テレビディレクター、ドキュメンタリー映画監督の信友直子(のぶともなおこ)さん。
ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を発表し、大ヒットを記録しました。
そんな信友直子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は信友直子の父は現在103歳!母親や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、信友直子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
信友直子の実家はお金持ち?
まずは信友直子さんの実家について調べてみました!
信友直子の実家の場所は広島県呉市!
信友直子さんは広島県呉市の出身であることを公表しています。
広島県呉市は信友直子さんが監督の映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の舞台にもなりました。
呉観光協会によって信友直子さんの縁の地を紹介するマップも作られたようですよ。
そんな信友直子さんの卒業した学校を以下にまとめました。
学校名 | 住所 |
呉市立五番町小学校(現:呉市立呉中央小学校) | 広島県呉市西中央4丁目10−52 |
呉市立片山中学校 | 広島県呉市東片山町13番5号 |
広島大学附属高校 | 広島県広島市南区翠一丁目1番1号 |
東京大学 | 東京都文京区本郷7丁目3−1 |
小学校と中学校まで呉市の学校に通っていたことがわかります。
高校からは市外の広島大学附属高校に通いました。
当時、信友直子さんは実家から高校に通っていました。
片道2時間もかかっていたそうなので、かなり大変だったでしょうね。
その後、現役で東京大学文学部に合格。
それを機に上京しました。
当時、呉から東京の大学へと進学する女性はほとんどいなかったため、周囲から驚かれたそうです。
卒業後は森永製菓に入社。
現在ではフリーディレクターとして、主にフジテレビでドキュメンタリー番組を手掛けています。
以上をまとめると、信友直子さんは広島県呉市の出身であると言えそうです。
ときどき呉市には帰ってきており、東京と呉市の両方を住まいとしているそうですよ。
信友直子の実家はお金持ち?
信友直子さんの実家がお金持ちという可能性は低そうです。
根拠は以下の2点です。
- 幼少期にお金持ちの趣味に手が出せなかった
- 両親は戦争を経験している
それぞれの根拠について紹介します。
幼少期にお金持ちの趣味に手が出せなかった
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は信友直子さん自身がご両親を映像におさめた作品です。
しかし幼少期はビデオカメラはおろか、フィルムカメラでさえも買えない経済状況だったようです。
当時を振り返り、信友直子さんは
写真も今とは違って、フィルムだから現像するにもお金がかかるし、お金持ちの子の趣味だったんですよ
と語っています。
考えた結果、信友直子さんは鉛筆で文章を書くことによって創作活動をしていたとか。
その経験がディレクターや監督としての表現に活きているのでしょうね。
両親は戦争を経験している
信友直子さんのお父さんは戦争をご経験されています。
その当時について「わしらは戦争も経験したし、食糧難で飢え死にしそうな目にも遭うとるけん、たいがいのことには驚かんのよ」とも語っています。
当時、学者になるという夢を抱えていた信友直子さんのお父さん。
しかし父を亡くし、実家の面倒を見なければならないために夢を諦めたそうです。
さらに太平洋戦争の開始に伴い召集。
戦後は地元の食品会社に勤め、定年まで働きました。
また信友直子さんも戦後に父を亡くし、家族を養うために働かざるをえなかったようです。
戦争が無ければ、2人の人生はもっと別のものだったのではないでしょうか。
ここまでの情報を見ても、信友直子さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。
戦争で人生が大きく変わってしまった信友直子さんのご両親。
だからこそ、映画での2人の幸せな姿に心打たれるのかもしれません。
信友直子の実家の両親(父・母)はどんな人?
信友直子さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
信友直子の父親は現在103歳!
信友直子さんの父・信友良則さんは現在103歳でご存命です。
良則さんは1920(大正9)年生まれ。
英語を学ぶのが好きで、旧制三高(現:京都大学)へ進学し、言語学を専攻したかったそうです。
しかしその矢先に父が死去。
妹2人の面倒を見るため、その夢を諦めることになりました。
その後、太平洋戦争に召集。
陸軍で炊事洗濯を叩き込まれた経験があるため、
わしと同じくらいの年の男は、やろうと思えば家事はできるんじゃ
と語っています。
戦後は地元の食品会社で経理として勤めました。
再雇用の誘いもありましたが、それをきっぱりと拒否。
定年後はラジオの語学講座を聞くのを楽しみにしているそうですよ。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』では認知症の妻のために奮闘する姿が感動を呼びました。
信友直子の母親は91歳で死去
信友直子さんの母・信友文子さんは2020年に91歳で亡くなりました。
文子さんは1929(昭和4)年生まれ。
戦後に父を亡くし、家族を養うために簿記を勉強。
会計事務所に勤めました。
文子さんも信友直子さんと同様に、何かを表現することに興味があったといいます。
そんな母親のことを、信友直子さんは
表現することに興味のあった母は、もし時代が違ったら何かものを作る人になっていたでしょうね
と振り返りました。
その後、30歳で良則さんとお見合い結婚。
その2年後に信友直子さんが誕生します。
2014年にアルツハイマー型認知症と診断。
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が公開される直前の2018年9月には脳梗塞も発症してしまいます。
2022年にはその続編となる『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜』が公開。
2020年に信友直子さんが文子さんを看取る様子がありのままに映し出されています。
信友直子の両親のエピソードも紹介!
