読売ジャイアンツでプロ野球選手として活躍する戸郷 翔征(とごう しょうせい)選手。

19年に球界入りを果たし、23年には WBC野球日本代表へ選出、24年には史上89人目、通算101度目となるノーヒットノーランを達成、また2度の最多奪三振タイトルを獲得するなど数多くの実績を残す選手です。
そんな戸郷翔征選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は戸郷翔征の母は長身の元バレー選手?兄や父親など実家の家族もまとめた!
という事で、戸郷翔征選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
戸郷翔征選手の実家はお金持ち?
まずは戸郷翔征選手の実家について調べてみました!
戸郷翔征選手の実家の場所は宮崎県都城市!
戸郷翔征選手は宮崎県都城市出身。

都城市は宮崎県内2位の人口を誇り、日本有数の農業地域とされています。
中でも牧畜業が盛んで、「市町村別農業産出額」では4年連続全国1位を達成しています。
また令和5年度ふるさと納税受入額で全国一位を達成しています。
また宮崎県は野球が盛んな県として有名で、戸郷翔征選手の父は「男の子なら野球」と子供が生まれる前から決めていたそう。
そんな父の期待通り、戸郷翔征選手は宮崎県三股町にある三股町立三股西小学校で、1年生の頃から三股西ファイターズに所属し野球を始めます。
しかし小学6年生の頃、都城市立上長飯小学校に転校。
当時進学予定だった中学校が約800人のマンモス校、野球部も約100人と多いことから

普通の環境で野球をやらせてあげたい
というご両親の思いで、車で10分ほどの距離の場所に引っ越しをしたそうです。
そのため進学先の中学校は都城市立妻ヶ丘中学校となっています。


その後引越しをしたとの情報は無いため、今でも都城市立上長飯小学校の学区内に戸郷翔征選手の実家がある可能性が高いでしょう。
中学校卒業後は宮崎県延岡市にある聖心ウルスラ学園高等学校に進学し、野球部に所属。
2年生の夏にはエースピッチャーとして、第99回全国高校野球選手権大会に出場しています。
戸郷翔征さんの実家はお金持ち?
戸郷翔征さんは父、母、兄を含めたの4人家族です。
現在の試算にはなりますが、4人家族で暮らすのに必要な理想の年収は800万円ほどと言われています。
戸郷翔征選手は幼い頃には水泳教室や母のママさんバレーについて行っていたと言います。
肩を強くするためにと、小さい頃からいろいろなスポーツをさせていた。幼稚園の頃は水泳教室や、私が通うママさんバレーにも連れて行っていましたね。
引用:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/277612
兄も習い事をしていたとすると、習い事だけでも月に数万円はかかっていたのではないでしょうか。
また高校は兄、戸郷翔征選手ともに私立の高校に進学しています。
私立高校の学費は平均で年間100万円程。
部活動で必要な経費も考えると、多い時には年間200万円以上かかっていたのではないでしょうか。
生活費も必要ですし、ある程度の稼ぎがなければ実現不可能かと思われます。
ここで全国の平均年収と宮崎県の平均年収を見てみましょう。


上記の表は九州地方における、2021年の平均年収表です。
同年の日本の平均年収は約403万円で、宮崎県は全体の平均よりも50万円ほど低いことがわかります。
そんな中戸郷翔征選手の父は長距離トラックの運転手で平均年収は約400万円〜750万円、母は看護師で500万円前後の年収があったのではないかと推察できます。
上記の情報を総合すると、お金持ちだという確証は無いものの戸郷翔征選手の実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
戸郷翔征選手は父と共に趣味釣りに出かけることもあったと言います。
多忙な中でも家族の時間を大切にする、素敵なご両親の元で育ったのでしょうね。
戸郷翔征選手の実家の両親(父・母)はどんな人?
戸郷翔征選手の実家のお父さん、お母さんについても調べました!
戸郷翔征選手の父親は健治さん!
長距離トラックの運転手で、野球と釣りが趣味の健治さん。


