数々の映画で主演を務め、日本アカデミー賞新人俳優賞の受賞歴もある中井貴一(なかいきいち)さん。
1983年の主演ドラマ「ふぞろいの林檎たち」は約15年、4シリーズの長編作品としても人気です。
そんな中井貴一さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は中井貴一の父は佐田啓二!実家の母親や兄弟など家族もまとめた!
という事で、中井貴一さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
中井貴一の実家はお金持ち?
まずは中井貴一さんの実家について調べてみました!
中井貴一の実家の場所は東京都世田谷区?
中井貴一さんの実家の場所は、東京都世田谷区周辺ではないかと噂されています。
そう言われる理由として、
- 出身:東京都世田谷区
- 出身小学校:世田谷区立八幡小学校
- 出身中学・高校:成蹊中学・高等学校
ということで世田谷区周辺で幼少期を過ごしていることから、実家もその周辺ではないかと言われています。
中井貴一の実家はお金持ちではなく、質素な生活だった!
中井貴一さんの実家はお金持ちではなく、質素な生活だったとご本人が明かしています。
幼少期の暮らしについて、中井貴一さんは、
今では親父がいなく甘えられないことが僕のプラスになっていたんです。なにせ収入がなく生活は本当に質素でした。洋服もドンドン買ってもらえる訳ではなく、欲しいものを我慢するのは当然と思ってました。
と当時のことを振り返っています。
中井貴一さんが3歳になる前に父親が亡くなり、そこからは父が残した遺産だけで生活していたとのことですから、生活もとても質素だったようです。
小学校高学年まではお姉さんの着ていた服をリフォームしていたお話もありましたので、幼少期の実家は質素な生活だったことが伺えます。
中井貴一の実家の両親(父・母)はどんな人?
中井貴一さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
中井貴一の父親は名俳優の佐田啓二!
中井貴一さんの父親は、1940-1960年代に活躍された名俳優の佐田啓二(さだけいじ)さんです。
プロフィールはこちら。
- 氏名:佐田啓二 ※本名:中井寛一(なかいかんいち)
- 生年月日:1926年12月9日
- 没年月日:1964年8月17日(37歳没)
- 出生地:京都府京都市下京区
- 職業:俳優
- 身長:173.2cm
- 活動期間:1946-1964年
1946年に松竹大船撮影所に入社し、1947年の映画「不死鳥」でデビュー。
その後も「鐘の鳴る丘」や「君の名は」などに出演され、話題を集めました。
「あなたは買います」の作品で、毎日映画コンクールやブルーリボン賞の主演男優賞を獲得されました。
活動当時はトップスターの地位を確立していた佐田啓二さんですが、1964年8月に事故で亡くなってしまいました。
当時はまだ中井貴一さんが2歳11か月で、中井貴一さんにとっての佐田啓二さんは「父親の佐田啓二」ではなく、「俳優としての佐田啓二」だったそうです。
中井貴一さんは若くして父親を亡くしてしまったため、母親と姉の3人で暮らしていたそうですが、ここまでの名俳優になられたことから、父親のDNAをきちんと受け継いでいると感じられますね。
中井貴一の母親はレストランの看板娘!?
中井貴一さんの母親は、中井益子(なかいますこ)さんという方で、佐田啓二さんの3歳年下の方です。
益子さんは一般の方で、松竹大船撮影所前のレストラン「月ヶ瀬」の看板娘だったとのことで、佐田啓二さんとの出会いもレストランだったそう。
佐田啓二さんとの10年間の交際後に結婚し、1957年11月に長女、1961年9月に長男の中井貴一さんが誕生しています。
1964年に夫の佐田啓二さんが亡くなってからは、貯金を切り崩しながら女手一つで子どもたちを育てたようです。
実際に、益子さんは子どもを2人とも大学まで進学させているのですから、相当な根性の持ち主だと考えられます。
そんな最愛の母親ですが、病気のため2016年に87歳で亡くなられております。
中井貴一の両親のエピソードも紹介!
中井貴一さんのご両親のエピソードをご紹介します。
父親の死因は運転手の居眠り運転だった!
中井貴一さんの父親の佐田啓二さんは、ドラマ「虹の設計」の収録のため京都に帰る途中で事故にあったようです。
その事故の原因は、なんと運転手の居眠り運転だったそう。
さらに、父親が亡くなった原因が運転手の居眠りだったということは大人になってから知ったと過去に出演された「徹子の部屋」で明かしています。
母親からは「お父さんの運命は37という歳だったのよ。」とだけ言われていたとのことでした。
この当時のことを中井貴一さんは、
母はたぶん姉と僕に人を恨むことを植えつけたくなかったと思うんです。それを運命という言葉で教えてくれたんじゃないかなと思います。人を好きだから俳優をやっていると思うので、母のおかげだと思います。
と振り返っております。
普通なら当時の運転手や事実を伝えてくれなかった母親に怒ってしまうのも無理はない状況の中で、真っ先に母親に対する感謝を口にできる中井貴一さんの人間性の良さを感じることができるエピソードですね。
蓼科の別荘には父親との思い出が詰まっている!
