男子100kg超級の柔道選手・斉藤立(さいとうたつる)選手。

高校時代は全国高校総体・全日本ジュニア体重別選手権で優勝、シニアでは2021年のグランドスラム・バクー大会および2024年の同アスタナ大会等でも優勝を飾り、2024年パリオリンピック日本代表に内定しています。
そんな斉藤立選手の実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は斉藤立の兄も父も柔道家!母親など実家の家族も全部まとめた!
という事で、斉藤立選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
斉藤立の実家はお金持ち?
まずは斉藤立選手の実家について調べてみました!
斉藤立の実家の場所は大阪府大阪市!
斉藤立選手は大阪府出身。
2024年1月31日の報道に、
…1月20日は五輪2連覇を果たし、2015年に亡くなった父の斉藤仁氏の命日。大阪市の実家の仏壇に手を合わせて…
と、あるため、実家の所在地は大阪市内であることは確実なようです。
また、斉藤立選手の母・斉藤三恵子(さいとうみえこ)さんによると、
母・斉藤三恵子(斉藤立と兄は)2人そろって自宅から車で20分ほどの振武館柔道場(大阪)に入門しました。
と、斉藤立選手と兄・斉藤一郎(さいとういちろう)さんは大阪市内にある振武館柔道場に通っていたとのこと。
道場には、斉藤立選手のパリオリンピック出場を応援する横断幕が掲げられていました。
振武館柔道場まで自宅から車で20分の距離だとすると、大阪市の中でも中央区などの可能性が考えられますが、詳細は明らかではありません。
斉藤立の実家はお金持ち?
斉藤立選手の実家の経済状況を調べてみました!
斉藤立の父親は元柔道日本代表で母親はCA(客室乗務員)だった!
斉藤立選手の父・斉藤仁(さいとうひとし)さん。


元柔道日本代表で1984年のロサンゼルスオリンピック、1988年のソウルオリンピックなど、数々の国際大会で優勝した柔道家として知られています。
引退後は、出身校である国士舘大学体育学部教授や同大学柔道部監督、全日本代表監督などを歴任。
母・斉藤三恵子(さいとうみえこ)さんは、エールフランスなど海外の航空会社でCA(客室乗務員)として勤務。


結婚後もしばらく勤務されていたのだとか。
ご両親の所得の状況は明らかではありません。
平均で見てみると、大学教授の勤続年数別での年収は次の通りです。


私立大学の場合、大学によって給与は大きく異なります。
しかし、平均で見ると、勤務歴が比較的浅くても年収1,000万円を超えるようですね。
一方、エールフランスが日本での採用を行っていたのは1998年まででした。


当時の待遇はかなり良かったと言われており、最終年のCA採用においては多くの現役CAがエールフランスに転職したのだとか。
母・斉藤三恵子さん自身も、福利厚生等が充実していたと明かしているので、所得も平均を超えていたと考えられますね。
また、母・斉藤三恵子さんは自身を「教育ママ」だったとしています。
幼い頃から息子たち2人を学習塾に通わせ、お受験もさせたのだとか。
息子たちに対して、



将来は医者か弁護士になってほしい
と思っていた時期もあったそう。
そのため、相応の教育を受けさせるだけの経済力を持っていたと考えられますね。
斉藤立は中学から大学まで私立校に通っていた
斉藤立選手は中学から大学まで私立校に通っていました。
出身校とそれぞれの学費は次の通りです。
上宮中学…約308万円
国士舘高校…約244万円
国士舘大学体育学部武道学科…約558万円
斉藤立選手の出身幼稚園・小学校は明らかではありません。
兄・斉藤一郎さんの出身校は、大学が国士舘大学であることのみ判明しています。
学費に関する参考資料は次の通り。


上図を参考に、兄弟いずれも幼稚園・小学校が公立校、兄・斉藤一郎さんも中学から私立校だったと仮定すると、
兄弟2人の学費の合計額は、2,800万円を超える
となります。
また、兄弟2人ともが柔道に励んでいたため、上記金額に遠征費や寮費なども加わると3,000万円は軽く超えると考えられますね。
上記の情報を総合すると、斉藤立選手の実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
一流の選手を育てるとなると、やはり支出額も相応に大きくなるようですね。
斉藤立の実家の両親はどんな人?
斉藤立選手の実家のお父さん、お母さんについても調べました!
斉藤立の父親はオリンピック柔道金メダリストの斉藤仁!
斉藤立選手の父・斉藤 仁(さいとうひとし)さん。


