俳優でタレントの高田万由子(たかたまゆこ)さん。
モデルとしてデビューし、俳優として主にテレビドラマで活躍、そして東京大学出身のインテリタレントとしてバラエティ番組にも多数出演されています。
そんな高田万由子さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は高田万由子の父・高田祐一の死因は?母親や兄弟など家族もまとめた!
という事で、高田万由子さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
高田万由子の父・祐一の死因は?
高田万由子さんの父・高田祐一(たかたゆういち)さん。
威厳に満ちていて、やわらかな雰囲気の高田万由子さんとは全く異なる空気をまとっている方ですよね。
ここでは、自称「昭和生まれの明治育ち」というほど頑固な父・高田祐一さんについてご紹介していきます!
高田万由子の父・高田祐一は「UNION・高田商会」経営者で、死因は病死
父・高田祐一さんのプロフィールは以下の通りです。
学歴・・・学習院大学
職業・・・「UNION・高田商会」経営
父・高田祐一さんは、2004年に68歳の若さで亡くなっています。
死因は病死とのみ公表されており、詳細な病名等は明らかにされていません。
父・高田祐一さんの経営していた「UNION・高田商会」は、ロールスロイスなどの高級外車の輸入販売企業。
「タカタのおやじ」と呼ばれ、車業界のドンとして知られていたのだとか。
高田万由子さんは学生時代に、父親にロールスロイスで送迎してもらっていたこともあったそう。
他の生徒はさぞ驚いたことでしょう。
そんな父・高田祐一さんはどんな家系で育ったのか、更に調査してみました!
高田万由子の父・高田祐一の家系図を調べてみた!
高田万由子さんの父・高田祐一さんの家系を調べたところ、
高田家は実業家一族
ということがわかりました!
高田家の家系図は以下の通りです。
順にご紹介していきましょう!
高田万由子の高祖父・高田慎蔵は明治三大貿易商の1人だった!
高田万由子さんの高祖父・高田慎蔵(たかたしんぞう)さん。
高祖父・高田慎蔵さんは、明治時代に兵器機器商社「高田商会」を設立。
その規模は、大倉組と並び三井物産を凌ぐほど。
高祖父・高田慎蔵さんは「明治三大貿易商之一」と呼ばれました。
高田商会は、兵器機器の輸入で日清戦争・日露戦争時に巨額の利益を上げ、業界のトップにまで成長。
高田商会の実績の概要は以下の通りです。
1897年…アメリカ・ウェスティングハウス社の日本代理店
1897年…八幡製鉄所建設時に設備を納入
1903年…内国勧業博覧会に自動車部品を出品
その後、自動車や自動車部品の輸入・販売に着手
アメリカのトップ企業の代理店を務めたり、様々な分野へ事業展開するなど、総合商社として発展したんですね。
しかし、役員の不正、1921年には高祖父・高田慎蔵さんの死去などが続きます。
そして、最も大きな打撃となったのが1923年に発生した関東大震災。
被災した社屋は倒壊し、商品を焼失。
更に大幅な為替差損なども重なり、1925年2月、ついに経営破綻に追い込まれます。
その後、整理会社となり、新たに株式会社高田商会が設立。
株式会社高田商会は「第2次高田商会」と呼ばれ、1963年には「第3次株式会社高田商会」も設立。
現在も、機械の専門商社として神田鍛冶町に存続しているのだそう。
ただし、
高田万由子の祖先が設立した「高田商会」と、父・高田祐一の設立した「UNION・高田商会」は全くの別会社!
とのこと!
高田万由子さんの父・高田祐一さんは、自身の手で財を成したんですね。
田中万由子の高祖父・田中平八は実業家で相場師!
