渋い声が特徴的で、これまでさまざまな役柄を演じてきたベテラン声優の大塚明夫(おおつかあきお)さん。
スネーク(メタルギアソリッド)やスティーブンセガールの吹き替えでもお馴染みですよね。
そんな大塚明夫さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は大塚明夫の父は声優の大塚周夫!母親や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、大塚明夫さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
大塚明夫の実家はお金持ち?
まずは大塚明夫さんの実家について調べてみました!
大塚明夫の実家の場所は東京都国立市!
大塚明夫さんの実家の場所は、東京都国立市です。
出生地は新宿区歌舞伎町ですが、小学校入学時に国立市に引っ越したという情報がありました。
ご本人からも、国立市の団地で育ったという発言がありました。
以上から、大塚明夫さんの実家は東京都国立市で間違いないと言えるでしょう。
大塚明夫の実家はお金持ちではなかった!
大塚明夫さんの実家はお金持ちでなかったと言えます。
父親の大塚周夫(おおつかちかお)さんも声優ですが、売れっ子と言われる声優でも年収は500-1000万円ほどと言われるそうです。
母親に関する情報もなく、共働きかどうかも不明でした。
しかし、過去のインタビューで父親である大塚周夫さんが息子に対し「(財産がなく)何も残してやれなくてごめんな。」と言っていたそうです。
それに対し、
俳優として一番大切な物を残してもらった。
と答え、大塚周夫さんはそれは何かと聞いたところ、
血だ…。
と答えたそうです。
お金などの資産ではなく、声優の才能の血を残してくれたと言ってくれたことがとても嬉しかったようです。
また、ご本人からも幼少期は団地育ちだったという発言もございましたので、大塚明夫さんの幼少期はお金持ちではなかったと言えるでしょう。
大塚明夫の実家の両親(父・母)はどんな人?
大塚明夫さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
大塚明夫の父親は声優の大塚周夫!
大塚明夫さんの父親は、声優の大塚周夫(おおつかちかお)さんです。
プロフィールはこちら。
- 氏名:大塚周夫
- 生年月日:1929年7月5日
- 出身:東京都世田谷区
- 没年月日:2015年1月15日(85歳没)
幼い頃からダンスを習い、新宿第一劇場の舞台を見てから俳優を目指すようになったそうです。
戦後の舞台や映画でのご活躍があり、1960年代に声優としてキャリアを始められたとのことでした。
大塚周夫さんが担当された中で、特に有名なキャラクターとしては、
- 石川五ェ門(ルパン三世)
- ねずみ男(ゲゲゲの鬼太郎)
- ゴールド・ロジャー(ONE PIECE)
- ジョセフ・ジョースター(ジョジョの奇妙な冒険)
- 山田伝蔵(忍たま乱太郎)
など、挙げだしたらキリがないほどの役をこなし、声優業界の重鎮としてご活躍をされてきました。
過去には息子との関係が難しい時期もあったようですが、大塚明夫さんが役者としての道を選んだことで少しずつ2人の関係も良くなってきたそうです。
大塚明夫さんは社会人としてなかなかうまくいかなかったようですが、声優として活躍することができたのは、父親の影響が大きいと考えられますね。
大塚明夫の母親は堅実な性格?
大塚明夫さんの母親に関する情報は、ほとんどありませんでした。
名前や職業、年齢などの情報もなかったため、おそらく一般の方ではないかと考えられます。
そんな大塚明夫さんと母のやり取りから母親の性格を予想できるエピソードが1つだけありました。
それは、大塚明夫さんが役者の世界に入る際、母親と「30歳で目処がつかなかったら辞める」と約束していたこと。
これが、母親との唯一のエピソードでした。
しかし、この約束だけでも、大塚明夫さんの母親は息子のことを常に気にかけ、できるだけ安定した暮らしをして欲しいという優しい性格が伝わってくるお話ですよね。
大塚明夫の両親のエピソードも紹介!
大塚明夫さんのご両親のエピソードをご紹介しますね。
社会人での紆余曲折を経て役者の道に進むも、父の助け舟から声優業を開始!
