バラエティアイドル、歌手…とマルチに活躍する中川翔子(なかがわ しょうこ)さん。
幅広い趣味を活かしマルチタレントとして活躍されていますよね。
そんな中川翔子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回はしょこたんの父はイケメンシンガーの中川勝彦!父親とのエピソードもまとめた!
という事で、中川翔子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
中川翔子の実家はお金持ち?
まずは中川翔子さんの実家について調べてみました!
中川翔子の実家の場所は東京都中野区中央5丁目周辺⁉
中川翔子さんは中野区立桃園第三小学校(現:中野区立桃花小学校/所在地:中野区中央5丁目)の出身です。
その後、東京都中野区本町にある私立女子中学「東京文化中学校」(※2010年に新渡戸文化中学校に改称、2014年から男女共学)へ進学しています。
それ以降もたびたび「中野区民」であることを公表していますので、ほぼ間違いないと思います。
中川翔子の実家はお金持ち?
中川翔子さんは両親とも忙しく働いていたので、幼少期は父方の祖父母宅で過ごしました。
父親がわりだった祖父・中川勝夫さんは会社の社長さんだったそうです。
中川翔子さんのお父さんの実家は、東京都文京区本駒込の裕福な家庭です。
(幼少期の中川翔子さんは、ほぼほぼこちらで過ごしたとか)
以前、中川翔子さんがブログで祖父母宅のリフォームについて触れていました。
リフォームで、家にあるものを捨てる…というので昭和の宝石たちを全部貰ってきたそうです。
その中の思い出の詰まったイタリア製のテーブルが実はゲームテーブルだった!
テーブルの天板をひっくり返したら雀卓になる!だけじゃなくて、ポーカー、バックギャモン、チェス、ルーレットまでできる、ゲームカジノテーブルだったことがいま発覚した!
しかもおじいちゃんがほんとは麻雀大好きだったことも知らなかった。
引用:https://ameblo.jp/nakagawa-shoko/entry-12536976012.html
このテーブルでよくお蕎麦を食べてたそうです。
…ふつうのおうちじゃお目に掛かれない「宝石たち」ですよね…
このほかにも、本駒込のご実家は、鯉の居る池があったり、マッサージ椅子などもあったとか。
上記の情報を総合すると、中川翔子さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
お父さんのご実家に預けられる…という時点で夫婦・親子間の関係も良好そうですね。
中川翔子の実家の両親(父・母)はどんな人?
中川翔子さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
中川翔子の父親はビジュアル系マルチタレント!
中川翔子さんの父親は、ビジュアル系のさきがけ、中川勝彦(なかがわ かつひこ)さんです。
中川勝彦
・1962年7月20日うまれ
・血液型 A型
・活動内容 マルチタレント(ミュージシャン・歌手・俳優・声優)
・カレーとオムライスが好物
・1994年9月17日 永眠。享年32歳。
高校時代に始めたバンド活動、三年生の時に出場した「ヤングミュージックフェスティバル」がデビューのきっかけになりました。
映画『ねらわれた学園』など多くの俳優活動もありますが、1986年の年末時代劇スペシャル『白虎隊』で見せた沖田総司で注目を集めます。
その端正な顔立ちが大ハマり。女性ファンからの人気を不動のものにします。
1980年代のビジュアル系といえばかなり少なく、目立つ存在。
が、中川勝彦さんは気さくで茶目っ気がある人柄。
その上、ラジオ「MBSヤングタウン」では、下ネタがいきすぎ、2度も謹慎処分を受けたことも。
手の届かないイケメンというより、男女問わず好かれるタイプだったようです。
いまの中川翔子さん、「しょこたん」に受け継がれているDNA。
中川勝彦の「生きた証」ですね。
中川勝彦生きた証その① 猫好きDNA
2024年2月22にでデビュー40周年を迎えた中川勝彦さん。
2.22だから猫みたいだね
と喜んでいた…というくらいの猫が好きだったようです。
ちなみに、2023年の2月22日は中川翔子さんのデビュー20周年アルバムの発売日でもありました。
