元レスリング選手の吉田沙保里(よしださおり)さん。
世界大会16連覇、個人戦206連勝を記録し、「霊長類最強女子」の異名を持っています。
そんな吉田沙保里さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は吉田沙保里の母親もやばい…?死別した父や兄など家族も全部まとめた!
という事で、吉田沙保里さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
吉田沙保里の実家はお金持ち?
まずは吉田沙保里さんの実家について調べてみました!
吉田沙保里の実家の場所は?
吉田沙保里さんの実家は三重県津市一志町高野160−577にあります。
吉田沙保里さんの実家は「一志ジュニアレスリング教室」を営んでいます。
テレビ番組でも取り上げられたことがあり、その公式サイトで住所を確認することができました。
また吉田沙保里さんは中学は同市にある一志町立一志中学校を卒業。
高校も津市に位置する三重県立久居高等学校を卒業しています。
三重県津市と縁が深く、同市に実家があるのはほぼ間違いないでしょう。
以上のことから、吉田沙保里さんの実家は三重県津市一志町高野160−577にある「一志ジュニアレスリング教室」と言えそうです。
吉田沙保里の実家はお金持ち?
吉田沙保里さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えられます。
吉田沙保里さんの実家の経済状況を判断する情報は以下の2つです。
- 父親が三重県庁の職員
- 実家の「一志ジュニアレスリング教室」は無償で経営されている
それぞれについて紹介していきます。
父親が三重県庁の職員
吉田沙保里さんの父親は三重県庁の職員であるそうです。
調べたところ、三重県庁の職員の平均年収は650万円〜700万円とのこと。
日本の平均年収が458万円ですから、かなりの高水準であることがわかりますね。
父親がこれだけの収入を得ているのであれば、実家がかなり裕福であると想像できます。
実家の「一志ジュニアレスリング教室」は無償で経営されている
その一方で、吉田沙保里さんの実家が営む「一志ジュニアレスリング教室」は無償で経営されているそうです。
その理由としては、
- 県庁職員は副業が禁止されている
- 「月謝は取らない」という父親のポリシー
があったそうです。
そのため吉田沙保里さんの母は家計をやりくりすることに苦労していたのだとか……。
必死で家計をやりくりしてレスリング教室を運営していくのです…。
引用:https://www.sankei.com/article/20170331-OSCGR4GYIFMCTPADXXEBWOUWCU/3/
吉田沙保里さんの実家は、父親の本業で平均以上の年収を得ていたと思います。
しかしその収入の大半はレスリング教室の運営に消えていっていたのかもしれませんね。
とはいえ流石に困窮するということもないでしょうから、それなりに裕福ではあったと考えられます。
上記の情報を総合すると、吉田沙保里さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
吉田沙保里の実家の両親(父・母)はどんな人?
吉田沙保里さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
吉田沙保里の母親はどんな人?
吉田沙保里さんの母親は、吉田幸代さんです。
年齢 | 69歳(1955年生まれ) |
出身 | 三重県美杉村(現:三重県津市) |
出身高校 | 三重県立津女子高校(現:津東高校) |
最終学歴 | 短大卒 |
テレビ番組にも出演することがあり、2017年には吉田沙保里さんと「徹子の部屋」にも出演されています。
講演会やイベントへの出演の他、書籍「泣かないで、沙保里: 負けても克つ子の育て方」を出版するなどマルチな活躍が目立ちますね。
吉田幸代さんは中学からテニスを始めており、1975年の「三重国体」では補欠選手に選出されるほどの腕前だったそうです。
1977年、22歳のときに結婚。
その後は家庭と夫が経営する「一志ジュニアレスリング教室」とを陰ながら支えてきたといいます。
吉田沙保里の父は?
吉田沙保里さんの父・栄勝さんは61歳で急逝されています。
生年月日 | 1952年3月22日 |
出身 | 青森県八戸市 |
死去 | 2014年3月11日(61歳没) |
高校時代にレスリングに出会い、専修大学経済学部に入学後はアジア選手権で銀メダルを取る活躍を見せています。
しかし1976年のモントリオールオリンピックの代表選考会で敗北し、オリンピック出場は叶いませんでした。
大学卒業後は三重県庁の職員として就職。
その一方で「一志ジュニアレスリング教室」を開き、多くの子供達の指導にあたりました。
2009年にレスリング女子日本代表コーチに就任。
2010年のアジア選手権では女子チーム監督を、2012年のロンドンオリンピックでは女子代表チームコーチを務めています。
2014年、運転中にクモ膜下出血を発症し、そのまま病院で死亡が確認されました。
吉田沙保里の両親のエピソードも紹介!
