堀米雄斗の父親・亮太は現在タクシー運転手!実家の母や弟など家族も調査!

堀米雄斗さんアイキャッチ画像

プロスケートボーダー堀米雄斗(ほりごめ ゆうと)さん。

堀米雄斗さんプロフィール画像
出典:https://www.instagram.com/yutohorigome/

高校卒業後に渡米し、プロとして活躍。世界最高峰ツアーの「ストリートリーグ」では、2018年に日本人初優勝。東京に続き、パリ五輪でもスケートボード男子ストリートで金メダルを獲得したトップスケーター。

そんな堀米雄斗さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?

今回は堀米雄斗の父親・亮太は現在タクシー運転手!実家の母や弟など家族も調査!

という事で、堀米雄斗さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。

堀米雄斗の実家はお金持ち?

まずは堀米雄斗さんの実家について調べてみました!

堀米雄斗の実家の場所は東京都

堀米雄斗さんは東京都江東区のご出身です。

出身小学校は東京都江東区立東砂小学校なので、

堀米雄斗さん出身小学校
出典:https://www.gaccom.jp/schools-5114/district.html

江東区立東砂小学校 校区
・東砂一丁目(3~4番) ・東砂2丁目

堀米雄斗さんは自身の著書「いままでとこれから」の中で

堀米雄斗さん自伝本
出典:https://www.amazon.co.jp/

お父さんがスケートボードをするのに、家から徒歩10分の小松川公園へ赤ちゃんの堀米雄斗さんを連れて行っていた…とあります。

堀米雄斗さん実家近くの公園
出典:https://upload.wikimedia.org/

前出地図の右上にある公園ですね、すごく広いです。

察するに、東京都江東区東砂二丁目…の校区内端っこのあたりにご実家があるかもしれません。

堀米雄斗の実家はお金持ち?

堀米雄斗さんは、通信制高校大智学園高校を卒業しています。

正しくは、大智学園高校のカリキュラムをサポートして高校卒業の資格取得を目指す聖進学院東京校です。

聖進学院 学費

項目金額
入学金80,000円
授業料510,000円
教材費30,000円
施設費60,000円
諸経費
合計680,000円
備考※前・後期二分納
※上記は普通コースの場合で、個別コース は750,000円です。
※上記以外に通信制高校の費用がかかります。
引用 https://www.tsuushinsei-navi.com/

・スケートボードの練習がメイン
・学業と両立
・短期で海外に行くためにも融通が利く学校

授業後そのまま練習場に直行できるよう、ボードを持参していいか確認したほど。

本当にスケートボード中心の生活なんですね。

高校1年次ですでにスポンサーがついていた堀米雄斗さんですが、

スポンサーの援助が追いつかないほど、スケートデッキやシューズの消耗が早い

対策として、

・つま先にガムテープ貼ってやる
・靴に穴が空くまで履かせる

という涙ぐましい節約の他に、

「自分より全然うまいな」と息子の成長を感じたお父さんが、自分が滑ることより子供に投資しよう

仕事の他に同僚の洗車のアルバイトなどを始めます。

堀米雄斗さんと父
出典:https://petitwings.com/

スケートデッキや靴以外にも、海外の大会に行くときの遠征費も相当かかっていたそうです。

上記の情報を総合すると、堀米雄斗さんのご実家がお金持ちであるという確証は見つかりませんでした。

というか、特殊なケースなだけで、ごくごく普通なご家庭だと思いますね。

アメリカで豪邸に住む

2016年にカリフォルニアに拠点を移し、本格的に活動を開始した堀米雄斗さん。

ロサンゼルスに購入した1億円の4LDKの豪邸が話題になりました。

堀米雄斗さんLAの豪邸
出典:https://www.fnn.jp/articles/-/266355

スケートボードは特にアメリカにおいて、大金を手にすることができるスポーツ。

現在の年収は10億円を軽く超えているようです。

・敷地 540坪
・スポンサー 15社超え
・スポンサー契約料が数千万から数億円
・選手の収入源 大会賞金スポンサー契約料、シグネチャーモデル(自身の名前入り)のロイヤリティなど

大会に勝てば勝つほど、シグネチャーモデルが売れれば売れるほど大金が入るというわけです。

2023年に販売されたNIKEとのコラボ商品

「堀米雄斗×ナイキSBダンク ロープロQS“ウルフグレー”」、通称「堀米ダンク」と言われるスニーカー。

堀堀米雄斗さんのスニーカー
出典:https://hochi.news/

かかとにのサイドに入った堀米家の家紋は堀米雄斗さんのデザイン。

現在は一般販売されていないこともあって、相場が爆上がりしているそうです。

実はこれ、応援する時に着用しようとお父さんが日本から持ってきたそうですが、

ホテルに向かう道中で置き忘れてきてしまったそうです…(お父さん!!!)

