モデル・女優、ジュエリーデザイナーから所属事務所の代表取締役まで務めるとよた真帆(とよた・まほ)さん。
1986年モデル、89年に人気トレンディードラマ『愛しあってるかい!』で、女優デビュー。最近では趣味の域を超えた多彩な才能を発揮し、京友禅の絵師やDIYと多方面で活躍中のとよた真帆さん。
そんなとよた真帆さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回はとよた真帆の実家の両親(父・母)はどんな人?兄弟姉妹など家族も調査!
という事で、とよた真帆さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
とよた真帆の実家はお金持ち?
まずはとよた真帆さんの実家について調べてみました!
とよた真帆の実家の場所や住所はどこ?
とよた真帆さんは東京都のご出身です。詳しい地名などは不明ですが、「小さい頃住んでいた家の前に、大きな団地があった」とコメントされています。
そして、とよた真帆さんのお母さんは浅草、お祖母さんは、原宿に住んでいたそうです。まだ緑がいっぱいある田舎で、夏になると近くを流れる渋谷川でみんなで泳いで遊んだとか…現在の原宿からは想像できません…。
ちなみに、現在のお住まいは東京都目黒区とのこと。
とよた真帆さんご夫婦と、ご自身の母親との二世帯住宅だそうですが、さすが、お洒落な豪邸です。
とよた真帆の実家はお金持ち?
目黒区の高級住宅街に豪邸をかまえ、充実したお仕事といつまでも変わらない美貌とスタイルのとよた真帆さん。ご幼少時代もさぞや華やかな生活だったのではないか…と想像してしまいますが、実際はどうだったのでしょうか。
とよた真帆さんは、学習院女子高等科に在籍していらっしゃいました。同校は伝統ある女子高で、多くの女性皇室の方々やオノ・ヨーコさんらの出身校として知られ、とよた真帆さんは初等科から内部進学しています。
学習院初等科の学費は、6年間で670万円、初年度納付金だけでも女子中等・高等科で129万3,000円で、学費は初等科より安いものの、進級すれば毎年100万円近い納付金が発生します。(参考引用:https://financial-field.com)
私立小学校(諸経費)の相場平均より高い、と言われる学習院を小・中・高の12年!…これはお嬢様間違いないんじゃないでしょうか⁉
学習院ってやっぱりすごいのね!
ところが、お父さんが勤め先を退職して、ご自身で立ち上げた会社が倒産。その際に家を出て行ってしまわれたそうです。そこからお母さんが女で一つで三人の子供を育て上げられたとか。当時、とよた真帆さんは3歳くらいで、「家にはお父さんはいない」と思っていたそうです。
インタビュー等でも、「自分の部屋はなかった」と語っていらっしゃいますし、お母さんの苦労を見かねて、周囲の人からは「そんなに無理して学費の高い学校に行かせなくても」と言われていたそうです。
とよた真帆さんは高校在学中にモデルデビューされていますが、これも「母を救いたい、手助けしたい」という思いから、ご自身で事務所に応募した…とのこと。
その結果、生活費や学費だけでなく、お母さんの経営していた店の資金までサポートしていたのはとよた真帆さんご自身の収入だったのです。
以上の事実から察するかぎり、けっして「お金持ち」といわれるような裕福な生活ではなかったようです。
ですが、「中学生の頃は(兄や姉の影響で)自宅にいると、自然と洋楽が流れているような環境だった」という、ご本人の発言からもわかるように、周囲にはひた隠しにして貧しい生活に耐えた…というような暗い生活ではなく、裕福ではないけれど、母と子のつつましいくらし中にも笑顔のあふれる、豊かな生活であったことは間違いないでしょう。
とよた真帆の実家の両親(父・母)はどんな人?
とよた真帆さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
とよた真帆の父親は優秀な広告マン!
