女優の池上季実子(いけがみ・きみこ)さん。
2時間ドラマ、刑事ドラマ、時代劇などに多く出演をし、現在は舞台を中心に活動されている方です。
そんな池上季実子の家系図が凄い!祖父は人間国宝でその他の家族・親族も調査!さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は池上季実子の家系図が凄い!祖父は人間国宝でその他の家族・親族も調査!
という事で、池上季実子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
池上季実子の祖父は人間国宝!
池上季実子さんの母方の祖父について調べてみました!
池上季実子の祖父は8代目坂東三津五郎
8代目坂東三津五郎さんは、池上季実子さんの母方の祖父にあたります。
重要無形文化財保持者(人間国宝)の8代目坂東三津五郎とは、歌舞伎界においてどのような人物だったのでしょうか。
池上季実子の祖父・8代目坂東三津五郎とは?
8代目坂東三津五郎のプロフィールや経歴を簡単にまとめてみました。
- 本名:守田敏郎
- 生年月日:1906年10月19日
- 没年:1975年1月16日
- 襲名歴:3代目坂東八十助(1913年〜)→6代目坂東蓑助(1928年〜)→8代目坂東三津五郎(1962年〜)
- 初舞台:1913年
- 1966年、日本芸術院賞受賞
- 1973年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定
- 茶道、俳句、食の通人
大和屋の名跡を継いだ方であり、日本舞踊坂東流の家元でもあった8代目坂東三津五郎さん。
いくつかのエピソードから、8代目坂東三津五郎さんの人物像を掘り下げていきます。
役作りのために国立国会図書館に通う
読書家で博識だという8代目坂東三津五郎さん。
役作りのために、国立国会図書館に通って演じる役の人物像が分かる資料や時代背景などの資料を読みあさっていたそうです。
役作りのために調べ上げた内容が知識として蓄えられるゆえに、どんどん博識になっていったのでしょうね。
日本舞踊の家元としての厳しい指導
歴代の坂東三津五郎は、日本舞踊坂東流の家元も務めています。
8代目坂東三津五郎の坂東流家元としての稽古は、とても厳しくて有名だったのだとか。
殴る・蹴るはまだ序の口で、俳優の伊藤雄之助さんに対しては厳しい態度で臨んで限界まで追い込んだことがあるそうです。
限界まで追い込まれた伊藤雄之助さんでしたが、後に大成。
結局は本人のためになる。
いわば愛の鞭なのだ。
と期待の裏返しであったことを人に漏らし、伊藤雄之助さんへの態度も優しいものになったそうですよ。
再婚した女性は歌舞伎界(=梨園)のしきたりを守らない人
前妻と死別し後に再婚をした8代目坂東三津五郎さんですが、そのお相手は梨園のしきたりを全く守ろうとしない人だったそうです。
これが原因で、長女の夫婦と不仲になっていき、後の9代目坂東三津五郎や孫の10代目坂東三津五郎と共演する機会がなくなってしまったとのこと。
梨園のしきたりを全く守らない後妻は、後に紹介する原因死で急死した8代目坂東三津五郎が集めた書画・骨董のほとんどを売却したそうです。
梨園の妻という肩書きが欲しかっただけなのかもしれませんね。
美食家・8代目坂東三津五郎
美食家としても有名だった8代目坂東三津五郎さんですが、割烹料理などには詳しい一方で庶民の味には疎かった様子。
8代目坂東三津五郎の孫にあたる10代目坂東三津五郎さんが小さい頃、一緒に初めて札幌ラーメンを食べた時には
世の中にはこのような美味いものがあるのか!
と、驚きの様子を見せていたそうです。
母親を献身的に介護
役作りの勉強に熱心になりながらも、母親が老いてからは自らの手で毎日欠かさず食事を用意したそうです。
歌舞伎の世界(=梨園)において、特に幼少期は母親の存在が大きなもの。
その感謝の気持ちを伝えるために、自ら作ると決めていたのでしょう。
その料理は、美食家であることから味付けや盛り付けなどに拘ったものが作られていたのかもしれませんね。
8代目坂東三津五郎とフグ中毒
8代目坂東三津五郎を調べていると、真っ先に出てくるのが「坂東三津五郎とフグ中毒」。
この事件は当時、
- 危険を承知の上で毒性の高い肝を数人前食べた8代目が悪いのか
- フグの調理師免許を持っている板前の包丁さばきが悪いのか
で話題になったそうです。
裁判では最高裁判所にまでもつれ込み、調理師が有罪となって結審したと記録されています。
フグの調理師免許は現在でも都道府県単位で取得までの方法が異なっているため、知識や技能が一律ではありません。
今となっては文献や当時を知る人から聞いた話しかないので断定はできませんが、フグの調理師免許取得の過程が影響している可能性もありそうですね。
池上季実子と8代目坂東三津五郎
池上季実子さんは両親が離婚してから、東京で母親と弟と3人で生活していました。
京都で生活していた頃は、学校で標準語を話すという理由でいじめらるなどして精神的に追い詰められていたそうです。
そんな孤独に近い状態だった池上季実子さんに、親戚との繋がりを作ってくれたのが祖父である8代目坂東三津五郎さんだったのだとか。
祖父の助けで、母親のいとこ(10代目坂東三津五郎さんなど)はとても仲が良く、必然的にその子供たち(はとこ)同士も仲がいいのだそうです。
池上季実子さんの叔母(母親の姉)が喜寿の時には、お祝いに22人も集まったようです。
人間国宝となるほど歌舞伎の演目を大切に演じる一方で、危険性が高いと分かっていながらフグの肝を食べるなど型破りなことをする方だったようですね。
池上季実子の家系図も凄い!