いまごろパリのどこかで「ラッキー!」と思っている人がいるかも…。

家紋入りの黒Tシャも着用されていましたが、こちらは非売品。

五輪後は堀米雄斗さん着用のものが即完売するそう。

アメリカン・スケボー・ドリーム 夢がありますね!!!

カビゴンに金メダル

自宅に飾ってある金メダルをかけたポケモンキャラクター「カビゴン」のぬいぐるみ。

こちらもSNSで話題になりました。

堀米雄斗さん金メダルカビゴン
出典:https://www.fnn.jp/articles/-/266355
堀米雄斗さん

家についてすぐカビゴンに金メダルをかけました。幸せだと思います

前々回の地元・東京で初金メダル、そして現在の地元LAでも金メダルが取れたら…

2つの地元で最高の笑顔が見たいですね!

堀米雄斗の実家の両親(父・母)はどんな人?

堀米雄斗さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!

堀米雄斗の父親はタクシー運転手!

堀米雄斗さんにスケボーを教えたのは父・堀米亮太(ほりごめ りょうた)さんです。

堀米雄斗さん父・亮太さん
出典:https://bunshun.jp/articles/-/49440#goog_rewarded

・1974年10月11日生まれ
埼玉県八潮市出身
・元陸上部(スケートボードに出会ってから練習せず、部内で一番足が遅くなったオチあり)
・運動神経に自信あり
・ストリートスケートボーダー
・信念「スケートボードは競うものではない」

6歳のときにお父さんの影響でスケートボードを始めた堀米雄斗さん。

実際には、まだ歩けない赤ちゃんのときからスケートボードに囲まれた生活でした。

堀米雄斗さんも著書の中で、

お母さんと結婚するときにスケボーは辞めると約束していたから、子守という名目で「ちょっと散歩に連れてくわ」と理由をつけ、お父さんが滑りたいがために連れて行かれていたらしい。そしてパークでお父さんが滑っているあいだ僕は放置され、そこに集まっているスケーターが誰かしら面倒を見てくれていた。

と証言しています。

堀米雄斗さんと父
出典:https://www.sankei.com/

ただ、当時の日本でスケボーをして生活していく夢がありえなかった

なので、息子にはやらせるつもりはなく、ほかに何か習わせようとしていました。

ただ、堀米雄斗さんに関しては「自分で教えた方がいい」と思いスケートボードをやらせます。

なんとなく直感で「こいつ放っておいたらダメなヤツになりそうだな」と思ったそうです。

な、なんでなんでしょうか??

指導方法

お父さんは、20代のころに自身が「かっこいい」と感じた映像を何度も見せ、

技術ではなく、泥臭い努力の部分をすごく重視して教えていたそうです。

自分たちの憧れてたスケーターってみんな※バーチカルがうまかった。

(※トランジションの面の最上部が地面に対して直角になっている巨大なハーフパイプバートやバーチなどとも呼ばれる

堀米雄斗さんバーチで練習
出典:https://www.asahi.com/

やっぱりバートが重要なんだと思って、

バートがある(堀米雄斗さんが小学校1年生の時にできた)舞浜のスケートパークなどに通います。

バーチカルでバランス感覚が養われるんだとか。

そうこうしているうちにローカル(※日常的にその場所でスケートをしている人たち)が目をかけてくれていろいろ教えてくれるようになります。

バートでエアー(※空中に飛び出す技の総称)コツがなかなか掴めず、練習

ローカルのアドバイスを聞いているうちに、突然できるようになります。

3ヵ月後には息子の方が上手になっていた。

そこから完全に逆転したそうです。

それからスケートパークのオーナー「なんでお前大会出ないんだよ」の一言で

コンテストに出場し、だんだんと目を付けられるようになっていきました。

親離れ・子離れ

韓国の済州島で行われたバーチカルの世界大会に小学5年生の堀米雄斗さんが参加。

お父さんは一緒に行かず、ひとりきりで連れて行ってもらったそうです。

そこで海外のプロスケーターにすごく褒められ、

そのあたりから、「もう親いらねーよ」という空気を感じ出したお父さん。

息子にスケート教える最初は

「元スケーターが教えてるからうまいのは当たり前」

とか勝手に思い込んで初めの頃は厳しく教えていました。

ですが、経験者だからこそ「スケートとの向き合い方はそうじゃない」とジレンマ。

お父さん自身のスケボーとの出会いは中学生

すぐできると思っていたスケボーが全然うまくいかず、どっぷりはまってしまいます。

スケートボードというのは、自発的なのが一番いい部分

あのパワーが一番だと思うので、口出しするのを我慢しながらやってきたそうです。

スケートパークにひとりで行って、オーナーに「この技できたらアイス買ってやるよ」といじられて。
そういうのがあったから、どんどんスケートが楽しくなっていって……。
そうなっちゃえばもう親は見守るだけ