とよた真帆さんのお父さんは、一般の方で、優秀な広告マンでした。20代で部長になっていたそうです。また、東広島の安芸津にルーツをお持ちの方で、いまでも「豊田」のお墓がたくさんあるそうです。
先にも触れたとおり、脱サラして、広告代理店を経営。ですが、事業が傾くとご両親は離婚。お父さんは家を出て行ってしまったそうです。
幼かったとよた真帆さんには「ウチにはお父さんはいない」と思い込むほど、お父さんと一緒に過ごした記憶は残っていなかったようですが、その後の父と娘の関係は悪くなかったようです。
父とは定期的に会っていろいろな相談事もしました。うまく言えませんが、仲も良かったと思います。父も悩んだはず。自分の親ですもの、嫌いにはなれませんよ。
引用:https://www.nikkei.com//article/DGXMZO54449550W0A110C2KNTP01/
お父さんととよた真帆さんの間に溝ができなかったのは、お母さんが(お父さまに対しての)愚痴や文句を一切言わなかったことも大きいと思われます。それは、お母さんの性格によるものなのでしょうが、お父さんも子どもや家庭に対する愛情が深い人だったのではないでしょうか。独立も、離婚も家族のことを考えて…の部分が大きかったと感じられるから、「嫌いにはなれない」。
お父さんは、とよた真帆さんが20代の時にお亡くなりになられたそうですが、複雑な関係ですね、父と娘って。
とよた真帆の母親は粋な江戸っ子!
昭和5年生まれ、東京大空襲も経験した浅草育ち、ちゃきちゃきの江戸っ子であるお母さん。
家出をした夫が銀座に残したバーで生計を立てていたそうです。細かいことにこだわらない性格で、そんな夫に対しても「お父さんは仕方ないねぇ」とだけ言って、子どもたちに愛情を注ぎながら育ててくれた とインタビューで答えています。
お母さんの人柄もあり、バーは著名な作家の方々が常連客の、知る人ぞ知る店となったそうです。
幼かった私には、母の働く姿が輝いて見えました。同時に、そんな母を幸せにしたいと強く感じたことも覚えています
引用:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54449550W0A110C2KNTP01/
こちらが、とよた真帆さんのお母さんです!
現在、目黒区で同居されているお母さんは、なんと現在93歳!(写真は86歳の時のもの)お綺麗な方で、さすがの美人さん遺伝子です。
「女性はお出掛けのおしゃれが元気の出る秘訣」で「母の場合、スーツをバシッと着る時間が大切なようです」と。写真のタートルネックとゴールドのアクセサリーは、かつてとよた真帆さんの愛用品だったもの。
私の服をあげると
お下がりならぬ
お上がり!(^。^)と言ってとても喜んでくれます
引用:https://ameblo.jp/maho-toyota/entry-12229845551.html?frm=theme
とよた真帆さんの得意なDIYもお母さんの影響が大きいとか。「もったいない精神」がベースにあって、一つのものを大切に使い、リメイクするのがすごく上手なんだそうです。
オランダのアートペイントに凝って、家中の家具を全部花柄に塗り替えたこともあるんだって! お母さん、スゴイ!
「母を幸せにするため、父の役割もになってきた人生」と語るとよた真帆さん。20歳の時に、お母さんに伊豆高原の家をプレゼントされています。
こちらの家は、2020年に食道がんで亡くなったとよた真帆さんの夫、青山真治監督も「森」と呼んで大変気に入っており、「そこで亡くなりたい」とまで言っていたそうです。二世帯同居でしたが、青山真治監督ととよた真帆さんのお母さんはとても仲が良かったそうです。
「恩は恩で返ってくるのよ」というのが母の口癖。相手を愛し、助けるという当たり前のことが大切だと教わったそうです。
誰かを頼り、助けを求めることも決して悪いことではない。でも、まずは自分で自分の面倒をみるという気概を持たなければならないことも、母は教えてくれていたのだと思います
引用:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54449550W0A110C2KNTP01/
大変な事もあったが、結果としてそれが目標だったり、仕事のはりにもなって、いまはすべての大変な事柄に感謝…とコメントされています。ステキな母娘関係です。
とよた真帆の両親のエピソードも紹介!