オリンピックや世界柔道選手権などで優勝を飾ってきた柔道家です。
父・斉藤仁さんのプロフィールは次の通り。
出生地…青森県の旗青森県青森市筒井八ッ橋(現:筒井2丁目)
生年月日…1961年1月2日
没年月日…2015年1月20日(54歳没)
身長…180cm
体重…143kg
出身校…青森市立筒井小学校、青森市立筒井中学校、国士舘高校、国士舘大学体育学部
階級…男子95kg超級
段位…九段
職業…国士舘大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代表監督等
父・斉藤仁さんは、残念ながら2015年に54歳の若さでこの世を去りました。
父・斉藤仁さんの残した功績もご紹介します。
オリンピック
1984年、ロサンゼルス(95kg超級)金メダル
1988年、ソウル(95kg超級)金メダル
柔道選手権
1983年、モスクワ(無差別級)金メダル
1985年、ソウル(95kg超級)銀メダル
アジア大会
1986年、ソウル(95kg超級)金メダル
アジア柔道選手権
1981年、ジャカルタ(95kg超級)金メダル
1984年、クウェート(95kg超級)金メダル
1984年のロサンゼルスおよび1988年のソウルでのオリンピック連覇は、当時の柔道界で初となる快挙。


2024年のパリオリンピックでは、息子である斉藤立選手がどのように活躍するか、本当に楽しみですね。
父・斉藤仁は、自身のカッコいいシーンを見せて息子たちをやる気にさせた
斉藤立選手が柔道を始めたのは、5歳の時でした。


そのきっかけは、兄・斉藤一郎さんが、



お父さん、柔道をやってみたい
と、言い出したこと。
父・斉藤仁さんは、それまで息子たちに柔道を強制することはありませんでした。
ただ、母・斉藤三恵子さんが言うには、



(父・斉藤仁が)自分の現役時代の試合のDVDやカッコいいシーンばかりを集めた映像を子どもたちによく見せていたんですよ。
と、父・斉藤仁さんはしたたかに作戦を練っていたのだとか。
父・斉藤仁さんは、柔道を始めたいという兄・斉藤一郎さんの言葉に、



そうか、お前がやりたいなら道場を探さないとな
と、とても嬉しそうに言っていたそうです。
そして、兄弟2人は大阪市の振武館柔道場に入門し、柔道のキャリアをスタートさせました。
父・斉藤仁の指導はめちゃくちゃ厳しかった
兄弟が柔道を始めた当時、父・斉藤仁さんは国士舘大学や日本代表での仕事があるため東京を拠点に暮らしていました。


一方の母・斉藤三恵子さんと斉藤立選手、兄・斉藤一郎さんは、母・斉藤三恵子さんの実家がある大阪で生活。
息子たちが柔道を始めたのを機に、父・斉藤仁さんは大阪の自宅の和室を柔道用の畳に張り替え、姿見の大きな鏡も設置したそうです。
父・斉藤仁さんが大阪に戻ると、家でも稽古三昧。
斉藤立選手たち兄弟は、学校終わりに道場で稽古、それが終わって帰宅しても稽古という日々だったのだとか。
父・斉藤仁さんの稽古はだんだんと厳しさを増し、技をかける際の足の位置は、



1cmこっちだ!!
と、センチ単位どころかミリ単位になることも!
わずかでもその位置からずれると、何十回とやり直していたそうです。
母・斉藤三恵子さんによると、



暴言も吐いていたので、これはまずいと、通報されないように家の窓を全部閉めたりしたこともありました(笑)。
と、近隣への影響を心配するほどだったのだとか。
あまりの厳しさに母・斉藤三恵子さんが声をかけても、



