セルフプロデュースアイドル・femme fatale(ファムファタール)の戦慄かなの(せんりつ かなの)さん。
TV番組『アウト×デラックス』で、少年院上がりのアイドルとして注目、今や〝令和最強姉妹〟といわれる新世代アイドルとして活躍中。
そんな戦慄かなのさんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は戦慄かなのの母親の顔画像は?父親や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、戦慄かなのさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
戦慄かなのの実家はお金持ち?
まずは戦慄かなのさんの実家について調べてみました!
戦慄かなのの実家の場所や住所はどこ?
戦慄かなのさんの出身地は大阪府です。
6歳の時に東京都に引っ越しているので、現在は東京都内になるようです。
複雑な家庭環境がクローズアップされるものの、ご実家の場所等の情報は不明です。
戦慄かなのの実家はお金持ち?
ご両親の離婚を機に、母と東京へ転居しています。
ですが、突然お母さんが彼氏と海外旅行へ出掛け、1週間帰ってこないこともあったそう。
帰宅するまでに冷蔵庫の食料が底をつき、水を飲んで空腹をしのいだんだとか。
母親は働いていたので貧乏ではなかった。
が、母親が育児放棄していたため、実質的な”貧困状態”だったそうです。
さらに、その家庭状況から学校でひどいいじめにも遭っていました。
学校にも家にも居場所はないと思っていたそうです。
ここまでの情報を見ても、戦慄かなのさんのご実家がお金持ちであるということは見つかりません。
幼少期の幸せな思い出エピソードは、まったくみつかりませんでした。
「挫けなければ道はみつかる」というロールモデルで、ご自身のこれからの生活が幸せに満ち溢れたものであってほしいですね。
戦慄かなのの実家の両親(父・母)はどんな人?
戦慄かなのさんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
戦慄かなのの父親はやさしいお父さん!
戦慄かなのさんのご両親は、離婚されています。
離婚の原因はDVだそうです。
といっても、受けていたのはお父さんで、流血もよくあったそうです。
血まみれになった父が壊れた家具をガムテープで修復する姿が記憶に残っている
…壮絶ですね。
お父さんはお母さんの暴力が原因で家を出てしまったようです。
優しくて、家事もしてくれていたお父さん。
かわいい娘の記憶に残る姿が「喧嘩している」ところだけ…というのは切ないですね。
戦慄かなのの母親はネグレクト⁈
ご両親とも一般の方なので、写真・画像は見つけられませんでした。
戦慄かなのさんのお母さんは、感情の浮き沈みが激しい人だったようです。
子供たちに歯を磨く、お風呂に入るなどの習慣すら身に着けさせなかったそう。
いわゆるネグレクトですね。
基本は「ほったらかし」なのに、門限や規則などに厳しかったそう。
暴力を振るわれてはいたけど、お母さんのことは好きだったそうです。
小学校高学年で「コレ虐待じゃないか?」と何回か先生に相談したけど、伝わらない。
虐待の痕としておしりを先生に見せるのは恥かしい。
悩み相談のホットラインに電話するのもハードルが高いと感じたそう。
(ホットラインの紙を)自分のお財布にストックしてたんですけど、1回も電話しなかった。公衆電話からわざわざ電話するのはハードルが高いし、お母さんのことも好きなので、それでお母さんがどうなってしまうのかみたいなのも想像すると怖いんですよ。
引用:https://toyokeizai.net/articles/-/219049?page=2
それに、暴力をふるったあとにはハグやキスをしてくれて、優しかったお母さん。
「虐待=子供が嫌いで憎い親が暴力をふるう」と理解していたため
「お母さんはそうじゃない!」と思っていたそうです。
私たちは良くも悪くも普通の家族とは違う、もっと深い愛情でつながっているんだって信じていたんです。
愛情を信じたかったのか、ゆがんだお母さんの愛情を少しでも感じていたのか。
恋愛で上手くいかず、泣きわめくお母さん。
話していることは理解できなかったが、それでも支えようと必死に耳を傾けたそう。
不安定になるお母さんを支えてあげられるのは私だけ!
