山川穂高の実家の両親(父・母)はどんな人?兄弟など家族もまとめた!

プロ野球選手の山川穂高(やまかわほたか)選手。

山川穂高
出典: https://www.daily.co.jp/baseball/2024/03/05/0017398595.shtml

どすこいポーズで知られ、2023年にはWBC日本代表に選出、2024年シーズンからは福岡ソフトバンクホークスでプレーすることになりました。

そんな山川穂高選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?

今回は山川穂高の実家の両親(父・母)はどんな人?兄弟など家族もまとめた!

という事で、山川穂高選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。

目次

山川穂高の実家はお金持ち?

まずは山川穂高選手の実家について調べてみました!

山川穂高の実家の場所は沖縄県那覇市・首里城北部

沖縄県那覇市出身の山川穂高選手。

那覇市の中でも首里城近くで生まれ育ったことが判りました。

山川穂高選手の母校は那覇市立城北小学校、那覇市立城北中学校。

両校とも校名の通り、首里城の北部に位置しています。

以下の地図は城北小学校の通学地域を示したもの。

山川穂高
出典: https://corkmap.jp/school-districts/B147220100067

城北小学校のある首里石嶺町を中心に、首里赤平町、首里大明町、首里儀保町、首里末吉町、朱里平良町、首里久場川町が通学区域に指定されています。

沖縄観光の中心地である那覇市ですが、城北小学校周辺はマンションや住宅が連なる閑静な地域。

山川穂高選手の実家はその中にあるとみられます。

ちなみに、首里城周辺の町名の多くに「首里」がついていますが、その数は19にも上ります。

いかに首里城が地元に親しまれているのかが窺えますよね。

山川穂高選手も多分に漏れず、地元沖縄そして首里を大切にしています。

2019年の首里城の火災に際しては、

山川穂高選手

知人を失うことと同じような感覚。(火災を知って)練習にも身が入らないくらいだった。

と、大きなショックを受けていました。

2020年1月には首里城の再建に向けて山川穂高選手から500万円、前年に開催されたファン感謝祭で託された寄附金も寄附しています。

山川穂高の実家はお金持ち?

プロ野球選手として活躍する山川穂高選手。

どのような家庭で育ったのか気になるところですよね。

実家を調査したところ、経済的には厳しかったことが判明しました。

母子家庭で育った山川穂高

山川穂高選手の両親は、山川穂高選手が生まれてすぐに離婚されています。

山川穂高選手は母・山川喜美代(やまかわきみよ)さんに引き取られ、母ひとり子ひとりの環境で育ちました。

山川穂高選手

母子家庭で家計は苦しかった。(パワフルな体型を作った要因は)裕福ではなかったけれど、母親が自分の分の食事まで僕にくれていた。

と、山川穂高選手が語るように家計は厳しかったとのこと。

山川穂高選手がきちんとした食事を摂る一方で喜美代さんはパンだけ、ということもあったのだとか。

喜美代さんは仕事に子育てに忙しかったものの、野球に打ち込む山川穂高選手のために練習・試合の送迎や、応援にも駆けつけるなど、懸命に山川穂高選手を支えていました。

また、山川穂高選手は野球以外にも習い事としてアイススケートや水泳も経験。

5歳から中学3年生までは習字教室にも通い、なんと書道八段の腕前なんです。

山川穂高
出典: https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/29/kiji/20190328s00001173422000c.html

ワイルドな見た目と、美しい書のギャップがすごいですよね。

困難の中にありながらも、喜美代さんが教育にも力を入れていたことが窺えます。

大学に特待生待遇で進学した山川穂高

沖縄県立中部商業高等学校に進学し甲子園を目指す山川穂高選手でしたが、残念ながらその夢は叶いませんでした。

山川穂高選手

高校の時は頑張って甲子園だけ目指して燃え尽きる気持ちでやってました

と、本人が語るように「野球は高校まで」と決めていたのだそう。

しかし、沖縄県予選準決勝で活躍する山川穂高選手を見た当時の富士大学野球部監督・青木久典氏に、

青木久典氏

1年生から必ず4番を打たせて、必ずプロに行かせるのでうちに来てください。

と、自身と母・喜美代さんに土下座で懇願されたのを受けて、岩手県にある富士大学経済学部経営法学科に進学することを決意。

「特待生で」という条件が付されていたとのことなので、学費等が免除されていた可能性がありますね。

私学で、それも遠方にあるとなると、通常は学費や生活費の負担が大きくなりますが、そのあたりは軽減されていたのでしょう。

大学入学後、山川穂高選手は1年生の春から4番を務め、監督の期待通りの活躍をみせます。

2年生の時には大学野球選手権大会の日本代表に選ばれその後も躍進し、2013年に行われたドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2位指名されてプロ入りを果たしました。

上記の情報を総合すると、山川穂高選手のご実家はお金持ちではなく、むしろ家計が厳しい状況にあったことがわかりました。

本人の努力やポテンシャルはもちろんですが、家族の支えや縁も繋がって今の山川穂高選手があるんですね。

山川穂高の実家の両親(父・母)はどんな人?

山川穂高選手の実家のお父さん、お母さんについても調べました!

山川穂高の父親は離婚しており詳細は不明

山川穂高選手の両親は、山川穂高選手の生後すぐに離婚されています。

山川穂高選手からお父さんについて語られたことがないため、恐らくほとんど会う機会もなかったのではないでしょうか。

幼少期から学生時代に定期的な面会があったり、大人になってから距離感が変わっている可能性もありますが、詳細はわかりません。

今は陰ながら息子の活躍をそっと見守っておられるかもしれませんね。

山川穂高の母親は女手ひとつで山川選手を育て上げた!

山川穂高選手の母・山川喜美代(やまかわきみよ)さん。

離婚後は山川穂高選手を女手ひとつで育ててきました。

メディアの取材・出演は全て断っておられるため、写真などは見つかりませんでした。

そんな喜美代さんに関して、判明していることをご紹介していきます。

山川穂高選手の母・喜美代さんのプロフィール

喜美代さんは2019年7月時点で54歳と週刊現代の記事で紹介されているため、2024年で59歳頃と推定されます。

喜美代さんは沖縄県の離島・久米島出身。

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