池上季実子さんの母方の祖父が8代目坂東三津五郎ということで、屋号が大和屋となっている歌舞伎界の方々と縁戚関係にあるようです。
そこで、池上季実子さんの家系について調べてみました!
池上季実子の家系図
池上季実子さんの家系図が、こちら。
この中から、歌舞伎関係者や芸能関係のお仕事をされている4名について詳しく見ていきます。
叔父:9代目坂東三津五郎
池上季実子さんの叔父にあたるのが、9代目坂東三津五郎さん。
9代目坂東三津五郎さんのプロフィールと経歴を簡単にまとめてみました。
- 本名:守田光伸
- 生年月日:1929年5月14日
- 没年:1999年4月1日
- 襲名歴:坂東光伸(1932年~)→4代目坂東八十助(1955年~)→7代目坂東蓑助(1962年~)→9代目三津五郎(1987年~)
- 初舞台:1932年
- 1964年、大河ドラマ「赤穂浪士」土屋政直役
- 1966年、大河ドラマ「源義経」高階泰経役
- 1991年、日本芸術院賞受賞
池上季実子さんと9代目坂東三津五郎さんの間には血縁関係はありません。
8代目坂東三津五郎さんには娘しかいなかったため、9代目坂東三津五郎さんは8代目坂東三津五郎さんの長女と結婚。
婿養子となることで、大和屋の名跡を継ぐこととなったようです。
いとこ:10代目坂東三津五郎
池上季実子さんのいとこにあたるのが、10代目坂東三津五郎さん。
10代目坂東三津五郎さんのプロフィールと経歴を簡単にまとめてみました。
- 本名:守田寿
- 生年月日:1956年1月23日
- 没年:2015年2月21日
- 襲名歴:5代目坂東八十助(1932年〜)→10代目坂東三津五郎(2001年〜)
- 初舞台:1962年
- 1988年、芸術選奨新人賞受賞
- 2006年、日本芸術院賞受賞
- 2007年、バッカーズ演劇奨励賞受賞
- 2009年、紫綬褒章・松尾芸術賞受賞
- 2013年、毎日芸術賞受賞
- 2014年、読売演劇大賞受賞
- 2015年、没後に旭日小綬章受賞
池上季実子さんとの血縁関係は、お互いの母親を通じてあるということになります。
(池上季実子さんの母親の姉=10代目坂東三津五郎の母親)
10代目坂東三津五郎さんは、映画やドラマにも多数出演。
生前最後のドラマ出演となったのが日曜劇場「ルーズヴェルト・ゲーム」でした。
青島製作所の危機を救うカメラ会社の社長役で、重要なシーンで登場してきたことを覚えておられる方も多いのではないでしょうか。
従甥(じゅうせい):2代目坂東巳之助
池上季実子さんの従甥(いとこの息子)にあたるのが、2代目坂東巳之助さん。
2代目坂東巳之助さんのプロフィールと経歴を簡単にまとめてみました。
- 本名:守田光寿
- 生年月日:1989年9月16日
- 襲名歴:2代目坂東巳之助(1995年〜)
- 初舞台:1995年
- 2011年、国立劇場奨励賞受賞
- 2012年、国立劇場奨励賞受賞
- 2018年、国立劇場特別賞受賞・伝統歌舞伎保存会会員になる
- 2022年、松尾芸能賞新人賞受賞
古典歌舞伎を大切にする一方で、スーパー歌舞伎や新作歌舞伎などの新しい試みにもどんどんチャレンジする革新的な面もあるバランス感覚のある役者さんです。
2015年、父である10代目坂東三津五郎が亡くなったために11代目坂東三津五郎襲名を打診されたそうです。
しかし、
三津五郎の名前は、今はまだ身の丈に合わない
と辞退。
現在も、坂東巳之助として活動しています。
従姪(じゅうてつ):守田菜生
池上季実子さんの従姪(いとこの娘)にあたるのが、女優の守田菜生(もりた・なお)さん。
守田菜生さんのプロフィールと経歴を簡単にまとめてみました。
- 生年月日:1984年3月18日
- 1987年、日本舞踊公演「お月さま」で初舞台
- 2008年、大河ドラマ「風林火山晴信燃ゆ」でテレビでの俳優デビュー
現在の守田菜生さんは、事務所に所属はしているもののテレビや舞台などには出演されていないようです。
直近のテレビ出演は、2017年に放送された「踊る!さんま御殿」となっています。
ここまで、池上季実子さんの縁戚関係について紹介してきました。
記録では祖父である8代目坂東三津五郎が養子となっているため、池上季実子さんの祖父の生家の家系を辿ると、かなり遠くはなりますが新たな縁戚関係が見つかりそうですね。
池上季実子の家族もまとめた!