戸郷翔征選手が野球を始めたきっかけとなった方です。
何に対しても負けず嫌いで、闘争心を表に出さないところが自分と似ていると戸郷翔征選手は語っているそうです。
またオリジナルの練習道具を作り、自宅でも野球の練習をできる環境を整えてくれていたとか。
本当に野球が好きで練習にも熱心なお父さんですね。
戸郷翔征選手の母親はヒトミさん!
看護師をしているヒトミさん。


戸郷翔征選手の身長は187cm。
写真を見ると、母のヒトミさんもかなりの高身長だということがわかります。
この高身長を生かし、ヒトミさんはママさんバレーをされていたそうです。
また看護師として多忙な毎日を送る中、戸郷翔征選手が本格的に野球を始めてからは試合後にそのまま川へ行きクールダウンを兼ね泳がせたりしていたのだとか。
とてもパワフルなお母さんという印象ですね!
戸郷翔征選手の両親のエピソードも紹介!
戸郷翔征選手の両親のエピソードについても調べてみました!
戸郷翔征選手の名付けは母、ヒトミさん!
「生きててくれたらそれだけでいい」という言葉が口癖だというヒトミさん。
兄・悠大さんと戸郷翔征選手の頭文字をとると「ゆうしょう」となるように名付けたのだそう。
口癖通りの素敵な名前となっていますね。
基本的に試合前後には連絡しないが・・・?
2024年に史上89人目、101度目となるノーヒットノーランを達成した戸郷翔征選手。
家族は普段試合前後に連絡することはないそうですが、この時ばかりは



おめでとう!
と家族LINEにメッセージを送ったそうです。
戸郷翔征選手の活躍に嬉しさを抑えきれない様子が、家族の仲の良さを物語っていますね。
父・健治さんも高校球児!
戸郷翔征選手の父も高校まで野球部に所属していたそうです。
野球の楽しさを教えてくれたのは父だったとか。
戸郷翔征選手が野球を初めてから練習道具を自作してくれたり、自転車で追いかけながらの走り込みをするなど、熱心に野球の練習に付き合ってくれていたようです。
戸郷翔征選手の努力を惜しまない姿は、父と共に培ってきたものなのではないでしょうか。
戸郷翔征選手の兄弟姉妹も調査!
戸郷翔征選手に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
戸郷翔征選手の兄弟は兄・悠大さん!
戸郷翔征選手には、2つ年上の兄・悠大さんがいます。


悠大さんは、現在オリックス所属する山本由伸選手と同級生でとても仲良しなのだそう。
現在は自衛隊で働いています。
悠大さんは中学校まで野球部に所属し、高校からはラグビー部へと転向しました。
その理由を下記のように語っています。
宮崎・聖心ウルスラ学園高1年時には、遠投の記録会で117メートルをたたき出した。「別格なんだと思った」と悠大さん。
(中略)自衛隊で働く悠大さんは中学生の頃、自宅から車で約1時間かけて練習に通った。トラック運転手の父・健治さんは多忙で、支えてくれた母・ヒトミさんへの思いもあり「自分が無理する必要はないと、野球をやめたんです」と打ち明ける。
引用:https://www.google.com/amp/s/www.sanspo.com/
戸郷翔征選手の才能にいち早く気づいたのは悠大さんだったのかもしれませんね。
この他にも悠大さんは戸郷翔征選手について、「影で努力するタイプ」「顔には出さないが相当な負けず嫌い」だと語っています。
小さい頃は喧嘩ばかりだったとのこと、戸郷翔征選手の負けず嫌いは幼い頃からのものだったのかもしれませんね。
まとめ
今回は戸郷翔征の母は長身の元バレー選手?兄や父親など実家の家族もまとめた!
という事で、戸郷翔征選手の実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 戸郷翔征選手の実家は宮崎県都城市
- 戸郷翔征選手の父は長距離トラック運転手、母は看護師でママさんバレーをしていた
- 戸郷翔征選手は兄にも野球の才能を認められていた
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。