小泉今日子の母親は元芸者!顔写真や父親に兄弟など家族も調査!

小泉今日子さんアイキャッチ画像

歌手で女優小泉今日子(こいずみ きょうこ)さん。

小泉今日子さんプロフィール写真
出典:https://yoi.shueisha.co.jp/talk/interview/6865/

「なんてたってアイドル」などヒット曲多数の時代のトップアイドル!近年は女優・制作事務所社長として活動されています。

そんな小泉今日子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?

今回は小泉今日子の母親は元芸者!顔写真や父親に兄弟など家族も調査!

という事で、小泉今日子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。

小泉今日子の実家はお金持ち?

まずは小泉今日子さんの実家について調べてみました!

小泉今日子の実家の場所は神奈川県

小泉今日子さんの出身地は神奈川県厚木市です。

地元の公立学校、厚木市立三田小学校、厚木市立陸合中学校に通われていました。

ご実家は「メリケン亭」というお好み焼き屋さんを経営。(本厚木市・2014年閉店)

地元でタクシーの運転手さんに「キョンキョンの実家のお好み焼き屋さんまで」というと辿り着けたそうです。

近所には本厚木駅近くにある「厚木公園」(通称「はとぽっぽ公園」)があり、

小泉今日子さん近所の厚木公園
出典:https://www.google.com/maps/place

何軒かある平屋建ての借家に、2歳まで住んでいました。

(現在のご近所はビルやマンションばかりですね)

その後、お父さんが親族から土地を譲り受け、マイホームを建てたため厚木市郊外へ引っ越します。

小泉今日子さんは15歳で仕事を始めるまで、ここに住んでいたそうです。

小泉今日子の実家はお金持ち?

小泉今日子さんのお父さんはカセットテープを作る会社を経営していました。

東京・世田谷区に本社を構え、工場が厚木の自宅そばにあったそうです。

小さな工場だったそうですが、プレハブの建物が2棟あり、近所の主婦をパートとして雇っていたそうです。

経営者家族ということは、お金持ちなんでしょうか?

ところが、小泉今日子さんがまだ子供のころ、お父さんが事業に失敗

借金取りを避け、母娘は狭いアパートへ引っ越しています

この時の経験で金銭感覚がシビアになり、芸能界に入っても無駄遣いはしなかったそうです。

2016年に出版した、初エッセーの中で

小泉今日子さん自伝エッセー
出典:https://www.switch-store.net/SHOP/BO0071.html

家族の生活は楽しかったけど経済的に厳しかったと語っています。

ここまでの情報を見ても、小泉今日子さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。

ですが、どんな状況も楽しさを見つけることができそうな小泉今日子さんのこと、

きっと「おもしろいじゃん」と乗り越えてきたんでしょうね。

小泉今日子の実家の両親(父・母)はどんな人?

小泉今日子さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!

小泉今日子の父親は会社経営者

小泉さんの父親は小泉信廣(こいずみ のぶひろ)さん。

小泉今日子さんは寛容だったお父さんがとても好きだったそうです。

小泉今日子さん父親と
出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/koizumikyouko-mukashi/

・家族の中で一番物知り。新聞を隅々まで読んでいた。どんな質問にもちゃんと答えてくれる。
・無口
・小泉家のチャンネル権は父のもの

経営するカセットテープ製作会社の危機が落ち着くまで…という一家離散。

ところが、いざ「戻れる」となった時、新生活に馴染んでしまったお母さんたちは戻るのを拒否

父親のいる家の方が学校に近く、また一人で暮らすのも不憫に思った小泉今日子さんだけが実家へ戻ります。

父娘2人暮らしがスタートしたのです。

居心地の良かったふたりの生活

始まったふたり(プラス猫)だけの生活。

お父さんは車の免許を持っていなかったので、たまの外食は自転車の二人乗り

学校をさぼりたいとき用に、欠席届のハンコを押しておいてくれるお父さん。

娘を自由にさせてくれる

毎日が「面白い」の連続だったそうです。

ある日、学校をサボって友達と一緒にファミレスに行くと、

同じ場所で商談中のお父さんと遭遇

修羅場!?…とはならず 他人のふり

帰宅した時のお父さんの第一声は

お父さん

お前、お金持ってたの?

学校をサボったという事実に関しては絶対触れなかったそうです。

冒険みたいで面白いから楽しかったようですよ。

他人行儀なポーカーフェイス

小学生のころ、父親参観日の授業が体育だった時のこと。

当時体育が苦手だった小泉今日子さんは、できた子から座っていく鉄棒の授業で最後まで残ってしまいます。

「お父さん、どんな顔しているだろう…」と様子をみると

帰っていく後姿!

