バスケットボール選手の富永啓生(とみながけいせい)さん。

卓越したシュート力とスピードを武器に国内外で活躍しています。
そんな富永啓生さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は富永啓生の父・啓介も元バスケ日本代表!母や兄弟など家族も調査!
という事で、富永啓生さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
富永啓生の実家はお金持ち?
まずは富永啓生さんの実家について調べてみました!
富永啓生の実家の場所は愛知県名古屋市守山区!
富永啓生さんは愛知県名古屋市守山区の出身であることを公表しています。
小学校は名古屋市立西城小学校に通っていました。

バスケットボールを始めたのも小学校からだそうです。
当時は地元のバスケットアカデミー「ディーナゲッツ愛知」に毎週通っていました。
小学生時代からすでに大人顔負けのプレーを披露していたそうですよ!
この頃から得点感覚はズバ抜けていたものの、小学生が大人と同じコートでまさかステップバックスリーを連発し、手が付けられない状態など誰も想像していませんでした。
引用:https://www.d-nuggets.com/blog/2018/12/post_4242.html
卒業後は春日井市立岩成台中学校に進学します。

バスケットボールに在籍し、全国3位の成績をおさめています。
今でこそ188cmの高身長で活躍している富永啓生さん。
しかし当時の身長は170cm程度しかなく、全国的にそれほど有名な選手ではありませんでした。
そんな富永啓生さんが大きく飛躍したのは高校進学後です。
愛知県豊橋市にある桜丘高等学校に進学した富永啓生さん。

高校入学時から身長が大きく伸び、3年生の段階で約15cmも成長していたそうです。
3年生のときにはウインターカップの得点王にも輝くなど、技術面でも進化を遂げています。
一躍注目を浴びることになり、U-18の日本代表選手にも選出されました。
卒業後はアメリカ留学を決意。
2019年6月にNJCAA(全米短大体育協会)1部所属のレンジャー・カレッジへ進学するため、アメリカ合衆国テキサス州に渡りました。
その後、2020年にはネブラスカ州リンカーン市のネブラスカ大学に編入し、現在へと至ります。
高校までを愛知県で過ごし、現在はアメリカで活躍をしている富永啓生さん。
その実家は愛知県名古屋市守山区にあることがわかりました!
きっと愛知県への思い入れも強いことでしょうね!
富永啓生の実家はお金持ち?
富永啓生さんの実家は裕福なご家庭であると考えられます。
根拠としては以下の2つです。
- 富永啓生さんはバスケット教室を掛け持ちしていた
- 父親が三菱電機に勤めている可能性が高い
それぞれの根拠について紹介していきます。
富永啓生さんはバスケット教室を掛け持ちしていた
先ほども紹介したとおり、富永啓生さんは地元のバスケットアカデミー「ディーナゲッツ愛知」に毎週通っていました。
ディーナゲッツ愛知のHPにその費用が掲載されています。

個人差はあるでしょうが、決して安いとは言えない金額ではないでしょうか。
それに加えて、小学校3年生から6年生の間はミニバスチーム「JBC-FIRES」にも所属していたそうです。
こちらは費用はHPに掲載されていませんでしたが、3000~5000円の月謝が相場のようです。
これらを毎月支払うとなると、金銭的な余裕がそれなりにないと厳しいように思えます。
父親が三菱電機に勤めている可能性が高い
富永啓生さんの父親は三菱電機に勤めている可能性が高いです。
詳細は後ほど紹介しますが、富永啓生さんの父親は元バスケットボール選手でした。
1996年に三菱電機に入社しバスケットボール部に所属。
2006年に現役を引退しています。
その後の詳細は明らかにはなっていませんが、三菱電機に勤めている可能性が高いのではないでしょうか。
調べてみると、その平均年収は827万円と、他企業の平均を大きく上回っています。
三菱電機の平均年収は827万円と、業界平均より279万円高くなっています。日本を代表する電機メーカーの1つなので、年収水準が高いことも納得ですよね。
引用:https://axxis.co.jp/magazine/54633
上記の情報を総合すると、富永啓生さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
幼少期からバスケットに注力できる環境があったことがわかりますね!
富永啓生の実家の両親(父・母)はどんな人?
富永啓生さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
富永啓生の父親は富永啓之!
富永啓生さんの父親は、元バスケットボール選手の富永啓之さんです。

