プロ野球選手の山川穂高(やまかわほたか)選手。
どすこいポーズで知られ、2023年にはWBC日本代表に選出、2024年シーズンからは福岡ソフトバンクホークスでプレーすることになりました。
そんな山川穂高選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は山川穂高の実家の両親(父・母)はどんな人?兄弟など家族もまとめた!
という事で、山川穂高選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
山川穂高の実家はお金持ち?
まずは山川穂高選手の実家について調べてみました!
山川穂高の実家の場所は沖縄県那覇市・首里城北部
沖縄県那覇市出身の山川穂高選手。
那覇市の中でも首里城近くで生まれ育ったことが判りました。
山川穂高選手の母校は那覇市立城北小学校、那覇市立城北中学校。
両校とも校名の通り、首里城の北部に位置しています。
以下の地図は城北小学校の通学地域を示したもの。
城北小学校のある首里石嶺町を中心に、首里赤平町、首里大明町、首里儀保町、首里末吉町、朱里平良町、首里久場川町が通学区域に指定されています。
沖縄観光の中心地である那覇市ですが、城北小学校周辺はマンションや住宅が連なる閑静な地域。
山川穂高選手の実家はその中にあるとみられます。
ちなみに、首里城周辺の町名の多くに「首里」がついていますが、その数は19にも上ります。
いかに首里城が地元に親しまれているのかが窺えますよね。
山川穂高選手も多分に漏れず、地元沖縄そして首里を大切にしています。
2019年の首里城の火災に際しては、
知人を失うことと同じような感覚。(火災を知って)練習にも身が入らないくらいだった。
と、大きなショックを受けていました。
2020年1月には首里城の再建に向けて山川穂高選手から500万円、前年に開催されたファン感謝祭で託された寄附金も寄附しています。
山川穂高の実家はお金持ち?
プロ野球選手として活躍する山川穂高選手。
どのような家庭で育ったのか気になるところですよね。
実家を調査したところ、経済的には厳しかったことが判明しました。
母子家庭で育った山川穂高
山川穂高選手の両親は、山川穂高選手が生まれてすぐに離婚されています。
山川穂高選手は母・山川喜美代(やまかわきみよ)さんに引き取られ、母ひとり子ひとりの環境で育ちました。
母子家庭で家計は苦しかった。(パワフルな体型を作った要因は)裕福ではなかったけれど、母親が自分の分の食事まで僕にくれていた。
と、山川穂高選手が語るように家計は厳しかったとのこと。
山川穂高選手がきちんとした食事を摂る一方で喜美代さんはパンだけ、ということもあったのだとか。
喜美代さんは仕事に子育てに忙しかったものの、野球に打ち込む山川穂高選手のために練習・試合の送迎や、応援にも駆けつけるなど、懸命に山川穂高選手を支えていました。
また、山川穂高選手は野球以外にも習い事としてアイススケートや水泳も経験。
5歳から中学3年生までは習字教室にも通い、なんと書道八段の腕前なんです。
ワイルドな見た目と、美しい書のギャップがすごいですよね。
困難の中にありながらも、喜美代さんが教育にも力を入れていたことが窺えます。
大学に特待生待遇で進学した山川穂高
沖縄県立中部商業高等学校に進学し甲子園を目指す山川穂高選手でしたが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
高校の時は頑張って甲子園だけ目指して燃え尽きる気持ちでやってました。
と、本人が語るように「野球は高校まで」と決めていたのだそう。
しかし、沖縄県予選準決勝で活躍する山川穂高選手を見た当時の富士大学野球部監督・青木久典氏に、
1年生から必ず4番を打たせて、必ずプロに行かせるのでうちに来てください。
と、自身と母・喜美代さんに土下座で懇願されたのを受けて、岩手県にある富士大学経済学部経営法学科に進学することを決意。
「特待生で」という条件が付されていたとのことなので、学費等が免除されていた可能性がありますね。
私学で、それも遠方にあるとなると、通常は学費や生活費の負担が大きくなりますが、そのあたりは軽減されていたのでしょう。
大学入学後、山川穂高選手は1年生の春から4番を務め、監督の期待通りの活躍をみせます。
2年生の時には大学野球選手権大会の日本代表に選ばれその後も躍進し、2013年に行われたドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2位指名されてプロ入りを果たしました。
上記の情報を総合すると、山川穂高選手のご実家はお金持ちではなく、むしろ家計が厳しい状況にあったことがわかりました。
本人の努力やポテンシャルはもちろんですが、家族の支えや縁も繋がって今の山川穂高選手があるんですね。
山川穂高の実家の両親(父・母)はどんな人?
