女子レスリング選手の須﨑優衣(すさき ゆい)さん。
世界レスリング連合(UWW)で世界ランキング1位に輝き、世界選手権の主要5大会を制す世界初の「グランドスラム」を達成。かわいいルックスと美しい筋肉が話題の金メダリスト。
そんな須﨑優衣さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は須﨑優衣の父・康弘は社長!母や兄弟など実家の家族も全部まとめた!
という事で、須﨑優衣さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
須﨑優衣の実家はお金持ち?
まずは須﨑優衣さんの実家について調べてみました!
須﨑優衣の実家の場所や住所はどこ?
須﨑優衣さんの実家は千葉県松戸市です。
松戸ジュニアレスリングクラブで小学1年生からレスリングを始めます。
地元の六実第三小学校から六実中学校に進学しています。
また、実家近くには小学生の頃から通っていたという「金太楼鮨 ときわ平店」があるそうです。
須﨑優衣さん特設コーナーを設け、お母さんが持ってきたユニフォームや、特製ポスター、横断幕を展示して応援しているそうですよ。
以上の事を考えて、松戸市の六高台から常盤平あたりにご実家があるのではないでしょうか?
中学2年生のときに日本オリンピック委員会から声がかかり、
将来有望な世界に通用する選手を育てる目的で、JOCエリートアカデミーに選出されます。
そのため、須﨑優衣さんは13歳で親元を離れ、東京で寮生活になりました。
ここから華々しくドラマチックな競技人生がスタートするわけですが、
千葉県松戸市で五輪個人種目金メダルをとった初の女性アスリートだった須﨑優衣さん。
出身小学校の隣にある六実中央公園には、その記念プレートが設置されています。
パリ五輪では、この隣に新しい記念碑が建てられるといいですね!
須﨑優衣の実家はお金持ち?
須﨑優衣さんのお父さんは、会社経営者です。
・経営する会社の年商が10億円といわれている
・歯科医院全般のコンサルティング事業という、現代社会の成長産業である
・成人式にはお母さんの振袖を着ている(←レンタルではない、お母さんの実家も裕福?)
・その時のお母さんの持っているバッグはブランド品
上記の情報を総合すると、須﨑優衣さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうですね。
のちほど触れますが、成人式の時の振袖は、その後も卒業式や園遊会などで着用しています。
代々大切なものとして譲り受けていけるというところにも、お金持ちの感じがしますね。
お着物のお手入れってけっこう大変ですからね。
須﨑優衣の実家の両親(父・母)はどんな人?
須﨑優衣さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
須﨑優衣の父親はレスリング指導者で経営者!
須﨑優衣さんのお父さんは須﨑康弘(すさき やすひろ)さん、62歳です。
銀行や財務コンサルティングを経て、株式会社デンタルネットを経営。
訪問歯科の導入をメインに、歯科医院全般のコンサルティング事業を行っています。
創業当時の社長・勝野さんとスポーツクラブで知り合い、「独立を手伝って」と誘われます。
財務の専門家として資金集めから参加し、会社を勝野さんから引継ぎました。
現在は社長の役職から退き、相談役のような形で会社に在籍されているようです。
お父さんはレスリング経験者
須﨑優衣さんが小学1年生で所属した松戸ジュニアレスリングクラブは、お父さんがコーチをしていました。
早稲田レスリング部のOBでお父さんはレスリング経験者です。
須﨑優衣さんは、中学に上がるまで父親にコーチを担当してもらい、心技体すべてを父親から教わりました。
お父さんは、「練習というより、家族で遊びに行く感覚でレスリングを始めた」と語っています。
練習は練習でしっかりと行い、練習後は家族で行きつけの寿司屋に行く。
自宅では指導や練習をさせないというメリハリのある生活を心がけていました。
レスリングをさせたい思いはありましたが、やらせたということはありません
家族で海水浴に行ったら、知り合いである(レスリングの)先生家族も来ていたました。
須﨑優衣さんと同年代の男の子たちが、砂場で相撲をとっていて、
そこに混じった須﨑優衣さんがいい動きをしたんだそうです。
「あれ?」と素質を感じたお父さん。
同じことを感じたであろう先生にも「優衣ちゃん、レスリングやってみたら?」と言われます。
「じゃあ、今度行ってみようか」と誘って、お父さんが教える松戸ジュニアレスリングクラブに行ったのがきっかけとなります。
須﨑優衣さんは初めてのクラブでもやりたい放題。
カーテンに隠れたり、トイレに逃げてみんなで探したり…友達ときゃあきゃあやりながら練習を楽しんでいました。
「教えていないのにタックルに入れる物おじしない子」だったそうです。
お父さんは会社の展望として、さらに進むであろう少子高齢化のために
高齢者のためのシステムづくりと同時に、子供たちが元気になることをしていきたいと語ります。
松戸でレスリング教室を開いて25年以上、
卒業生や自分の娘がオリンピックの強化選手となる結果も出しています。
運動の楽しさも辛さも知っていますから、会社としてスポーツも支えるようになっていきたいです。
頼もしいお言葉です!
