女子バスケットボール日本リーグ「デンソーアイリス」所属の赤穂ひまわり(あかほ・ひまわり)さん。
Wリーグでは2018年に新人王を獲得するなどバスケットボール一家の才能を遺憾なく発揮しており、パリオリンピックでの活躍が期待されています。
そんな赤穂ひまわりさんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は赤穂ひまわりと雷太は双子!父母など実家の家族や兄弟も全部まとめた!
という事で、赤穂ひまわりさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
赤穂ひまわりの実家はお金持ち?
まずは赤穂ひまわりさんの実家について調べてみました!
赤穂ひまわりの実家の場所は石川県七尾市
赤穂ひまわりさんの出身地は石川県七尾市となっています。
さっそく、赤穂ひまわりさんの出身小学校から実家を推測してみましょう。
赤穂ひまわりさんの出身小学校は石川県七尾市立東湊小学校となっています。
七尾市立東湊小学校の通学区域は以下の通り。
万行町(一部除く)
万行1丁目~4丁目
佐野町
佐味町
大田町
大田新町
殿町
沢野町
江泊町
大野木町
三室町
湯川町
岡町
鵜浦町
大泊町
東浜町
黒崎町
花園町
山崎町
佐々波町
菅沢町
須能町
麻生町
小栗町
清水平町
柑子町
外林町
庵町
熊淵町
赤穂ひまわりさんは中学からバスケットボールのために県外に進学しています。
ここまでの情報から、赤穂ひまわりさんの実家は七尾市立東湊小学校の通学区域内にあったと思われます。
また、赤穂ひまわりさんの現在の実家については、
- 父親の2022年時点での勤務先が石川県立田鶴浜高校である
- 幼少期に撮られた写真に写る自宅が一軒家である
という理由から、現在でも七尾市立東湊小学校の通学区域内にある可能性があると言えるでしょう。
幼少期に自宅で撮られたという写真は、後ほど触れています。
出生地は大阪府枚方市?
出身地が石川県七尾市となっている赤穂ひまわりさんですが、父親の経歴を辿ってみると出生地が大阪府枚方市である可能性が出てきます。
- 父親:1998年に住友金属の休部に伴い松下電器(大阪府枚方市)に移籍
- 赤穂ひまわり:誕生日が1998年8月28日
父親はその後、2004年に石川ブルースパークス(石川県七尾市)へと移籍をしています。
そして2004年は、赤穂ひまわりさんが小学生になるくらいのタイミング。
おそらく大阪府枚方市で保育園・幼稚園時代を過ごしていると思われますが、どれくらい覚えているのでしょうね。
赤穂ひまわりの実家はお金持ち?
赤穂ひまわりさんの実家は一般的なご家庭である可能性が高いと思われます。
その理由は以下の通り。
- 父親は元プロバスケットボール選手、現在は教員
では、詳しく見ていきましょう。
父親は元プロバスケットボール選手、現在は教員
プロバスケットボール選手だったら高収入が見込めるのではないかと思う方も多いのではないでしょうか。
バスケットボールは完全にプロ化されたのはbリーグになってから。
それまでは、会社員ともプロバスケットボール選手とも言い切れない曖昧な立場にあったのです。
(プロ契約の選手は除く)
他のとある競技の場合は、
- シーズン中は選手として活動、たまに出社
- シーズンオフは午前中に出社、午後から練習
- 給料は社員扱い
というものだったそうです。
おそらく、バスケットボールに関しても同様だったと思われるので経済状況は一般的な家庭と変わらなかったと思われます。
選手引退後は石川県の教員となっているため、ある程度安定した収入があることも見込まれます。
ある程度の収入があっても、子どもたちの下宿費用でかなり出費をしていたのではないでしょうか。
上記の情報を総合すると、赤穂ひまわりさんの実家は一般的なご家庭と考えて間違いないでしょう。
しかし、赤穂ひまわりさんが幼少期の頃に自宅で撮られたという1枚を見てみると、家も庭も広い一軒家であることが分かります。
(上)赤穂さくら、(中)赤穂ひまわり、(下)赤穂雷太
プロバスケットボール選手であった頃に遠征手当てなどがあり、一般的な会社員より収入があったのかもしれませんね。
赤穂ひまわりの実家の両親(父・母)はどんな人?
赤穂ひまわりさんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
赤穂ひまわりの父親はユニバーシアード銀メダリスト!
赤穂ひまわりさんの父親は元プロバスケットボール選手の赤穂真(あかほ・まこと)さん。
(左)赤穂さくら、(中)赤穂真、(右)赤穂ひまわり
赤穂真さんのプロフィールや経歴を簡単にまとめてみました。
- 身長:196cm
- 神奈川県横浜市出身、53歳(2024年7月現在)
- 高校:相模工大高校(現・湘南工科大学附属高校)
- 大学:日本体育大学
- 所属チーム:住友金属→松下電器→石川ブルースパークス
- 代表:福岡ユニバーシアード準優勝(1995年)
- 受賞歴:オールジャパンベスト5(1995年)
選手を引退された後は、石川県の教員となられているようです。
ちなみに、赤穂真さんは大人気マンガ「スラムダンク」のゴリこと赤木剛憲のモデルなんだそうです!