山川穂高選手の実家のお父さん、お母さんについても調べました!
山川穂高の父親は離婚しており詳細は不明
山川穂高選手の両親は、山川穂高選手の生後すぐに離婚されています。
山川穂高選手からお父さんについて語られたことがないため、恐らくほとんど会う機会もなかったのではないでしょうか。
幼少期から学生時代に定期的な面会があったり、大人になってから距離感が変わっている可能性もありますが、詳細はわかりません。
今は陰ながら息子の活躍をそっと見守っておられるかもしれませんね。
山川穂高の母親は女手ひとつで山川選手を育て上げた!
山川穂高選手の母・山川喜美代(やまかわきみよ)さん。
離婚後は山川穂高選手を女手ひとつで育ててきました。
メディアの取材・出演は全て断っておられるため、写真などは見つかりませんでした。
そんな喜美代さんに関して、判明していることをご紹介していきます。
山川穂高選手の母・喜美代さんのプロフィール
喜美代さんは2019年7月時点で54歳と週刊現代の記事で紹介されているため、2024年で59歳頃と推定されます。
喜美代さんは沖縄県の離島・久米島出身。
久米島から那覇までは飛行機で40分ほどの距離です。
山川穂高選手も幼少時代は久米島によく遊びに行っており、祖父母の作るゴーヤチャンプルーが大好きなのだとか。
プロになってからもお正月などに久米島の祖父母宅を訪れ、大型テレビやサイン入りユニフォームを贈るなど、おじいちゃんおばあちゃん孝行しているそうです。
写真は2023年に開催されたWBC決勝を自宅で観戦する祖父・仁和(じんわ)さん(当時82歳)。
優勝の瞬間を目を細めて喜んでおられます。
山川穂高選手は久米島で小中学生向けの野球教室を開催するなど、お母さんの地元も大切にされているんですね。
女手ひとつで育ててくれた母・喜美代さん
喜美代さんの勤務先は明かされていませんが、沖縄県にある団体で総務や経理などの事務職をしています。
家計は苦しく、山川穂高選手にたくさん食事を食べさせるために喜美代さんがパンだけなどで済ませることもあったのだとか。
山川穂高選手は喜美代さんの性格を、
「巨人の星」の明子姉ちゃんみたいな人
と表現しています。
「明子姉ちゃん」とは、マンガ「巨人の星」の主人公・星飛雄馬の姉・星明子のことで、慎ましく健気で家族に振り回されながらも、陰からそっと見守ってくれる優しいお姉さんです。
喜美代さんも陰から山川選手を支え続けており、そんな姿を明子姉ちゃんと重ねたのかもしれませんね。
山川穂高選手の所属していた少年野球チーム・首里マリナーズのチームメイトのお母さんからも、
いつもニコニコしていて、余計な口出しはせず、控えめな人。
と、評されており、息子をそっと見守る姿が浮かびます。
また、山川穂高選手が通っていた保育園の園長からは、
(喜美代さんは)幼い彼が一生懸命に靴を履こうとしているあいだ、何も言わずにただじっと見ていました。雨が降っている日でも、傘をさしながら、穂高が自分でできるまでずっと待っていました。
というエピソードが明かされています。
多くの保護者が子どもに手を貸して靴を履かせたり抱きかかえて帰ってしまうところを、喜美代さんは辛抱強く待っていたのだそう。
子どもが自分のことは自分でできるように、自立して行動できるように、という思いだったのかもしれませんね。
山川穂高の名前は母・喜美代さんが命名した
山川穂高選手の名前は、母・喜美代さんが命名したそうです。
その由来は北アルプスの穂高岳。
母・喜美代さんが旅行で中部地方を訪れた際に、冠雪した穂高岳を見て、
もし男の子が生まれたら、きっと穂高と名付けよう。
と、心に決めたのだとか。
雪の積もった穂高岳がとても美しく感動されたのでしょうね。
懸命に自身を育ててくれた喜美代さんに山川穂高選手は大変感謝しており、プロ野球選手になることが決まった際には、
一人で育ててくれた母に、かわいい車を買ってあげたい
と、語っています。
2023年に埼玉西武ライオンズから福岡ソフトバンクホークスに移籍することとなった山川穂高選手。
いつも見守ってくれる家族のためにも、2024年シーズンは心機一転、新たなチームで活躍してくれることを期待しましょう。
山川穂高の両親のエピソードも紹介!
