俳優で活躍される傍ら、ロックバンドのリードヴォーカルも務めている大森南朋(おおもりなお)さん。
「龍馬伝」や「ちむどんどん」、「Dr.コトー診療所」など数々の人気作品に出演されました。
そんな大森南朋さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は大森南朋の父は舞踏家の麿赤兒!母や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、大森南朋さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
大森南朋の実家はお金持ち?
まずは大森南朋さんの実家について調べてみました!
大森南朋の実家の場所は東京都杉並区阿佐ヶ谷?
大森南朋さんの実家の場所は、東京都杉並区の阿佐ヶ谷周辺ではないかと噂されています。
そう考えられる理由として、大森南朋さんの父親の麿赤兒(まろあかじ)さんのインタビューがあります。
麿赤兒さんは俳優業を営んでおり、当時の稽古場は大森で自宅が阿佐ヶ谷ということで、往復している時間も惜しく稽古場に寝泊まりする機会が増え、徐々に自宅に帰ることが少なくなったという内容でした。
実際に、大森南朋さんの兄である大森立嗣(おおもりたつし)さんは父親のことを「たまに現れる、怖くてめんどくさい男の人」だったと発言しています。
現在の実家の場所は不明ですが、上記から実家の場所は阿佐ヶ谷周辺だったのではないかと考えられます。
大森南朋の実家はお金持ち?
大森南朋さんの実家がお金持ちだった可能性は低いと考えられます。
そう考えられる理由として、
- 両親が幼い頃に離婚して、母親に育てられている
- 結婚当初も旦那はお金のない劇団員だったため、妻も働いていた
- 出身高校も、国公立出身(大成高等学校)※噂レベル
ということで、特別にお金持ちのエピソードはなかったためです。
有名芸能人の子どもとなると、豪邸の実家やお坊ちゃま学校の出身、自宅に停められた高級車の情報などお金持ちを連想させるエピソードがあることも多いですが、大森南朋さんの実家に関してそういった情報は特にありませんでした。
以上から、大森南朋さんの実家が特別にお金持ちであった可能性は低いと言えるでしょう。
大森南朋の実家の両親(父・母)はどんな人?
大森南朋さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
大森南朋の父親は俳優の麿赤兒!
大森南朋さんの父親は、俳優で舞踏家の麿赤兒(まろあかじ)さんで、本名は大森宏(おおもりひろし)さんです。
プロフィールはこちら。
- 氏名:麿赤兒
- 本名:大森宏
- 生年月日:1943年2月23日(24年4月時点:81歳)
- 職業:俳優、舞踏家、演出家
- 活動期間:1964年ー現在
有名な出演作品としては、
- ドラマ:太平記
- ドラマ:武蔵 MUSASH
- NHK連続テレビ小説:ふたりっこ
- NHK連続テレビ小説:オードリー
- 時代劇ドラマ:水戸黄門
など、多数の有名作品に出演しております。
過去に、
- 舞踊評論家協会賞(1974年、1987年、1996年、1999年、2008年)
- 文化庁長官表彰賞(2006年)
- 第1回種田山頭火賞(2018年)
など、数々の受賞経歴を誇ります。
写真をよく拝見すると、大森南朋さんと目鼻や口元などのパーツがそっくりに見えますね!
仕事が生きがいの性格で、稽古場で寝泊まりをするほど家族よりも舞台や舞踏を優先してしまう性格だったようです。
息子である大森南朋さんとは、2011年の「まほろ駅前多田便利軒」という映画で共演しており、親子でもお互いの出演作品を見合ったりするとのこと。
親子で同じ業界で働いているとあえて距離を取ったりする親子もいますが、大森親子はお互いの作品も見合ったりしているということで、より仲の良さが伝わってきますね!
大森南朋の母親は強烈な個性を持つ小林桃枝!
