シンガーソングライターの矢野顕子(やのあきこ)さん。
ジャンルやカテゴリーに縛られない自由な音楽スタイルで活躍し、2024年でソロデビュー48周年を迎える矢野顕子さん。
そんな矢野顕子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は矢野顕子の実家は青森の病院!両親の顔画像や兄弟もまとめた!
という事で、矢野顕子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
矢野顕子の実家はお金持ち?
まずは矢野顕子さんの実家について調べてみました!
矢野顕子の実家の場所は青森県青森市
矢野顕子さんのご実家の場所は、青森県青森市古川です。
矢野顕子さんの父親が経営する鈴木威男医院の二階が自宅となっており、そちらで育ちました。
写真は、ご実家と矢野顕子さん(21歳)です。
現在、こちらの場所は更地となっています。
矢野顕子の実家はお金持ち?
矢野顕子さんは、1955年2月13日生まれの69歳。
矢野顕子さんの学歴は、青森市立古川小学校・青森市立野脇中学校・青山学院高等部(中退)となっています。
出身は東京ですが、父親が青森で祖父の病院を継いだため、三歳の時に青森へ引っ越し中学まで過ごしました。
三歳から小学校高学年まで青森明の星高等学校付属ピアノ教室に通っています。
レッスン料は分かりませんでしたが、一般的には5000円~8000円かかるといわれています。
矢野顕子さんの父親は、鈴木威男医院で医師をしていました。
また中学生の頃は、ザ・ゴールデン・カップスを見るため、たびたび青森から横浜市本牧のバー「ゴールデン・カップ」まで見に行っていたそうです!
現在の青森から横浜までの交通費はバスだと一番安くても片道5000円位、電車だと片道15,000円以上かかります。
中学生ですと何度も通うことは中々金銭的に難しいと思うので、どちらかいうとやはり裕福だったのだと思います。
学歴の中では、青山学院高等部のみ私立です。
青山学院高等部の一年生時にかかる現在の学費は1,382,000円、二年生時は1,042,000円となっています。
公立の場合、一年生の平均が63万円となっていて、二年生では46万円ほどです。
どちらも当時の価格はもっと低かったと思いますが、差額は同じくらいだと考えられます。
私立と公立で学費が2倍以上違うので、金銭的に余裕がないと難しいですね。
矢野顕子さんは、音楽の道に進むことを決めていた為、軽音楽部のある青山学院高等部へ進学を決めたそうです。
高校二年の頃、お店での演奏と学校生活との両立が難しくなり、青山学院高等部を辞めています。
高校時代は、杉並区の祖父母の家から学校に通っていました。
デビュー後に、矢野顕子さんがアルバムを作ることになった際には、自主制作盤に父親が出資してくれています(矢野さんの事情により中止)
上記の情報を総合すると、矢野顕子さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうですね。
私立高校の高い学費やお父様からの出資などを考えると、金銭的余裕があるご家庭なのだと感じました!
矢野顕子の実家の両親(父・母)はどんな人?
矢野顕子さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
矢野顕子の父親は医師!
矢野顕子さんのお父様の名前は、鈴木威男さん。
年齢は分かりませんでしたが、現在は亡くなられているようです。
1954年の大学生の時に、お見合い結婚しています。
そして、翌年に矢野顕子さんが生まれています。
矢野顕子さんの「顕」の字はお父様が顕微鏡を覗いていて、この字だ!とひらめいたんだそうです。
お父様は東京医科大学を卒業後すぐは、大学病院で働いていました。
しかし医局は上下の規律が厳しく教授の意見によって全てが決まります。。
人に束縛されることを嫌っていたお父様は、青森に帰り父親の医院を継ぎました。
2004年頃にリタイアして、ある機関の顧問医をしていたそうです。
お父様は、ハワイの民族音楽や南米のラテンミュージックなどの洋楽が好きだったそうで、矢野顕子さんが中学生になるとジャズ喫茶によく連れて行ってくれたそうです。
お父様はそのまま別のお店に飲みに行き、11時くらいになると迎えに来て一緒に帰っていました。
矢野顕子さんはこの頃について
ピアノを弾いたり音楽を聴いたりしていることが一番幸せそうで、伸ばしてあげようと思ってくれたのかもしれません。
と話しています。
矢野顕子さんが高校を辞める時も「後で苦労するぞ」とは言ったものの強い反対はなかったそうです。
演奏仕事メインになると、夜遅くに帰る娘を心配し、赤坂に住んでいる友人の安部譲二さん夫婦に娘のことを頼んでいます。
そこから矢野顕子さんは暫く、安部譲二さん夫婦と生活を共にしています。
祖父・伊佐治
父方の祖父・伊佐治さん。
昭和34年に生まれ、医学の道を志し、東京医科大学を卒業。
若くして青森で院長職に就いています。
戦後は医業のかたわら、絵に夢中になっていたそうです。
自分の想いのままに描く自由な絵で、よくわからないものが多かったとか。。
矢野顕子さんは祖父の伊佐治さんにとても可愛がられていたようで
じいちゃんは私に一番影響を与えた人
と語っています。
ボヘミアン気質の祖父はあちこちを転々としていたが、矢野さんの上京当時は東京の家に住んでいました。
そのため、矢野顕子さんは祖父の家から学校へ通っていました。
矢野顕子の母親は専業主婦?