高田万由子さんの高祖父にあたる、田中平八(たなかへいはち)さん。
経歴は次の通りです。
1834年…現在の長野県駒ケ根市生まれ
1853年…染物屋の娘・田中はると結婚、田中家の婿養子となる
1865年…「糸屋平八商店」を横浜に開業
1876年…「田中組(後の田中銀行)」を東京に創立
1878年…日本初となる証券取引所「東京株式取引所」を設立
1883年…「東京米商会所(現在の東京穀物商品取引所)」の初代頭取に就任
1884年…50歳で病気のため死去
高祖父・田中平八さんは、生糸の輸出・為替取引で財を成しました。
更に、取引所や米商会所での株式取引、米相場の取引で巨万の富を築き、「糸屋の平八」「天下の糸平」と呼ばれていたのだとか。
また、晩年に療養していた熱海では、私財を投じて関東から熱海まで水道・電話線を架設し、学問にも出資。
地域貢献にも務めた方だったんですね。
高田万由子の曽祖父・高田釜吉は優秀な技師だった
高田万由子さんの曽祖父・高田釜吉(たかたかまきち)さんは、高祖父・田中平八さんの三男・田中釜吉として1876年に誕生。
曽祖父・高田釜吉さんは幼少時代から優秀で、ドイツ留学時にベルリン工科大学で最新の機械工学を学びました。
帰国後は技師として活躍し、後継ぎのいなかった高祖父・高田慎蔵さんが是非にと高田家の娘婿に迎えます。
高田商会の副社長就任後は事業拡大を進め、1919年には完全に経営権を任されます。
しかし、曽祖父・高田釜吉さんは父・田中平八さん譲りとされるほどの豪遊ぶりを発揮。
「釡大尽(かまだいじん)」と呼ばれたのだとか。
しばらくは羽振りの良い生活を送りますが、1923年4月に高田鉱業深田銅山が全焼。
同年9月には関東大震災で被災し、自社ビルと輸入在庫を焼失しました。
更に、大幅な為替差損を被り、高田商会は1925年2月についに経営破綻してしまいます。
その後整理会社が設立されたものの、曽祖父・高田釜吉さんは引責辞任。
1957年に、81歳で亡くなりました。
高田万由子の祖父・北岡正見は医学者!
高田万由子さんの祖父・北岡正見さんは著名な医学者。
東京帝国大学医学部を卒業後、東京帝国大学付属病院の内科教室で医学者として勤務します。
ウイルス研究に精通し、その功績が認められ日本やイタリア政府から数々の賞を受賞。
国内外の学会員を務め、国立予防衛生研究所でも研究に携わりました。
そんな優秀な医学者だった祖父・北岡正見さんは、高田家の一人娘・安慰子(あいこ、または愛子)さんと結婚。
安慰子さんは北見家に嫁ぎますが、高田家には跡取りがいませんでした。
そのため、北岡正美さん・安慰子さんの子どもで、後に高田万由子さんの父となる祐一(ゆういち)さんが高田家に養子として迎えられます。
高田万由子さんは大のおじいちゃん子で、北見正見さんが1979年に亡くなるまで毎週のように遊んでいたそうです。
高田万由子の親戚・高田美は写真家
写真家の高田美(たかたよし)さん。
高田美さんは、高田万由子さんの高祖父・高田慎蔵さんの孫にあたる女性です。
1916年に生まれ、戦後AFP通信社に勤務。
1954年・38歳の時にフランスへと渡り、写真家として活動します。
そして、フランスの世界的ファッションデザイナー、ピエール・カルダンと出会い、専属の写真家として活躍!
ピエール・カルダンの日本進出の際に2か国間の橋渡し役となり、のちに功労者としてフランス政府やパリ市から叙勲されました。
また、パリでは、画家のピカソや藤田嗣治(ふじたつぐはる、別名:レオナール藤田)のスナップなど、貴重な写真を多数撮っています。
女性写真家として活躍した高田美さんでしたが、2009年2月12日、92歳で肺炎のためパリで死去。
約55年間と、人生の半分以上をパリで過ごしました。
以上、高田万由子さんの祖先・親戚についてご紹介してきました!
実業家、医学者、芸術家と、並々ならぬ経歴を持つ方々がおられることがわかりましたね。
高田万由子さん自身も俳優・タレントとして活躍し、夫は著名ヴァイオリニスト・葉加瀬太郎(はかせたろう)さん。
更にお子さんも2人おられるため、一族の今後の活躍が楽しみですね!
高田万由子の父・高田祐一のエピソード
学校まで高級外車で送迎するなど、娘・高田万由子さんにたっぷりと愛情を注いできた父・高田祐一さん。
しかし、父・高田祐一さんは、「昭和生まれの明治育ち」と自称するほどの「頑固オヤジ」!
その「頑固オヤジ」さがわかるのが、高田万由子さんと夫でヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんとの結婚にまつわるエピソードです。
1999年に結婚された2人。
しかし、結婚に至るまでは、
この親父を落とすのが大変だった
と、葉加瀬太郎さんが振り返るほど、父・高田祐一さんに苦戦したのだとか。
もともと父・高田祐一さんは、愛娘・高田万由子さんと葉加瀬太郎さんの結婚には大反対!
「ヴァイオリニスト」という職業の不安定さに難色を示し、夫・葉加瀬太郎さんのことは名前ではなく「楽隊屋」と呼ぶ始末。
夫・葉加瀬太郎さんは、父・高田祐一さんとまずは交流を深めようと腐心します。
冬の間は薪割りをするんですよ。夏は夏で広い庭の芝を全部狩るんですよ。
と、自身の人となり知ってもらおうと、高田家の為に尽くした夫・葉加瀬太郎さん。
その生活は、なんと2〜3年も続いたのだとか!