大塚明夫さんも父親の影響を受け声優の道に進むと思いきや、父親との関係が上手くいっておらず、
誰が役者になんかなるか!
と大学を中退し、職を転々としたようです。
具体的には、
- 製薬会社に勤務(3,4日で退社)
- 父親の元で居候
- マグロ漁船の船に乗ろうとするも、歯の治療が間に合わず断念
- 23歳までトレーラーの運転手として勤務
という生活をしていたとのこと。
その後、このままこの仕事を続けていても、歳を取ったときに同じように働き続けるのは難しいのではないか?と考える、社会人を辞めたそう。
そこから、好きだった女性に劇団員の彼氏がいることも発覚し、自身も役者になってやると決めたようでした。
なお、役者でのキャリアは、
- 無名塾(仲代達矢主宰)に入るためのテストに不合格
- 文学座演劇研究所に入るも、1年で卒業(研修生に残れなかった)
- こまつ座に入る(井上ひさしさん主宰)
という流れのようでしたが、生活が苦しく父親から紹介された声優の仕事をスタートさせたそうです。
父親も「感性に生きる仕事を選んでくれたことは嬉しい」と語っていたとか。
当初は、役者になんかなるか!と豪語していた大塚明夫さんですが、最終的には父親と同じ声優の道に進むという結果になったのは、運命の巡り合わせがあるのかもしれませんね。
父親の仕事が影響し、大塚明夫の幼少期は友達にあだ名をつけられていた!
大塚周夫さんがゲゲゲの鬼太郎で「ねずみ男」を演じていたことが影響し、大塚明夫さんの幼少期は「小ねずみ男」や「ねずみ小僧」などとあだ名をつけられたそうです。
この時は、友達に父親のことを話したことを後悔したというエピソードがありました。
もしかしたら、こういったエピソードから大塚明夫さんは父親と同じような世界には進みたくない!と当初は考えていたのかも知れませんね。
大塚明夫は子どもの頃に押し入れに閉じ込められた経験がある
大塚明夫さんが赤ちゃんのころ、たまたま母親がいなく、大塚周夫さんがその日中に読むべき台本があったそう。
その際に、大塚明夫さんが泣き出したため「うるさい」という理由で、押し入れに閉じ込められてしまったとか。
大塚明夫さんは、これに対し、
父親がそうするのも無理は無い。役者ではないと(父親の)そういう心境も理解できなかっただろう。
と話しました。
このエピソードからも、幼少期の理不尽な対応も大人になって少しずつ理解ができ、父親との良い関係に繋がっていったのではないかと考えられますね。
親子共演が豊富!
大塚家では、親子での共演が多く、親子2代で1つの役柄を演じています。
具体的には、
- メタルギアソリッド3:ネイキッド・スネークとビッグ・ボス(親子)
- メタルギアソリッド4:オールド・スネークとビッグ・ボス(親子)
で親子共演しており、
- キングダム ハーツ バース バイ スリープのゼアノート
- バビル2世のヨミ
などに関しては、親子でそれぞれの役の中年や晩年をご担当されました。
これらは、親子ともに大物声優だからこそできたことであり、本当の親子しか出すことができないリアリティのある演技に繋がったのではないかと考えられますね。
父親は息子に常にレベルの高い仕事を求めていた?
荒野の七人という映画で、飛行機内で上映することになっていた際、予算の都合上吹き替えを担当した声優が呼べず、若い者を起用しようとなったそうです。
その際、大塚周夫さんが「自分の息子なら文句ないだろう」と、息子に担当させたそうです。
実際に、仕事に取り組んでいる時に、現場にいないはずの大塚周夫さんの「違うなぁ」と言う声が聞こえてきたというお話がありました。
大塚明夫さんは声優界の大御所であった父親から常のレベルの高い仕事を求められていた結果、幻聴のように父親の言葉が聞こえてきたのかも知れませんね。
大塚明夫は常に父親のことを考えて仕事に励んでいる?