年齢 | 1973年10月7日(50歳) |
出身 | 京都府 |
最終学歴 | 日本大学 |
身長 | 211cm |
体重 | 105kg |
富永啓之さんは高校時代は洛南高校のバスケットボール部に所属していました。
洛南高校は全国でも有数の強豪校です。
そのなかでも富永啓之さんはかなり知名度のある選手だったといいます。
211cmという超高身長を活かし、ポジションはセンターを務めていました。
高校時代の活躍が認められ、卒業後は同じく強豪である日本大学に進学します。
在学中には「学生のためのオリンピック」と称される1995年夏季ユニバーシアードの準優勝メンバーにもなりました。
卒業後は三菱電機に入社し、バスケットボール部に所属。
1998年には世界選手権の全日本メンバーに選ばれました。
そして2006年に現役を引退しています。
こうして見ると、バスケットボール選手として非常に輝かしい経歴ですね!
富永啓生の母親は富永ひとみ!
富永啓生さんの母親は、富永ひとみさんです。
代表選出などはされていないものの、富永ひとみさんもバスケットボール選手としての経歴を持っています。

富永啓之さんと同じく、富永ひとみさんも三菱電機のバスケットボール部に所属していました。
それが2人が出会うきっかけとなったのでしょう。
身長は155cmで、当時のポジションはガードだったそうです。
SNSでは夫婦で富永啓生さんの試合を観戦している姿が投稿されていました。
Over 6,000 miles traveled to see @KeiseiTominaga play in a Husker uniform for the first time.
— Nebraska Men's Basketball (@HuskerMBB) February 25, 2023
we bow TO YOU Hiroyuki and Hitomi ! 🥹 pic.twitter.com/B1E4Q9bgYb
バスケットを通じて出会った二人は富永啓生さんの活躍が何より嬉しいのでしょうね。
富永啓生の両親のエピソードも紹介!
ここからは富永啓生さんご両親のエピソードを紹介していきます。
生まれたときから枕元にはバスケットボールが!
共にバスケットボール選手だった富永啓生さんのご両親。
富永啓生さんを絶対にバスケットボール選手にしたいという思いがあったそうです。

そんなご両親の英才教育は富永啓生さんが生まれた直後から始まりました。
富永啓生さんが生まれたときから、その枕元には7号球が置いてあったとか。
「7号」とはバスケットボールの大きさのことで、中学生以上が使用する大きさになります。
また他におもちゃを与えることもありましたが、それらもすべて丸いものに統一されていたという徹底ぶりでした。
その当時のことを振り返り、富永啓之さんは

気づいたらボールをポンポン叩くようになっていました。お座りするようになったら、もうボールを投げていましたね。投げると言っても当然目の前にポロンと落とすだけですけど
と語っています。
当時からすでにその才能の片鱗を覗かせていたようです!
家中に至るところにバスケットゴールが!
富永啓生さんの最大の強みといえば、そのシュートコントロールの正確さ。
それは幼少期からたくさんシュートを打てる環境に裏付けられていました。
いつでもシュート練習ができるようにと家の至る所に啓之さんがゴールを手作りで設置していたそうです。
そして”いつでもシュート練習ができるように”風呂場や車などにバスケットのゴールを父が手作りし、気がつけば家中ゴールだらけの環境。
引用:https://re-departure.com/tominaga.aspx
そして身長が伸びればゴールの位置もそれに合わせて調整するということも繰り返していたとか。
シュートにおいて重要な手首の柔らかさは、投げたシュートの本数に比例するそうです。
ゴールだらけの家のなかで過ごした幼少期が富永啓生さんを支えているのかもしれません!
アンパンマンよりもNBA
富永啓生さんは幼少期から国内外のバスケの試合の映像をたくさん見てきたと話しています。
もちろんそれは啓之さんの英才教育によるもの。