うるさい、黙ってろ
と、今度は母・斉藤三恵子さんが怒られたのだそう。
兄弟たちは練習が嫌で嫌で仕方がなかったそうで、



お父さんはいつ東京に帰るの?(練習を)辞めたい。早く離婚して。
と、母・斉藤三恵子さんに泣きついていたと明かしています。
学校帰りに玄関で父・斉藤仁さんの靴を見つけると、家に上がらず学校に戻ることもだったのだとか。
父・斉藤仁さんは、稽古中に息子たちが嫌がっていることを察すると、



お前ら、優しいお父さんでいいのか、それとも厳しいお父さんで強くなりたいのか。オリンピックに出られるような選手にしてもらいたいのか。どっちだ。
と、そのたびに詰め寄り、息子たちは、



強くなりたいです
と答えるしかなく、更に稽古は厳しくなりました。
一方、厳しい指導をともに受けていた斉藤立選手と兄・斉藤一郎さんの絆は強まり、父・斉藤仁さんからいかに上手く逃げ切れるかをよく話していたのだそう。
「お父さんが家にいると休まる時がない」という状況だったんですね。
父・斉藤仁は2015年に肝内胆管がんのため死去
父・斉藤仁さんは、2013年に肝内胆管がんが判明。
それ以降、闘病生活を送りながらも柔道の指導に当たりました。
次第に痩せていったものの、周囲に心配を掛けないようにと、胃潰瘍やインフルエンザと言っていたのだとか。


息子たちにはがんであることを打ち明けるも、



心配しなくていい。必ず治るから。
と、不安にならないよう、気丈に振る舞っていたそうです。
この時、父・斉藤仁さんは全日本柔同連盟の強化委員長。
当時の柔道界は、暴力問題などの不祥事から再建を目指していた最中で、父・斉藤仁さんはその責任を全うしようとしていました。
しかし、病状は悪化。
2015年1月19日、母・斉藤三恵子さんが、



今日は(子どもたちに)稽古休ませる?子どもと一緒にいる?
と、声をかけると、父・斉藤仁さんは力を振り絞って、



稽古、行け
と、応えました。
この言葉が、息子たちにとって父・斉藤仁さんの最期の言葉となったそうです。
そして、その深夜、病院から母・斉藤三恵子さんのもとに、容体が急変したとの連絡が入ります。
母・斉藤三恵子さんと、しばらくして息子たちも到着しますが、既に父・斉藤仁さんの意識はありませんでした。
母・斉藤三恵子さんは、



聞こえてるかもしれないから、お父さんに言いたいことは全部、聞かせてあげて。
と、息子たちに伝え、手を握るように促します。
当時高校1年生だった兄・斉藤一郎さんは、



お父さんが言ってくれたこと、全部覚えてるよ。おれ、頑張るから。お父さん、ありがとう。
と、泣きながら伝えました。
中学1年生だった斉藤立選手は、母・斉藤三恵子さんの目には状況を把握しきれていない様子だったものの、



絶対オリンピックに出る選手になるから。俺、金メダル獲るから。
と、父・斉藤仁さんに約束したそうです。
家族が話しかけた時、横を向いて眠る父・斉藤仁さんの目からは涙がこぼれたのだとか。
母・斉藤三恵子さんいわく、



入院してからも、うわ言で柔道のことばかり。後悔はないと思うけれど、東京五輪とか息子たちのことを思うと、心残りはあったと思う。
とのこと。
そして2015年2時56分、1年以上の闘病生活の末、父・斉藤仁さんは肝内胆管がんに伴うがん性胸膜炎のため、大阪府東大阪市内の市立総合病院にて54歳で死去。
同年2月17日、日本政府より父・斉藤仁さんへ旭日小綬章が追贈され、講道館からはその功績を讃えて九段位に列せられました。
さらに、2018年9月には国際柔道連盟(IJF)の殿堂入りを果たしています。


厳しい指導者ではあったものの、最期まで息子たちを気にかけていた優しいお父さんだったんですね。
父・斉藤仁と斉藤立は国内外の柔道ファンに知られた存在
2023年の年末から年始にかけて、グアムで過ごした斉藤立選手と母・斉藤三恵子さん、兄・斉藤一郎さん。
現地では、日本人観光客のみならず、韓国の観光客からも、



