二所ノ関部屋所属の大相撲力士の大の里泰輝(おおのさとだいき)さん。
大相撲秋場所で2回目の優勝を果たし、初土俵から所要9場所での大関昇進となり、史上最速の記録を残しています。
そんな大の里さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は大の里の両親(父親・母親)はどちらも一般人!兄弟など実家の家族も調査!
という事で、大の里さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
大の里の実家はお金持ち?
まずは大の里さんの実家について調べてみました!
大の里の実家の場所は石川県河北郡津幡町!
大の里さんの実家は石川県の河北郡津幡町にあります。
実家の詳しい場所までは特定できませんでした。
出身小学校の学区域から推測すると、字津幡または字清水、字横浜付近に実家があると思われます。
津幡町は石川県のほぼ中央に位置し、石川県加賀地方・能登地方、富山県を結ぶ交通の要として栄えてきた場所です。
自然豊かな場所が多く、子育て世代の移住・定住が増えている町でもあります。
一方で記憶に新しい、2024年1月に発生した能登半島地震において大きな被害を受け、2024年9月には大雨による被害を受けた地域でもあります。
そんな中、大の里さんが優勝した話題は被災された地域の方々にとって大きな元気と勇気を与えているようです。
大の里さん大関昇進のニュースを受けて地元では大盛り上がり。
「津幡の星」や「地元のヒーロー」などと称賛され、今後ますますの活躍が期待されています。
大の里の実家はお金持ち?
大の里さんの実家がお金持ちかどうか、実家の経済状況を調べてみました。
①学歴
まずは学歴を辿ってみましょう。
- 小学校・・・石川県津幡町立津幡小学校(公立)
- 中学校・・・新潟県糸魚川市立能生中学校(公立)
- 高校・・・新潟県立海洋高校(県立)
- 大学・・・日本体育大学(私立)
小学校・中学校は公立学校に通学し、高校では県立高校へ進学されいます。
海洋高校の入学金は5,650円、初年度学費は286,800円と私立に比べると負担が少ないようです。
大の里さんは親元を離れて中学生から寮生活をしていましたので、寮生活に必要な費用が毎月数万円かかっていたと思われます。
公立学校の寮費用は比較的良心的で、年間数十万程度と言われています。
私立・日本体育大学の費用は、入学金300,000円+年学費約1,300,000円とそれなりに費用がかかっています。
②習い事
幼稚園の頃から他の子に比べて頭一つ大きかったという大の里さん。
体格の良さに恵まれていた大の里さんはどんな習い事をされていたのか調べてみました。
幼少期より相撲一択だったようで、小学校1年生より相撲教室へ通い始めました。
下記写真、後列右端が大の里さんです。
週2回の、一日2時間の少年相撲教室。
相撲教室の月謝は小学3年生までは500円、小学4年生からは1,000円と習い事の中では良心的な費用です。
大の里さんにとっては決して楽しい習い事ではなかったようですが、根気強く習い続けていたようです。
その他に習い事をしている情報は見つかりませんでした。
以上の情報から、大の里さんの実家はお金持ちという確証は見つからず、ごく一般的な経済状況の家庭で育ったのではないかと推測されます。
大の里の実家の両親(父・母)はどんな人?
大の里さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
大の里の父親は元社会人相撲の選手!
大の里さんの父親の名前は中村知幸(なかむらともゆき)さん。
年齢は48歳。
身長は184cmもあるそうです。
現在は一般の会社員で働いているようですが、元社会人相撲の選手だったようです。
かつては金沢北陸高校の相撲部に所属し、全国大会2位の実績も残している凄腕選手でした。
父親との数々のエピソードがありましたのでご紹介します。
①親子仲良し野球好き
②相撲の道へ進むきっかけは父親の一言
③親子で涙した夜
④相撲界入りした息子への想い
⑤昇進伝達式で息子が口にした言葉に鳥肌
①親子仲良し野球好き
大の里さんと父親の知幸さんは相撲だけではなく野球好きな親子でもあるようです。
2人とも阪神タイガーズのファンで、2人とも「代打の神様」推しなのだとか。
父親の知幸さんは、
「代打の一打席に集中して結果を出す気構えが一日一番の相撲に通じて応援していたのかもしれない」
と話していたそうです。
幼少期から父親が大好きだった大の里さん。
野球好きも代打推しも父親の影響を大いに受けているかもしれませんね。
父親が長距離運送の仕事で帰ってこない日があると高学年になっても泣きじゃくっていたという大の里さん。