娘である中川翔子さんも、自身のブランド「mmts」の売上の一部を保護猫に寄付するくらいの猫好き。
9匹の保護猫ちゃんたちと暮らしているそうです。
中川勝彦生きた証その② オタクカルチャー
怪獣や妖怪の映画・漫画が大好きだった中川勝彦さん。
中川翔子さんも絵を描いたり、漫画を読んだりするのが好きなのは父の影響と言っています。
5歳の頃、水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」・楳図かずお「赤んぼ少女」を全巻を買ってきて
これを読まないとちゃんとした大人になれないぞ
と教育。中川翔子さんは立派な楳図かずお崇拝者になりました。
3人で手をつないで古本屋に行き、「美少女戦士セーラームーン」を買ってもらった思い出もあるそうです。
父親参観時にはビデオを持って参加した中川勝彦さん。
イケメンで目立つ父親に、ざわつく先生や保護者たち。
幼い中川翔子さんは、
「家だと下駄を履いているバンカラだし、自分のこと〝わし〟っていうのに」
となぜまわりが騒ぐのか不思議に思っていたそうです。
「変なお父さん」だと思っていたそうです。
中川勝彦生きた証その③ CM共演
2018年、中川翔子さん親子はCM共演します。
ACジャパン「日本骨髄バンク支援キャンペーン」・『「生きたい」と願う人がいる」のCMです。
9歳の時、急性骨髄性白血病で父を亡くした中川翔子さん。
骨髄移植によって治る可能性があったため、家族全員検査して調べました。
中川翔子さんは「こわいからいやだ!」と拒んだ記憶があり、ずっと「助けられたかもしれない」とモヤモヤ…。
実際には、最後に娘を検査しようとしたとき、中川勝彦さんが
幼い娘に検査による負担をかけたさせくない
と、検査を断っていました。
また、骨髄バンクのドナー登録は20歳以上55歳以下です。
もし、検査をして適合したとしても、移植はできなかったのです。
亡くなった父の年齢、32歳の時に来たCMだったため、
父が連れてきてくれたCMだ と思ったそうです。
中川勝彦生きた証その④ 絵本合作
90年代に2度限定ルートで刊行された中川勝彦さんの絵本があります。
『未知の記憶 Unknown Memory』です。
白血病罹患前から制作し、病床で完成させたもの。
貼り絵の技法で制作され、幼い中川翔子さんも一緒に絵を描いたそうです。
母から「お父さんが2階にいるから会って来なさい」と言われてしぶしぶ行くと、父は絵本を描いていた。
引用:https://www.hachi8.me/made-syoko-death-of-father/
海と空の青がすごく美しくて、子ども心になんてきれいなんだろうと思ったのを覚えています。
「翔子も手伝ってごらん」と言われて一緒に絵本を作ったことは忘れられません」
サバンナに住むダチョウが海を目指して旅をする物語です。
中川勝彦生きた証その⑤ ある日どこかで
アルバム収録曲に父の創作ノートに眠る詩を元に1曲作ることにした中川翔子さん。
32歳の若さでこの世を去らねばならなかった父の分も生きること。
父が歌えなかった分も自分が歌うこと。
と、かつての誓いを想い出したといいます。
タイトルはお母さんのひとこと「『ある日どこかで』がいいわよ」で決定。
ヤノット・シュワルツ監督による1980年公開のSF映画のタイトルから取っているという曲名。
これは、中川翔子さんが生まれる前、別れ話をしたお父さんとお母さん。
「これが最後だから」と言って観た映画が「ある日どこかで」。
時を越えて会いに行くというストーリーで、これがきっかけで復縁したんだそうです。
お墓にある石板に記してある中川勝彦さんの好きだったことば
「この思いまた逢える日まで、さあ風に乗れ…」
しょうこ!力を貸すよ!頑張れ!
と言ってくれたような気がしたそうです。
悩んだり迷ったらまた父に会いに来よう。
そうすると前に進めるような気がするから。
新しい力がもらえる。だからいつもいつも不思議に思う。
引用:https://ameblo.jp/nakagawa-shoko/entry-12546354483.html
クレジットは「作詞:中川勝彦・中川翔子」。
きっと見守ってくれていますよね。
中川勝彦生きた証その⑥ バースデーカード事件
思春期のころは、父がいなくなったせいで母が悲しんでいると、反抗心が強かったそうです。
同時期くらいでしょうか?
