「小さな巨人」の愛称で、パワフルな柔道スタイルが特徴の永山竜樹(ながやまりゅうじゅ)さん。
パリオリンピックの柔道男子60キロ級では、銅メダルを獲得されました。
そんな永山竜樹さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は永山竜樹の父親・修は柔道経験者でスパルタ教育だった!母や兄弟も調査!
という事で、永山竜樹さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
永山竜樹の実家はお金持ち?
まずは永山竜樹さんの実家について調べてみました!
永山竜樹の実家の場所は北海道美唄市!
永山竜樹さんの実家の場所は、北海道美唄市だと言われております。
そう言われる理由としては、
- ご出身:北海道美唄市
- 出身小学校:美唄市立峰延小学校(北海道美唄市峰延町)
ということで、北海道美唄市に非常にゆかりのある生活をされているためです。
さらに、父親が経営する会社の所在地も「北海道美唄市字光珠内1924番地25」なんだとか。
以上から、永山竜樹さんの実家は北海道美唄市の可能性が極めて高いと言えるでしょう。
永山竜樹の実家はお金持ち?
永山竜樹さんの実家はお金持ちではないかと言われているようです。
というのも、後ほど紹介しますが、
- 父親は、(有)北修の代表取締役社長である
- (有)北修の年商は数億円と言われている
ということが影響しているようです。
しかしながら、実家が豪邸な様子が分かる情報まではありませんし、父親の前職はトラック運転手だったとのこと。
以上を考えると、永山竜樹さんの実家はお金持ちの可能性はありますが、断定できる情報はないと言えるでしょう。
永山竜樹の実家の両親(父・母)はどんな人?
永山竜樹さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
永山竜樹の父親は修!
永山竜樹さんの父親は、修(しゅう)さんと言います。
永山竜樹さんが幼少期の頃の、父子の2ショットもありました。
父・修さんは、24年8月時点で50歳のようで、23歳の時に永山竜樹さんが誕生されたということになりますね!
当時はトラック運転手として働かれていたようですが、現在は(有)北修の代表取締役社長のようです。
どうやら、永山竜樹さんは4歳から柔道を始められたそうで、当時は身体も小さく思うように勝てなかったことが悔しかった父・修さん。
息子を強くするために、自らも柔道を始め、息子の指導のために毎日5時間の練習で柔道初段の黒帯になられたそうです。
さらに、永山竜樹さんをサポートするために、労働時間が長いトラック運転手を退職。
自分で会社を立ち上げ、ストイックに会社を成長させ年商数億円にまで成長させたようです。
永山竜樹さんは練習の鬼とも言われるほどストイックな性格のようですが、父親のDNAが受け継がれているのかもしれませんね!
永山竜樹の母親は郁美!?
永山竜樹さんの母親は郁美さんという方ではないかと言われているようです。
そう言われる理由は、父親が経営する会社の取締役に「永山郁美」という女性の名前があるからなんだとか。
苗字が同じなため、家族である可能性が高いですし、おそらく永山竜樹さんの母親ではないかなと想像できます。
確かな情報まではありませんでしたが、永山郁美さんは会計などの仕事を担当されているのかもしれませんね!
きっと父親と同じく、息子の柔道や家庭を献身的にサポートしてきたに違いないでしょう。
永山竜樹の両親のエピソードも紹介!
永山竜樹さんの両親のエピソードを紹介します。
父・修はスパルタ教育だった!
父親からの厳しい指導に明け暮れていた永山竜樹さんですが、中学の頃に父親に対して意見も言えなくなってしまったんだとか。
さすがにそこまでなってしまうと今後の成長に影響するということで、中学は親元を離れて柔道の名門「大成中学」へ進学。
試合の時は父親も会場まで駆け付けるなど、サポートに徹していたようです。
練習の時は厳しかった父に対して、感謝の気持ちがあるという永山竜樹さんは、
父親にオリンピックの金メダルを渡すことが目標です!
と、中学校の作文にも書いていたようです。
そこまでの大きな目標を抱えていたこともあって、父親は息子に厳しい指導をしていたのかもしれませんね。
今では、銅メダルを獲得するまで成長され、父親としても息子を誇りに思っていることでしょう。
いつの日か、父親にオリンピックの金メダルをかけてあげて頂きたいですね!