中井貴一さんは、長野県のリゾート地である蓼科に別荘を持っています。
この別荘は父親である佐田啓二さんから受け継いだものだそうで、当時はまだ3歳に満たなかった中井貴一さんは父親と別荘で過ごす時間はあまり長くなかったとのことですが、
父親がゴルフをする姿は印象に残っており、「大人だ」と感じたことを覚えている。
と話されています。
現在は、父親が利用した蓼科高原カントリークラブでゴルフを楽しむこともあるという中井貴一さんですが、幼少期の記憶を思い出しながら、父親のことを少しでも感じたい気持ちがあるのかも知れませんね。
中井貴一が俳優になったきっかけとは?
中井貴一さんは、子どもの頃から俳優になりたいとは思っていなかったようです。
そのため、映画出演の話があったときはやると返事したにも関わらず、やると言ったことをやばいと思っていたとか。
母親や姉からも「人見知りで赤面症のアンタには無理」と言われており、未だにやると返事した理由がわからないと話されていました。
しかしながら、やると返事した背景については、
絶対に親父が僕の背中を蹴ったんだとしか思えない(笑)
と振り返っておられました。
このお話からも、父親の血を受け継ぎ俳優として活動しているのは、半ば運命のように感じられている中井貴一さんの気持ちを感じることができました。
母親は親戚も認めるほど怖かった!?
父親の死後、女手一つで姉とともに育てられた中井貴一さん。
そんな母親について、
本当に怖かったですよ。親戚の人も「お母さん怖かったよね!」って、この間言われたんです。昭和3年生まれで170cmあったので…。本当にパーン!ってすぐぶん殴られましたし、子どもの頃は本当に痛い思いをさせてもらいました。
と笑いながら振り返っていました。
母親のことを怖かったと皮肉りながらも、ここまで育ててくれたことへの感謝の気持ちも感じられますね。
中井貴一は結婚する時のルールを決めていた!
中井貴一さんは「TOKIOカケル」に出演された際、自身に課していた結婚する時のルールを明かしています。
それに関して、中井貴一さんは、
父親のこともあり、自分の人生は30代で終わると思っていました。39歳が目安でそこまで絶対に結婚しないと決めていました。自分の子どもに同じ思いをさせたくないっていう。家族を残したくないっていうのがあったから、絶対に自分に課していました。
と明かしています。
親父の年齢を超えるのが怖かったという中井貴一さんは、40歳で初めてその思いを断ち切ることができたと話されていました。
名俳優の父親を持ち、自分の人生のルールさえも作ってしまう父親の偉大さを感じることができるエピソードですね。
母親の死の直前には号泣していた!?
中井貴一さんの最愛の母である益子さんは、2016年に病気のため他界されています。
そんな母の死の直前、病室で号泣した中井貴一さんは、
1回だけ頭撫でてくれよ…。
と母親にお願いをしたそうです。
幼少期に父親を亡くし、女手一つで育ててくれた母に認めてもらいたかったのかも知れませんね。
実際に、母親に頭を撫でてもらえたことで今後も頑張っていこうという覚悟ができたと仰っていました。
躾や礼儀作法に厳しかった母親のようですが、父親の役割も背負っていたはずですし、中井貴一さんも厳しい母親のもとで育ったから今の自分がいると感じているようで、母親の愛情がきっちり息子に届いているんだなと感じました。
中井貴一の兄弟姉妹も調査!
中井貴一さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
中井貴一の兄弟姉妹は4歳上の姉!!
中井貴一さんには、4歳上で女優でエッセイストの姉がおられます。
お写真はこちらです。
プロフィールをご紹介します。
- 氏名:中井貴惠(なかいきえ)
- 生年月日:1957年11月27日(24年5月時点:66歳)
- 職業:女優、エッセイスト
- 身長:167cm
- 血液型:O型
- 活動期間:1977年-現在
中井貴恵さんは早稲田大学在籍中の1977年に映画「女王蜂」でデビューされ、数々の新人賞を受賞されています。
1982年には「あゝ野麦峠 新緑篇」、「制覇」で日本アカデミー賞助演女優賞にノミネートされるほどの人気女優でした。
その他にもドラマやCMなどさまざまな作品に出演されていますが、1987年の結婚を機に女優業を休業されました。
それ以降は、「赤毛のアンを探して」や「大人と子供のための読みきかせの会―「5年間の物語」」などの本を出版されています。
現在は、絵本の朗読を行う「大人と子供のためのよみきかせの会」で活動されるなど、さまざまな経歴の持ち主です。
中井貴一さんと同様に、父親の名俳優としてのDNAをしっかりと受け継がれていると感じるご活躍ですね。
まとめ
今回は中井貴一の父は佐田啓二!実家の母親や兄弟など家族もまとめた!
という事で、中井貴一さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 中井貴一さんの実家はお金持ちではなく、質素な生活だった
- 中井貴一の父親は名俳優の佐田啓二
- 佐田啓二は中井貴一が2歳11か月の頃に交通事故(運転手の居眠り)のため亡くなっている
- 中井貴一の母親はレストランの看板娘だった中井益子(一般人)
- 中井貴一には4歳上で女優、エッセイストの姉:中井貴惠がいる
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
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[…] 10歳の頃から演じる仕事をされていた本仮屋ユイカさん、映画「RAILWAYS」(2010年公開)に父娘役で共演した中井貴一さんを「芸能界の父」と慕っています。 […]