大森南朋さんの母親は、小林桃枝(こばやしももえ)さん(※旧姓)です。
年齢は麿赤兒さんの3つ下のようですので、24年4月時点で79歳くらいだと考えられます。
桃枝さんは一般の方で若い頃は新宿にある「風月堂」という喫茶店でアイドル的存在として活躍されていたとか。
桃枝さんの若い頃の写真がテレビで公開されていました。
まさに美人という言葉がぴったりな綺麗な顔立ちの印象ですね!
桃枝さんは「風月堂」の常連だったそうで、その美貌から女優や歌手に間違えられることもあったそうで、当時は「風月堂の女王」や「ダダ」と呼ばれていたそうです。
桃枝さんが「ダダ」と呼ばれていた理由についてですが、桃枝さんの性格は社会の常識にはとらわれないタイプで、自由に生きるタイプの性格だったそうです。
第一次世界大戦中に欧米で起きた芸術運動に「ダダイズム(秩序や常識を否定する芸術活動)」という活動があり、そこからダダという言葉は生まれたようです。
ダダイズムはそれまでの常識や秩序を否定し破壊する運動のため、桃枝さんは誰もが真似できない「強烈な個性」を持っていたということが考えられるでしょう。
そんな桃枝さんですが、風月堂に出入りする麿赤兒さんをイケメンだと感じ、声をかけたことがきっかけで交際に発展したそう。
今でいう逆ナンということかも知れませんね。
桃枝さんが23歳の頃に新宿の雑居ビルでダダというバーを開き、24歳で結婚しています。
45歳の頃はダダというインド雑貨店を営んでいるという情報もありました。
結婚当時は麿赤兒さんはお金がない劇団員のため、桃枝さんも共働きで家計を助けたそうです。
麿赤兒さんは子育てはそっちのけで仕事を優先する性格だったこともあり子どもたちが幼い頃に離婚、桃枝さんが1人で子どもたちを育て上げたと言われています。
社会の常識に捉われず自由に生きる性格がありながらも、女手一つで2人の息子を立派な人物にまで育て上げたのですから、芯のある強い女性であることは間違いないと感じました!
大森南朋の両親のエピソードも紹介!
大森南朋さんのご両親のエピソードをご紹介しますね。
年齢を重ねるごとに父親に似てきた!
大森南朋さんは、2023年7月10日に以下の親子画像を投稿しています。
また、この写真に対し、
抗えないことってあるよねぇぇ
とコメントされていました。
顔立ちや雰囲気が驚くほどにそっくりですよね!
過去に大森南朋さんは幼少期のほとんどを父親と一緒に過ごしていないが、30歳くらいからゆっくりと時間をかけ、親子関係を取り戻してきたと話しています。
大森南朋さんが幼少期に離婚しているため母子家庭で育ち、月に何回か喫茶店で会う関係だったようです。
幼少期から父親として接してもらうことはほとんどなかったものの、年を重ねるにつれて父親に似てきていることを感慨深い気持ちで受け止めている大森南朋さんの深い気持ちが感じられるエピソードですね。
父親の一言をきっかけに俳優に道に進んだ!?
高校では、バンド活動に没頭し卒業後もふらふらとしていた大森南朋さん。
そんな息子を見かねた父親が「役者になる気はあるか?」と声をかけたことがきっかけで、俳優の道に進んだそう。
当時のことを、大森南朋さんは、
ふらふらしているから、「ちょっとうち来い」と言って、役者になる気あるか、って言われて「いいよ~」とか、ありましたね。
と振り返っています。
普通は父親から言われても、自分なんて役者に向いているのか?などのマイナスの反応を示しそうですが、「いいよ~」と2つ返事で答えているあたりが、後の大森南朋さんの力量や度量を表していそうなエピソードですね。
父親は息子が幼少期の頃に家を出ている!
過去のインタビューで父親の麿赤兒さんは以下のように答えています。
Q.長男が映画監督の大森立嗣さんで次男が俳優の大森南朋さん。南朋さんは、本当に人気の役者さんでデキの良い息子さんが2人もいらっしゃいますよね?
