シンガーソングライターの宇多田ヒカル(うただひかる)さん。
1998年、若干15歳でデビューし、圧倒的な歌唱力が話題を呼び1stシングルではダブルミリオンを達成、2010年から6年間に及ぶ休止期間があったものの、復帰後も日本の音楽シーンをけん引する存在として活躍されています。
そんな宇多田ヒカルさんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は宇多田ヒカルと母・藤圭子の親子エピソードや確執など噂を全部まとめた!
という事で、宇多田ヒカルさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
宇多田ヒカルの実家はお金持ち?
まずは宇多田ヒカルさんの実家について調べてみました!
宇多田ヒカルの実家の場所は東京都杉並区のマンションだったが、2016年に売却
宇多田ヒカルさんは、1983年1月19日アメリカ合衆国・ニューヨークで生まれました。
ご両親の仕事の都合で、幼少時代から東京・ニューヨーク間を行き来する生活をしていたそうです。
日本での拠点は、東京都杉並区に所有していたマンションでした。
このマンションは、自宅兼個人事務所として使用していたものの、2016年2月に父・宇多田照實(うただてるざね)さんが引き払っています。
宇多田ヒカルさんにとっては思い出深い場所ではありますが、ロンドンに永住する可能性が高まったため、手放す決断をしたようですね。
宇多田ヒカルの実家はお金持ち?
宇多田ヒカルさんの実家は、宇多田ヒカルさんのデビュー後こそ莫大な資金を手にしましたが、それまでは決して裕福だとは言えなかったようです。
報道によると、むしろ困窮していた時期もあることがわかりました。
父・宇多田照實は借金を抱え、母・藤圭子には浪費癖があり、家計は火の車だった
母・藤圭子の母親に「金をくれ。マンションを売って手配してくれ」と迫ることもあった
母・藤圭子の母親がマンション売却に難色を示すと「マンションだって圭子が稼いだ金で買ったんだろ!」と口論に発展し、最終的にマンションは売却され、約3,000万円が父・宇多田照實の手に渡った
母・藤圭子の兄は、母・藤圭子が「お金がない」と話したため、見兼ねて20万ほど援助したことがあった
表面的には華やかだったようですが、実際はかなりシビアな状況だったんですね。
ここまでの情報を見ても、宇多田ヒカルさんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。
宇多田ヒカルさんがデビューすると宇多田家の経済状況は一転しますが、ご両親の浪費は続くなど、必ずしも良い方には変わらなかったようです。
宇多田ヒカルの実家の両親はどんな人?
宇多田ヒカルさんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
宇多田ヒカルの父親は音楽プロデューサーの宇多田照實!
宇多田ヒカルさんの父・宇多田照實(うただてるざね)さん。
どちらかというとワイルドな風貌で、宇多田ヒカルさんとは異なる印象ですよね。
そんな父・宇多田照實さんのプロフィールをまとめました。
出身地…山口県徳地町(現:山口市)
職業… 音楽プロデューサー、U3 Music(有限会社ユースリー・ミュージック)代表取締役
父・宇多田照實さんは、
ドラム・ギターなどが演奏できる
ベトナム戦争に参加したことがある
と、自身の経歴について自称しているものの、母・藤圭子さんのマネージャーとして音楽業界入りするまでの素性は定かではありません。
宇多田ヒカルさん父・宇多田照實は7回離婚・再婚を繰り返した
父・宇多田照實さんと母・藤圭子さんは、7度にわたって離婚・再婚を繰り返しました。
中には離婚後2週間してから再婚したこともあったのだとか。
夫婦にしか分からないことがあったのでしょうね・・・。
ちなみに過去、父・宇多田照實さんは、
自身の女性問題
などを巡って、宇多田ヒカルさんとの間に確執があると言われていた時期もあります。
しかし、近年は、
宇多田ヒカルがライブツアー中に、父・宇多田照實への感謝の気持ちを打ち明けた
と、親密さを伺わせるエピソードもあるため、父子は良好な関係にあるようですね。
宇多田ヒカルの父・宇多田照實の祖先は元内閣総理大臣!
父・宇多田照實さんの実家、宇多田家のルーツは山口県にあります。
幼少時代、宇多田ヒカルさんは父・宇多田照實さんから家系図を見せられ、由緒ある家系だと聞かされたのだとか。
郷土史によると、山口県山口市徳地島地(旧:佐波郡徳地町島地)には、「宇多田」という大庄屋があり、広大な土地を所有していたそうです。
更に宇多田家の先祖には、第18代内閣総理大臣・寺内正毅(てらうちまさたけ)の名前もあります。
寺内正毅の出生名は「宇多田寿三郎(うただじゅさぶろう)」。
出生後、母・猛子の弟の家系・寺内家の養子となったそうです。
宇多田ヒカルさんは、寺内正毅の寺内正毅の兄の子孫で、寺内正毅の曾姪孫にあたるとのこと。
宇多田ヒカルさんはルーツからして只者ではなかったんですね・・・!