また、結婚前の高田家の門限は10時。
ただ、家で飲む分には構わないとのことで、高田家に上がった夫・葉加瀬太郎さんですが、
家で飲みながら、親父さんは猟銃をずっと磨いてるんですよ。
と、ハンティングをしていた父・高田祐一さんは、冬場は暖炉前で猟銃を磨きながらお酒を飲んでいたのだそう。
さらにその猟銃を夫・葉加瀬太郎さんに向け、
知ってるかこれ?人も撃てるんだぞ
と、仰天発言!
そんな紆余曲折を経て、なんとか結婚の挨拶までこじつけた夫・葉加瀬太郎さん。
しかし、
「今日は仏滅だからダメ」「仕事で疲れているからダメ」
と、なにかと理由をつけて断れ続けます。
それでも葉加瀬太郎さんはめげずに約3週間、毎日高田家に通い詰め、ようやく結婚の許しを得ることができました。
そして結婚式当日。
披露宴でのスピーチでは、夫・葉加瀬太郎さんに、
よくやった
と、労いの言葉を贈ります。
また、その日の夜、父・高田祐一さんと夫・葉加瀬太郎さんは2人でシャンパンで乾杯。
その際、
今日から太郎って呼ぶからよろしくな
と、高田祐一さんは「楽隊屋」ではなく「太郎」と呼ぶことを宣言。
ようやく認めてもらえたと、夫・葉加瀬太郎さんは胸を撫でおろしたのだそう。
父・高田祐一さんの頑固さと、それに対峙する夫・葉加瀬太郎さんの粘り強さがよくわかるエピソードでした!
高田万由子の母親はどんな人?
高田万由子さんの母・高田智子(たかたさとこ)さん。
とても美しい方で、高田万由子さんと似ていますよね!
そんな母・高田智子さんについて調べてみました!
高田万由子の母・高田智子も才色兼備!
母・高田智子さんのプロフィールは以下の通りです。
出身校・・・武蔵野女子大学(現武蔵野大学)
母・高田智子さんは、テレビや雑誌など、度々メディア出演されています。
本当に親子そっくりで美人ですよね!
母・高田智子さんは、武蔵野女子大学4年生の時にニューヨークとパリへ留学。
母・高田智子さんも才色兼備で、名家のお嬢様だったと考えられますね!
そして大学卒業後、22歳という若さで11歳年上の高田祐一さんと結婚されました。
結婚後は専業主婦として家庭を支えていたとみられています。
高田万由子の母・高田智子のエピソード
母・高田智子さんは、
「高級品ではなく、知識や経験など人に盗まれないものを身につけなさい」
と、日頃から高田万由子さんに言い聞かせてきました。
母・高田智子さんは、武蔵野女子大学4年時にニューヨークとパリへの留学を経験。
大学卒業後すぐに結婚・出産しますが、もともとは大の勉強好き!
それが高じて、高田万由子さんが10歳の頃から、9年連続で1ヶ月間のフランス留学をしていました。
また、自身の留学経験を活かし、「大人のための2週間からのプチ留学」という書籍を出版。
高田万由子さんは、母・高田智子さんから学びや海外を知ることの大切さを教わったんですね。
高田万由子の実家や兄弟姉妹も調査!
高田万由子さんの実家や兄弟姉妹についても調べてみました!
高田万由子の現在の実家は東京都港区西麻布にあり、以前は虎ノ門だった
まずは高田万由子さんの実家についてまとめました!
高田万由子の現在の実家は東京都港区西麻布!
高田万由子さんの現在の実家は、東京都港区西麻布にある高級マンションだとされています。
港区西麻布といえば、国内でも有数の高級住宅街。
その西麻布で、なんと高田家はマンション1棟を所有し、その中に高田万由子さんの実家があるといわれています。
高田万由子の前の実家の跡地には「虎ノ門タワーズオフィス」が建っている
高田万由子さんの前の実家の住所は、
東京都港区虎ノ門4丁目1-28付近
です。
この土地に、かつて高田万由子さんの祖母・高田安慰子さんが時価200億円ともいわれる、大正時代の大豪邸を所有していました。
敷地面積は約500坪(約1,650㎡)、例えるなら一般的な体育館2棟分とのこと!