だからよく「お前は親の七光りじゃなくて、子の七光りだな」って言われますよ。
Q.役者の先輩として息子たちに何か言ったりするんですか?
この世界は、女や薬の問題があるのでそれはやるなよとは言いますが、何も言いませんね。ほとんど教育みたいなことは何もしていないですね。2人が子どもの頃に家、出ちゃってますから。
とも答えています。
このお話から、父親の麿赤兒さんは息子たちが幼少期の頃に自分が家を出てしまい、何も教育をしてやれなかったにも関わらず、立派に成長してくれたことを喜んでいる気持ちが伝わってきますね。
母親の常識に捉われないエピソードとは?
母親の桃枝さんに関して、大森立嗣さんは以下のようにコメントしています。
母親は近所の不良みたいな子たちに寛容でした。そういう子たちとは普通は付き合うなと言うんですけど、「そういう子たちをむしろ呼びなさいよ」みたいな感じはありました。
常識の捉われない性格で、桃枝さんが経営されていたバーである「ダダ」もそういう方たちが集まる人気のお店だったということで、見かけだけではなく、人間の本質を見ようとする桃枝さんの寛容さが伝わるエピソードですね!
両親とも錚々たる家系の出身だった!?
大森南朋さんの父親である麿赤兒さんの先祖は、加賀藩前田家の筆頭家臣に仕えた武士だそうです。
また、祖父は海軍の参謀まで務めた軍人だったとのことで、激戦地で壮絶な最期を遂げていたとのこと。
また、母親である小林桃枝さんの曽祖父は、日本で初めて普通選挙運動をした団体の幹部というだけではなく、講談本を編集して出版し、芥川にも影響を与えたということで、両親とも錚々たる家系の出身だそうです。
兄弟2人とも俳優や映画監督をこなすという類まれな才能を発揮している大森兄弟ですが、両親の先祖たちを探ってもやはり素晴らしい経歴を誇る家系だったということがわかるエピソードですね!
大森南朋の兄弟姉妹も調査!
大森南朋さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
大森南朋の兄弟は2歳上の兄!!
大森南朋さんには2歳上の兄がおられます。
大森南朋さんの兄は、俳優で映画監督の大森立嗣(おおもりたつし)さんです。
プロフィールはこちら。
- 氏名:大森立嗣
- 生年月日:1970年9月4日(24年4月時点:53歳)
- 身長:172cm
- 職業:俳優、映画監督
大森南朋さんの兄も、映画監督や俳優を生業とされています。
大森立嗣さんは、監督として「さよなら峡谷」や「日日是好日」を担当し、過去に大森南朋さんと父親が共演した「まほろ駅前多田便利軒」では、監督を務められていました。
大森南朋さんとの関係については仲が悪かった時期があったものの、年齢を重ねるにつれて少しずつ距離が近くなり、食事に出かけるようになったそうです。
大森南朋さんは、兄との関係について、
どちらかが死んだ時は葬式に行くんだろうなという「切っても切れない関係」だと捉えている。
と話していました。
ちなみに、撮影現場では大森南朋さんは兄に対し、敬語で話しているそう。
兄弟のため切っても切れない関係であることは認めつつも、仕事とプライベートはしっかり区別しようとする大森南朋さんの真面目な一面が垣間見れるエピソードですね。
まとめ
今回は大森南朋の父は舞踏家の麿赤兒!母や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、大森南朋さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 大森南朋の実家がお金持ちだった可能性は低い
- 大森南朋の父親は俳優の麿赤兒
- 大森南朋の母親は小林桃枝(旧姓)で強烈な個性を持っていた
- 大森南朋の両親は幼少期の頃に離婚している
- 大森南朋が俳優の道に進んだのは父親の一言があったから
- 大森南朋の兄は映画監督で俳優の大森立嗣
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。