シンガーソングライターで俳優の吉川晃司(きっかわこうじ)さん。
1984年に歌手としてデビューして以降、俳優としても映画・ドラマで活躍されています。
そんな吉川晃司さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は吉川晃司の実家は金持ち?家系図や父母に兄弟など家族もまとめた!
という事で、吉川晃司さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
吉川晃司の実家はお金持ち?
まずは吉川晃司さんの実家について調べてみました!
吉川晃司の実家の場所は広島県安芸郡府中町
広島県安芸郡府中町出身の吉川晃司さん。
府中町は広島市の東側に隣接し、自動車メーカー「マツダ」の本社がある自動車産業の町です。
広島市のベッドタウンとして宅地化が進んだため、町としては人口規模が大きく、昭和62年以降現在まで50,000人台を維持。
小さい町ながらも、活気のある環境で吉川晃司さんは育ちました。
吉川晃司さんの母校は、地元・府中町にある府中町立府中小学校。
上記地図は府中小学校の近年の通学区域を示したもの。
吉川さんの通っていた当時とは異なる可能性が高いですが、この範囲を中心とした地域に実家がある可能性が高いとみられます。
吉川晃司の実家はお金持ち?
吉川晃司さんの実家の経済状況について調べてみました。
吉川晃司さんの実家は、終戦直前の1945年7月頃まで広島市にありました。
吉川家は、現在の広島市の中心部、原爆ドームから元安川を挟んで向かいにあった繁華街「中島地区」で料亭「吉川旅館」を経営。
現在の平和記念公園の北端、平和の時計塔~平和の鐘のあたりに存在していました。
「吉川旅館」は明治時代から広島県最大級の旅館として繁栄します。
原爆投下前の様子がこちら。
当時の写真は「原爆資料館」にも展示されています。
終戦前は吉川晃司さんの祖母が「吉川旅館」を経営していましたが、戦況が悪化したため旅館を譲り渡し、原爆の投下1か月前に疎開して難を逃れました。
吉川家は場所を移して料亭を経営していたと考えられます。
吉川晃司さんのお父さんは、俳優になる夢があり京都にいましたが、家業を継ぐためにその夢を諦めて板前に転職。
しかし、その店が火事になり廃業、その後は喫茶店の経営、タクシー運転手、管理職などをします。
家業が廃業し、お父さんが職を転々としていることを踏まえると、裕福とは言えなかった可能性が考えられますね。
一方で、吉川晃司さんの祖母が旅館を売却して大きな資金を得たために、お父さんがその時々に好きな職に就くことができたとも考えられます。
実際に、吉川晃司さんは私立校である修道中学校・修道高等学校(高校2年時中退)に進学。
家計が苦しかったとは断言できないですよね。
上記の情報を総合すると、吉川晃司さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。
ただ、吉川家が戦後の広島で相当に苦労されたということは間違いなさそうですね。
吉川晃司の実家の両親(父・母)はどんな人?
吉川晃司さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
吉川晃司の父親の家系は戦国武将の子孫?
吉川晃司さんの父・吉川正俊(きっかわまさとし)さん。
1945年夏に実家「吉川旅館」を譲り渡した当時で8歳だったとのこと。
このことから、1937年頃の生まれで2024年現在87歳前後とみられます。
父・吉川正俊さんとその祖先についてまとめてみました。
吉川晃司の父・吉川正俊の家系は戦国武将の子孫?