夏休みは父親の仕事に一緒に同行し、夜は父親と一緒の布団にくるまって寝ていたそうです。
父親とひと時も離れたくないという大の里さんの純粋な幼心が感じられますね。
②相撲の道へ進むきっかけは父親の一言
大の里さんは阪神タイガーズのファンだったこともあり、幼少期に野球の道へ進みたかったのだとか。
しかし、父親に野球道具を揃えるお金がないと言われ、相撲の道へ誘導されたという大の里さん。
全日本青年相撲選手権団体で優勝経験があった父親は、息子にはまず足腰鍛錬のため土俵に立ってほしかったそうです。
「野球道具を買うお金がない」というのは実際は相撲の道へ進ませる口実だったのだとか。
息子が相撲教室へ通うことを機に、選手側から指導者側へ変更した父親。
当時社会人相撲の選手だった父親は、息子と一緒に相撲ができてうれしかったと振り返っています。
小学4年生までは父親の知幸さんが大の里さんを指導していたそうです。
「自分を信じろ」
当時指導者の立場にいた父親は、大の里さんによくこの言葉を言い聞かせていたのだとか。
大の里さんは小学生の北信越相撲大会では気が付けば敵なし状態となり、野球熱はすっかり冷め相撲にのめり込んでいったそうです。
③親子で涙した夜
大の里さんが小学6年生の頃、5回戦で負けるなど成績に伸び悩む時期があったようです。
そんな時に大の里さんは
「甘い環境を捨てないといけない」
と誘いがあった新潟県への中学校へ留学を決意。
初めて親元を離れての寮生活をすることとなりました。
父親の知幸さんは寂しさもあったけど、本人の意思を尊重したと当時を振り返ります。
「逃げて帰ってくるな」
と送り出した父親の知幸さん。
その言葉に対して、
「帰らんし」
と短い言葉で力強く言い放った大の里さん。
覚悟を決めた大の里さんは留学先のに新潟県・能生(のう)中学校と海洋高校で中高一貫スタイルで猛稽古を積みました。
しかし、地元の石川・津幡町は相撲どころで知られており、大の里さんの留学には少なからず周囲から反発の声もあったようです。
父親・知幸さんの元には関係者から、
「あんな所に行かせて」
と裏切り者に見られ冷ややかな反応もあったのだとか。
13歳からの武者修行のかいあって、大の里さんは日体大でアマチュア・横綱に輝きました。
その夜親子で食事に行った際、大の里さんは
「あの頃、俺たち親子がどんな目で見られたか。結果を残せなかったら、と家族のために頑張れた」
と当時を振り返り、
「つらかったな」
と親子で語りながら涙を流したそうです。
相撲留学した後は辛いことや試練も沢山あったのではないでしょうか。
こうして親子で喜びを分かち合える日が来たことは、2人にとって忘れられない日となったことでしょう。
④相撲界入りした息子への想い
力士になってからは猛スピードで出世していく大の里さんに、正直ついていけないと言う父親の知幸さん。
相撲界に入る前は、
「関取になるまでは戻ってくるな」
と喝を入れていたものの、大の里さんはわずか2場所で関取になってしまったのです。
送り出した際は何年も会えなくなってしまうと覚悟していただけに、早過ぎる出世に戸惑いもあった父親の知幸さん。
力士になって活躍する大の里さんに対して父親の知幸さんは次のような想いを語っていました。
みんなの手本となるような憧れられる力士になってもらいたい。
勝っておごらず、負けて腐らず、調子に乗らないように一日一日精進してください。
力士になっても親子の時間を大切にし、お互いの想いが通じ合っている素敵な関係ですね。
⑤昇進伝達式で息子が口にした言葉に鳥肌
大関昇進伝達式で大の里さんは次のような言葉を力強く語っていました。
「大関の地位を汚さぬよう、唯一無二の力士を目指し、相撲道に精進します。」
「唯一無二」という言葉は父親の知幸さんが小さい頃から大の里さんに対して伝えていた言葉だそうです。
事前に口上の中身を知らされていなかった父親・知幸さんは、鳥肌が立ち目から汗が出てきたそうです。
また、
「まさかこんな日がくるなんて。家族思いな息子ですね」
と幸せを噛みしめていたそうです。
しかし、目指す先はもう一つ上の横綱という最高位。
父と子の気持ちは常に一心同体のようです。
大の里のスピード昇進の裏には父親の存在も大きかったのではないでしょうか。
大の里の母親は高身長!
大の里さんの母親の名前は中村朋子(ともこ)さん。
年齢は48歳。
身長は165cm。
写真一番左が母親の朋子さん。
家族そろって高身長ですね!
母親の職業は公開されておらず、専業主婦の情報もありましたが確証はありませんでした。
母親に関しての情報をいくつかまとめてみましたのでご紹介します。
①命名は母・朋子さん
②母親は料理上手!?
③大の里の優勝間近で胃痛発症!