確かに、
- 名前が赤木(赤が入っている)
- 身長が197cm(赤穂真さんは196cm)
と、ザッと見ただけでも共通点ありますね。
赤穂ひまわりの母親は大学MVP
赤穂ひまわりさんの母親は元バスケットボール選手の赤穂久美子(あかほ・くみこ)さん。
赤穂久美子さんのプロフィールと経歴を簡単にまとめてみました。
- 身長:173cm
- 大学:日本体育大学
- 得意技:3ポイントシュート
- 受賞歴:インカレMVP
- 旧姓:政浦
プロバスケットボール選手として活動できるレベルにありながら、バスケットボールを続けなかった理由について赤穂久美子さんは
私は大学まででやり切りました。
そこから先はバスケットをやる気にはなれなくて
と語っています。
赤穂ひまわりさんたちの活躍を観ていると、赤穂久美子さんがプロバスケットボール選手になったらということを考えてしまいますね。
母親としての赤穂久美子さんについては、厳しさと優しさを上手に使い分けるタイプのようです。
厳しさと優しさを使い分けたエピソードは、後で詳しく紹介します。
赤穂真さんとは、
- 日体大の同級生
- お互いにバスケ部キャプテン
という関係にあり、学内では名物カップルだったそうです。
バスケ部キャプテン同士かつ長身であれば、名物カップルになるのも必然ですよね。
赤穂ひまわりの両親のエピソードも紹介!
赤穂ひまわりさんと両親のエピソードについて調べてみました!
バスケをするよう強要はせず、丈夫な体を作ることが最優先事項
両親ともにバスケットボール選手でありながら、子どもたちに幼い頃からバスケットボールを強要することはしませんでした。
その理由を赤穂久美子さんは
バスケがイヤになってほしくなかったんです。
と語っています。
続けて、遺伝的に身長が高くなると予想した赤穂家の子育ては
能登のお陽様をたっぷり浴びて丈夫な骨を作り、よく食べて、よく寝る子に育てたいと思っていました。
と、技術よりも能登の自然を活かした練習に耐えうる丈夫な体作りを最優先にしていたとのこと。
「技術は後からどうとでもなる」という考え方は、経験者ならではなのかもしれませんね。
バスケットボールを強要しなかったと紹介しましたが、赤穂ひまわりさんにとっては強要されたも同然だったようです。
赤穂ひまわりさんは、バスケットボールを始めた時のことを
(姉と兄のミニバスの練習に)ひまわりも連れて行くと親から言われ、すっごい嫌々始めました
と語っています。
このようになったのは、1人で留守番させるわけにのいかなかったため。
強要しないといっても、やはり環境が必然的にそうさせてしまうようです。
礼儀や作法に厳しく、勉強も妥協は許さない
赤穂久美子さんは、子どもたちに厳しく礼儀や作法を教えていました。
厳しくした理由を
応援してもらえる選手になってほしくて、私生活もきちんとさせた
と語っています。
- 挨拶
- 人との接し方
- 箸の使い方
など、人と接する際に必要となる全ての礼儀や作法を厳しくしつけたようです。
箸の使い方について、地元石川県七尾市の寿司店の方は
箸使いにも大物になる片りんを感じさせた
と、小学生だった赤穂兄弟が器用に箸を使い、みそ汁の白身魚をきれいに骨だけ残したというエピソードを交えて語っています。
赤穂久美子さんの厳しいしつけは礼儀や作法だけではなく、勉強面もでした。
「遊ぶのは宿題を終えてから」というのが、赤穂家のルール。
赤穂ひまわりさんの幼なじみは赤穂家のことを
赤穂家は厳しい家という印象。
勉強もよくできて真面目。
と語っており、文武両道を体現したその厳しさはとても有名だったようです。
「応援してもらえる選手になってほしい」という思いは、赤穂真さんが休部による移籍を2度経験しているところからきているのかもしれませんね。
技術面の指導はしないけど、手を抜いたら注意する
赤穂ひまわりさんの両親は共にバスケットボール経験者でありながら、子どもたちに技術面での指導はしていなかったそうです。
経験者だからこそ、技術面での口出しをしないという道を選んだのかもしれません。
その代わり、手を抜いた時は注意をしていたそうです。
これについては、経験者だからこそ手を抜きたくなる部分が分かっていたのでしょう。
赤穂ひまわりさんたちからしたら「何で分かる!?」となっていたかもしれませんね。
中学時代の仕送りは七尾市で取れた魚
中学・高校と下宿をしていた赤穂ひまわりさん。
七尾市が恋しくなったこともあったのだとか。
赤穂ひまわりさんは七尾市での生活を
自然はお金を出しても買えない。
七尾の生活はぜいたくだったと気付いた。
と母親の赤穂久美子さんに話していたそうです。
七尾市が恋しくなった子どもたちに赤穂久美子さんは、下宿先に七尾市で取れた魚を仕送りしていたそうですよ。
赤穂ひまわりさんの両親は、
- バスケットボールを嫌いにならないよう強要はしない
- 技術面の指導はしないけど、やりたいことの環境を整える
という教育方針だったようですね。
大学時代からの付き合いがあるご両親なので、そのあたりの細かい加減は阿吽の呼吸な部分もあるのかもしれません。
赤穂ひまわりの兄弟姉妹も調査!