矢野顕子さんお母様のお名前は、淳さん。
ミスユニバース青森県代表に選ばれるほどの美人さんです。
年齢や職業は分かりませんでしたが、お父様が医師なので専業主婦として支えていたのではと考えられます。
現在はお亡くなりになっています。
お母様は早くに実父を亡くし、つつましく暮らしていました。
矢野顕子さんの実家は広かったのですが、お母様の部屋は四畳半で「座して半畳、寝て一畳。」無駄なものは一切持たない武士のような方だったそうです。
母方の祖父は医師として三陸沖地震や関東大震災の際の医療活動にも従事していたとか。
矢野顕子さんは幼い頃に毎晩聴かせてくれるお母さまの子守唄が好きだったそうです。
シューベルトやグリーンスリーブスなどの歌曲が多かったんだとか。
矢野顕子さんがピアノ教室に通うきっかけはお母様だったようです。
おそらく母親が戦時中で自分がやりたくてもできなかったから娘に託したのでは
と語っています。
また、お母様は「この子はピアノしか能がない」と見抜いていたんだとか!
ピアノの練習を促すことはあっても、一般家庭のように家事を教えることはなかったそうです。
お母様は病気になった時に、天命だと医師である旦那さんの治療を拒みました。
ニューヨークにいる矢野顕子さんにも「がんであと1か月くらいらしいの」と他人事のように話しています。
音楽で自分の道を切り開いてきた矢野顕子さんは、お母様の一徹さに影響を受けているのかもしれませんね。
お母様は女性が好きなことを続け、やり抜くことを高く評価していたそうです。
丸山家
矢野顕子さんのお母様の旧姓は丸山といいます。
先祖が会津藩の武士。
歴代当主の妻や母まで載っている家系図も見つかったため、一定以上の武士だったと考えられます。
丸山家の先祖は、江戸時代の初期1643年に10代前の先祖が会津若松市にあった会津藩に入りました。
会津藩初代藩主の保科正之のもとで殿様のお世話をする小姓という役職に就き、幕末まで歴代藩主のそばに仕えていたんだとか。
禄高が150石から最終的に500石まで上がっているので、とても優秀な武士の家系で藩から重宝されていたのだと考えられます。
戊辰戦争に負けた後、藩主の松平容保とともに青森市に移住します。
その後寺子屋の先生になり、おいらせ町立百石小学校の初代校長、4代目校長も務めました。
矢野顕子さんが、山口県でコンサートをした時に何故か気持ちが乗らなかったそうです。。
それをお母様に話すと「それは当然よ」と、戊辰戦争に敗れ斗南(青森)に追われた会津藩士の末裔なら、長州(山口)はとても憎い敵地になるためということでした。
矢野顕子の両親のエピソードも紹介!
矢野顕子さんのご両親は、2人とも音楽好きでした。
青山学院高校に通うため単身で上京する時、とても心配だったと思いますが、娘の想いを応援しがんばれと送り出してくれたそうです。
その高校を辞める時には、音楽で生きていく子だと両親ともに感じていたため、大きな反対はされず納得してくれたそうです。
矢野顕子さんは以前SNSで弟さんとご両親について話をしたことを綴っています。
昨日は弟とたくさんの話をした。もう居ない父と母についての結論。私達は甘やかされたという思いは無いが、両親からたっぷり愛情を注いでもらった。彼らは欠点も間違いもあったが、子供を育てることにおいて精一杯のことをしてくれたのだ。60才を過ぎた子供たちにこう言われるのはいいことだろうと思う
— 矢野顕子 Akiko Yano (@Yano_Akiko) May 14, 2019
愛情をたっぷり注いでもらったと堂々と言えるなんて、素敵なご両親なんだろうなと感じました!
ご両親の影響を受け、また自由に育ててくれたからこそ今の矢野顕子さんがいるんですね。
矢野顕子の兄弟姉妹も調査!
矢野顕子さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
矢野顕子の兄弟は弟が一人!!
矢野顕子さんには弟さんが一人おられます。
弟さんのお名前は、伸吾さん。
以前は、青森で『MINATO YA 港屋』というバーをやっていました(2012年4月に閉店)
弟さんはご結婚されていて娘さんがいるようです。
ピアノを弾けるようで、娘さんと連弾などもしていたとか。。
弟さんはお姉さんについて
顕子さんは努力の人。顕子さんのことは、小学校のときから尊敬していました
と発言しています。
お姉さんのことをさん付けで呼ぶところからも、本当に尊敬していることが伝わってきますね。
見た目はダンディーですが、お話すると面白い方なんだとか。
矢野顕子さんもトークが面白い印象があるので、姉弟揃って面白いんですね。
青森なう。弟と”さかもと”でラーメン食べる。おかみさんが亡くなったおかあさんにそっくりでびっくり。あちらはあちらで、この間ロケに来た美雨のことで盛り上がる。実家のあたりは入院、廃業、夜逃げとドラマ満載の近所である。by akiko
— 矢野顕子 Akiko Yano (@Yano_Akiko) September 1, 2012
2012年の矢野顕子さんのSNSの投稿です。
大人になっても、ちゃんと交流があるということは良好な関係なんでしょうね!
まとめ
今回は矢野顕子の実家は青森の病院!両親の顔画像や兄弟もまとめた!
という事で、矢野顕子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 矢野顕子さんの実家は青森県青森市の病院
- 矢野顕子さんの父親は内科医!母親は専業主婦?
- 矢野顕子さんの兄弟は弟一人
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。