敷地の半分は庭、邸宅内は和室・洋室が半々。
部屋数が多すぎて、住んでいた高田万由子さんも入ったことのない部屋があるなど、邸宅の全てを把握することはできなかったのだとか。
邸宅の様子は、写真家・篠山紀信(しのやまきしんさん)の写真集「T邸宅の怪(け)」で伺い知ることができます。
レトロな洋館のような佇まいですよね。
洋間には暖炉があり、写真も残されています。
父・高田祐一さんは、冬になるとこの暖炉の前で猟銃を磨いていたそうですよ。
その後、残念ながらこの大邸宅は2002年に解体され、跡地には虎ノ門タワーズオフィスが建てられました。
現在の写真を見ると、この都会のど真ん中に大邸宅があったとは想像できないですよね!
また、この場所は名門ホテル・ホテルオークラのすぐそばでもあります。
高田邸があった頃はホテルの一部と間違えられたり、高田家がホテルオークラを経営していると勘違いされたこともあるのだとか。
しかし、立派な邸宅だっただけに、名門ホテルと関連していると思われても仕方がなさそうですよね。
高田万由子の実家はお金持ち!
高田万由子さんの実家は、間違いなくお金持ちです!
理由は以下の通り。
もともとの実家は、東京都港区虎ノ門にあった時価200億円の大邸宅
現在は東京都港区西麻布に所有するマンションの中に実家がある
高田万由子は白百合学園の小学校~高校に通い、スイスのボーディングスクール(ル・ロゼ)に1年間留
現在の高田家の総資産は明らかではありませんが、先祖代々の資産は相当額になると推定されます。
現在実家があるとみられる西麻布のマンションの詳細も明らかではありません。
しかし、港区内のマンション1棟の値段は数億~数十億。
よって、高田万由子さんの実家は「お金持ち」というより「富豪」と呼ぶのが相応しいといえそうですね。
高田万由子に兄弟姉妹はおらず、ひとりっ子
高田万由子さんに兄弟姉妹がいるのか調査したところ、
高田万由子に兄弟姉妹はおらず、ひとりっ子!
ということがわかりました。
高田万由子さんは資産家である高田家の1人娘。
そのため、1999年3月に結婚した際に、夫・葉加瀬太郎さんを高田家の婿養子に迎えています。
また、結婚した1999年7月に長女・高田向日葵(たかたひまり)さん、2006年8月に長男・高田万太郎(たかたまんたろう)さんを出産。
2007年には一家でイギリス・ロンドンへ移住されています。
お子さんたちの写真も見つかりました!
高田万由子の長女・高田向日葵も才色兼備!
長女・高田向日葵さん。
2024年5月現在で24歳です。
ぱっちりとした目元が印象的で可愛らしいですよね!
娘・高田向日葵さんは、イギリスの名門校・ブリストル大学薬学部で脳科学を専攻し、2022年7月に卒業。
現在はイギリスの学校を設立するためのマーケティング業に従事されているとのこと。
しっかりと才女ぶりを発揮されていますよね!
なお、高田向日葵さんは2歳から15、16歳までバイオリンを習っていたものの、練習が好きではないため現在は弾いていないのだとか。
今後の活躍が楽しみですね!
高田万由子の長男・高田万太郎は料理上手で中学生で起業!
長男の高田万太郎さん。
2024年5月現在で17歳です。
息子・高田万太郎さんは父・葉加瀬太郎さん似のようですね!
両親からの愛称は「マンタ」。
息子・高田万太郎さんは、1歳頃からイギリス・ロンドンで育ちますが、日本の学校にも通いたいとのことで帰国。
お茶の水女子大学付属小学校に進学し、秋篠宮悠仁(あきしののみやひさひと)さまと学友なのだとか!
息子・高田万太郎さんは成績がトップクラス、英語がネイティブ並みでスポーツもできて皆の人気者だそうです。
そして、特技は料理!
日本にフィッシュ&チップスの専門店がないと気付いた息子・高田万太郎さん。
母・高田万由子さんの許可を得て、2018年8月1日、なんと12歳でフィッシュ&チップスの専門店「MANTAS」を創業!
発想と行動力が並大抵ではありませんよね。
また、息子・高田万太郎さんは父・葉加瀬太郎さんとともに趣味の釣りを楽しんでいました。
しかし、葉加瀬太郎さんによると近年は釣りに付き合ってもらえないのだとか。
高田家の人々はそれぞれに決めた道で活躍されているので、今後のお子さんたちの動向にも注目が集まりそうですね。
まとめ
今回は高田万由子の父・高田祐一の死因は?母親や兄弟など家族もまとめた!
という事で、高田万由子さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 高田万由子の父・高田祐一は実業家の家系で2004年に病死、母・高田智子も才色兼備!
- 高田万由子の実家は東京都港区虎ノ門から西麻布に移り、実家は富豪!
- 高田万由子は兄弟姉妹がおらずひとりっ子で、夫・葉加瀬太郎は婿養子、子どもが2人いる!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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