お父さんのこともよく知っているよ
と、声を掛けられたのだとか。
父・斉藤仁さんは、1998年のソウルオリンピック男子95kg超級で金メダルを獲得。
それを覚えている現地の柔道ファンも多数いるそうです。
また、父・斉藤仁さんは、柔道界のレジェンドで全日本柔道連盟会長の山下泰裕さんとはライバルであり、良き友でした。


斉藤立選手の得意技で、父・斉藤仁さん直伝の体落としは、山下泰裕さんをして、



お父さんにそっくり
とのこと。
父・斉藤仁さんが頂点を極めたオリンピックの舞台で、斉藤立選手いかに活躍するかが期待されますね。
斉藤立の母・斉藤三恵子はエールフランス元CA!
斉藤立選手の母・斉藤三恵子(さいとうみえこ)さん。(写真右)


綺麗な方ですよね・・・!
母・斉藤三恵子さんは、1964年大阪府生まれの60歳(2024年時点)。
大学卒業後は、海外の航空会社に就職。
香港、ロンドンでの航空会社勤務を経て、1991年春からエールフランスのCA(客室乗務員)として勤務し、パリで生活していました。
1997年に父・斉藤仁さんと結婚し、その後もしばらく仕事を続けていたのだとか。
兄・斉藤一郎を出産後に仕事に戻ることも検討したものの、父・斉藤仁さんの仕事が忙しく、職場復帰は断念。


その後は、子育てに注力されていたそうです。
母・斉藤三恵子は夫亡き後、子育てに腐心した
父・斉藤仁さんが亡くなった当時、斉藤立選手は中学1年生、兄・斉藤一郎さんは高校1年生でした。
仲の良い兄弟だったものの、父・斉藤仁さんが亡くなってから、半年近く口をきかない時があったそうです。
喧嘩をすれば非常に激しく、母・斉藤三恵子さんは、



いい加減にしないと警察呼ぶわよ
と、絶叫したこともあったのだとか。
母・斉藤三恵子さんは、兄弟は辛い気持ちのやり場がわからなかったのでは、としています。
しかし、兄弟はそれぞれ高校・大学進学のために家を出ると、いつの間にか仲の良い兄弟に戻りました。
異なる環境に身を置いたことで、少しずつ気持ちに整理がついたのかもしれませんね。
斉藤立は優勝して母に喜んでもらいたかった
2022年月6月に日本武道館で開催された、学生柔道の団体戦・全日本学生優勝大会でのこと。
斉藤立選手の所属する国士舘大学は、決勝で東海大学と対戦。
斉藤立選手の体調は万全ではなく、抑え込まれて一本負けを喫します。
この結果、国士舘大学は準優勝。


斉藤立選手は試合後、顔を覆ったまま泣き崩れます。
その後、涙ながらに、



お母さん、ごめんな。優勝して喜んでもらいたかった。
と、斉藤立選手は母・斉藤三恵子さんに伝えました。
母・斉藤三恵子さんは、



お母さんは喜ばせてもらおうなんて思ってないよ。ただ立を応援したいから来ただけだから。
と、慰めたのだとか。
斉藤立選手にとって、思い入れのある大会だったことが窺えますね。
そして、翌2023年6月。
国士舘大学は、再び全日本学生優勝大会の決勝に進出!
決勝では、奇しくも前年に敗れた東海大学と対戦することとなりました。
当時、東海大学は大会6連覇中の超強豪。
しかし、今大会では国士舘大学が東海大学を見事破り、16年ぶり7度目の優勝!


斉藤立選手は東海大学擁する世界ジュニアチャンピオン・中村雄太選手に勝利し、優勝に貢献しました。
試合後、斉藤立選手は、



本当にうれしいし、去年の借りを返せた。(中略)本当に1年間地獄で、申し訳ない気持ちがあった。本当にスッキリしたとしか言いようがない
と、喜びを語っています。
「全日本学生優勝大会優勝」というのは、同じく国士舘大学出身の父・斉藤仁さんが手にできなかった学生柔道界最大のタイトル。
斉藤立選手にとっては、父・斉藤仁さん、母・斉藤三恵子さんのためにも、必ず獲得したいタイトルの一つだったのでしょうね。
1年半ぶりの金メダルは母の日のプレゼント
2024年5月、斉藤立選手はグランドスラム・カザフスタン大会で優勝!