山川穂高選手から明かされた、母・喜美代さんとの高校時代のエピソードを紹介します。
沖縄県立中部商業高校の野球部で甲子園を目指していた山川穂高選手。
中部商業高校では上下関係が厳しい上に、1年生はベンチにも入れてもらえないような環境でした。
誰よりも練習していても、応援席で試合を眺めるだけの日々に気持ちが切れてしまった山川穂高選手。
ある日、喜美代さんに、
野球をやめたい
と、こぼしたのだそう。
しかし、喜美代さんは意外にも、
別に、いいよー。でも、せっかくだから次の大会で負けるまではやってみたら。
と、あっさり返します。
高校1年生の11月に1年生だけの大会があり、「それに出場してからやめればいい」ということだったのだそう。
山川穂高選手はその大会に4番として出場し、人生初となるホームランを放ちます。
喜美代さんはその試合をビデオで撮影していました。
後日山川穂高選手がその映像を確認すると、ホームランを打ったところから画面がブレて、いつも気丈な喜美代さんが声をあげて泣いていたそうです。
このことは後年になって山川穂高選手が、
あの一本がなければ、僕は100%野球をやめていた。
と、語るほど大きな出来事でした。
喜美代さんにとっても、いつも近くで山川穂高選手を見守ってきただけに、こみ上げるものがあったのでしょう。
これからは福岡ソフトバンクホークスの主砲として活躍する姿が期待されますね。
山川穂高の兄弟姉妹も調査!
山川穂高選手に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
山川穂高に兄弟姉妹はおらず一人っ子
山川穂高選手には兄弟や姉妹はおらず、一人っ子であることが判明しています。
幼いころからプロ野球選手になることを目指していた山川穂高選手。
所属していた少年野球チームの保護者は、
正直、チームの子がプロになるなんて誰も思っていなかった。
と、語っており、直接的な言葉を聞いていなくても、山川穂高選手はそんな空気を感じ取っていたかもしれません。
しかし、そんな周囲の声や雰囲気に惑わされず、しっかりと芯をもって実直に練習に励んでいた山川穂高選手。
周囲に流されないのは一人っ子の特徴ともいえますが、何事にも主体性を持って真摯に取り組んでほしいという母・喜美代さんの教育の賜物なのかもしれませんね。
まとめ
今回は山川穂高の実家の両親(父・母)はどんな人?兄弟など家族もまとめた!
という事で、山川穂高選手の実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 山川穂高の実家は沖縄県那覇市・首里城北部の地域にあり、お金持ちではない
- 山川穂高の両親は離婚しており、母親が女手一つで育ててくれた
- 山川穂高に兄弟姉妹はおらず、一人っ子
以上の内容がわかりました。
お母さんと二人三脚で歩んできた山川穂高選手。
これからも応援していきましょう!
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。