世界的ピアニスト「スタニスラフ・ブーニン」の妻、中島ブーニン栄子(なかじま・ぶーにん・えいこ)さん。
世界的ピアニスト「スタニスラフ・ブーニン」の妻で、ジャーナリストの活動もされている方です。
そんな中島ブーニン栄子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は中島ブーニン栄子の実家は資産家の金持ち!経歴や父母など家族も!
という事で、中島ブーニン栄子さんの実家や両親についての情報を調べました。
目次
中島ブーニン栄子の夫とは?
中島ブーニン栄子さんを知る前に、夫であるピアニストのスタニスラフ・ブーニンさんとは、どのような人物なのか見ていきましょう。
中島ブーニン栄子の夫スタニスラフ・ブーニンとは?
世界的ピアニストとして有名なスタニスラフ・ブーニンさん。
まず、スタニスラフ・ブーニンさんのプロィールと経歴を簡単にまとめてみました。
- 1966年9月25日(2024年9月末日時点で58歳)
- 旧ソビエト連邦モスクワ出身
- 祖父は、モスクワ音楽院の名教授ゲンリフ・ネイガウス
- 父は、名ピアニストのスタニスラフ・ネイガウス
- 母は、モスクワ音楽院出身のピアニスト
- 1985年、第11回ショパン国際コンクールで「協奏曲賞」「ポロネーズ賞」を同時受賞
- 1988年、母国の体制への不満から母親と共に西ドイツへ亡命
- 1990年代以降、日本で演奏活動を続けている
スタニスラフ・ブーニンさんが日本で有名になったのは、ショパン国際コンクールの様子がNHKスペシャルで特集され、「ブーニンフィーバー」が起こったためなんだそうです。
このフィーバーをキッカケに、クラシック音楽に注目するようになった人が増え、スタニスラフ・ブーニンさんは日本に好意的な印象を持つようになったのだとか。
当時のクラシック界では異端とされていましたが、結果的にはクラシック音楽に興味を持つ人の裾野を広げたことになったのです。
異端、音楽に興味を持つ人の裾野を広げるという点では、葉加瀬太郎さんと通じるものがあるのではないでしょうか。
中島ブーニン栄子との出会い
中島ブーニン栄子さんとの詳しい馴れ初めなどについては明らかにされていませんでした。
中島ブーニン栄子さんとの出会いで分かっていることは、ドイツで出会い結婚ということのみ。
スタニスラフブーニンさんが西ドイツに亡命したのが1988年、東西ドイツが統合されたの(ベルリンの壁崩壊)が1989年であることを考えると、中島ブーニン栄子さんと結婚したのは1990年前後となりそうです。
ベルリンの壁崩壊
第二次世界大戦後、敗戦国のドイツは戦勝4カ国による分割占領となる。
これにより、ドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ)が誕生し、ドイツが分断された。
この分断が東西対立を招き、1961年8月に東ドイツが突如西ドイツとの往来を遮断。
往来の遮断のために作られたのがベルリンの壁であった。
ベルリンの壁は東西冷戦の象徴であり、この象徴が破壊されたことで東西ドイツの分断は終結した。
ちなみに、東西ドイツは東西できっちりと分けられていたのではなく、戦勝4カ国のどの国が占領していたかで分けられているため飛び地のようになっている。
ドイツでの激動の最中に結婚されたとするなら、夫婦の絆の深さにも納得がいきますよね。
肩の石灰沈着症と骨折と糖尿病
日本やドイツでの活動が順調な中、2013年頃から音楽業界から10年ほど姿を消していたスタニスラフ・ブーニンさん。
肩の石灰沈着症により腕が思うように動かせなくなり、リハビリをしていました。
石灰沈着症とは?
肩の腱板にカルシウムの結晶である石灰が沈着して起こる病気。
閉経後の女性、肩をよく使う職業の人に起こりやすいといわれている。
骨折をしたのは、このリハビリの期間中だったとのこと。
不運は続き、骨折した時に持病の1型糖尿病の合併症で傷が塞がらずに左足が壊疽を起していたそうです。
壊疽を起こした左足は、切断の選択を迫られるほどだったのだとか。
1型糖尿病とは?