宇多田ヒカルの母親は演歌歌手の藤圭子!
宇多田ヒカルさんの母親で元演歌歌手の藤圭子(ふじけいこ)さん。
宇多田ヒカルさんと同じく、目元が印象的で綺麗な方ですよね!
母・藤圭子さんのプロフィールは次の通りです。
出生名…阿部純子(あべじゅんこ)
生年月日…1951年7月5日
死没…2013年8月22日(62歳没)
出生地…岩手県一関市
出身地…北海道旭川市
配偶者…歌手・前川清(1971~1972年)、宇多田照實(1982年以降複数回再婚・離婚)
ジャンル…演歌・歌謡曲・ロック
代表曲…「新宿の女」「女のブルース」等
母・藤圭子さんは、1960年代末~1970年代初頭に、暗く哀切な楽曲と、ドスの効いたハスキーボイス・凄みのある歌いまわし、それと相反する可憐な容姿とのギャップで一世を風靡。
しかし、その華やかな活躍の裏側には、壮絶な人生を辿ってきたことがわかりました。
宇多田ヒカルの母・藤圭子の経歴
宇多田ヒカルさんの母・藤圭子さんの経歴をご紹介します。
1966年、中学3年時、北海道岩見沢市の温泉施設で住み込みの専属歌手になるため、両親と岩見沢市へ転居
1967年3月、岩見沢市立栄中学校を卒業。成績優秀だったが、家計を支えるために高校進学を断念。1967年2月に行われた歌謡大会に偶然居合わせた作曲家・八洲秀章から上京を勧められた。
1967年3月、中学の卒業式当日に両親と上京。その後、スカウトされ、作詞家・石坂まさを宅で住み込み弟子となりレッスンを受ける。
1969年9月25日、「新宿の女」でデビューすると、その後ヒット曲を連発。
1971年、演歌歌手・前川清と結婚するが、翌1972年に離婚。
1974年、喉のポリープの手術を受けたことで、自身が強みである声の特徴を失い、引退を決意。
1979年12月26日、新宿コマ劇場で引退公演を行い、その後渡米。
1981年7月29日、アメリカより帰国し、同年8月1日から「藤圭似子」名義で歌手として復帰
1982年、宇多田照實と再婚。これ以降、宇多田照實とは7回の離婚・再婚を繰り返す。
1983年1月19日、網膜色素変性症により視力が徐々に低下していた中、ニューヨークで宇多田ヒカルを出産。宇多田ヒカルを世界で通用する歌手に育てるため、日米間を奔走。
1988年、この頃から精神疾患を患う。家族に攻撃的な言動が見られ、現実と妄想の区別があいまいとなるも通院を拒絶。このことは母・藤圭子死後、宇多田照實から公表された。
1998年、宇多田ヒカルが15歳でデビューすると、自身は歌手活動を実質引退。
2002年、宇多田照實・宇多田ヒカルと別居。家族には時々電話をかけていた。
2006年、アメリカ・ケネディ国際空港で約42万ドル(当時のレートで約4900万円)と多額の現金を没収される騒動を起こし、世界各国のカジノなどで5年間に5億は使ったと明かした。
2007年、宇多田照實と7回目、最後の離婚をする。再婚することはなかったものの、宇多田姓を最期まで使い続けた。
2009年、2006年の42万ドル没収事件に関して、事件性がないとして全額返還。
2010年11月、母・阿部澄子が肝癌により80歳で死去。
2013年8月22日午前7時頃、都内ビルより飛び降り死去。享年63歳。葬儀は遺言書に基づき、家族のみで直葬、遺灰は海に散骨された。
母・藤圭子さんは浪曲師の両親のもとに生まれ、貧しい生活から抜け出すために中学卒業後に上京。
歌手として成功しますが、母・藤圭子さんの得た収益を巡って両親の夫婦関係は悪化。
最終的に両親は離婚に至ったそうです。
また、母・藤圭子さん自身も、父・宇多田照實さんと離婚・再婚を繰り返したり、奇行が目立つなど、精神的に不安定な状態でした。
母・藤圭子は精神病を患い、家族と確執が生じて離れ離れになった?