父譲りの相撲好き
大の大相撲ファンで知られる須﨑優衣さん。
そのルーツはお父さんの相撲好きから来ているそうです。
東京オリンピックの金メダルに対するご褒美は「砂かぶり席での大相撲観覧」でした。
砂かぶり席のチケット代
・500席あるエリアのうち、一般販売は200席ほど
・20,000円(1人席・両国国技館)
ジュニア時代の指導者は「タックルの入り方や、構えの低い姿勢とかは教えなくてもできていた」とセンスを指摘。
お父さんは「相撲の立ち合いを見ていたから、潜在的にタックルだけはうまかった」と分析しています。
ご本人も大相撲はレスリングの参考になることが多いと言っています。
- 体の使い方
- プレッシャーのかけ方で相手が倒せる
- 押し出す
勉強になりますし、見ていても本当に楽しいです
小さい頃から毎年国技館に足を運んでおり、武蔵川部屋の餅つき大会などにも参加していたようです。
2024年1月の初場所のテレビ中継にもゲスト出演され、巧みなコメントと解説が相撲ファンからも大絶賛でした。
筋金入りですね。
尊敬する父
お父さんから
- 強い気持ちを持つことや勉強をすることの大切さ
- レスリングができる環境があるのは周りの人たちのおかげであり、当たり前ではないということ
- 感謝の気持ちを持つこと
を教わったという須﨑優衣さん。
今でもお父さんの教えを胸に刻んでいるそうです。
早稲田大学の卒業式の投稿です。
早稲田大学レスリング部出身で、OB・OG会「稲門レスリング倶楽部」の役職者でもあるお父さん。
母校に娘の晴れ姿でふたたび…嬉しいでしょうね!
須﨑優衣の母親は娘に感謝
須﨑優衣さんのお母さんは須﨑和代(すさきかずよ)さんです。
お父さんと9歳ほど年の差があるということなので、現在53歳。
東京オリンピックの女子選考は大波乱でした。
代表争いで自衛隊の入江ゆき選手に敗れ、9月の世界選手権への出場は叶わず。
これでオリンピック出場の可能性が限りなくゼロに近くなってしまった須﨑優衣さん。
娘はこの時「人生のどん底」を味わいます。
お母さんはそんな娘に、
よく頑張ったね。優衣のおかげですてきな経験をたくさんさせてもらったよ。ありがとう
これは、うわべのフォローではなく、心からのねぎらいと感謝の言葉だったと思います。
ご本人もこの言葉で、我慢していた涙があふれだしたと語っています。
それ以降もたくさんの人に支えられ、励まされするうちに
0.01%でもオリンピック出場の可能性が残っているなら、それに賭けてみよう
と、気持ちを切り替えることができたそうです。
あの記念碑の言葉ですね!
世界中のファンから「まだあきらめないで!」との声が届いた須﨑優衣さん。
「ここでは終われない」と立ち上がり、大逆転で五輪出場が決まったのです。
開会式では日本選手団の旗手を務めた娘。
その姿を見たお母さんは
ごく普通の子だった優衣がメダルを取れればいろんな人を勇気づけることになる
と期待を込めたと言います。
お母さんの振袖
須﨑優衣さんが、成人式の様子をインスタグラムに投稿した1枚。
ご両親へ「心から感謝です」と書いています。
小学生でレスリングを始めた娘の練習に付き添うのはお母さんの役割だったそうです。
お母さんもさぞ感慨深かったでしょうね。
ちなみに、このお母さんの振袖はこの後も大学の卒業式や園遊会で着用しています。
淡い配色で可愛らしいですし、お気に入りなんですね。
よくお似合いです!
須崎優衣の両親のエピソードも紹介!
須崎優衣さんとご両親のエピソードも紹介します!