啓生が赤ん坊の頃から一緒にNBAのビデオを観るようにしたんです。最初はマイケル・ジョーダンのVHS、次にコービー・ブライアントのDVDを買いました。
富永啓生さんもバスケの試合を見るのが大好きだったようで、アンパンマンを見るよりも喜んでいたとか。
あるとき富永啓生さんがゴミ箱にゴミを投げるのを見た時のこと。
啓之さんはその手首のスナップが綺麗で感心したそうです。
意外なことに、啓之さんは富永啓生さんにボールの投げ方を教えたことはありません。



あのスナップは目から覚えたんだと思います
と振り返る啓之さん。
バスケットボールを学ぶうえで最高の環境が揃っていたのですね。
父親の顔色を伺っていたミニバス時代
今でこそ息子の活躍を生きがいとしている啓之さん。
しかし啓之さんは富永啓生さんの幼少期を振り返り、



啓生は僕の顔色を窺いながらプレーしていた
と語っています。
その理由について、続けてこう話しています。



手を抜いているときには叱りましたね。それこそ桜丘高校時代も地方大会で適当にやっていたので、めちゃくちゃ叱ったことがあります
バスケットボール選手として大成してほしいという想いが、つい叱咤に繋がってしまったようですね。
富永啓生さん本人も当時のことを振り返り、



自分では一生懸命やっているつもりなんですけど、父から見ると本気を出していないように見えるときがあるみたいで
と語っています。
もしかすると誤解されやすい性格なのかもしれませんね!
富永啓生の兄弟姉妹も調査!
富永啓生に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
富永啓生の兄弟姉妹は妹!!
富永啓生さんには妹がおられます。
富永千尋さんという方で、現在は中部大学女子バスケットボールに所属しています。


星座 | ふたご座 |
出身地 | 愛知県 |
血液型 | AB型 |
富永千尋さんはバスケットボールの強豪校・名古屋市立守山中学校を卒業しています。
卒業後は同じく強豪である福岡県福岡市博多区の精華女子高校に進学しました。
以上のことから、富永啓生さんのご家族は全員がバスケット選手であることになりますね!
怪我からの復帰が感動を呼ぶ
精華女子高校のバスケットボール部に入部した富永千尋さん。
しかしコロナ禍の影響もあり、満足に部活動をできないことも多かったようです。
そんななか、富永千尋さんは3年生の5月に左膝の前十字靱帯を損傷してしまいます。
そこから地道なリハビリに取り組む日々が始まりました。
そうして迎えた12月の全国高校選手権。
試合終了間際に交代で出場した富永千尋さんは、残り1秒で見事にゴールを決めます。
そのとき、富永千尋さんの苦しい道のりを知る精華女子のベンチからは歓声と涙があふれました。


インタビューで富永千尋さんは



3年生が声をかけてくれたり、同じく膝をけがしていた子もいて一緒にリハビリをしたり、それが一番支えになった。最近復帰して、その中でメンバーに入れてもらった。周囲の方に本当に感謝してます。
と感謝を口にしています。
また兄である富永啓生さんとのやり取りにも触れており、



「やるしかないよ。とりあえず信じてやるしかない」と言ってくれて。けがをしていてもできるシュートの練習を聞いたりとか
と、心の支えになっていたようです。
現在は中部大学女子バスケットボールに所属する富永千尋さん。
日本代表として彼女を見る日も近いのかもしれません。
まとめ
今回は富永啓生の父・啓介も元バスケ日本代表!母や兄弟など家族も調査!
という事で、富永啓生さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 富永啓生の実家の場所は愛知県名古屋市守山区
- 富永啓生さんの実家は裕福な家庭である
- 富永啓生の父親は富永啓之
- 富永啓生の母親は富永ひとみ
- 富永啓生の兄弟は妹
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。