ここからは吉田沙保里さんとご両親のエピソードを紹介します。
敗北から立ち直らせた母の言葉
五輪4連覇をかけたリオ五輪女子レスリング53kg級決勝戦。
父を亡くしてから始めて臨むオリンピックということもあり、吉田沙保里さんの気合は並々ならぬものでした。
しかし結果は無情にも敗北。
15年間守り続けた世界女王の座から陥落した瞬間でもありました。
あってはならない敗北に、吉田沙保里さんは
お父さんに怒られる、ごめんなさい! ごめんなさい!
とマットの上で号泣していたといいます。
泣きじゃくる娘に対し吉田幸代さんは抱きしめながら、
あなたのおかげで4度もオリンピックに来られたのよ。ここまで連れてきてくれて本当にありがとう
と声をかけたそうです。
しかしそんな母の言葉をもってしても、吉田沙保里さんは立ち直ることができませんでした。
翌日の会食中も表面上は明るく振る舞っていても、ときおりとても寂しそうな表情を見せていたといいます。
会食後、吉田沙保里さんは
お母さん、これメダル
と銀メダルを幸代さんに見せました。
それに対し、幸代さんは
すごくきれいな色やね。よかったね、うちにない色やから
と祝福の言葉をおくったそうです。
吉田沙保里さんは後にこのときのことを振り返っており、
『ああ、銀メダルも綺麗だな』と思った
と敗北を前向きに考えられるようになったといいます。
そこからはテレビ出演にも積極的になり、笑顔を見せることも多くなっていきました。
銀メダルをポジティブに捉える幸代さんの考え方が素敵ですね。
母の「霊長類最強」に対する複雑な思い
吉田沙保里さんが引退会見を行ったときのこと。
現役時代に娘が「霊長類最強」と呼ばれていたことについて、幸代さんが話したことがありました。
「どなたがつけたのか? 霊長類最強イコールゴリラみたい」と口を開いた幸代さん。
やはり母親としては複雑な思いがあったようですね。
しかし続けて
一応、女性だし親としては『えっー』という感じだったけど、カレリンさんに匹敵するぐらい強いと思われて、感謝している
と語るなど、最後には感謝を口にしていました。
その他にも幸代さんは幼少期の吉田沙保里さんにフリルが付いた服を着せるなど、女の子らしい格好をしてほしいと思っていたようです。
フリルがついた服など女の子らしい格好をさせたが、男の子と体を使って遊ぶことが好きだった。
引用:https://www.asahi.com/edu/student/tensai/TKY200801140145.html
娘の引退を惜しむ一方で、少しホッとしている部分もあるのかもしれませんね。
吉田沙保里を世界一へと突き動かしたもの
1982年にレスリング道場を営む家で生を受けた吉田沙保里さん。
幸代さんは待望の女の子の誕生に大喜び。
しかし父・栄勝さんは、
あぁ、女か
とそっけない態度であったそうです。
吉田沙保里さんには兄が2人おり、栄勝さんは息子をオリンピックに出場させるべく指導に打ち込んでいました。
そんな栄勝さんにとって、娘の誕生は手放しで喜べるものではなかったといいます。
当然ながら、娘にレスリングを教える気は両親ともにありませんでした。
そのため吉田沙保里さんが兄の練習を見て、
ああしたらいいのに
と口を出そうものなら、
うるさい!お前は黙っとけ!
と怒鳴られていたそうです。
そのような環境のなかで吉田沙保里さんがどうしてレスリングを始めたのか不思議ですよね。
吉田沙保里さんがレスリングに打ち込むことになったのは、ひとつの敗北がきっかけでした。
兄ほど熱心ではなくとも、一応はレスリングの練習をしていたという吉田沙保里さん。
5歳のときに始めての試合に登録して出場するも、1回戦で男の子に敗北してしまいます。
そのまま優勝したその男の子が金メダルを首にかけられる姿を見た吉田沙保里さんは、
あれ、欲しい
と悔しさ混じりに言ったそうです。
吉田沙保里さんは負けず嫌い。
その日から練習に打ち込むようになり、翌年にはその大会で優勝を果たします。
ひとつの敗北と、ひとつの金メダルがきっかけでレスリングを始めた吉田沙保里さん。
世界大会16連覇という記録も、その貪欲さがあったからこそなし得たのかもしれません。
吉田沙保里の兄弟姉妹も調査!
吉田沙保里に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
吉田沙保里の兄の経歴もまとめた!
吉田沙保里さんには兄が2人おられます。
長兄・吉田勝幸はレスリング経験者で、現在は4児の父!