数々の親子共演を果たしてきた2人ですが、2015年1月25日に放送された「SMAPの中間管理職・稲垣&草彅コンビ初MC「1位じゃなくっていいじゃない」」が最後の親子共演になりました。
その後は、大塚明夫さんは父親が担当していた数々の役を引き継いでいます。
具体的には、
- 山田伝蔵(忍たま乱太郎)
- ねずみ男(妖怪ウォッチ×ゲゲゲの鬼太郎)
- ブラック魔王(チキチキマシン猛レース)
- マスター・ゼアノート(キングダム ハーツ)
など。
これに対し、
周夫さんを真似てすると喜んでもらえます。調子に乗ってよくやるんだけど。
と発言されています。
さらに、
(父の)セリフ回しとかが残っていて。親父はこれをどう演じるだろうと探りながら声にすると、親父がまだ生きているような、会えるような気がするんだよ。
とも語っていました。
このお話からも、声優界や俳優などでマルチに活躍するようになった今でも父親のことを常に考え、憧れや尊敬を抱いている大塚明夫さんの姿勢が感じられますね。
父親がなくなった時の葬式は大塚明夫が喪主を担当
声優界の大御所になった大塚明夫さんですが、父親はさらに上の大御所です。
残念ながら大塚周夫さんは2015年1月に85歳でお亡くなりになられましたが、大塚明夫さんが喪主を務められたそう。
若い頃は確執もあった2人ですが、大塚明夫さんが喪主も務められているので親子関係は良好になったと言えるでしょう。
大塚周夫は最後の仕事終わりにも息子と談笑している
大塚周夫さんの最後の仕事は「1位じゃなくっていいじゃない」というテレビのナレーションでした。
仕事終わりに、大塚周夫さんは「ナレーションではなく、芝居をしてやった。」
と大塚明夫さんに楽しそうに話していたんだとか。
大塚周夫さんはリチャード・ウィドマークの専属声優と言われており、俳優の細かな癖や笑い方まで完璧に演じることができ、それができるのは周夫さんだけだったとも言われています。
現在では、忍たま乱太郎の山田先生の声優は、大塚明夫さんに引き継がれております。
大塚周夫さんは最後の仕事終わりにも、息子と積極的にコミュニケーションを取っており、普段から親子の会話があったのではないかと想像できますね。
大塚明夫が父からもらったものは「役者の血」
大塚周夫さんが息子とのエピソードの中で嬉しそうに話していたことを紹介します。
大塚周夫さんが「(財産もなく)何も残してやれなくてごめんな。」と明夫さんに言うと、
俳優として一番大切な物を残してもらった。
と答えたそうで、それが何かと聞くと、
血だ…。
と答えてくれたとのことでした。
よほど嬉しかったのか、大塚周夫さんはインタビューでたびたびこの話をしていました。
このエピソードからも、大塚明夫さんは周夫さんのことを父親だけではなく役者としても尊敬しており、血を受け継いでくれたことに感謝している気持ちが伝わってきますね。
大塚明夫の兄弟姉妹も調査!
大塚明夫さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
大塚明夫の兄弟は弟がいる?
大塚明夫さんには弟がおられるという噂があります。
しかしながら、名前や年齢、職業などに関する情報はありませんでした。
母親と同様、一般の方のため情報が外に出ないようにしているのかも知れませんね。
しかし、大塚明夫さんは過去のインタビューで、
弟は役者ではなく、未だに親父と何を話して良いのかが分からない。とよく言ってます。
と話していました。
大塚明夫さんは声優の道に進むことで少しずつ父親との関係も良好になってきた半面、弟は役者ではないので、父親との会話の方法がわからないと語っていたため、おそらく弟がいる可能性は極めて高いと考えられるでしょう。
まとめ
今回は大塚明夫の父は声優の大塚周夫!母親や兄弟など実家の家族もまとめた!
という事で、大塚明夫さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 大塚明夫の実家の場所は東京都国立市
- 大塚明夫の実家は特別なお金持ちではなかった
- 大塚明夫の父は声優の大塚周夫
- 大塚明夫と父の関係は良くなかったが、大塚明夫が声優界に入ると少しずつ改善していった
- 大塚明夫の母に関する情報はほとんどなかった
- 大塚明夫にはおそらく弟がいるが、年齢などの情報は公開されていない
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。