赤穂ひまわりさんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
赤穂ひまわりの兄弟は4兄弟!!
赤穂ひまわりさんには姉が1人、双子の兄が1人、妹が1人おられます。
赤穂ひまわりさんを含めた兄弟構成は以下の通り。
長女:さくら(2歳年上)
長男:雷太(双子の兄)
次女:ひまわり
三女:かんな(3歳年下)
それぞれ、詳しく見ていきましょう。
赤穂ひまわりと同じチーム所属の姉・赤穂さくら
赤穂ひまわりさんの2歳年上の姉は、デンソーアイリス所属の赤穂さくら(あかほ・さくら)さん。
赤穂さくらさんの経歴を簡単にまとめてみました。
- 中学:昭和学院中学校
- 高校:昭和学院高校
- 高3の時、インターハイとウィンターカップで準優勝
- 日本代表としてアジア大会出場(2014年)
- 受賞歴:Wリーグ新人王(2016年)※赤穂ひまわりは2018年に同賞を受賞
赤穂ひまわりさんが中学生の頃、赤穂さくらさんとの仲はとても悪く、言い合いになることが多かったそうです。
今でもケンカをすることがあるのだとか。
本当に嫌いあってのケンカではなく、お互いに熱くなってケンカになってしまうようですよ。
赤穂ひまわりの双子の兄・赤穂雷太
赤穂ひまわりさんの双子の兄は、秋田ノーザンハピネッツ所属の赤穂雷太(あかほ・らいた)さん。
赤穂雷太さんの経歴を簡単にまとめてみました。
- 中学:石川県七尾市立七尾東部中学校
- 高校:千葉県船橋市立船橋高校
- 大学:青山学院大学
- 横浜ビー・コルセアーズ(アマチュア契約)→千葉ジェッツ船橋→横浜ビー・コルセアーズ→秋田ノーザンハピネッツ
赤穂ひまわりさんと赤穂雷太さんは、お互いに隠し事がないというくらいに仲良しなんだそうです。
とはいうものの、赤穂雷太さんには隠し事があったようで
ひまわりが家を出る(下宿する)時に置いてった貯金箱に入ってたお金を使った
と告白。
赤穂ひまわりさんは貯金していたこと自体を覚えていなかったようでした。
赤穂ひまわりの所属チームマネージャーの妹・赤穂かんな
赤穂ひまわりさんの3歳年下の妹は、デンソーアイリスのマネージャー赤穂かんな(あかほ・かんな)さん。
赤穂かんなさんの経歴を簡単にまとめてみました。
- 高校:石川県立津幡高校
- 大学:日本体育大学
- デンソーアイリスにマネージャーとして入団
赤穂かんなさんはデンソーアイリスにマネージャーとして入団した理由を
同じチームになって姉たちを支えたかった。
と語っています。
大学まで選手としてやってきた赤穂かんなさん。
マネージャーになるという大きな決断の理由に、姉たち挙げられていることにきょうだいの絆の深さが感じられますね。
4人の兄弟関係について、赤穂ひまわりさんは
さくらはジャイアン並みにボスでやばかった。怖かった。
下の三人は仲間でさくらと戦っとった感じ。
と語っています。
兄弟の力関係が分かるコメントを赤穂雷太さんもしています。
四人兄弟のうち男は自分一人で、いじめられていた。
女の子の方が口がうまい。
口で負けるなら手を出したくなるのが子ども。
赤穂雷太さんは、子どもながらにジレンマを抱えていたことも語っていました。
力は男が強いけど手を出したら親が怒るから手を出さないと、論破されちゃうから自分の意見は言えなかった。
先ほどの赤穂真さんの写真もそうでしたが、赤穂家での男性陣の立場が狭いことがよく分かりますね。
まとめ
今回は赤穂ひまわりと雷太は双子!父母など実家の家族や兄弟も全部まとめた!
という事で、赤穂ひまわりさんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 赤穂ひまわりさんの実家は石川県七尾市、出生地は大阪府枚方市の可能性が高い
- 赤穂ひまわりさんの実家は一般的な家庭である可能性が高い
- 赤穂ひまわりさんの父親は赤穂真、元プロバスケットボール選手で現在は石川県教員
- 赤穂ひまわりさんの母親は赤穂久美子、元プロバスケットボール選手、旧姓は政浦
- 赤穂ひまわりさんの姉は2歳年上の赤穂さくら、デンソーアイリス所属
- 赤穂ひまわりさんの兄は双子の赤穂雷太、秋田ノーザンハピネッツ所属
- 赤穂ひまわりさんの妹は3歳年下の赤穂かんな、デンソーアイリスのマネージャー
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。