東京パラリンピック男子やり投げ F46(切断・運動機能)日本代表の白砂匠庸(しらまさたくや)選手。
名字も名前も、非常に珍しい読み方が印象的ですよね。
今回は白砂匠庸の実家の両親(父・母)が凄い!彼女や結婚に学歴経歴も調査!
という事で、そんな白砂匠庸選手について調べました!
目次
白砂匠庸選手のプロフィールや経歴
まずは白砂匠庸選手のプロフィールをチェックしておきましょう!
名前:白砂 匠庸(しらまさ たくや)
生年月日:1996年7月27日
出身地:北広島町大朝
最終学歴:広島県立庄原実業高等学校卒業
血液型:調査中
身長:182cm
体重:調査中
所属:あいおいニッセイ同和損害保険株式会社
競技:陸上
種目:男子やり投げ F46(切断・運動機能)
白砂匠庸選手の経歴もチェック!
北広島町で生まれた白砂匠庸選手。
2歳の時に誤って草を細かくする農業用の機械に手を入れてしまう事故により左手関節から先を失う。
引用:B&G
と事故により手を失ってしまいます。
しかし、その当時は
「僕の左手なくなっちゃった」という軽い感じで受け止めていたので、精神的なショックはあまりなかったです。
引用:広島新聞
と、それほどショックは感じていなかったんだとか。
パラアスリートは本当にポジティブな人が多いね!
小学生の頃既に身長169cmもあったという白砂匠庸選手。
中学の時に陸上に出会い、その楽しさにのめり込んだといいます。
最初は走り幅跳びと100mをメインに競技に参加していた白砂匠庸選手。
高校で本格的に陸上を始めようと思い、陸上部がある高校に進学しました。
そのときは短距離走だけではなく、砲丸投げや円盤投げなどいろいろな種目に挑戦しましたね。
引用:広島新聞
と、高校で投擲種目と出会ったそうです。
この頃はまだ、健常者と同じ競技に参加されていた白砂匠庸選手ですが、
高校時代、広島で有名な陸上の先生に自分の障がいを相談したところ
障がい者スポーツをやってみないか?
というアドバイスを受け、高校3年生の夏、
中四国の障がい者スポーツ大会に出場したのがパラアスリートとしての第一歩だそうです。
そしてなんと、初出場した大会の砲丸投げで日本記録に近い記録をだし優勝してしまった白砂匠庸選手。
中四国の連盟側も「なんかすごいやつがでてきたぞ」ってざわついていましたね(笑)。
と周りをザワつかせたそうです。
そりゃざわつくよ
その後、砲丸投げをメインにパラアスリートとして活動していた白砂匠庸選手。
しかし、出場を目指していたリオパラ五輪では砲丸投げが競技種目として採用されないことを知ります。
ええ!?可哀想…
パラリンピックに出場することを目指していたので、種目変更せざるを得なかったですね。
引用:広島新聞
と、競技人口が多く、パラリンピックにも採用されているやり投げに転向。
その後着実に力をつけ、2019年2019世界パラ陸上競技選手権大会にやり投げで出場。
2020年には東京パラ五輪に日本代表として内定。
現在25歳と競技者としてのピークを迎えつつある白砂匠庸選手。
東京パラでのメダルも十分に期待できるでしょう!
金メダルを獲ってほしいね!
白砂匠庸選手の高校や中学はどこ?
白砂匠庸選手の出身高校や中学など、学歴も調べました!
白砂匠庸選手の出身中学は大朝中学
白砂匠庸選手の出身中学は地元北広島町の北広島町立大朝中学校です。
中学校入学当初は卓球部に所属していた白砂匠庸選手
私の通う中学には陸上部がなかったんですけど、郡の陸上競技大会に半ば強制的に出場する機会がありまして(笑)
種目は走り幅跳びで出場しました。
引用:B&G
と、最初は臨時で出来た陸上部、それも半ば強制的に大会に参加させられたのが、
陸上を始めたきっかけだったそうです。
しかし、
いざ大会に向けて練習してみたら案外距離も延びるし、
やっていて楽しいなと思って高校で陸上部に入部しました。
引用:B&G
と陸上の楽しさを知って、のめり込んでいったそうです。
白砂匠庸選手の出身高校は庄原実業
高校は庄原市の庄原実業高等学校へ進学。
前述の通り、当初は健常者と同じ陸上部で砲丸投げに取り組んでおられました。
白砂匠庸選手の出身大学はどこ?
白砂匠庸選手は大学へは進学されていません。
高校卒業後は日本パラ陸上競技連盟育成指定選手、広島県障害者スポーツ協会強化指定選手に指定。
その後あいおいニッセイ同和損保に所属するパラアスリートとして活躍されています。
白砂匠庸選手の実家や両親(父・母)が凄い!?
白砂匠庸選手の実家は北広島町です。
白砂匠庸選手の祖父、白砂半次郎さんは
花田植え(大朝では、はやし田という)の飾り牛の保存や育成に尽力してきたレジェンド
引用:大朝=水のふる里から
なんだそうです。
そしてこちらが、白砂匠庸選手のご両親、満義さんと富甲子(ふきこ)さん。
男らしいお父さんに優しそうなお母さんですね。
お父さんの白砂満義さん(52)も花田植えの牛の使い手で、
白砂匠庸選手も、お父さんと一緒に行う花田植えが大好きなんだとか。
白砂匠庸選手が庄原実業に進学したのは、農業を学びたい、という思いもあっての事だったそうです。
お父さんと一緒に農業がしたくて進学先を選ぶなんて、
良い子すぎる…!
お母さんの白砂富甲子(ふきこ)さん(48)は事故によって左手首から先を失った白砂匠庸選手に
という教育方針で育て上げたそうです。
中々出来ることじゃないですよね。
白砂選手は左腕で靴を押さえながら、右手でひもを結ぶなどしたという。
引用:読売新聞
と、結構スパルタなお母さんだったようですね。
そのおかげで今の白砂匠庸選手の活躍があるのかもね!
大一番を前に満義さんは「自己記録を更新したらメダルはついてくる」と力を込め、
富甲子さんは「自分の投てきをしてほしい。息子が出場するなんて夢の中のよう」
と期待に胸を高鳴らせている。
引用:読売新聞
と、期待に胸をふくらませる両親のためにも、東京パラではメダルを獲得してほしいですね!
白砂匠庸選手の彼女や結婚も気になる!
そんな白砂匠庸選手ですが、現在彼女は居るんでしょうか?
流石にまだ結婚はされていないと思うんですが…
調べてみたところ、結婚はもちろん、彼女が居るという情報も見つかりませんでした。
男らしい顔つきをしている白砂匠庸選手。
東京パラ五輪の活躍次第では一気に注目度が上がり、
アプローチをかけてくる女性も増えるのではないでしょうか。
そのためにはやっぱりメダルが欲しい!
まとめ
今回は白砂匠庸の実家の両親(父・母)が凄い!彼女や結婚に学歴経歴も調査!
という事で、東京パラリンピック男子やり投げ F46(切断・運動機能)日本代表の白砂匠庸(しらまさたくや)選手について調べました
- 白砂匠庸選手は2歳の時に事故で左手首から先を失った
- 白砂匠庸選手は元々砲丸投げの選手だったが、パラリンピック出場を目指し、やり投げに転向した
- 白砂匠庸選手の出身中学は北広島町立大朝中学校
- 白砂匠庸選手の出身高校は庄原実業高等学校
それでは、最後までお読み頂きありがとうございました。