ここからは信友直子さんとご両親のエピソードを紹介していきます。
両親の唯一の教育方針
信友直子さんのご両親は家庭の事情や戦争が原因で夢を諦めたという共通点を持っています。
そういった経験もあってか、娘に対する唯一の教育方針が「好きなことをしなさい」だったといいます。
自分たちの経験からか、「好きなことをしなさい」というのが両親の唯一の教育方針。広島を出て東京の大学に進学したことも、その後の進路も、反対されたことは一度もありません
信友直子さんが学生だった頃は、女性は地元に嫁ぐという風潮が強かったそうです。
ご両親のこの教育方針が無かったら、信友直子さんの人生もまた違ったものになっていたかもしれませんね。
認知症の母を撮り続けた理由
信友直子さんがご両親を撮影し始めたのは、実は20年も前になります。
仕事用のハンディカムカメラの練習として撮影を始めました。
最初はご両親も緊張している様子でしたが、次第に慣れてきたといいます。
信友直子さんが2007年に乳がんを発症した際、好奇心で自身を撮影していたこともありました。
気がつくとディレクター目線になってしまい、
引きで撮ったほうが臨場感が出る
と考えることもあったそう。
その際には文子さんも上京して支えてくれたそうです。
当時の映像には娘を元気づけようと笑わせる文子さんの姿も映っているとか。
そんな文子さんの異変に気がついたのは2012年の春。
明らかに物忘れが増え、症状は次第に進行していきます。
母のそんな様子を撮るのは、母を傷つけることになってしまうのではないか。
そう思って信友直子さんは実家にカメラを持っていかなかったそうです。
しかしある時、母がふと
あんた最近、ビデオで撮らんね。お母さんがおかしゅうなったけん、撮らんようになったの?
と聞いてきました。
その言葉に信友直子さんは、母にとっては妙に気を使われたほうが傷つくのだと気が付き、それをきっかけに撮影を再開したそうです。
複雑な心境を抱えながらも、母を傷つけまいとする信友直子さんの行動は立派ですね。
信友家にとってもっとも厳しい時期
2014年に再検査をすると、文子さんはアルツハイマー型認知症と診断されます。
実家に帰ることも考えた信友直子さんですが、良則さんは
わしが元気なうちは、おっかあはわしが見るけん。あんたはあんたの仕事をしんさい
と答えます。
そして映画で映し出された老老介護の日々が始まりました。
家事をするようになった良則さんですが、文子さんに気を遣わせないよう、
信友家は一軒しかないんじゃけん、あんたがきれいにしても、わしがしても一緒よ
と声をかけます。
また文子さんの記憶があいまいになったときも、
あんたが忘れとることもわしが覚えとるけん、何でも聞きんさい
と慰めていたそうです。
良則さんの優しさと夫婦の絆の深さが見えてくるようですね。
しかしその当時を振り返り、信友直子さんは
信友家にとって、もっとも厳しい時期だった
と語っています。
献身的に文子さんの世話をする良則さん。
その思いが強いあまり、発症から2年ほどは介護サービスを一切受け入れなかったそうです。
娘の信友直子さんからすれば心配で仕方がなかった時期だったのでしょうね。
父が母に激怒した理由
そんな良則さんも、かつて文子さんを強く叱ったことがあったそうです。
それは文子さんが
もう死にたい
と叫んだときでした。
そのときの映像は信友直子さんの手元に残っており、映画で使うことに躊躇したこともあったとか。
しかし信友直子さんは繰り返しその映像を見るうちに、良則さんが
感謝せえ、感謝の心を忘れちゃいけん
と怒っていることに気が付きます。
昔から人への感謝を大切にする人だったという文子さん。
そんな文子さんが自暴自棄になる姿に良則さんは悲しみ、結果として心からの怒りになったのでしょう。
そのときのことを、文子さんは
私は、母は認知症なのだからもうどうしようもないのだと諦めていました。でも父は、母のことを絶対に諦めなかったんです。だから、悪いことは悪いと怒った
と振り返っています。
良則さんは文子さんのことを心から信頼していたのでしょうね。
98歳で筋トレを開始
2018年9月に文子さんは脳梗塞を発症。
入院生活を余儀なくされます。
信友直子さんは母を心配しつつも、介護から解放される父に安堵もしていたそうです。
しかし良則さんは、
おっかあを早く家に連れて帰ってやりたい。そのためならわしは何でもする
と病院までの道をシルバーカートを押しながら毎日通い始めます。
その距離はなんと片道1時間。
文子さんを元気づけたい一心とはいえ、その深い愛情に驚かされます。
さらに良則さんは文子さんが帰ってきたときのことを考え、
一人じゃトイレに行かれんじゃろうけん、わしがおしめを替えてやる。それには筋力を付けなきゃならん
と、98歳にして筋力トレーニングまで始めます。
現在、103歳を迎えた良則さん。
長生きの秘訣は、この驚異的な行動力なのかもしれません。
最期に父が母に語りかけた言葉
