田瑛二さんに伝えた時のこと。
改まって正座で話を切り出した安藤サクラさんに、父・奥田瑛二さんも正面から話を聞いたのだとか。
女優になりたいと伝える安藤サクラさんに、
うん、分かった。だったら自分で女優になってください。父は何も手伝いません。それだけだ。
と、父・奥田瑛二さんは言い放ちます。
親の七光りだと言われることを恐れて、俳優となることを躊躇っていたという安藤サクラさん。
そんな安藤サクラさんのためを思って、父・奥田瑛二さんはあえて「何もしない」ということを伝えたんですね。
実は父・奥田瑛二さんは、俳優にならないでほしいと願っていたのだそう。
そのため、話を切り出された時は
あ、来ちゃった~
と、とうとう来たか、と思ったのだとか。
一方、母・安藤和津さんは、
(安藤サクラさんが女優に)なりたいって言い出さなかったらどうしよう
と、反対の心配していました。
ただ、ご両親は、内心では安藤サクラさんが幼い頃から俳優になるだろうとは思っていたとのこと。
安藤サクラさんは、
俳優っていうのは、「人であらず優しい」って書くんだぜ
という父・奥田瑛二さんの言葉を幼い頃から頃から聞いて、「俳優」に憧れたのだそう。
女優さんというより、自分がやりたいことは、「人であらず『優しい』だ」って。
と、俳優を志したきっかけについて明かしています。
父・奥田瑛二は孫が生まれて「ショートケーキを食べない宣言」を撤回
かねてより父・奥田瑛二さんは、
死ぬ間際までショートケーキは食べない
と、豪語。
そんな中、2017年に安藤サクラさんが出産し、お孫さんが誕生!
お孫さんが生まれてから一口もらったのをきっかけに、ショートケーキに魅了されたのだとか。
そして、こっそり隠れてショートケーキ食べていたことが家族にバレてしまったそうです。
安藤サクラと母・安藤和津は同じブランドの広告に登場!
安藤サクラさんは2020年に資生堂「ベネフィーク」の広告に起用されました。
実は、母・安藤和津さんも1979年、同じく「ベネフィーク」の広告に登場!
意図して親子で起用されたわけではなかったのだそう。
安藤サクラさん、母・安藤和津さんの魅力が生んだ偶然だったんですね。
母方の祖母・荻野昌子を家族で介護
安藤サクラさんの母方の祖母・荻野昌子(おぎのまさこ)さん。
母・安藤和津さんによると、祖母・荻野昌子さんは、
ズボンやストッキングが脱げず、イライラしてハサミで切り刻む
リモコンを投げて壊す
孫たちの友人を見て「ずいぶんと太った子ね」などと口にする
得意だった料理の味つけが明らかにおかしくなる
娘や孫に作った弁当が腐っていたり、雑巾を絞った手でおにぎりを作る
下半身裸で生理用品を持ってきて「替えてほしい」と言う
など、尋常ではない状態になっていったのだそう。
そこで病院で検査したところ、テニスボール大の脳腫瘍が見つかりました。
下されたのは、「いつ死んでもおかしくない」という診断。
祖母・荻野昌子さんは、脳腫瘍によって老人性うつ・認知症を発症。
そのため、感情のコントロールが利かなくなっていたそうです。
そんな中でも、父・奥田瑛二や安藤サクラさん、姉・安藤桃子さんは、正面から向き合い、
施設や病院か、在宅介護のどちらを望むか聞くと、みんな「絶対、ウチ!」と即答してくれた。
と、家族は迷わず在宅介護を選択。
介護生活は、2006年に祖母・荻野昌子さんが亡くなるまで実に12年間にも及びました。
介護疲れが重なり、母・安藤和津さんは介護うつを発症。
精神的・肉体的に追い込まれていましたが、父・奥田瑛二さんや周囲の支えもあってうつを克服。
母・安藤和津さんは、その経験をもとにした著書を執筆したり講演したりするなど、現在も精力的に活動されています。
安藤サクラの兄弟姉妹も調査!
安藤サクラさんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
安藤サクラの姉・安藤桃子は映画監督!!
安藤サクラさんにはお姉さんが1人おられます。
安藤サクラの姉・安藤桃子は映画監督!!
安藤サクラさんの姉・安藤桃子(あんどうももこ)さん。
目力の強い美女ですよね!
映画監督として活躍する姉・安藤桃子さんのプロフィールをまとめました!
出身校…学習院初等科~高等科、高校時代に英国留学、ロンドン大学芸術学部、ニューヨーク大学
主な監督作品…映画「カケラ」「0.5ミリ」(2014年)
次に安藤サクラさんと姉・安藤桃子さんとのエピソードをご紹介します!
姉・安藤桃子は安藤サクラを映画の主演に抜擢!
姉・安藤桃子さんはニューヨーク大学に進学後、映画作りを学び、監督助手として働きはじめます。
2007年には、父・奥田瑛二さん監督の映画「風の外側」で助監督を務めました。
2014年には、自身が書いた小説をもとに映画「0.5ミリ」を製作。
姉・安藤桃子さんが監督を務め、主演には妹である安藤サクラさんを起用!
姉・安藤桃子さんは、
サクラのことを家族の中で最も信頼していると言っても過言ではない。母も父も信頼しているけれど、昔から私のことを隅々まで受け止めて理解してくれるのはサクラ
と、安藤サクラさんに絶大な信頼を寄せており、主演として起用したと明かしています。
2014年3月14日には僧侶の男性と結婚(2018年離婚)し、「0.5ミリ」のロケを行った高知県高知市に移住。
高知市内に映画館「ウィークエンドキネマM」をオープンさせるなど、地域振興にも携わっておられます。
安藤サクラと姉・安藤桃子は姉妹で「徹子の部屋」に出演!
2014年11月6日、安藤サクラさんと姉・安藤桃子さんは姉妹でテレビ番組「徹子の部屋」に出演!
その際、姉妹の性格が真逆だと明かしていました。
姉・安藤桃子さんは体育会系、安藤サクラさんは女の子の遊びが好きでどちらかというとインドア派。
服装も、姉・安藤桃子さんはボーイッシュで、安藤サクラさんはフリフリの可愛らしい洋服だったのだとか。
しかし、安藤サクラさんは姉・安藤桃子さんに従順で、
髪を切れ、これを着ろ、スケボーで遊べ
と言われると、たとえ可愛い洋服を着て女の子遊びがしたくても、姉・安藤桃子さんの言う通りにしていたのだそう。
ただ、安藤サクラさんは決して嫌ではなく、
むしろいろんな経験をさせてくれた姉(安藤桃子)に感謝している
と、姉・安藤桃子さんへの感謝を口にしていました。
本当に仲の良い、信頼し合っている姉妹なんですね!
まとめ
今回は安藤サクラの父は奥田瑛二!母親や親子エピソードもまとめた!
という事で、安藤サクラさんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 安藤サクラの実家は東京都心にある可能性が高く、裕福な家庭だったが一時期借金があった
- 安藤サクラの父・奥田瑛二は俳優・映画監督で、母・安藤和津はエッセイストで壮絶な介護経験がある
- 安藤サクラの姉・安藤桃子は映画監督で、姉妹で監督・主演俳優として映画製作したことがある
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。