大阪市の実家では母・斉藤三恵子さん、兄・斉藤一郎さんをはじめ、親戚も集まって観戦していたのだとか。
決勝当日の5月12日は母の日。
母・斉藤三恵子さんは、



何よりのプレゼントになりました。
と、喜びを語っていました。
試合後、斉藤立選手からは、



お母さん、ありがとう
とのメッセージが送られてきたそうです。
斉藤立選手にとって、金メダルの獲得は、2022年12月のマスターズ大会以来、約1年半ぶり。
母・斉藤三恵子さんによると、小学校から柔道をやってきた中で初めて優勝がない期間だったのだとか。
母・斉藤三恵子にとっても斉藤立選手にとっても、記憶に残る母の日となりそうですね。
斉藤立の祖母も会場で応援!
2023年10月22日、兵庫県尼崎市で開催された全日本学生体重別団体優勝大会。
残念ながら斉藤立選手の所属する国士舘大学は、準決勝で筑波大学に惜敗。
大学4年生の斉藤立選手にとっては、学生最後の大会でした。
斉藤立選手自身は今大会3試合とも一本勝ちを収め、優勝こそ逃したものの表情はどこかスッキリとした様子。


関西での開催ということもあり、大阪に住む母方の祖母・永井一枝(ながいかずえ)さん(当時92歳)も観戦。
祖母・永井一枝さんは、



「立が生きがいだから」「立が頑張っている姿を見ると自分も頑張らなあかんと思う」
と語り、斉藤立選手の活躍が自身の力の源になっているのだそう。
ここ数年はコロナ禍により現地での応援が難しかったものの、祖母・永井一枝さんはYouTubeで斉藤立選手の動画をよく見ていて、とても詳しいのだとか。
斉藤立選手が戦う姿は、きっと本人が思う以上に多くの人を勇気づけているのでしょうね。
斉藤立の両親のエピソードも紹介!
斉藤立選手のご両親に関するエピソードもご紹介します!
斉藤立の両親の出会いは航空機内
斉藤立選手の母・斉藤三恵子さんは、大学卒業後に香港、ロンドンでの航空会社勤務を経て、1991年春からエールフランスのCAとなり、パリで生活をしていました。
父・斉藤仁さんとの出会いは1993年、パリ行きの航空機内でのこと。
当時、欧州遠征のために搭乗した柔道日本代表チームの重量級コーチが父・斉藤仁さんでした。
母・斉藤三恵子さんは、柔道や選手のことも全く知らなかったそうです。
そんな母・斉藤三恵子さんが抱いた父・斉藤仁さんの第一印象は、



なんて大きな上着
とのこと。
母・斉藤三恵子さんは、父・斉藤仁さんから預かったジャケットをかける際、ハンガーがとても小さく感じて驚いたのだとか。
父・斉藤仁さんたちを見た、柔道ファンのフランス人男性の同僚からは、



知らないのか。彼は柔道の世界チャンピオンだ。どうしてフランスに行くのか聞いてきて。
と、通訳の役割を任されたそうです。


それを機に親交を深めたご両親は、1997年に結婚。
1999年に長男の斉藤一郎さん、2002年に次男の斉藤立選手を授かりました。
ご両親は本当に偶然の出会いだったんですね。
そんな思い出深いフランス・パリで開催されるオリンピックに出場する斉藤立選手。


男子100kg超級には、かつて2度オリンピック金メダルに輝き、世界選手権8連覇を達成したフランス柔道界をけん引するテディ・リネール選手も出場します。
何かと斉藤家と縁のあるフランス・パリでの活躍を応援しましょう!
斉藤家が回転すしに行くと、隣の客まですしが回らない?!
斉藤立選手は身長191cm・体重170kgと恵まれた体格の持主で、大食漢としても知られています。


回転すしに行くと、なんと50~60皿はたいらげてしまうのだとか。
更に父・斉藤仁さん、兄・斉藤一郎さんもよく食べるため、レーンで運ばれてくるすしはことごとく斉藤家の胃袋へ。
母・斉藤三恵子さんは、



