元鳥取県知事で政治家の石破二朗(いしば じろう)さん。
鳥取県知事や参議院議員、自治大臣として活躍した日本の政治家です。
そんな石破二朗さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は石破茂の父親・石破二朗の経歴が凄い!家系図や母親・兄弟など家族もまとめた!
という事で、石破二朗さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
石破二朗の実家はお金持ち?
まずは石破二朗さんの実家について調べてみました!
石破二朗の実家の場所は鳥取県八頭町郡家殿
石破二朗さんの実家は鳥取県八頭郡大御門村大字殿(のち郡家町大字殿、現八頭町郡家殿)にありました。
石破二朗さんの地元ゆかりの神社「和多理神社」も近くにあります。
和多理神社は石破二朗さんの息子・石破茂総理が、総裁選の出馬表明会見が行われた場所としても注目されました。
石破二朗さんは鳥取県立第一中学校(のち鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業し、旧制高知高等学校へ進学するまで郡家殿で暮らしていたようです。
石破二朗の実家はお金持ち?
石破二朗さんの実家は農家で、2男4女の大家族でした。
昔は祖父母と同居している家庭が一般的でしたから、暮らしは大変だったのではないでしょうか。
石破二朗さんのお父さんは誰よりも先に柿を栽培したり養蚕を始めたりしたそうですが、全て失敗。
例え小さくとも事業に失敗しているとなると、家計への打撃は計り知れません。
しかし石破二朗さんのお父さんは、子供への教育は熱心だったそうです。
石破二朗さんは東京帝国大学(現 東大)法学部法律学科英法科卒業され、後に官僚、政治家となっていきます。
1877年設立の(旧)東京大学の授業料は年12円で、現在の価値で約240,000円ほど。
それでも当時、多くの学生は貧困を理由に授業料減額制度や給費制度を受けており、石破二朗さんも例外ではないかもしれません。
ここまでの情報を見ても、石破二朗さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。
大正・昭和と時代が変わっても農家の大家族ともなれば、生活は困窮していたのではないでしょうか。
石破二朗の実家の両親(父・母)はどんな人?
石破二朗さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
石破二朗の父親は農家出身の政治家!
石破二朗さんのお父さんは石破市造さん、1874年八頭郡大御門村で生まれました。
高等小学校卒業後、農業に従事。1894年に隼村役場書記として働き始め、その後大御門村役場に転職、大御門村長に選ばれます。
農家出身でありながら、政治にも関心の高い方だったようです。
石破二朗さんのお父さんは若い頃から二十世紀梨の栽培、御所柿の植樹、蚕種の製造など、先進的な農業に挑戦。
残念ながら成功とはなりませんでしたが、当時としては先進的な農業への挑戦であり、地域農業の発展に寄与したと言えますね。
石破二朗さんのお父さんは様々な事業を展開して自身の学歴不足を感じ、我が子の教育には熱心に取り組んだようです。
自らも英語の講義録を取るなど努力家でした。
石破二朗さんのお父さんは地方政治に深く関わり、農業の発展と地域の繁栄に尽力した人物として石破二朗に引き継がれます。
鳥取県知事となった石破二朗さんも清廉潔白で農林業者を深く愛し、地方自治の発展に尽力した政治家となります。
そんな石破二朗さんは死後、鳥取に貢献した人物として鳥取駅前に銅像が飾られます。
きっと石破二朗さんのお父さんと一緒に鳥取市民を見守ってくれているでしょう。
石破二朗の母親は大家族のお母さん
石破二朗さんのお母さんはマサさん。
岩美郡米里村美和(現在の鳥取県岩美町)出身の山田松太郎の長女でした。
石破二朗さんのお母さんは1876年(明治9年)9月に生まれ、1928年(昭和3年)4月1日に亡くなっています。
残念ながら、石破二朗さんのお母さんの人柄や生涯についての詳細な情報はありませんでした。
ただ石破家は2男4女の大家族です。石破二朗さんのお母さんは日々家事に子育てに追われていたと思います。
また家業の農業をし、石破次郎さんのお父さんが手がける新事業まで手伝っていたとなると、息つぐ暇もなかったかもしれません。
石破二朗さんのお母さんは52歳で亡くなられ、当時の(昭和初期)女性平均寿命の46歳より長生きでした。
農家の母は強、と言ったところでしょうか。
石破二朗の両親のエピソードも紹介!
石破二朗さんは幼少期に、よくお祖父さんと山に植林に行ったそうです。
石破二朗さんのお祖父さんは木を植えるのがあまり上手ではないらしく、根っこを曲げて植えてしまうのだとか。
それでも石破二朗さんのお祖父さんは、
次郎が分家した時に役に立つといいな。
と、将来の石破二朗さんのために木を植えていたそうです。
残念ながらその山は人の手に渡ってしまったそうですが、その経験から石破二朗さんは木を植えることはいいことだと思うようになりました。
大人が自分のためにしてくれたことは幼なくとも子供は覚えてるものですね。
石破二朗の兄弟姉妹も調査!
石破二朗さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
石破二朗の兄弟は兄・姉・妹の6人兄弟!!
上記でも触れましたが、石破二朗さんは二男で、兄弟は兄が1人、姉が3人、妹が1人おられます。
顔写真や職業などはわかりませんでしたが、名前と生年月日は以下の通りです。
- 長女・里喜 明治32年(1899年)10月生
- 養女・艶子 明治34年(1901年)7月生
- 長男・節 明治35年(1902年)4月生
- 二女・喜久野 明治38年(1905年)7月生
- 三女・敏子 大正2年(1913年)2月生
里喜お姉さんは医師の家系で教育職の臼井宗さんに嫁ぎ、艶子お姉さんは岩美郡倉田村圓通寺の山本音市さんに嫁いでいます。
大正・昭和と時代が移り変わり、戦争なども加わり兄弟の詳細はわかりませんでした。
ただ兄弟の多い家庭は、兄弟全員で支え合って暮らしていた可能性が高いです。
石破二朗さんと長子・里喜お姉さんでは9歳も歳が離れています。
きっと石破二朗さんはお姉さんを母のように頼り、支え合って育ったのではないでしょうか。
まとめ
今回は石破茂の父親・石破二朗の経歴が凄い!家系図や母親・兄弟など家族もまとめた!
という事で、石破二朗さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 石破二朗さんの実家は鳥取県八頭町郡家殿
- 石破二朗さんの実家はお金持ちである確証がなかった
- 石破二朗さんの父親は農家出身の政治家!
- 石破二朗さんの母親は大家族のお母さん
- 石破二朗さんの兄弟は兄・姉・妹の6人兄弟
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。