お父さんが一番びっくりしたのは、想像していたよりずっとスケートボードが好きになっていたということ。

・「365日滑ってろ」といったらずーっと滑ってる
・スケートビデオも心配になるくらい観る

親が「観ろ」といっても全然観なかったビデオ。

いろんな人と接しているうちに「ビデオを観るのが大事なんだ」と自分で気づき始めた

パークで息子がチームメイトと仲良く滑っていたのを見て、

堀米雄斗さんの父・亮太さん

「ああもう(親は)いらねえや」

自発的に仲間と楽しく滑っている、その光景を見てから、口出しすることはなくなったそうです。

パリ五輪の競技当日の朝、宿泊先のホテルから送ったLINEにも既読はつきませんでした。

普通の人では想像できない圧がかかるのはわかるけどそれは自分で選んだ世界
今回も二連覇という圧がかかってるとは思うけど
それでも前回の東京で結果を残してる分
若干ではあるけれど多少優位だと俺は見てる
迷わず行きな

もう自分のアドバイスなんて必要ないんだろう。

改めてそう思ったそうです。

※注 メダルセレモニーの前に確認したら「既読」ついていました!

金メダルを人から聞いて知る

東京五輪は予選の滑りだけ観て、空気に耐えられずサイクリングに行ったお父さん。

「自分が観ていると勝たない」というジンクスも気になったようです

気持ちよく走っていたら、同僚から

会社の同僚

おい! 観てるか?

堀米雄斗さんの父・亮太さん

銅でも獲ったか?

会社の同僚

金だよ! 金!

まさか金メダル獲るとは思っていなかったので、びっくりしたそうです。

今回のパリ五輪はさすがに観戦していたそうですが、

あまりにも劇的だったので、立ち上がってガッツポーズしてしまった

そうです。

わかります、スゴイ盛り上がりでしたもんね。

次に日本に帰ってきたら焼肉をおごって快挙をおいわいするそうですよ!

仲良し家族なので、堀米雄斗さんから「アメリカに来なよ」と誘われるそうですが

飛行機が苦手なのでお断りしているそうです。

お父さんの夢

これからスケートボードを始める人のために、

自発的な部分を大事にしていってほしい

と願うお父さん。

スクールなどの受け皿がないと、せっかく興味を持ってくれた人が離れちゃうと危惧します。

スケートスクールのチャンスがあったら、自発的に動いてくれるスケートというのを教えたいそうです。

まだまだ現役のスケーター!

堀米雄斗さんも自身が上手くなった理由に

堀米雄斗さん

お父さんの教え方ですかね。

と答えています。

指導者の実績は文句なし!ですからね。

堀米雄斗の母親はスポンサー⁉

お母さんは堀米雄斗さんがスケートボードをすることに反対していました。

スケーターと結婚したのですから、ケガなど心配することが具体的だったんでしょうね。

しかし、中学2年でスケボーの勉強に渡米する息子に同行してサポートもしています。

そして、スケボーの事は一切口にしないとか。

堀米雄斗さんは「ママ」と呼んでいるそうです。

アメリカ生活が長くなって、日本にいる両親とあまり喋らないから、小さい時の呼び方のままなんだそう。

堀米雄斗さん

いいかげん、直したい

と思っているそうですけど。

  • 45歳?(2018年に39歳の情報アリ)
  • 時に厳しいけど、やさしいお母さん

と、あまり情報も露出も少ないお母さんですが、

お父さんが「スポンサーは嫁」発言をしていることから

堀米家の家計も夫婦二人三脚で支えていたのかもしれません。

堀米雄斗さんが大逆転で金メダルを決めた瞬間のお父さんを捉えた画像

堀米雄斗さん金メダルの瞬間
出典:https://www.jiji.com/

隣の青いタオルをもったサングラスの女性はもしかしたらお母さんかもしれません。

…どうでしょう?

おとうさんいわく

堀米雄斗さんの父・亮太さん

ドラマみたいな…人生最高の瞬間

お母さんもきっと同じ気持ちだったでしょうね!