いつも隣のテーブルの人たちに申し訳ない気持ちになるほどでした。
と、当時を振り返っています。
よく食べる斉藤立選手ですが、一方でスナック菓子やジュースなどはほとんど口にしません。
斉藤家の定番は鍋料理で、野菜たっぷりでカロリーを比較的抑えつつも満足感が得られるメニューとして、食卓に並んでいたそうです。
その中でも斉藤立選手の大好物は、大盛りの野菜と豚肉のちゃんこ鍋や、祖母・永井一枝さん直伝のかす汁。


母・斉藤三恵子さんは、アスリートの親として食事面にもかなり気を遣っておられたそうです。
斉藤立は少年時代やんちゃだったが、母・斉藤三恵子との時間を大切にしている
斉藤立選手は、オフに母・斉藤三恵子さんや兄・斉藤一郎さんと旅行に行くなど、家族と過ごす時間を大切にしているそうです。


和歌山・南紀白浜での旅行では、斉藤立選手は3時間近く海に入ったり、母・斉藤三恵子さんを海の中へ投げたりもしたのだそう。
また、別の機会では獲得した賞金で、家族にご馳走したこともあったのだとか。
そんな家族孝行な斉藤立選手ですが、小学校時代は母・斉藤三恵子さんが学校に呼び出されるのは日常茶飯事。
斉藤立選手に「叩かれた」と泣く友人がいる一方、体が大きな斉藤立選手の見た目を馬鹿にしたような言葉に、腹を立てたということもあったそうです。
母・斉藤三恵子さんは、



体が大きい子は、何を言われても我慢しないといけないんですか?
と、先生に反論したこともありました。
一方、父・斉藤仁さんは生前に、息子たちとある約束を交わしていたそうです。
それは、



「自分より年下や、体の小さい人とけんかをしない」「噓をつかない」
ということ。
母・斉藤三恵子さんは、息子たちがその約束を守ってくれていると信じていると語っていました。
斉藤立選手が家族に優しい姿こそが、父・斉藤仁さんとの約束を守っているなによりの証拠なのかもしれませんね。
斉藤立の兄弟姉妹も調査!
斉藤立選手に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
斉藤立の兄弟は兄!!
斉藤立選手にはお兄さんが1人おられます。
斉藤立の兄・斉藤一郎は保健体育の教師!
斉藤立選手の兄・斉藤一郎(さいとういちろう)さん。(写真左)


https://www.sankei.com/article/20230125-7M5UV7D5KZPOBK7TGENOWOTPL4/
兄・斉藤一郎さんは、1999年生まれで斉藤立選手より3歳上の25歳(2024年時点)。
国士舘大学出身で、愛知県・名古屋経済大学高蔵高校の保健体育教員です。
2021年から柔道部の監督を務め、未経験者も多い中指導されているとのこと。
斉藤立選手が柔道を選手として極める一方で、兄・斉藤一郎さんは指導者の道を選んだんですね。
斉藤立と兄・斉藤一郎は、体格も性格も正反対!
子どもの頃から身体が大きかった斉藤立選手とは対照的に、体の細かった兄・斉藤一郎さん。


柔道の試合ではなかなか結果が出ず、ほとんどが初戦敗退。
それでも父・斉藤仁さんは、



お前はまだ小さいけど、体が大きくなって筋肉もついてきたら、絶対強くなるから。
と、決して怒ることなく、いつも励ましていたそうです。
また、斉藤立選手と兄・斉藤一郎さんは性格も正反対!
斉藤立選手が大胆な性格なのに対し、兄・斉藤一郎さんは気が優しく何事にも慎重な性格。
ある時、母・斉藤三恵子さんが、ひよこの形をしたまんじゅうを頭からかじったところ、兄・斉藤一郎さんは、



かわいそう
と、大号泣したこともあったのだとか。
なにもかも反対な兄弟ですが、違うからこそバランスよく良好な関係が築けたのかもしれませんね。
まとめ
今回は斉藤立の兄も父も柔道家!母親など実家の家族も全部まとめた!
という事で、斉藤立選手の実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 斉藤立の実家は大阪府大阪市で、経済的に裕福な家庭の可能性が高い
- 斉藤立の父・斉藤仁はオリンピック金メダリストで2015年に死去、母・斉藤三恵子は元CAで美人!
- 斉藤立の兄・斉藤一郎は高校教師で、体格も性格も弟とは正反対!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。