母・藤圭子さんは、1988年頃から精神疾患を患っていました。
現実と妄想の区別が曖昧で、自身の感情や行動がコントロールできず、激高したかと思えば数分後には謝るという状態
父・宇多田照實さんが通院を薦めるも拒絶し、不信感を高め病状も悪化
被害妄想による金銭トラブルで、自身の母・阿部澄子とも疎遠になる
2006年、米司法省麻薬取締局に摘発され、所持金約5千万円相当が没収される騒動を起こす
「ニューヨークやカジノを行き来して5年間で5億円を使った」と自ら明かす
宇多田ヒカル、父・宇多田照實に昼夜問わず電話を掛け、世間話をすることもあったが突如として罵倒することもあった
父・宇多田照實さんによると、母・藤圭子さんは出会った当初から感情の変化が激しかったものの、
「類い稀な『気まぐれ』な人」として受け止め、対応可能な範囲だと思った
と、明かしています。
ところが、宇多田ヒカルさんが5歳になった頃から、感情の起伏がより激しくなりました。
宇多田ヒカルさんと父・宇多田照實さんは、長きにわたり母・藤圭子さんの病状改善に努めてきましたが、改善はおろか通院すらできない状況だったそうです。
宇多田ヒカルさんのデビュー以降は、
母・藤圭子は年間1億円以上を使い込むほどギャンブルにハマっていった
宇多田ヒカルが映画監督・紀里谷和明(きりやかずあき)と結婚後、夫と娘からから「個人事務所の副社長を辞めてほしい」と言われた
と、いうことが重なり、母・藤圭子さんは日本・アメリカを放浪するようになりました。
母・藤圭子さんは、宇多田ヒカルさんの「出て行って」という一言を引きずり、
家には帰れない。娘に嫌われているから。
と、繰り返していたそうです。
ただ、実際は宇多田ヒカルさんが話したくても、母・藤圭子さんが応じなかったとも言われています。
その後、家族3人が揃って暮らすことはありませんでした。
そして、同年8月22日、母・藤圭子さんは都内で転落死を遂げます。
宇多田ヒカルさんは、病状が悪化する母親を前に、
私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした
と、明かし、母・藤圭子さんが自死を選んだことについては、
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり
とした上で、実際の母・藤圭子さんは誰よりも可愛らしい人で、娘に生まれたことを誇りに思い感謝していると語っていました。
一方の父・宇多田照實さんは、2013年8月14日、母・藤圭子さんが亡くなる8日前に電話を受け、
珍しく明るい口調で元気そうだった
と、母・藤圭子さんの様子を明かしています。
また、父・宇多田照實さんは、母・藤圭子さんの死が覚悟してのものだったのか、衝動的だったのかは分からないとした上で、
最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです
と、コメント。
家族と離れ離れになり、悲しい最期を遂げた母・藤圭子さんですが、宇多田ヒカルさんを想う気持ちは誰より強く、
仕事が終わると「ヒカルが寂しがっているから」とすぐに帰る
宇多田ヒカルの歌唱力が本物だと信じ、どこでも猛烈に売り込んでいた
と、愛情溢れるエピソードも数多くあります。
だからこそ、
悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です
と、宇多田ヒカルさんが思い浮かべる母・藤圭子さんはいつも笑顔なんですね。
実際に確執があったのは、宇多田家と母・藤圭子の実家の可能性が高い
母・藤圭子さんの死後、一部週刊誌で、
藤圭子と宇多田照實は離婚していたが、藤圭子の実兄と妹を会わせることを拒否したのは宇多田照實だった
と、報じられました。
もともと、父・宇多田照實さんが母・藤圭子さんの実家に無心していたということもあり、母・藤圭子さんの兄で演歌歌手の藤三郎(ふじさぶろう)さんとの関係は良くありませんでした。
藤三郎さんとしては、突然の妹の死に加えて、蚊帳の外にされてしまったという思いがあったようです。
通夜も告別式もなく、藤圭子の遺骨がどこに行くのかも分からない
との報道を目にした藤三郎さんは、葬儀場のスタッフに連絡。
ところが、返ってきたのは、
宇多田照實氏に確認したところ、宇多田ヒカルさんの意向で全ての方との面会はご遠慮するとのことです
との回答でした。
藤三郎さんは、全て父・宇多田照實さんの意向だと判断。
宇多田家と母・藤圭子さんの実家側の軋轢は、決定的なものとなりました。
なお、この報道を受けて、宇多田ヒカルさんは父・宇多田照實さんを擁護するコメントを発表。
ただし、現在まで両家の関係改善には至っていないようです。
宇多田ヒカルは結婚・出産を経て、母への想いも変化していった