そんな文子さんですが、2020年6月13日に最期の時を迎えます。
その当時はちょうどコロナ禍の時期でしたが、信友直子さんは結果的にそれが幸運だったと振り返ります。
仕事がいくつかキャンセルになり、信友直子さんは2020年3月に帰省。
文子さんが亡くなったのはちょうどそのタイミングでした。
母は、自分が死んだら父がどうなってしまうか心配だったのだと思います。「今なら直子がそばにいてくれるから大丈夫じゃ」と、あの時期に旅立ったのではないか
信友直子さんはそう考えたそうです。
コロナ禍で面会時間が制限されるなか、信友直子さんと良則さんは毎日30分、文子さんに会いにいきました。
良則さんが文子さんに「ありがとう」という言葉をかけないことを不思議に思った信友直子さん。
その理由を問われると、良則さんは
いや、わしが感謝の言葉など言ったら、おっかあが『私はもうダメなんか』と思うけん、かわいそうでよう言えん
と話したそうです。
そのかわり、
わしゃあ11月に100歳になるけん、お祝いにご馳走でも喰おうか。わしゃハンバーグがええわい
と好物の話などをしていたとか。
良則さんがあくまでも前向きでいることが伝わってきますね。
そして2020年6月13日。
病院の先生の「夜までいてあげてください」という言葉に、2人は覚悟したそうです。
良則さんはずっと黙っていたそうですが、21時過ぎになると文子さんの手を握りながら、
おっかあ、あんたが女房で本当にええ人生じゃった。ありがとう
と、胸に秘めてきた言葉をかけました。
そのとき、文子さんの目からは一筋の涙が流れていたそうです。
その瞬間、信友直子さんは不思議と穏やかな気持ちになれたといいます。
その理由として、
父が「わしももうすぐ行くけん、ちょっと先に行って待っとってくれや」と言うのを聞いて、この2人にとって別れはちょっとの間なんだと。またすぐ会えるんだと思うと、幸せというか、穏やかな気持ちになれたんです
と語りました。
悲しい最期の時ではありますが、2人の態度には美しいものも感じますね。
呉市の有名人となった父
最愛の人を失った良則さん。
2022年の段階で要支援1の認定を受けているものの、
わしは自分でできるんじゃけん、(介護サービスは)いらん
と元気で過ごしているそうです。
筋トレも相変わらず続けているというのだから驚きです。
また映画の公開もあって、呉市ではちょっとした有名人になっているとか。
映画の舞台挨拶にも登場しており、また誕生日は全国のファンからオンラインで祝ってもらっているそうですよ。
㊗信友良則さんの102歳のお誕生日おめでとうございます 🎂
— 呉ポポロシアター (@kurepopolo1) November 1, 2022
舞台挨拶とサイン会をしてくださった #信友直子 監督とお父様の良則さん、ご協力いただいた皆様、そして何より、『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』をご覧くださったお客様に感謝申し上げます。#呉ポポロシアター pic.twitter.com/EqWt4j6mum
そんな現状に対し、
恥ずかしいような時もあります。歳取っとりますからねえ、ええこというたらあんまり考えんですのう
と照れながら語る良則さん。
ずっと元気でいてしてほしいですね!
信友直子の兄弟姉妹も調査!
信友直子に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
信友直子に兄弟姉妹はおらず一人っ子?
が、信友直子さんには兄弟や姉妹の情報は見つかりませんでした。
これだけ情報が無いということは信友直子さんには兄弟や姉妹はおらず、一人っ子の可能性が高そうですね。
信友直子さんに関する記事でも「ひとり娘」と言及されているため、ほぼ間違いないでしょう。
信友さんの年代では、地方から娘を東京にやる親はまだ少なかったが、ふたりは迷わず東大に合格したひとり娘を東京に進学させた。
引用:https://bunshun.jp/articles/-/52929?page=4
仮に兄弟や姉妹がいれば映画にも登場しているはずです。
その点から考えても兄弟や姉妹がいる可能性は低そうですね。
信友直子さんがひとり娘だったからこそ、映画でご両親の実情をありのままに撮影できたのかもしれませんね。
まとめ
今回は信友直子の父は現在103歳!母親や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、信友直子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 信友直子の実家の場所は広島県呉市
- 信友直子の実家がお金持ちの可能性は低い
- 信友直子の父親は現在103歳
- 信友直子の母親は91歳で死去
- 信友直子に兄弟姉妹はおらず一人っ子
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。