実は、暴力を振るっていたお母さん自身も虐待を受けて育ちました。
戦慄かなのさんには「女子少年院」に2年間入所していた過去があります。
勉強と読書に没頭する2年間の中で、『自分に気付く心理学』(加藤諦三 著)という本と出逢います。
その本には、自分の過去の出来事や母親の言動と合致することが書いてありました。
虐待された経験がある親は、子どもに対しても虐待をしてしまう傾向が強いと言われています。でも、それは自分と向き合う時間を持たずに大人になったから、心が子どものまま大人になってしまったからだと思うんです
引用:https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/senritsu-kanano
少年院に入っていなかったら、きっと殴った後にハグをしたりキスをすることが子育てなんだと思ったまま大人になっていたはず
社会に出ても、この気づきと学んだことを忘れないようにしようと決心したそう。
また、この時まるで母親のように優しく、厳しく、接してくれる担当法務教官との出会いもありました。
そんなに簡単に更生するもんかと反抗する戦慄かなのさん。
それでも、先生は決して見放さず、粘り強く向き合い続けたそう。
少年院に入ってから、第2の非行というか、反抗期みたいな感じて、けっこう問題を起こしていました。でもそれは子ども返りみたいなもので、甘えの欲求だったと思います。先生は本当に第2のお母さんみたいで、親に愛されてこなかったのが、少年院ですべて補われた感じがあるんですよね
引用:https://toyokeizai.net/articles/-/219049?page=3
2021年の「音楽ナタリー」の取材で
親の影響でブラックミュージックをよく聴いていた。
と発言。
自分で最初に見つけて聴き始めたのはPerfumeさん。
お母さんにCDを買ってもらって、そこからずっと聴いていたそうです。
オトナになるにしたがって、母娘関係にも変化の兆しが感じられます。
正直少しホッとしました。
現在お母さんとは別々の場所で生活しています。
いまは2ヶ月に1回ほどのペースでお母さんと食事などして会っているそうです。
成人しているので、親子の縁を切ることも出来そうですが、そうしたいわけではないそうです。
いまでもお母さんのことは好き。
でも、憎んでいた気持ちもあるから、一緒にいるとうまくいかない。
だからこそ、お互いにとってちょうど良い距離感があるのでしょう。
心が子供のまま大人になったお母さんと、自分と向き合う時間に救われた娘。
大人になることの難しさと、大切さを考えさせられます。
戦慄かなのの両親のエピソードも紹介!
日常的に喧嘩の多かったご両親。
喧嘩の理由はたいていお金がらみだったそう。
母親が暴力を振るう理由はお金がないからと信じ込むようにしていた。
きっとお金があれば、お母さんは自分に優しくしてくれるはず
という期待を持ち、違法に稼いだお金を母の財布にこっそり入れていたそうです。
想像すると切ない気持ちになります…。
ブラックビジネス、いわゆる「JKビジネス」で1月に300万円ほど稼ぐように。
それでもお金を使うのはお菓子を買うくらいだったそう。
それは、自分が殴られる毎日を、お金で解決したいとしか考えていなかったから。
どんな方法でもいいから、とにかくお金を稼いでこの状況を抜け出したかったそう。
方法は悪手であったとしても、お金を稼ぐ方法を考え付く賢さはあったわけです。
そうなると、教育を受けることの大切さを痛感しますね。
戦慄かなのさんが注目されるきっかけとなったテレビ番組『アウトデラックス』
マツコ・デラックスさんと、アウトデラックスのスタッフさんに出会えたことは、すごく幸せな出来事でした。
プロデューサーの方なんて私の成人式に来て、晴れ着姿を見て泣いてくれたんです! 実のお母さんよりもお母さんみたいでしょ?
マツコさんは戦慄かなのさんの背中をさすり、「あんたはもっと楽に生きていいんだよ」と涙を流してくれたそうです。
いままで「別れ」で泣いたことがない…という戦慄かなのさん。
自分自身の肯定と愛情って、こんなに響くものなんですね。
成人式の密着で「親より泣いてくれた」林田プロデューサーさんと、成長を見守ってくれた楠田カメラマンさん。
自分の成長を泣いて喜んでくれる人たちとの出会い。
疑似とはいえ、家庭のもつあたたかさを体験できたことに心底ほっこり しました。
戦慄かなのの兄弟姉妹も調査!
戦慄かなのに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
戦慄かなのの兄弟は妹!!
戦慄かなのさんには 妹さんがひとりいます。
戦慄かなのさんとともにfemme fataleとして活動する頓知気さきな(とんちき さきな)さん。
テレビ東京「青春高校3年C組」でアイドル部のセンターとして活躍していました。
生年月日:2000年3月6日
出身地:大阪府
血液型:B型
身長:160cm
趣味:アニメや絵を描くこと
性格:のんびりおっとり。内気だが芯が強い。ポジティブ思考で「私は私」。物事をあまり深く考えない。
本名は非公開ですが、戦慄かなさんの本名は川崎 佳奈乃(かわさき かなの)さんと判明しています。
ので、その法則にのっとると、本名は川崎さきなさんかもしれませんね。(漢字は不明です)
妹さんを溺愛している戦慄かなのさん。
少年院出院後、久しぶりに会った妹がすごく可愛くなっていて
もう一緒にアイドルをやるしかない!