娘ならショックですよね…

ですが、「そうだよね、いたたまれないよね?いいよいいよ、帰って

と安堵したそう。

お互いドライなのが前提で笑い話にできる案件ですねよね。

また、2番目のお姉さんがちょっとヤンチャだった時期親が呼び出されることもあったそうです。

学校から連絡を受けたお父さん…

顔はポーカーフェイス。でも内心はワックワクで出掛けて行く。

こりゃ面白いことになった! 潜入してくる!っていう感じだったそうです。

なかなかそんな反応してくれるお父さんいませんよね!?

毎日が楽しい…想像できるような気がしますね。

知らなかった外の顔

女系家族で唯一の男子だったお父さんは「大事にされて」いたそうです。

チャンネル権はもちろん、お父さんがなんでも一番

娘の中で唯一小泉今日子さんが受け継いだ「ちょっとだけ、プチ酒乱」DNA

お父さんが亡くなって、お葬式に参列してくれた仕事関係の人達に

小泉今日子さん

お酒ですごく迷惑をかけましたよね?

と恐る恐る聞くと、

仕事関係の人

いやいや、酒癖は全然悪くなかったよ

お父さん、家に帰るまで頑張ってたんだね と思ったそうです。

そう、お父さん、信廣さんは1993年12月11日心不全により、64歳という若さで亡くなっています。

小泉今日子さんは当時28歳。

お父さんの死により戸籍上は天涯孤独になったと明かしたこともありました。

現在、お父さんは実家近くにあるお墓で静かに眠っているそうです。

あなたに逢えてよかった

小泉今日子さんのヒット曲であり、最大のシングルセールスをあげた

あなたに逢えてよかった

小泉今日子さんシングルジャケット
出典:https://www.suruga-ya.jp/product/detail/251006469

作詞のモチーフはお父さんだと近年明かしています。

小泉今日子さんの主演ドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌として大ヒット。

当時、お父さんは体調を崩し、入院生活を送っていました。

離れて暮らしていたお父さんを思い浮かべながら書いた歌詞なんだそうです。

最終的に離婚の選択をしたご両親。

小泉今日子さんは父・母両方とその後の関係を保っていました。

曲のタイトルには、いままで関わった皆さんに対しての気持ちが込められているとか。

家族全員内弁慶というか、他人行儀というか…という小泉家。

「ありがとう」や「大好き」という言葉よりも、かえって気持ちがストレートに伝わる気がするから不思議です。

小泉今日子の母親は元芸者さん

小泉今日子さんのお母さんのお名前は小泉ユミ(こいずみ ゆみ)さんです。

小泉今日子さんとは似てないけど、すごく若々しくてお洒落な人だったそうです。

日暮里生まれの日暮里育ちで、若い頃は厚木の飯山温泉で芸者をしていました。

町内の盆踊り大会で、櫓の上に立ってお手本で踊る婦人会。

その中に動きや所作、どう見ても「プロ」が混じっていると噂になってしまうんだとか。

下で踊る小泉今日子さんは、見た目も踊りも誇らしかったそうですよ。

娘の授業参観もまわりのお母さんたちと一線を画し、

・巻スカートにターバン
・ミニスカートにショートのウィッグ

など、かなりファッションもキメてきたそうです。

男子たちに

小泉んちのかあちゃん色っぺーな!

と冷やかされたのも、今となっては「アッパレ」だと思うそうです。

戦後の貧しい時代。

実は、お母さん自身も一家離散を経験されています。

お母さんが10代の頃、父親が家庭を捨てて行方不明に。

長女だったお母さんは、置屋をしていた叔母さんの養女になり、芸者をしていました。

お父さんと出逢って結婚、長女を産んだのが19歳だったそうです。

ずっと専業主婦で、お父さんが経営する会社の手伝いをしたりしていました。

お父さんの会社が経営難に陥った時、昔から知ってる芸者仲間が経営するスナックでバイトを始めます。

その後、そのまま自分もお店、「お好み焼き屋 メリケン亭」を持つようになります。

小泉今日子さん 若い頃の母
出典:https://books.j-cast.com/topics/2023/11/01022200.html
小泉今日子さん

本当はやりたいこともあっただろうけど、その生き方しか選べなかったんだろうなと思います

子どものころに勉強できなかったので、本を読むのが好きだったお母さん。

わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ』(茨木のり子)という詩の一節が、お母さんの気持とリンクするそうで、

娘たちには自分の思うように生きてほしいと願っていた気がするそうです。

芸能の仕事をする娘のことも面白がっていたみたいですね。

  • 自分が読んでよかった本→『この役を今日子が演じたらすごくいいと思う』
  • 会社を作って小さい劇場でお芝居をした時→『面白かった。こういうところもいいね』

娘は着せ替え人形、ときどきお母さんのお母さん??