とよた真帆さんのご両親が離婚した時、3歳頃だったので、お父さんの記憶もなかったそうです。つまり夫婦のエピソードというのも、ご本人の発信ではみつかりませんでした。
ただ、家を出たお父さんのことを悪く言わなかったお母さん、そしてすべての財産を手放してもおかしくないのに、ご家族の棲むご自宅と、銀座のバーを残してくれたお父さん。そこにお二人のお互いを思いやるすべてがあるのではないでしょうか。
家族構成を聞かれると、必ず「両親と兄、姉の5人家族」と答えるとよた真帆さん。離れ離れになった後も、定期的にお父さんに会って相談もしていたそうです。もしかしたら、ご両親も同じように子どもたちの成長を話しあっていたかもしれませんね。
とよた真帆の兄弟姉妹も調査!
とよた真帆さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
とよた真帆さんには10歳上にお兄さん、7歳上にお姉さんがいらっしゃいます。ひとりだけ年の離れた妹ですが、子供のころから何かと影響を受けてきた存在だったそうです。
とよた真帆の兄弟は(兄・姉)!!
とよた真帆さんにはお兄さん・お姉さんがおられます。
10歳上の兄
お兄さんは現在65歳。日大藝術学部の映画学科出身で、その後は映像プロデューサーをされていました。
映画好きで毎週劇場に連れていってくれたそうです。最初に記憶にあるのは「カッコーの巣の上で」(1976)。「なぜ、あんな深刻な作品を小学生に見せたのか(笑)」と回想されています。
高校生の時に自主映画を作っていて、とよた真帆さんを撮った8ミリフィルムも残っているそうです。「それも女優になる、きっかけだったのかな」とのこと。お兄さんの制作した番組にとよた真帆さんが出演したこともあったそうです。
2011年のブログには、お兄さんのお嬢さん、とよた真帆さんの姪にあたる「まいちゃん」の成人式で、家族写真を撮ったことを載せています。
姪の「まいちゃん」が着ているお着物は、とよた真帆さんが成人式の時に着用したもの。
沖縄の「ビンガタ染め」というもので、お母さんが買ってくれた最後の記念すべき品なんだそうです。
姪のまいさんは文学少女で、当時の夢は「出版社勤務」でした。叔母であるとよた真帆さんは「個性的で目力もあってとても可愛い」とべた褒めしており、「女優さんになれば」いいのに…と思っていました。現在、女優さんになった…というお話は聞こえてこないので、いまごろは忙しく出版業に励んでいらっしゃるのでしょうか?
ちなみに、とよた真帆さんの隣はご主人の青山真治監督、そしてお母さんなので、カメラマンを務めたのがお兄さん…ということなのでしょうね。
7歳上の姉
お兄さんと同じく、影響力の大きかったお姉さん。とよた真帆さんが高校生の時、すでに社会人だったお姉さんが、毎週末に夜遊びに出かける姿を見て、「大人の世界」への憧れを強く持ったそうです。
洋楽も好きだったお兄さん、お姉さんに影響されて、とよた真帆さんが初めて買ったレコードはモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」。13歳のセレクトにしては大人っぽいですよね?
お姉さんはとよた真帆さんの7つ上のなので現在62歳。お兄さんに比べ露出が少ないため、情報は少ないですが、お母さんを見る限り、お姉さんも美しいオトナの女性であるのは間違いないでしょうね。
まとめ
今回はとよた真帆の実家の両親(父・母)はどんな人?兄弟姉妹など家族も調査!
という事で、とよた真帆さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- とよた真帆さんのご実家はお金持ちではありませんが、お互いを思い合い、感性豊かな人格形成のルーツとなる大切な場所、ご家族です。
- とよた真帆さんのご両親は、お父さんの事業失敗を機に離婚されていまいましたが、子どもたちに愛情をそそぎ、つながりを消さない努力の出来るステキな方たちです。
- とよた真帆さんのお兄さんは「女優」を意識させるきっかけを、お姉さんは「大人の世界への憧れ」を与えてくれた存在でした。お兄さんが映像プロデューサーとして携わった番組に、とよた真帆さんが出演したこともあります。
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。