アメリカの母

LAのリトルトーキョーにあるスケートショップ『Non Factory』の店長岡部徹也さん

堀米雄斗さんの行きつけのショップで、週に1度ぐらい食事にも行く仲

スケボーで完全燃焼する堀米雄斗さんのダメダメなプライベートをサポートも。

岡部さんの奥さま、小川彩さんが1人目の「アメリカの母」

・病院へのつきそい(医学用語は難しいので)
・ほぼ自炊しない堀米雄斗さんの貴重な「おふくろの味」提供者

実はすごい食べるという堀米雄斗さん。

1週間に1度はいろいろ作って渡してくれているそう。

最近ではごはんを受け取るためにお店に立ち寄っているようにさえ思えるそうです。

もう1人は、15歳の渡米時に約1カ月ホームステイをさせてくれた吉田宏之さんの妻・有紀さん

・家を借りる際の契約関係の書類などこみ入った部分をサポート
・自動車免許の取得講習に同行
・運転の練習に付き合ってもらった

現在もさまざまな場面で力を借りていて、アメリカでの暮らしに欠かせない存在だそう。

有紀さん

スケートしていない時はボーッとしていて、周りが自然と支えてあげたいなと思うんです

堀米雄斗さん、アメリカの母・有紀さん
出典:https://number.bunshun.jp/

金メダルを見せにきてくれた際、五輪で着用した選手用の特別モデルをサイン入りで有紀さんのもとへ。

食べもののシミ?がついてたのが「ユウトらしい」と有紀さん。

育った環境からか、まわりのオトナみんなに好かれる「昭和の子」みたいだという堀米雄斗さん。

夢のためにひとりで異国の地でがんばる同郷の子どもがいたら…応援したくなりますよね!

ナチュラル母性本能キラーかもしれません!

堀米雄斗の両親のエピソードも紹介!

東京五輪で金メダルをとった後、家族でお祝いにご飯を食べに行った堀米家。

お父さんが、「やっぱり金メダル獲ったからいいとこ予約しとけよ」ってお母さんに言って。

最後にお会計を見たら、

堀米雄斗さんの父・亮太さん

雄斗払っとけよ

払えるでしょうけど…結局どうなったんでしょうね?

家族で駆け付けたパリ五輪

パリオリンピックの会見で、

堀米雄斗さん

今まで自分から呼ぶことはなかったんですけど、初めて呼んで観に来てもらった。やっぱりオリンピックは特別な舞台だから

と、家族にお願いした、と発言した堀米雄斗さん。

お父さんの記憶は少し違って、

堀米雄斗さんの父・亮太さん

はっきり「来てほしい」と言われた覚えはない

五輪予選最終戦でパリ行きを決めた後、しばらく東京の実家で過ごしていたとき。

お父さんが 「パリに行くのどうしようかなあ」って話をしていたら、

『え、来ないの?』

直接は言われてないけど、そんな意思表示があるのは初めてだったんだそうです。

それだったら行かなきゃダメだろう!

大の飛行機嫌いもぐっと堪えて、お母さん、77歳になるおばあちゃん、弟2人と一緒に5人でパリに向かいます。

「おとなしく見よう」という決意を忘れ、「立ち上がってほえていた」お父さん。

97.08点。大逆転でオリンピック2連覇。

堀米雄斗さんの父・亮太さん

想像を超えすぎてしまって、言葉で説明なんかできない。コテコテの出来すぎなドラマみたいで。人生で最高の瞬間だったかもしれない

頑張ってパリに向かった甲斐がありましたね!

堀米雄斗の兄弟姉妹も調査!

堀米雄斗に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!

堀米雄斗の兄弟は弟が2人!!

堀米雄斗さんには弟さんが2人おられます。

  • 次男 2002年生まれ 22歳
  • 三男 2003年生まれ 21歳

昔はお父さんが3人息子を連れ、一緒にスケボーをしていました。

現在は「次男が大学受験…」とお父さんが触れていましたので、

それぞれ違う道を進んでいると思われます。

兄弟仲は特別良くも悪くもない、と堀米雄斗さんはおっしゃってますが、

堀米雄斗さんの父・亮太さん

弟たちとも小さい頃は喧嘩とかありましたけど、今はすごく仲はいいです。

とお父さん。

会話はとくにないけど、一番下の弟が「靴くれ」とたまに連絡があるそうです。

男兄弟っぽいですね。

もしかしたら、スケボー以外はぼんやりしている堀米雄斗さん、

弟さんたちからの「お兄ちゃん愛」にご本人が気付いてないだけだったりして…

まとめ

今回は堀米雄斗の父親・亮太は現在タクシー運転手!実家の母や弟など家族も調査!

という事で、堀米雄斗さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。

  • 堀米雄斗さんのご実家は東京都江東区。東京五輪はド地元でした。
  • 堀米雄斗さんのご両親は元スケーターとスポンサー(笑)。それぞれの角度から息子の夢を支え、応援するご夫婦でした。
  • 堀米雄斗さんは三兄弟の長男。弟たちとはいい距離感で仲良くしています。

以上の内容がわかりました。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。

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