「決められない」子だった小泉今日子さん。

趣味嗜好がはっきりしてるお姉さんたちは「YES」「NO」もはっきり。

「なんでもいい」末っ子の小泉今日子さんは、オシャレだったお母さんの着せ替え人形だったとか。

オシャレなお母さん
・コーヒーはサイフォンで淹れる
・細いタバコを吸う
・毎日喫茶店へ行ってインベーダーゲームをやってる

洋服の買物もずっと迷うタイプで、決められないから値段を見て「安い方」を選ぶと、

「今何した? 値段見たでしょ」とお母さん。

「どっちもいいから、安い方がいいと思って」という娘に対し

「私、そういうの大っ嫌い」と結局両方買ってしまうんだそうです。

優しいお母さんだったけれど、一般でいう「お母さん」のイメージとはちょっと違っている人だったみたいです。

小さい時の写真はたいがい超ミニスカート

お母さんが「キョウコの足はキレイなカタチをしているから」

といって、もともとのミニをさらに裾あげ

パンツが見えないギリギリの丈にされていたそうですよ。

小泉今日子っさん幼い頃母と
出典:https://books.j-cast.com/topics/2023/11/01022200.html

髪型もそう。小学生なのにパーマをかけられたり、モンチッチみたいな超ショートカット

最初に憧れた女性はお母さん

母親というより大人の女性として素敵だと思っていたとも。

そんなお母さんに、動く着せ替え人形として遊ばれることは嫌ではなく、むしろ好きだったそうです。

十七歳くらいの時に住んでいた原宿のマンションには、よくお母さんが泊まりに来ていたようです。

お母さんは自分の感情に素直な人で、よく泣いたり怒ったりするんですって。

キッチンで洗い物をしながら黙って愚痴を聞いてあげる娘。

そうすると

「あんたは私のお母ちゃんみたいだね。姿は全然似てないんだけど、なにかがすごく似てるのよ」

と言ってくれたんだとか。

お母さん自身が、自分の母親と悲しい別れ方をしてしまったから、母親を想って時々泣いていたそう。

そんな時、小泉今日子さんは明け方まで喋ったり、母の悩みを聞いてアドバイスしたり、桃をむいてあげたり…

小泉今日子さん

まるで私の方が、母を育てているようだった。

と回想しています。

晩年と看取り

お母さんは健康な人で、80代になってから小泉今日子さんと一緒に人間ドックを受けた時もお母さんの方が検査結果がよかったそうです。

が、高齢なので背骨の疲労骨折から入院。

退院して安堵するも、しばらくして今度は脳梗塞になり、再び入院します。

コロナ禍で面会もままならない入院。

若い時の手術により、特殊な入歯なしでは、喋れないしご飯も食べられなかったお母さん。

入歯をつけてほしい」と頼むも、聞き入れてもらえなかったそうです。

やっと会わせてもらった時には、目がうつろでしゃべれず、嚥下もできなくなったお母さんの姿。

小泉今日子さん

このままでは尊厳が守られないまま数日で死んでしまう

と思った小泉今日子さん。

ヘルパーの仕事をしているお姉さんと相談して、在宅医療を選択し、自宅に連れて帰ることにしました。

自宅に戻ってから最期を看取るまでの約1か月は、とても穏やかな時間だったそうです。

そしてクリスマスを迎え、

お母さんを囲んで穏やかに過ごした後、お姉さん、叔母さんたちがそれぞれ帰宅

小泉今日子さんが家に残り、夕食後にカステラを食べようとした瞬間

“静か過ぎる⁉”と気付いた時には、息を引き取っていたんだそうです。

「ああ、ついに逝っちゃったな」と思った小泉今日子さん。

看病してくれた人たちは『きっとクリスマスの夜を狙ったんだね』明るく笑ってくれたそうですよ。

亡くなったことは悲しいんだけど、看ていた全員が満足している様子だったとのこと。

小泉今日子さん

こんなふうに最後に母とかけがえのない時間を過ごせて、幸せだったなと思っています

きっと最後のお別れの仕方も、小泉今日子さんの「憧れ」だったことでしょう。

はじまりは「ふしあわせ」だったかもしれませんが、お母さんはきっと満足して人生を終えられたと思います。

小泉今日子の両親のエピソードも紹介!