長兄・吉田勝幸さんはレスリング経験者で、現在は4児の父です。
1977年生まれの47歳。
幼少期から父・栄勝からレスリングの英才教育を受けて育ちました。
1995年、国体の男子フリースタイル58㎏級で3位という成績をおさめています。
メディアにはあまり露出するほうではなく、控えめな方なのかもしれません。
そんな吉田勝幸さんですが、本人よりも奥さんである恵理香さんがなにかと注目されがち。
というのも「深イイ話」で恵理香さんが子育てに奮闘する姿が最強の兄嫁として話題になったからです。
レスリング一家を束ねる長兄として、いつか勝幸さんにも注目してあげてほしいですね!
次兄・吉田栄利はレスリング指導者だったが体罰で資格停止
次兄・吉田栄利さんはレスリングの指導者でしたが、体罰が明らかになり資格停止性分を受けています。
1979年6月19日生まれの45歳。
長兄・勝幸さんと同様に幼少期から父のレスリング指導を受けて育ちました。
188cmという恵まれた体格をしており、中学時代には全国大会2連覇。
高校ではインターハイを制するなど指折りの実力者だったようですね。
父・栄勝さんの死去後は「一志ジュニアレスリング教室」を継ぎ、子どもたちの指導にあたっていました。
しかし2023年10月に一部週刊誌の報道で8年前に起きた生徒への平手打ち事件が発覚。
当時被害を受けた生徒の親は、地元で神格化されている吉田家に対して反発することができず、泣き寝入りすることしかできなかったと言います。
また他の父兄や三重県警でさえも体罰を許容するかのような態度を見せ、「一志ジュニアレスリング教室」及びその周辺の歪んだ実態が明らかになっていきました。
当事者である栄利さん自身も悪びれる様子がなかったらしく、被害者の方は深く傷ついたと言います。
さらには、当の栄利氏も苛立ちを隠さずこう言い放ち、席を立った。
「今まで指導中に手を上げたことは何回もあるけれど、悪いとは思っていない。勝つためやったら何でもする。そんなに言うんやったら俺、責任とって監督辞めるわ」
引用:https://gendai.media/articles/-/118305?page=3
事件の発覚後、2023年9月に日本レスリング協会は栄利さんを2年間の指導者資格停止処分としています。
その2ヶ月後には栄利さん自身が謝罪をする様子も報道されました。
この処分に対しては、
- 謝って済むことでも2年の謹慎で許されることでもない
- そもそも8年前に謝罪すべき
- 傷害事件として扱って欲しい
と厳しい意見が圧倒的多数でした。
またこの件に際して、吉田沙保里さんもSNSで謝罪文を掲載しています。
この謝罪に対しても、吉田沙保里さんが体罰を認知していたかどうかを追求する声が上がっていたそうです。
事件発覚で「母親もやばい」と話題に……!?
「一志ジュニアレスリング教室」の実態が明らかになるなかで、母・幸代さんの言動も異常だと話題になっています。
当時開かれた道場の保護者会で、被害児童の父親は
あんた、まだグジグジ言うとんの?
と幸代さんに詰め寄られたことを明かしました。
被害者側からすればショックな発言ですよね。
またこの件に関して、過去の幸代さんのエピソードも蒸し返されることになりました。
吉田沙保里さんが「痛快!明石家電視台」に出演したときのことです。
高校時代に同じ男性に6回告白し、全滅してしまったという吉田沙保里さん。
それだけであれば笑えるエピソードとして終わっていたかもしれません。
しかしその男性は最終的に母・幸代さんからも「お願い」と、娘と交際することを迫られていたことを明らかにしました。
さすがに自分勝手に思えますし、男性からすれば少し恐怖感もあったかもしれませんね。
問題の発言が出た後にこのエピソードを思い出す人もいたらしく、
- 娘が同じ人に複数回フラれた時は援護射撃のようなことをしておきながら、この件では被害男児の親に向かって「あんた、まだグジグジ言うとんの?」と発言する母親……
- 他人を自分たちの思い通りにしたい人なのかな、自己中心的で怖いわ
といった意見もあったようです。
吉田沙保里さんの栄光を揺るがすような事態となっているのは残念ですね。
まとめ
今回は吉田沙保里の母親もやばい…?死別した父や兄など家族も全部まとめた!
という事で、吉田沙保里さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 吉田沙保里の実家は三重県津市一志町高野160−577にある「一志ジュニアレスリング教室」
- 吉田沙保里の実家は少なくとも裕福な家庭
- 吉田沙保里の母親は吉田幸代
- 吉田沙保里の父は吉田栄勝
- 吉田沙保里の長兄・吉田勝幸はレスリング経験者で、現在は4児の父
- 吉田沙保里の次兄・吉田栄利はレスリング指導者だったが体罰で資格停止
- 体罰発覚で母・幸代もやばいと話題になっている
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。