①命名は母・朋子さん
4060グラムで中村家の長男として誕生した大の里さん。
大の里さんの本名は中村泰輝(なかむらだいき)さんです。
当時母親の朋子さんは
「(名前は)タイキよりダイキにしたかった」
と考えていたそうです。
漢字も画数の良さから「泰輝」と命名されたのだとか。
今では漢字の名前の通り大きく輝いている大の里さん。
母親の朋子さんにとっても自慢の息子なのではないでしょうか。
②母親は料理上手!?
大の里さんの小学生の頃、牛丼チェーン店で大盛3杯を完食していた大の里さん。
母親の朋子さんも日々の料理や買い出し、準備と何かと忙しかったのではないでしょうか。
父親の知幸さんも大柄な方ですので、中村家の食卓にはいつも沢山の料理が並んでいたことでしょう。
きっと何品もの料理を手際よく作り、家族の胃袋をがっつり掴む料理上手な母親なのでは、と想像できますね。
③大の里優勝間近で胃痛発症
これまで何度も相撲で試合を重ねてきた大の里さん。
母親の朋子さんも毎回同じ思いで息子の試合を見守ってきたかと思います。
大の里さんが角界入りしてからというものの、ますます心配は絶えなかったのではないでしょうか。
母親の朋子さんは大の里さんが優勝する数日前から胃痛を発症していたそうです。
優勝した際には、
「頼もしくて、わが子じゃないみたい」
と興奮気味で話していたそうです。
母親の祈るような思いが通じ、大の里さんの優勝と共に緊張や胃痛からも解放されたことでしょう。
角界での優勝は母親・朋子さんにとっても格別なものだったのではないでしょうか。
大の里の両親のエピソードも紹介!
大の里さんの両親についてのエピソードを紹介します。
大の里さんの試合にはよく観戦に訪れている様子のご両親。
優勝した際にはパレードのオープンカーに乗せてもらったそうです。
「最高の思い出ですよ。良い記念になりました」と嬉しそうに語りながらも、大の里が看板力
士となっていく姿に「遠い存在になってしまった」と寂しげに語る場面もあったようです。
また、大の里さんについて
「人懐っこいところは変わらない泰輝のままです」
と誇らしげに話していたのだとか。
母親の朋子さんも
「息子が小さい頃から周りから好かれていた」
と話すように、大の里さんは昔から人気者だったようです。
新潟県から相撲留学していた際の恩師からは、
「明るくておしゃべりで、めちゃくちゃ面白い。(大相撲は)人気商売というところが大事で、大の里はみなさんに笑顔で、嫌な顔をせずに接するのが昔からできている。人気者です」
と話す場面もあり、大の里の人柄の良さが伝わってきますね。
きっとご両親の人柄の良さが大の里さんにも備わっていることでしょう。
今後も日本の人気者力士として注目されていくこと間違いないでしょう。
大の里のおじいちゃんの情報もありましたの併せてご紹介します。
祖父の名前は坪内勇さん。
名字が中村ではないので、母方のおじいちゃんでしょうか。
大の里が地元・避難所を訪問した際に、祖父・勇さんと再会。
大の里さんを見るなり満面の笑みとなりホッとしたと語る祖父の勇さん。
久々の再会に恥ずかしさもあったご様子でした。
度重なる震災で心落ち着かない日々が続いていた中で、大の里さんの来訪は祖父・勇さんにと
っても元気の源になったことでしょう。
大の里の兄弟姉妹も調査!
大の里さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
大の里の兄弟は2人で妹がいる!!
大の里さんには4歳年下の妹がおられます。
妹の名前は中村葵(あおい)さん。
現在大学生です。
身長は170cmぐらいあるのだとか!
美人でモデルのような妹さんですね。
兄の大の里さんが優勝した際、
「すごくかっこいい」
と自慢の兄を見つめていたそうです。
小さい頃から兄に守られて優しく育てられてきたのではないでしょうか。
妹・葵さんにとって、大の里さんは小さい頃から強くて頼もしい自慢のお兄さんであることは間違いないでしょう。
家族との写真。父、母、妹さん。
— くるくるおばけ@ブログ「大相撲取組内容」 (@kuru2obake) September 14, 2023
父も相撲経験がある。
〔新十両紹介 大の里〕 #秋場所五日目 #sumo pic.twitter.com/Q8Bk4OBTWS
妹さんに肩を寄せる大の里さんの頼もしい様子が伝わってくるお写真です。
父様の知幸さんも母様の朋子さんに肩を寄せ、皆が仲良しで素敵な家族ですね!
家族に支えられ、大の里さんの今後ますますの活躍に期待が広がりますね。
まとめ
今回は大の里の両親(父親・母親)はどちらも一般人!兄弟など実家の家族も調査!
という事で、大の里さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 大の里さんの実家は石川県河北郡津幡町!
- 大の里さんの実家はごく一般的な経済状況の家庭!
- 大の里さんの父親は元社会人相撲選手!大の里さんの母親は高身長!
- 大の里さんの兄弟は2人で4歳下の妹がいる!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。