小泉今日子さんといえば、読書家で端正な文章を執筆するエッセイストであることもよく知られています。

彼女の魅力のひとつ「カルチャー偏差値の高さ」基礎を築いたのは「ちょっと風変わりな」家庭だったそうです。

普通の感覚や常識にとらわれない両親

・勉強しろ と言われたことはない
・他の子とくらべられたりしない

「みんなが持ってるからほしい」という感覚がまったく通じなかったらしく

「意味わかんない。あんた、ホントにそれでいいの?」

「みんな持ってるんだったら、なんの個性もなくない?」

そんな言葉をふりきって買ってもらうものの、すぐ飽きる結果に。

小泉今日子さん

やっぱ親の言うことは正しかったんだな…

という経験が多かったようです。

アイドルはめんどくさい?!

小泉今日子さんの芸能界デビューについてはどう思っていたのでしょうか?

オーディションに応募するのが流行ってたから

そんな軽いノリで申し込んだ小泉今日子さん。

第一次審査に受かり、テレビに出られるとなった時、

ああ、まずいことになった。どうしよう、面倒くさい!って思ったのが最初だったそうです。

合格して「まずい!」と思うのも大概ですが、家族はその上を行っていました。

「ほらみろ、どうするんだ、面倒くさいじゃん」って(笑)

合格するだろうな…と思っていたんでしょうかね。

末っ子とはいえ、可愛がられていたのがうかがえます。

全員対等、ドライな家族

ごく普通の5人家族だと思う一面、なんかちょっと友達の家とは様子が違うな…という感じもあった小泉家。

例えば、「サンタクロースにもらったもので覚えているものはありますか?」と聞かれたら

いやうち、サンタクロースなんて来たことないですけど」って答えちゃう家族。

お父さんがサンタのコスプレなんてしたら、家族全員で「はあ?」って言っちゃう家庭だったそう。

子ども扱いして育てる環境ではなく、全員対等

夜、「眠れない」という子供に母が絵本を読む

微笑ましい環境に思えますが、小泉家だと

「いや、ちょっと、それだけはやめて」とゲラゲラ笑い出しちゃうんだとか。

急に母親を演じるような感じになるので、「あなた、そういう人じゃないでしょ」ってなるんだそうです。

小泉今日子さん

とってもドライに感じるかもしれないけれど、でも、それが逆に私は心地よかった。

ちょっとかわった小泉家の環境。

これが、小泉今日子さんの感性を育くみ、「我が道を行く」スタイルを作ったんでしょうね。

気づいたら退学していた

地元の高校に在籍しつつ、芸能活動をしていた小泉今日子さん。

すでに拠点が東京で完成しつつあるころ、

ふと、東京の学校に編入するのかな、と思っていたので

お父さんに尋ねると

お父さん

え? 退学届出したよ

お父さんと事務所の社長さんで話あって、事が済んだ後だったそうです。

置きざりにされた、当の本人は

小泉今日子さん

ひとこといってくれてもねぇ…

と思ったそうです。

たしかに…

小泉今日子の兄弟姉妹も調査!

小泉今日子に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!

小泉今日子さんにはお姉さんが二人おられます。

ご自分のことを「三姉妹の末っ子長男みたい」と表現されています。

いろいろかいがいしくお世話してもらったんでしょうか?

小泉今日子の兄弟は姉!!

お姉さんのお名前は、小泉葉子(こいずみ ようこ)さん小泉浩子(こいずみ ひろこ)さんです。

小泉今日子さん三姉妹
出典:https://books.j-cast.com/topics/2023/11/01022200.html

姉妹仲は、特別に仲良かったわけでもなければ、仲が悪かったわけでもなく 極めて普通(笑)だそうです。

長姉・小泉葉子さん

長女の葉子さんは、8歳離れています。

幼い妹の面倒をよくみていたので、「この人がお母さんだ」と錯覚していた時期があったそうです。

小泉今日子さん姉葉子さん
出典:https://books.j-cast.com/topics/2023/11/01022200.html

・よき相談相手「私の知恵袋」と慕う
ビートルズとか日本のグループサウンズが大好き。
 フォークソング世代でもあるので、吉田拓郎さんとかのレコードをたくさん持っていた
・部屋に貼ってあったポスターは、ジュリー(沢田研二)、ショーケン(萩原健一)、林隆三、藤竜也