父・修はかなりの負けず嫌い!
父・修さんは学生時代に柔道の経験がある訳ではなく、息子に柔道を教えるために黒帯まで取得されたようです。
というのも、父・修さんはかなりの負けず嫌いのようで、息子が試合に負けるのが悔しくてたまらなかったそうです。
この写真からも、父親が本当に悔しがっている様子が伺えますよね!
息子に父親自らが柔道を教えられるように、働きながら1日5時間の練習を積み、黒帯まで取った父・修さん。
負けず嫌いな性格に加え、行動力も相当なものを感じられますよね!
その後は、父親の我流の稽古が始まったとのこと。
父親の考えとしては、自分よりも大きな相手にはこちらから仕掛けなければ倒すことはできないというもの。
つまり、「やられる前にやれ」というのが、小柄な息子に伝えた必勝の心得だったそうです。
父・修さんは当時のことについて、
「ずっと厳しくしてきたので、自分の気持ちを内に秘める子になってしまったかもしれない」
と思いながらも、心を鬼にして息子に柔道を教えてきたようです。
いつの日か、永山竜樹さんの夢である「父に金メダルを渡すこと」を実現して欲しいですね!
父・修は息子の試合を見なくなった!?
永山竜樹さんでもスランプに入るときはあったようで、2021年の世界選手権で敗戦したときのこと。
父子で言い争いになってしまったようで、父親は「負けて恥ずかしいぞ」と言ったところ、
素人に言われたくない!
と言い、これをきっかけに父・修さんは息子の試合を見なくなったんだとか。
そして、国内外でも連敗が続いた23年春に、永山竜樹さんは父親に、
勝ち方がわからなくなった。
と、1年半ぶりに父親と柔道の話をしたそうです。
すると、父親は「柔道を忘れて海外に行ってこい」と言い、1か月ほど単身で渡仏し、現地の柔道教室に通ったそうです。
このことが、見失ってしまっていた自分の持ち味である「攻めの柔道」を取り戻すきっかけになったんだとか。
やはり、幼少期から息子のことを見続けていた父親のアドバイスは的確ということでしょうね!
永山竜樹の兄弟姉妹も調査!
永山竜樹さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
永山竜樹の兄弟は弟1人と妹1人!
永山竜樹さんには弟1人と妹1人がおられます。
弟は冬愛(とあ)さんと言い、ジンギスカン店「Caen」を経営しているとのこと。
以下の、色紙を持っている男性が弟・冬愛さんのようです。
ちなみに、幼少期の弟との2ショットもありました。
パリオリンピック前には、親族や知人が集まり激励会も行われたようです。
過去には、弟・冬愛さんは兄に対して、
「明日はちょー久々に竜樹の試合が見れる。しっかり見て学ぶぞー!!」
「ちくしょー、竜樹くそ強くなってる。背負い上手かったなぁ、とりあえず東アジア優勝おめでとう!」
などと投稿しており、兄への尊敬の気持ちが感じられます。
そんな弟・冬愛さんですが、同じく大成高校の柔道部に所属されていたようです。
今では、別に道に進まれていますが、兄の背中を見てずっと柔道を頑張ってきた様子が伺えますね。
次に、妹・樹愛さんは永山竜樹さんより10歳以上下のようです。
永山竜樹さんのSNSに、妹・樹愛さんが紹介されていました。
久しぶりに妹に金メダルをかけてあげられました!
とコメントしており、妹のことを普段から可愛がっている様子も伺えますよね。
妹が柔道をやっているかどうかは不明ですが、妹としても強いお兄ちゃんで心強いに違いないでしょうね!
まとめ
今回は永山竜樹の父親・修は柔道経験者でスパルタ教育だった!母や兄弟も調査!
という事で、永山竜樹さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 永山竜樹の実家の場所は北海道美唄市だと言われている
- 永山竜樹の実家はお金持ちだという噂もあるが、断定できる情報まではない
- 永山竜樹の父親は修と言い、元トラック運転手だったが、今では(有)北修の代表取締役社長になっている
- 永山竜樹の母親は郁美という女性ではないかと、父親が経営する会社の役員名から言われている
- 永山竜樹には、弟・冬愛と妹・樹愛がおり、3人兄弟の長男だった
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。