池上季実子さんの家族についても調べてみました!
池上季実子の父親は商社マン
池上季実子さんの父親は一般人であるため、情報の公開はほとんどありませんでした。
そんな中で分かったことは、
- 海外駐在歴のある商社マン(池上季実子さん出生前後はニューヨーク勤務)
- 池上季実子さん3歳の時に帰国、京都に住む
- 愛煙家
- 些細なことで家族に怒鳴り散らし、手を上げる
- 相手を貶める発言を日常的にする
- 本当は頑なで、不器用で、愛情表現の方法が分からない人
ということでした。
典型的な昔の頑固オヤジといったところでしょうか。
池上季実子さんの両親は、池上季実子さんが12歳の時に離婚。
池上季実子さんの父親は京都に残って生活し、池上季実子さんの弟とは連絡を取れる状態にはあるが深い関係はなかったものと思われます。
ところが、離婚からおよそ40年して池上季実子さんの母親が亡くなり、遺体とともに自宅に戻ったところ、池上季実子さんの弟の下に
お前大丈夫か?何かあったんじゃないか?
体、何かあったんじゃないか?
と、母親の死を知る由もない父親から電話があり、その電話を切ろうとはしなかったそうです。
別れたと言えど元夫婦、何かを感じだったのかもしれませんね。
この出来事に、池上季実子さんを含めた人たちは不思議な縁を感じていたのだとか。
さらに不思議なことは続き、池上季実子さんの母親が亡くなったおよそ10日後に、父親も亡くなられたそうです。
現実世界では離婚をしてしまったけど、父親が愛情表現を上手くできていたらとても相性の良い夫婦になっていたのかもしれませんね。
池上季実子の母親は人間国宝の次女
池上季実子さんの母親は、8代目坂東三津五郎の次女です。
舞踊家として坂東流で師範になるなどなかったため、その他の詳細については不明でした。
そんな中で分かったことは、
- 歌舞伎界の家の生まれであるがゆえに、とにかく男の子に甘い
- 生活力があって、一人ではたらいて子育てをしていくような女性ではなかった
- 離婚したことを子どもたちに申し訳ないと思っていて、晩年にようやく謝罪の言葉を口にした
- 池上季実子さんの弟が忙しい時に池上季実子さんが介護をしていると、池上季実子さんの弟を呼んだり探したりする
- 晩年は池上季実子と病院診察後にデート
ということのみでした。
入院先でも呼んだのは池上季実子さんの弟の名前だったそうですが、池上季実子さんの弟の到着も待たずに息を引き取られたそうです。
この時のことについて池上季実子さんは
私のこと待たなくていいのに何で弟のことは待たなかったのよ?
って、ご遺体に怒っちゃいました
と語っています。
池上季実子さんと母親の関係が、この一言に詰まっている感じがしますよね。
池上季実子の年子の弟
池上季実子さんの弟は一般人、1歳年下のいわゆる年子。
池上季実子さんの弟が母親の介護のメインとなり、池上季実子さんは仕事の都合がつくときに変わっていたそうです。
母親が歌舞伎界の出身ということもあり、甘やかされて育ち、晩年も姿が見えないとずっと呼ばれるくらいに名前を連呼されていたのだとか。
池上季実子さんは最近の弟との関係について
あっちの方が最近はお兄ちゃん。
兄弟がいてよかった。
と、頼りがいのある年子の弟であることを明かしています。
池上季実子の娘は一般人
26歳で一般男性と結婚し、離婚までの3年の間に娘を1人出産している池上季実子さん。
そんな娘さんは現在、28歳前後と思われます。
娘さんが大学を卒業し、
これからあちこち一緒に旅行に行けるかなあ
とワクワクしていたところに
私、結婚するから
と言って、家を出ていってしまったそうです。
あっさりした感じが、池上季実子さんの娘さんだなという感じがしますね。
池上季実子さんの家族について紹介してきましたが、ご両親の最期の時のエピソードはとても印象的でしたね。
まとめ
今回は池上季実子の家系図が凄い!祖父は人間国宝でその他の家族・親族も調査!
という事で、池上季実子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 池上季実子さんの母方の祖父は、人間国宝の8代目坂東三津五郎
- 池上季実子さんの叔父は9代目坂東三津五郎、いとこは10代目坂東三津五郎、従甥は2代目坂東巳之助
- 池上季実子さんの家族は、父親が元商社マン、母親が8代目坂東三津五郎の次女、年子の弟は一般人
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。