嘔吐しやすい子供だったという小泉今日子さん。

夜眠りながら吐いてしまうこともあったんだとか。

そんな妹の背中をさすったり、汚れたところを拭いてくれたりした

お母さんがしてくれていると思っていたら、ある時目を開けると、長姉の葉子さんだった。

「あー…お姉ちゃんがお母さんだったんだー…」

と錯覚したそうです。

お母さんも面倒をみてくれたし、ご飯も作ってくれたけど、ちょっと浮いているところがあり、

世間一般の「お母さん」のイメージお姉さんの方がしっくりきたそうです。

・一人暮らしを始めるときには裁縫セットを持たせてくれた
・20歳になったときに真珠のネックレスとピアスのセットをくれた
・結婚したときには色無地の着物に合わせるバッグと草履のセットをくれた

母親がやってくれることを全部補ってくれたのが葉子さんだったそう。

ちなみにお母さんが選ぶ誕生日プレゼントの例は

東南アジアの工芸品のような象の彫り物

→自分がカッコイイと思うものをくれたそうです。

つらぬいてますね…ブレないです。

葉子さんは目元が小泉今日子さんそっくり可愛いかったと言われています。

芸能界で活躍する妹を誇らしく思い、応援していたお姉さん。

三姉妹を知る知人

葉子ちゃんにとって、今日子ちゃんは自慢の妹。コンサートにも足しげく通っていましたし、NHK朝ドラ『あまちゃん』も毎日楽しみにしていました。

長女として地元・実家を守っていました。

お母さんが営んできた地元のお好み焼き店を引き継ぎ、切り盛りしたり

お父さんが心不全で他界した時も、葉子さんは病床の父を献身的に看病していました。

ですが、お母さんが新しい恋を始めた頃から、ゆっくりゆっくりお母さんとの仲が悪くなっていったそうです。

「お母さん」として慕い、母親の理想像を求めたお姉さんには、受け止められなかったのかもしれません。

すごくお互いを求め合っているのに素直になれない

まわりは見ていて切なかったそうです。

しかも、そのわだかまりが解けないまま

お姉さんは2014年11月に56歳の若さでこの世を去りました

はじめは大腸癌、その後肝臓・肺・脳にまで転移が見つかるという壮絶な闘病生活だったようです。

12月上旬、本厚木駅近くの斎場で行われた葬儀は近親者だけで執り行われました。

会場では次姉・浩子さんと小泉今日子さんが気丈に振る舞っていたといいます。

実家から目と鼻の先にあるお寺に、お父さんが眠るお墓があります。

実はこの場所も、父親の死期を悟った葉子さんが奔走して見つけた安住の地だったのです。

葉子さんはいま、そのお墓でお父さんと一緒に眠っています。

子供と、二人の孫に恵まれた葉子さん。

お姉さんの忘れ形見がいつか舞台を見に来てくれたら嬉しい

と小泉今日子さんは語っています。

次姉・小泉浩子さん

浩子さんはヘルパーの仕事をしているようです。

・洋楽好き。ベイ・シティ・ローラーズチープ・トリックのようなアメリカンロックやイギリスのニューウェイヴミュージックが大好き

二人の姉が網羅しなかった歌謡曲をよく聴いていた小泉今日子さん。

ずうとるびピンク・レディービューティー・ペアを聴いていると

お前、そんなの聴いてたら、中学で馬鹿にされるよ

長姉・葉子さんは8歳上だったので優しかったけど、次姉・浩子さんとは2歳違い。

父親と2人でふざけ合っていると「お父さんが甘やかすからこんな子になるんだよ」とも言われたそうです。

自分も混ざりたかったけど…というのもあるかもしれません。

真ん中っ子は複雑なんですよね。

今はすごく仲がよくて、対等に付き合える関係だそうです。

長姉・葉子さんを亡くし、よく泣いていたお母さんを慰めていた浩子さんと小泉今日子さん。

寄り添って話を聞いてあげる小泉今日子さんに対し、

すごく現実的な人・浩子さんは、母にケーキを買ってきたりどこかに連れて行ってあげたりしていました。

なんだか、お父さんを思い出させる感じですね。

表し方はそれぞれ違うけれど、小泉今日子さんのご家族は、愛情あふれる人達であることがよくわかりますね。

まとめ

今回は小泉今日子の母親は元芸者!顔写真や父親に兄弟など家族も調査!

という事で、小泉今日子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。

  • 小泉今日子さんの家庭は、生活は楽しいけれど、経済的に貧しかった
  • 小泉今日子さんのご両親は、経営者と元芸者さん。「キョンキョン」の基礎を作った個性的な方々
  • 小泉今日子さんのお姉さんは、かけがえのない最愛の人と対等に付き合える人。心の支え

以上の内容がわかりました。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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