吉川晃司さんはテレビ番組「ザ・ベストテン」で、とある戦国武将の子孫だと紹介されました。
吉川晃司さんの父・吉川正俊さんの家系を辿ると、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将・吉川元春(きっかわもとはる)に行きつくとされています。
吉川元春は、戦国時代の中国地方を広く治めた武将・毛利元就(もうりもとなり)の次男。
父・毛利元就によって名門・吉川氏へ養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続。
それ以降、同じく名門・小早川氏の養子となった弟の小早川隆景(こばやかわたかかげ)と共に毛利家の発展に貢献しました。
しかし、史実によると吉川元春の血縁的な系譜は吉川経永(きっかわつねなが)で途絶えており、吉川晃司さんが吉川元春の子孫とする説は間違いだ指摘されています。
上記資料は毛利元就から近世にかけての系図。
青く囲った一番下の吉川経永が吉川元春の血縁としては最後になるということですね。
ただ、緑で囲った部分を見ると、徳山藩毛利氏から「経倫(つねとも)」が養子として吉川家に迎え入れられており、その子孫は現在も山口県岩国市で実業家として活躍。
そして、吉川元春には複数の子がいたため、血縁者が現代に続いている可能性も考えられます。
以上から、吉川晃司さんが吉川元春の子孫かどうか、肯定も否定もできないことがわかりました。
仮にこの吉川家と繋がりがあるとすれば、「吉川晃司の先祖は毛利元就」ともいえますね。
吉川晃司の父・吉川正俊は被爆者で俳優を志していた
広島県屈指の名旅館「吉川旅館」の経営者子息として生まれた父・吉川正俊さん。
父・吉川正俊さんが8歳だった1945年7月、吉川旅館は知人に譲渡され一家は疎開。
その1か月後の1945年8月6日、広島県に原爆が投下されます。
写真は原爆投下の翌年1946年4月に撮られた航空写真で、赤く囲った中州に吉川旅館があったと推定されますが、跡形もありません。
間一髪で原爆の直撃を免れました吉川家でしたが、原爆投下直後の1945年8月に一家は広島市へ入市したため「入市被爆」と認定。
吉川晃司さん自身も被爆二世に当たります。
その後成長した父・吉川正俊さんは、俳優を目指して京都・太秦に移りました。
太秦では大部屋俳優をしていていましたが、家業を継ぐために夢を諦めて板前の道へ。
しかし、店が火事で廃業してしまい、その後は喫茶店の経営・やタクシー運転手(宇品タクシー/現在は廃業)・管理職など、職を転々とします。
このような経緯もあって、父・吉川正俊さんは吉川晃司さんがミュージシャン、そして俳優として活躍する姿を誰よりも嬉しく思っているのではないでしょうか。
吉川晃司の母親は調査中
吉川晃司さんのお母さんについては詳細が明かされていません。
年齢は80歳代とみられます。
吉川晃司さんの真っすぐな人柄からすると、お母さんも芯の通った方なのかもしれませんね。
きっと吉川晃司さんの活躍を見守っておられることでしょう。
今後、お母さんについての情報が判明した際には随時お知らせしていきます!
吉川晃司の両親のエピソードも紹介!
今やミュージシャン・俳優として第一線で活躍する吉川晃司さん。
しかし、父・吉川正俊さんは芸能界入りを猛反対していました。
というのも、吉川晃司さんは中学生時代に水球選手としての才能を開花。
高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、そして2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少日本代表としてイタリア・エジプトへの遠征にも参加しました。
更にその実績から、推薦で慶應義塾大学に特待生待遇で入学できることがほぼ決まっていたのだそう。
その道を蹴って、更には高校を中退してでも上京を希望した吉川晃司さんに、
芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか。
と、父・吉川正俊さんは厳しい言葉で猛反対。
しかし、吉川晃司さんの意思は固く、両親を説き伏せて高校3年に進級する直前に中退して上京したのでした。
父・吉川正俊さんは自身が俳優を目指した経験があり、その甘くない道のりを知っていたからこそ反対したのかもしれませんね。
吉川晃司の兄弟姉妹も調査!
吉川晃司さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
吉川晃司の兄弟は姉!!
吉川晃司さんにはお姉さんがおられます。
詳細な情報は明かされていませんが、年齢は60歳前後とみられます。
お姉さんにまつわるエピソードとして有名なのが、「NHK紅白歌合戦で数々のハプニング起こしてお姉さんを怒らせてしまった」というもの。
1985年12月31日にNHK紅白歌合戦に初出場した吉川晃司さん。
白組として出場したにも関わらず真っ赤な衣装で登場し、シャンパンを振りまきながらギターに火をつけ、叩き割ってしまったのです。
これを見たお姉さんは吉川晃司さんに電話をかけ、
姉弟の縁切るから!
と言うなり、電話をガチャっと切ったのだそう。
当時の背景として、吉川晃司さんは音楽関係の賞が出来レースで事務所・レコード大賞の政治力が大きかったことなどに、悶々とした思いを抱えていたことがありました。
そして、その抗議的な意味を含めて過激なパフォーマンスをするに至ったとのこと。
後年になって、
ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、(中略)照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった。
と、当時の後悔を振り返っています。
思わぬ結果を招き、お姉さんにも怒られて「正月からしょぼしょぼですよ・・・」とも語っていました。
ちなみに、この出来事でNHKを出禁になったとの逸話がありますが事実ではなく、その後もNHKの音楽番組や大河ドラマにも出演されています。
また、お姉さんに怒られはしたものの、その後も仲良しとのこと。
きっと今も弟さんの活躍を楽しみに見ておられることでしょう。
まとめ
今回は吉川晃司の実家は金持ち?家系図や父母に兄弟など家族もまとめた!
という事で、吉川晃司さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 吉川晃司の実家は広島県安芸郡府中町にあり、お金持ちとは断定できない
- 吉川晃司の父親は戦国武将に繋がる家系の可能性があり、母親については調査中
- 吉川晃司の姉は紅白歌合戦でハプニングを起こした弟を叱った
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。