中川勝彦さんに、女性とのスキャンダラスな写真が出回りました。
その記事を見てしまった中川翔子さん、
大事だったお父さんからのバースデーカードを捨ててしまうほどショックを受けます。
それは、娘の9歳の誕生日に、娘が好きな猫の絵を描いて
鳥が空を恋ひ 魚が海を慕うように 私はあなたを 愛するのでしょう
というメッセージを添えて病院から贈られた手作りのカード。
捨てられたカードは、お母さんが回収し、きちんと保管してくれていたそうです。
いまでは、「モテていたんだから、それくらいはあるだろう」と思えるようになったそうです。
オトナになりましたね…。
それ以外にも
・中川勝彦さんがバンド「MAJI-MAGIC」を組んでいたギタリストCharさんとカバー楽曲を収録。
お父さんに渡すはずだった帽子を中川翔子さんがかわりに貰う。
・初めてのコンサート会場がかつて中川勝彦さんも舞台に立ったところだった。
・化石を集めていたら、祖母が『あら、そんなのあなたのお父さんがいっぱい持ってたわよ』と出してきてくれた。
・しんかい6500に乗って深海魚の専門家を驚かせるほどの知識を披露した深海魚好きな中川翔子さん。
発見された父のノートにも深海魚のラフスケッチがあったことが判明。趣味は遺伝する⁉
また2023年4月に結婚した中川翔子さん。
挙式したハワイでは、毎日虹が出て「お父さん」の祝福を感じたそう。
ハワイで結婚式でした 毎日虹が出て 勝彦さんも来てくれたかなと思うと泣いてしまった
生きて来て欲しかったです
引用:https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310120001522.html
桂子さん、勝彦さんのぶんも育ててくれてありがとう
お父さんも絶対そう願ったと思いますよ。
コピーのように同じ道をすすむ中で、確かに中川勝彦さんの「生きた証」を感じていると言う中川翔子さん。
なんだか、ずっと父の足跡を辿っているような気がするんです。歌うこと、絵を描くこと、猫が好きなこと、演じること……。不思議ですよね、生まれてから9年間しか一緒にいられなかったのに
引用:https://smart-flash.jp/entame/223454/1/1/
たまに一緒にいるような不思議な感覚を感じる時があるそう。
そんな時はたぶん、いえきっとそばで応援してくれているはずですね!
中川翔子の母親は凄腕経営者
中川翔子さんのお母さんは中川桂子(なかがわ けいこ)さん。
キレイな方ですが、小さい頃は子役をしていたそうです。
10歳でデビューした歌手の小林幸子さんと同じ少女雑誌でモデルをしていました。
娘との共演で再会した時には小林幸子さんもビックリ。
今では小林幸子さんも、中川翔子さんを娘のように思っているそうです。
「初めまして」って挨拶したら「なーに言ってんのさっちゃん、私よ!」って(笑)
・1953年12月31日うまれ(自称 永遠の29歳)
・尊敬する人はウォルト・ディズニー、ブルースリー、ジャッキーチェン。
・クラーク博士の教え子で、サケやマスのふ化を導入・推進した伊藤一隆氏の曾孫
・祖父は信濃日々新聞社長
・父は弥栄出版社長。「夫婦善哉」 ( 織田作之助・著)や「肉体の門」(田村泰次郎・著 )を出版。
・実家は中野区。旧姓は小笠原桂子さん。
・経営するショーパブでLiLiCo(映画コメンテーター)さんを最高月給で雇っていた。
・母親(栄子さん)の従兄弟で小児麻痺で亡くなった泰明ちゃんは黒柳徹子さん(トットちゃん)の親友だった。
当時、家もなく体を張った仕事をするLiLiCoさんを見かねて声を掛けたとか。
先見の明というか、人間の器というか…巡り合わせの妙ですね。
本当の年齢はわからないと言っていますが、
NHKの「ファミリーヒストリー」内で
「9歳年下の中川勝彦さんと結婚」と紹介されていました。
といわけで、2024年には71歳ということになりますね。
信じられないほどの若さ!!
また友人だった所ジョージさんの奥様と、20代で青山に「コーラルクラブ」をオープン。
常連客には、タモリさん、所ジョージさん、赤塚不二夫さん、影山民夫さんなど スゴい顔ぶれ!
