フィギュアスケート選手の鍵山優真(かぎやまゆうま)選手。

昨年12月に行われた全日本選手権において、シュートプログラム3位・フリー2位。
合計292.41点で3位となり、見事初のオリンピックへの出場が決まりましたね!!!
今回は、そんな鍵山優真選手の「父」は元フィギュア選手。ではお母さんはどんな人物なのか、
実家や家族構成も調査したいと思います。
鍵山優真の実家や出身地は?
鍵山優真選手は長野県軽井沢町に生まれています。
しかしお父様の仕事の関係で、軽井沢と富山県で引っ越しを繰り返していたそうです。
そして5歳の頃から、富山スケートセンターでスケートを始めます。

小学校3年生で軽井沢へ引っ越し、軽井沢中部小学校へ転入。
毎日のように軽井沢風越公園アイスアリーナで練習していたそうです。

小学校の頃にはジャズダンスも習っていたそうですね。
この頃はあまり練習成果が出し切れなかったのか、スケートでは一度も表彰経験はなかったそうです。
中学に進学すると同時に神奈川県横浜市に引っ越し、神奈川県横浜市立六角橋中学校に進学します。
中学生から現在まで住んでいるので、鍵山優真選手は生まれは長野県軽井沢町ですが、育ちは「神奈川県横浜市」となりますね。
鍵山優真のスケート経歴!
鍵山優真選手は中学校に入学してからもスケートの成績はふるわなかったそうですが、
中学3年時にフィギュアの才能が開花します。
【中学時代の鍵山優真千選手】

2018年2月の「第38回全国中学スケート大会」で総合2位。
これが見事初の表彰台となりました。
続いて同年の8月、初の国際大会となる「アジアフィギュア大会」で初優勝を飾ります。
その後、神奈川県内の星槎国際高等学校へ進学。
横尾浜銀行アイスアリーナが練習の本拠地となったそうです。
星槎国際高校は通信制の高校みたいですね。練習に専念するためでしょうか。
体操選手の「岡慎之介選手」も同じ高校だそうで、一緒に勉強をしたりする、仲の良い友人なのだそうです。
高校に進学してからも鍵山優真選手の勢いは止まりません!
- 2019年4月「第42回リリーカップカナガワ神奈川県フィギュアスケートフリー選手権大会」で初の4回転トウループ成功。
- 同年11月「JOCジュニアオリンピックカップ大会/第88回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会」で金メダル獲得。
- 2020年1月「第3回ユースオリンピック冬季競技大会」金メダル。
- 同年11月「NHK杯国際フィギュアスケート競技大会」1位。
- さらに同年12月の「全日本選手権」で3位となり、見事北京オリンピックへ選出。
鍵山優真選手、勢いが本当にすごいですね!と言うか、まだ18歳、高校3年生だったんですね。
その若さにも驚きですが、この勢いのまま北京オリンピックでもメダルを勝ち取ってほしいですね。
鍵山優真の父は鍵山正和!
鍵山優真選手の父は、元フィギュアスケート選手の「鍵山正和」さん。
【鍵山優真の父・鍵山正和の顔写真】

1971年4月12日生まれ、現在51歳。
出身地は愛知県名古屋市です。
日本人初の4回転ジャンプ成功者だそうです。
- 1991年全日本フィギュアスケート選手権3年連続制覇。
- 1992年アルベールビルオリンピック(13位)、
- 1994年リレハンメルオリンピック(12位)と2度もオリンピックに出場
などの経歴をお持ちで、当時のトップスケータの一人だったようです。
「膝と足首が柔らかい」と演技にとても定評がある選手でした。
160㎝と小柄な体格ですが、とてもイケメンで女性にはとても人気があったようですね。

23歳で引退後、プロスケーターに転身しています。
その後はインストラクターとして活動。
息子である鍵山優真選手のコーチもされています。
鍵山正和さんの勤務先は、以下の通りです。
2005~2010年「富山スケートセンター」
2011~2016年「風越公園アイススケートセンター」
2016~「横浜銀行アイスアリーナ」
このスケート場はすべて、鍵山優真選手が幼少期から現在まで練習をしてきたスケート場になるようです。
鍵山優真選手が幼少期の頃からずっとお父様と2人で練習を重ねてきたというのがわかりますね。
そんな父正和さん、鍵山優真選手が中学3年生の頃、脳出血で入院しています。
コーチである父の指導が無くなっても、指導してもらったことを思い出しながら日々練習を重ねていたそうです。

「自分が頑張ることでお父さんを元気にさせる」そんな父への強い思いから練習に打ち込んでいたみたいですね。
退院後、父正和さんには半身麻痺の後遺症が残りました。
現在も杖をついての生活ですが、鍵山優真選手のコーチをされています。

「そばにいないとものすごく不安になる」と、お父様への思いを話しています。
鍵山選手にとって、お父様はとても大切な存在であることがわかりますね。
鍵山優真選手の名前の由来は、「優しく真っすぐな子に育つように」つけられたそうです。
その名の通り、父親思いで、優しく真っすぐな子に成長していますね。
鍵山優真の母は離婚しているけど誰?
父・正和さんは離婚していてシングルファザーである。と言う噂があるようですね。
実際にはどうなのでしょうか。調査してみました。
2021年4月7日の「女性自身」の記事で、鍵山優真選手自身が離婚していることを話されていたようです。
家事はすべて父・正和さん担当。
朝練の時に起こしてくれるのも正和さんだったようです。
【幼少期の鍵山優真選手】

残念ですが、お母様の情報は一切わかりませんでした。
鍵山優真選手のお父様への信頼感を見ていると、幼いころからお母様はいなかったのかなと思われます。
お母様の素性に迫る情報ですが、お母様はフィギュア関係者ではないかと言う噂があるようです。
理由としては、フィギュアスケートの解説者の「佐野稔」さんが、父・正和さんと、お母様の仲人をされたからなんだとか。
【佐野稔さん】

そういった理由から、「お母様はフィギュア関係者では」と言う噂が立ったようですね。
しかし、これ以上の情報がないため、信憑性が低いと言えます。
鍵山優真選手には、他にもお姉さんと弟がいるそうなのですが、
兄弟に関しても情報は全くありませんでした。
調査していると、「父1人、子一人で生活」しているように思えました。
フィギュアの大会でもお父様以外のご家族は来てないようですしね。
推測ですが、お姉さんと弟さんはお母様と暮らしている可能性が高いのかなと感じました。
お正月は父・正和さんの実家の名古屋にお二人で帰省するそうです。
こちらにはおばあちゃんが住んでいるようです。
そのお正月の帰省時の写真がこちら。

正面に写っているのは父・正和さんのご兄弟でしょうか?顔が似ていますね。
この帰省時の写真にも、鍵山優真選手の兄弟らしき人は写っていませんでした。
お母様も他のお兄弟も、鍵山優真選手が活躍する姿を間近で見れない理由があるのかもしれないですね。
でも、必ず活躍している姿は知っているはずです。
2月から行われる初の北京オリンピック出場、お母様もきっと応援していることでしょう。
まとめ

いかがでしたでしょうか?鍵山優真選手の父はフィギュア選手。母は離婚している?実家や家族を調査しました。
コーチである父・正和さんと、鍵山優真選手の絆は親子以上のものを感じました。
お父様の体を思いやる鍵山選手の優しさがとても感動しましたね。
鍵山優真選手をこれからも応援しましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。