宇多田ヒカルさんは2010年8月9日、「人間活動」と称して、長期の活動休止を発表。
2013年に、母・藤圭子さんの死もあったものの、2014年にはイタリア人男性と再婚(2018年離婚)。
2015年には、第1子となる男の子を出産されています。
2016年3月10日、新曲「花束を君に」がNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主題歌となることが発表され、アーティスト活動を再開。
宇多田ヒカルさんは、母・藤圭子さんの死後、
「音楽とか歌詞とか、ああ無理、歌うのも、ああもうできない!」「あ、もう人前には出られないな」
と、思っていたと明かしています。
しかし、その後第一子を出産した宇多田ヒカルさんは、
「あ、わたし親になるんだ」って思ったら、急に「あ、仕事しなきゃ!」ってなったんですよ
と、心境に大きな変化があったのだとか。
「花束を君に」の歌詞については、
タイトル及び歌詞の「君」とは、母・藤圭子で、突然の自殺によって亡くなった歌手・藤圭子を指す
と、宇多田ヒカルさん本人が明言。
また、歌詞自体が、亡くなった母・藤圭子さんへ宛てた手紙だということも明かしています。
しかし一方で、長らく母・藤圭子さんの写真を見ることはできなかったのだとか。
母・藤圭子さんの死から7年後の2021年7月、宇多田ヒカルさんはなかなか母親の写真が飾れなかったとした上で、
でも7年くらい経ってやっと飾るようになったら、子供も「ばあちゃんかわいい」とか話しかけるようになって。私の中で母親との関係が変わったの。
と、語っていました。
後に、喪失感を断ち切るのではなく、抱えて生きていこうと思った瞬間があり、自身も母親も自由になった気がしたとも明かしています。
悲しみに暮れるばかりではなく、宇多田ヒカルさんには前を向ける瞬間があったんですね。
宇多田ヒカルの本名「光」は、母・藤圭子の願いを込めて付けられた
宇多田ヒカルさんの本名「光」の由来は、母・藤圭子さんにありました。
母・藤圭子さんが宇多田ヒカルさんを授かったのは、網膜色素変性症のために徐々に視力を失っていた時期。
そのため、
我が子から光が失われないように
との願いを込め命名したそうです。
ちなみに、「ひかる」以外には、「いちご」「めろん」「すいか」が候補に挙がっていたのだとか。
可愛い名前ですが、「ひかる」になって本当に良かったですね・・・。
宇多田ヒカルは母・藤圭子を卒倒させてしまった
母・藤圭子さんは大の虫嫌い!
虫全般が嫌だと公言されていました。
しかし、幼少時代の宇多田ヒカルさんは、いたずらで体中にセミの抜け殻をくっつけて帰宅・・・!
すると、それを見た母・藤圭子さんは卒倒!!
宇多田ヒカルさんの想像以上に、大事になってしまったのだとか。
張り詰めた話題の多い親子なだけに、こんなエピソードもあるのが意外に感じますね。
宇多田ヒカルの両親のエピソードも紹介!
宇多田ヒカルさんは自身の旧Twitterで、自身の出生時について明かしています。
それによると、宇多田ヒカルさんは予定日から3週間以上過ぎても生まれなかったのだそう。
母子ともに危ぶまれたため、宇多田ヒカルさんは帝王切開により出生。
しかし、直後の宇多田ヒカルさんは心肺停止の状態でした。
医師から「残念ですが…」と言われた父・宇多田照實さんですが、決死の思いで心臓マッサージを施します。
すると、宇多田ヒカルさんは無事息を吹き返したのだとか。
宇多田ヒカルさんがご両親から愛されているのは、こうした困難を乗り越えたことも関係しているのかもしれませんね。
宇多田ヒカルの兄弟姉妹も調査!
宇多田ヒカルさんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
宇多田ヒカルは兄弟姉妹がおらず一人っ子!
宇多田ヒカルさんには兄弟姉妹はおらず、一人っ子であることを明言されています。
宇多田ヒカルさんは、ご両親の愛情を文字通り一身に受けて育てられたんですね。
なお、母・藤圭子さんと、元夫で歌手の前川清さんとの間にもお子さんはおられません。
まとめ
今回は宇多田ヒカルと母・藤圭子の親子エピソードや確執など噂を全部まとめた!
という事で、宇多田ヒカルさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 宇多田ヒカルの実家は東京都杉並区のマンションだったが既に売却されており、宇多田ヒカルのデビューまで両親の借金や浪費のため裕福ではなかった
- 宇多田ヒカルの父・宇多田照實は音楽プロデューサー、母・藤圭子は演歌歌手だったが2013年に死去
- 宇多田ヒカルに兄弟姉妹はおらず一人っ子
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。