両親の教育方針は「特になし」
娘がレスリングを始めたのは、「偶然」と言うお父さん。
ご両親とも教育方針は「特にない」と言われます。
お母さんも、「レスリングは体力づくり程度の位置づけ」だったと述懐します。
幼稚園の年中からピアノを8年間、小学1年生から4年生まで水泳もやっていたそうなんです。
どれを選択するかは本人しかわからなかった…ということですね。
家の中に練習環境を整えて、みたいな選手のご家族の話も聞きますが何もなく、家ではレスリングは話題にすらなりませんでした。
練習も週1回だけだったそうですよ。
それが…どうなるかわからないものですねぇ。
ベオグラード!
ベオグラード
・日本との時差 ‐7時間(日本の方が早い)
・羽田空港から ベオグラード・ニコラ・テスラ空港 までの距離(測地線長)は、約 9225 Km
・9月の最安値で(乗り継ぎ1回・格安航空券)6万5千円ほど
・物価もやや高め
なかなか真似できないですね…。
家を出て全寮制の中学へ…
須﨑優衣さんは中学2年生の時、「JOCエリートアカデミー」に入るため、千葉の実家を離れました。
全寮制なので、中学校も転校。
親としては本当に不安な中で送り出したところがあったと思います。
ご両親は「小さいときからの夢を絶対に叶えて欲しい」と話していたそうなので、
娘のオリンピックを本当に喜んでいるそうです。
お互いの笑顔がなによりのご褒美ですね!
須﨑優衣の兄弟姉妹も調査!
須﨑優衣に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
須崎優衣の兄弟は姉!!
須﨑優衣さんには仲の良い、4歳年上のお姉さんが1人おられます。
須﨑麻衣(すさき まい)さんです。
・1995年5月10日うまれ 28歳
・IT関連の大手企業勤務
・千葉県立鎌ヶ谷高校、早稲田大学卒業(2018年スポーツ科学部卒)
・早稲田大学レスリング部OB(主務と学連委員を兼任)
お姉さんも現役時代は実力派のレスリング選手だったそうです。
2015年には東日本学生女子選手権の48kg級で優勝、国際大会でも3位という好成績を残しています。
試合会場で、お姉さんを応援する須﨑優衣さんの姿も幾度となく目撃されていました。
おじいさんも早稲田大学卒という早稲田大学OB一家。
レスリングをするなら早稲田と刷り込まれていた、と言います。
入学前に何回か練習に来ていた妹には、レスリング部の雰囲気や大学の授業の面をアドバイスしたそうです。
今でも経験者同士、お父さんと姉妹の3人でLINEや電話でレスリングの話をすることもよくあるんだとか。
世界選手権への代表争いで負けて五輪代表の可能性がほとんどなくなった試合、
会場で応援していたお姉さんは「絶対にいけなくなったというわけではない」と前向きだったそうです。
可能性としては0.1%ぐらいしかないかもしれないけど、その0.1%を信じて準備していこう
姉の前向きな声援に、妹はLINEで
お姉ちゃんがそう信じてくれるのであれば、私もその可能性を信じてちょっとずつ頑張っていくね
最初は返信することでいっぱいいっぱいだったかもしれません。
しかし、信頼している人からの言葉、言い聞かせるうちに自分にも自信が出て来たのではないでしょうか。
コロナ禍での練習
あらゆる接触が禁止されていたコロナ禍。
緊急事態宣言が出た4月から、須﨑優衣さんも約2カ月間マットから離れ、千葉の実家で過ごすことになります。
家族とゆっくり過ごす時間は何よりの力をくれたそうです。
お姉さんは練習ができない妹を案じ、仕事が休みの日は打ち込み相手になってくれました。
その心意気に、妹はさらに背中を押されたそうです。
家族みんなが、自分が活躍するのを楽しみにしてくれて、すごく応援してくれていると。一緒に過ごして改めて感じました
お姉さんはいつも、あたたかいメッセージを伝えています。
ずっと離れて暮らしている妹は、お姉さんにとって
家族ではあるもののすごく尊敬している存在です
攻めるレスリングが武器で、本当に気持ちが強いなと感じる妹のこと。
見ていてすごく面白いと感じているそうです。
同じ競技を通して、嫉妬や妬みなど感じずお互いリスペクトできる関係。
ホントの意味ですてきな「美人姉妹」ですね!
まとめ
今回は須﨑優衣の父・康弘は社長!母や兄弟など実家の家族も全部まとめた!
という事で、須﨑優衣さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 須﨑優衣さんのご実家は千葉県松戸市。会社経営の父のもと、裕福なご家庭です。
- 須﨑優衣さんのご両親は娘の活躍を心から応援しているお父さん・お母さんです。
- 須﨑優衣さんは4歳年上のお姉さんとの2人姉妹。頼もしい理解者です。
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。