インスリンを出す脾臓の細胞が壊されてしまう病気。
1型はインスリンがほとんど出なくなる、2型はインスリンが出にくいまたは効きにくい状態になるという違いがある。
ピアノはペダルの踏み替えの有無で表現の幅が大きく変わる楽器。
ペダルの踏み替えを行うのは右足ですが、正しい演奏姿勢になると左足も重要になってくるのです。
その部分を義足で支えるとなると全ての感覚が変わってしまい、従来の演奏が出来なくなることを危惧したのでしょう。
自分の足でペダルを踏みたい!
左足を守るため、スタニスラフ・ブーニンさんは壊疽した部分を切除して縫合するという方法で切断を回避したのでした。
切除して縫合した分だけ、左足は短くなっているそうです。
亡命、病気、ケガと波乱の人生を送っているスタニスラフ・ブーニンさん。
その波乱の人生の大半を共にしている中島ブーニン栄子さんとは、どのような方なのかに迫っていきましょう。
中島ブーニン栄子の実家や両親を調査!
中島ブーニン栄子さんの実家や両親について調査してみました。
中島ブーニン栄子の出身地や実家はどこ?
中島ブーニン栄子さんの出身地は、千葉県南房総市となっています。
中島ブーニン栄子さんの実家の詳細について調査しましたが、情報は見つかりませんでした。
現在の自宅については、
- 千葉県南房総市
- 千葉県館山市
という可能性が考えられます。
千葉県館山市が可能性として考えられるのは、スタニスラフ・ブーニンさんが千葉県館山市でリハビリ生活を送っていたため。
いずれの町も、自然豊かで冬は暖かく夏は涼しいという南房総ならではの気候になっています。
その気候が、スタニスラフ・ブーニンさんの体調を考えても最適だったのかもしれませんね。
中島ブーニン栄子の両親はどんな人?
中島ブーニン栄子さんの両親に関する情報を調査しましたが、情報は見つかりませんでした。
中島ブーニン栄子さんの現在の自宅が南房総地域にあるのなら、ご両親のお墓を守りながら、自宅からの景色がステキなところに住まわれていそうですよね。
中島ブーニン栄子の経歴もまとめた!
中島ブーニン栄子さんの経歴について、分かっていることが少ないですがまとめてみました!
中島ブーニン栄子の出身高校は旧千葉県立安房南高校
中島ブーニン栄子さんの出身高校は、旧千葉県立安房南高校となっています。
高校卒業後については、大学などに進学されたのかなどについては不明でした。
後に海外で活動するジャーナリストになられているので、国際政治系の学部がある大学もしくは外国語大学などに進学されたのではないでしょうか。
ジャーナリストとしてドイツで活動
1990年前後のことを考えると、ベルリンの壁崩壊前後の取材をしていたものと思われます。
国際政治的な取材の他に、音楽的な分野でのジャーナリストとしても活動されているようです。
現在の中島ブーニン栄子さんは何をしている?
スタニスラフ・ブーニンさんのケガや病気などを10年近くに渡って献身的に支えたそうです。
スタニスラフ・ブーニンさんは長く演奏ができないという状況が続き、感情のコントロールが難しくなったこともあったのかもしれません。
どんなことがあっても献身的に支えた中島ブーニン栄子さんの苦労は、計り知れないものなのかもしれませんね。
献身的に支えるのは、心身の面だけではなく言葉の面も含まれています。
スタニスラフ・ブーニンさんは日常的にドイツ語を話すため、中島ブーニン栄子さんが通訳として同行しているのだそうです。
中島ブーニン栄子さんの今後の予定は?
2022年、約9年に渡るリハビリ生活から復帰をしたスタニスラフ・ブーニンさん。
昨年に続いて、今年も日本全国を回る演奏会を7月から行っています。
スタニスラフ・ブーニンさんの心身・言葉など全ての面でサポートをしている中島ブーニン栄子さんは、この全ての日程に同行するものと思われます。
スタニスラフ・ブーニンさんの素晴らしい演奏の背景にある、中島ブーニン栄子さんの献身的なサポートにも注目したいところです。
まとめ
今回は中島ブーニン栄子の実家は資産家の金持ち!経歴や父母など家族も!
という事で、中島ブーニン栄子さんの実家や両親(父・母)についての記事をお届けしました。
- 中島ブーニン栄子さんの夫は世界的ピアニストのスタニスラフ・ブーニン
- 中島ブーニン栄子さんの実家詳細や両親については情報なし
- 中島ブーニン栄子さんの現在は心身や言葉など全ての面で夫をサポートする役を担っている
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。