と決意したんだとか。
アイドルとして売れる事に対し、姉ほど貪欲じゃない妹
アイドルとしての指導をビシビシされているそうです。
ちなみに、戦慄かなのさんはミスiD2018・サバイバル賞を受賞、妹さんはミスiD2019・C-Channel賞を受賞しています。(ミスiD…個性豊かな人材をジャンル問わず発掘するオーディション企画)
デビューも、Twitterにアップした姉妹でのダンス動画。
これをみた芸能関係者から
かわいいし、ダンスもうまいから、うちのイベントに出てみませんか?
と声がかかったのがきっかけだそうです。
グループ名「femme fatale」を提案した妹さん。
女性を題材にした作品を多く残した画家、グスタフ・クリムト。
クリムトがテーマとして「femme fatale」を語っていたのを思い出したんだそうです。
さすが、かつては美大進学を考えた妹さん。
いい脳内引出しをお持ちです。
壮絶な幼少期を赤裸々に語るお姉さんに対して
昔のこと、全然覚えてない
歳が1つ違いなので、友達に近い感覚だったというふたり。
ケンカもしょっちゅうで、力が強い妹さんにはっ倒されたりしていたそうです。
超仲よかった姉妹。
一緒に公園に遊びに行ってたし、児童館も絶対2人で行ってたそう。
その記憶もない妹さんですが、唯一覚えているのが姉の奇行。
揺れている物に反応して、叫んでしまうんだとか。
お姉ちゃんは子供の頃からちょっと精神が病んでいて、揺れているものを見るとおかしくなっちゃうんですよ(笑)。でも私はブランコが大好きで、ブランコに乗るんだけど、そうするとお姉ちゃんが発狂しちゃう。
引用:https://natalie.mu/music/pp/femmefatale
ちなみに、ジャングルジムは登っている人を見るのも苦手だったんだとか。
お願いだから降りて!
と絶叫してしまうらしいです。
マイペースでめったに怒らない妹・頓知気さきなさんですが
思い出しただけではらわたが煮えくり返る
という忘れられない姉妹喧嘩があるそうです。
自分のテリトリーを大切にしたいので、実家の自室には誰も入れたくなかった妹さん。
当時、漫画をたくさん持っていたそうです。
そんな妹さんの漫画を戦慄かなのさんも読もうと思ったんですが…
妹さんは自分の部屋に戦慄かなのさんが入る事を拒否。
汚い手で触られたり、カバーをしおり代わりにされるのが嫌。
ドアノブと家具にチェーンを巻き付け、南京錠を掛けて入れないようにしました。
それでも無理やり入っていた戦慄かなのさん。
その現場を見た妹さんがブチギレたことがあったそうです。
極端ですが、妹さんの気持ちもわかりますね(笑)
大人になるにしたがってケンカの回数は減り、姉妹vs母という構図に変わっていったそうです。
こうなると心強い味方ですね。
最近では、妹さんがメンタルの弱い姉をケアしてくれるそう。
私が1人で『わーっ』てなって、頓知気が『人生そんなこともある』って収めてくれた
専用カウンセラー(笑)
戦慄かなのさんいわく、『仲はいいけど性格は合わない』ふたり。
何もかもが全部正反対の性格。
2人合わせて1人の人間になったら完璧な人間になるんじゃないかってくらい、全部真逆。
無意識下で補い合ってるところはあるかも
唯一まったく同じなのが、「ここまでやったら下品だよね」みたいな線引き。
まったくと言っていいほど一緒なんですよね。たまに怖くなるくらい(笑)
そしてお互いにリスペクトしているところは
ストイック。自分がやりたいこととかなりたいものに対して妥協がないというか、頑張り屋さん
不動のメンタル。自分だけじゃなくて人のメンタルを治すのもすごい上手。その動じなさによって逆に私の安心感が生まれている
2018年に姉妹で一緒に家を出て二人暮しをはじめ、現在はそれぞれ一人暮し。
すごく近くに住んでいて、仕事が早い日は姉の家に泊っているくらいだとか。
自立はしていても、いまも姉妹仲良く過ごしているそうです。
トータルすると、すごく理想的な相棒じゃないですかね⁈
まとめ
今回は戦慄かなのの母親の顔画像は?父親や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、戦慄かなのさんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 戦慄かなのさんのご実家は現在東京都内。幼少期は結果として貧困状態でした。
- 戦慄かなのさんのご両親は離婚。今は親ともいい距離感でつきあっている。
- 戦慄かなのさんの兄弟はアイドルユニットを組む妹さん。頼もしい相棒です。
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。