ご主人の中川勝彦さんと出会ったのも「コーラルクラブ」です。
ここが「タモリ倶楽部」のモデルと言われています。
19歳だった中川勝彦さんには、一流の芸能人が足繁く通うお店。
そこで働く桂子さんはとても魅力的に映ったんでしょうね。
二人の秘密の関係も、タモリさんには中川勝彦さんを紹介したそうです。
(タモリさんは)「かわいい!」と興奮してこたつの中でこっそり手を握っていました。
このお店は中川翔子さんが生まれるまで続けたそうです。
好きなものがよく似ている母娘。一緒にお出掛けしてる写真も多いです。
最近ではボクシングの井上尚弥さんの防衛戦を観に行かれていました。
ジャッキー・チェンさん経営のレストラン(香港)で娘の誕生日を祝っていたときのこと。
ご本人に逢えて、感動で咽び泣いた中川翔子さん。
帰国後、「コーラルクラブ」に来たお客さんを介して、ジャッキーチェン事務所の日本支部に所属するご縁もありました。
中川桂子さんは「コーラルクラブ」でのご縁にとても感謝しているそうです。
最後のお店は港区のビル内にあった「ミラクル」という会員制のショーパブ。
コスプレショーを売りにしていたそうです。
ご本人もコスプレが大好きで、中川翔子さんのコンサートには毎年派手なコスプレで参加。
ファンの方に囲まれているのをよく見るそうです。
ショーパブで1トンもの雪を降らせたりする豪快な演出やお客さまへの神対応が伝説のようになっているそう。
桂子さんの広い交友関係からも、経営手腕は素晴らしいものだったんでしょうね。
残念ながら、こちらも2020年コロナ禍により閉店。
お客様の健康のため。何かあって翔子にも迷惑をかけられない
と決意したそう。
喧嘩してもすぐ仲直りできて、親友のような存在 というお母さん。
悲しいこと、辛いこともお互いに支え合って乗り越えていく
こんなにもパワーあふれるお母さんだから、いまの中川翔子さんがあるのでしょうね!
中川翔子の両親のエピソードも紹介!
中川夫妻はデビュー時期と重なる「授かり婚」でした。
アイドルのような人気だった当時の中川勝彦さんにとって致命的な事実です。
イメージダウンなどを考えて、その結婚・出産はごく一部の近しい関係者と友人にしか知らせませんでした。
なので、タレント活動を始めた中川翔子さんが「父は中川勝彦です」と公表するまで、親子である事実は知られることはなかったそうです。
親友・北野誠さんもその一人です。
共演していったラジオ番組で、一時期失踪した中川勝彦さん。
何ヶ月か後に復帰した中川勝彦さんから仕事終わりで家に誘われ、
俺、結婚して、こどももできたんですよ。これ、翔子
はぁ?
そりゃ、その反応になりますよね
事務所と家族同伴の話し合いで「1回別れてください」と言われたそうです。
お母さんは、お父さんのことを思って諦めようとしましたが、
子どもを作ろう
なぜ?まだデビューしたてなのに…
自分が忙しくて会えない時に桂子さんが淋しくならないように
当時のVTRが中川家に残っているそうですが
「グアムでいろんな国の駆け落ちの人が集まる集団結婚式」(中川翔子さん談)を挙行。
事務所に反対されるので、ナイショで強行。
それゆえの「一時失踪」だったというわけです。
絵になりますねぇ
このあと、ふたりで芸能事務所にスカウトされたそうですよ!
ご両親は薔薇が好きだったため、愛娘の名前を中川薔子(しょうこ)としたかったそうです。
ただ、当時人名用に「薔」が使えなかったので、ひらがなで提出。
それが手違いが重なり、結婚を機に改名するまで「しようこ」として受理されていたもようです。
中川翔子さんは、
短い人生の中で、反対にあった中でも
よくぞわたしを作っておいてくれたなと改めて思います
と感謝していますが、妻であるお母さんは少し複雑で
翔子を遺してくれて感謝ですが 貴方がいないのは淋しいです
とコメント。
しかし、こんな激震クラスの一大ニュース、よくここまで暴露されずにきたものですよね。
その事実に、中川さん夫妻の人柄、人徳…いかにまわりに愛されていたかがわかると思います!
中川翔子の兄弟姉妹も調査!
中川翔子に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
中川翔子に兄弟姉妹はおらず一人っ子
中川翔子さんのお父さんは9歳の時に他界。
お母さんも死別後、再婚したという話はありません。
このころの家族写真でも三人のみですので、
お父さん、お母さんに隠し子がいない限りひとりっ子で間違いないです。
いたら隠さない母子だと思いますしね!
まとめ
今回はしょこたんの父はイケメンシンガーの中川勝彦!父親とのエピソードもまとめた!
という事で、中川翔子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 中川翔子さんの実家は中野区の裕福なご家庭です。
- 中川翔子さんのご両親は伝説のスーパーアイドルと実業家の最強カップルです。
- 中川翔子さんはひとりっこ。まさにご両親の「生きた証」です
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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