ミュージシャンで作家・映画監督の辻仁成(「つじひとなり」または「つじじんせい」)さん。
音楽・執筆活動など多方面で活躍し、近年はYouTubeにて息子さんと「2G」名義で動画配信をしています。
そんな辻仁成さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は辻仁成の家系図が凄い!?実家は金持ちで両親や兄弟など家族も調査!
という事で、辻仁成さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
辻仁成の家系図がすごい!?
ミュージシャンや作家など、様々な経歴を持つ辻仁成さん。
そんな辻仁成さんについて調べると、クリエイティブな親族たちがいることが判明しました。
辻仁成の母方の祖父・今村豊は発明家!
辻仁成さんの母方の祖父・今村豊(いまむらゆたか)さんは発明家として活躍しました。
辻仁成の祖父・今村豊は戦時中に銃などを開発し、その後仏教に帰依した
「鉄砲屋豊」と呼ばれ、名士として知られていた祖父・今村豊さん。
太平洋戦争下では「今村五連式銃」という銃を開発し、自動小銃も軍のために製造・供給していたのだとか。
しかし、自身の開発した銃で多数の命が奪われることに心を痛め、戦後は浄土真宗に帰依します。
鎮魂のために出身地である福岡県大川市・大野島の島民らを説得し、発掘した数千体の遺骨で仏像「白仏」を建立。
白仏は現在も大野島の勝楽寺で安置されているとのこと。
また、辻仁成さんの著書「白仏」は祖父・今村豊さんをモデルとした作品で、フランスで文学賞を受賞されています。
辻仁成の祖父・今村豊は今村製鉄所の創業者で数々の機械を発明
祖父・今村豊さんについて、
祖父はモノづくりの天才だった。
と、語る辻仁成さん。
祖父・今村豊さんが創業した「今村製鉄所」は、中九州一円で成功を治めました。
戦後、祖父・今村豊さんは数々の機械を発明。
- 自動三輪の耕運機(トラクターの元となった)
- 海苔の巻き上げ機
- 海苔の乾燥機
など、地元の産業に無くてはならない技術の基礎を築き上げます。
更に、祖父・今村豊さんは地元の市会議員も務めておられたのだとか。
そんな祖父・今村豊さんの働く姿について、
その大規模な工場群、巨大なクレーンなどの近代的な設備、物凄い数の従業員、そこで陣頭指揮をする勇ましい祖父の姿は今も脳裏から離れることはない。
と、辻仁成さんは振り返っています。
辻仁成さんによると、現在も今村製鉄所の名前は残っているものの、祖父・今村豊さんの死後、その兄弟たちの経営はうまくいかなかったのだそう。
戦中・戦後と、厳しい時代を生き抜いた祖父・今村豊さんのバイタリティは計り知れませんね。
辻仁成の母・辻恭子は、とにかく弁が立つ!
辻仁成の母・辻恭子(つじきょうこ)さん。(写真右)
辻仁成さんの著書「84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと」は母・辻恭子さんの半自叙伝であり、ブログ等でも頻繁に恭子さんとのやりとりを公開されています。
母・辻恭子さんは幼い頃から華道の心得があり、その腕前は大人をうならせるほど。
また、非常に弁の立つ方で、高校生の頃に名古屋で開催された全国弁論大会に福岡県代表として出場。
母・辻恭子さんの数々の言葉は、辻仁成さんの人生観にも大きく影響を与えているのだそう。
結婚後も、料理教室や刺しゅう教室の講師として活躍されていたのだとか。
母・辻恭子さんの創作活動や弁の立つところは、辻仁成さんの芸術性や作家としての活動に通じているのでしょう。
辻仁成の元妻は俳優で子どもたちは芸術家と音楽家!
辻仁成さんは3度の結婚・離婚を経験。
ここでは、元妻たちとその子どもたちをご紹介します。
辻仁成の1人目の元妻は写真家?
1979年、辻仁成さんは成城大学経済学部に通っていた20歳の頃に、1人目の妻と学生結婚。
この方は一般のため情報がほとんどありませんが、カメラマン・写真家だとされています。
1年ほどの短い結婚生活で、子どもはいなかったようです。
辻仁成の2人目の元妻は、俳優・南果歩
辻仁成さんの元妻の俳優・南果歩(みなみかほ)さん。
数々の映画やドラマ、舞台で活躍する名俳優として知られています。
そんな南果歩さんは1995年~2000年の5年間に亘って辻仁成さんとの婚姻期間があり、その後は俳優・渡辺謙さんと結婚されています(2018年に離婚)。
芸術に通じる者同士、惹かれるものがあったのでしょう。
南果歩さんとの間には1人息子さんがおられます。
辻仁成と元妻・南果歩の息子・南依岐は画家
辻仁成さん、南果歩さんの長男で画家の南依岐(みなみいぶき)さん。
1995年9月、日本生まれの29歳。
アメリカ・サンフランシスコにあるアカデミー・オブ・アート大学でBFA(美術学士)を取得されています。
アメリカと日本を中心に活動し、各所で個展も開催。
ジャンルはいわゆる現代アートで、南依岐さんにしかわからないアルゴリズムを基に制作されているのだとか。
生粋の芸術家肌なのは、ご両親の影響が大きそうですよね。
ちなみに、プライベートでは23歳の時にアメリカで出会った1歳年上の日本人女性と学生結婚されています。
辻仁成の3人目の元妻は女優・歌手の中山美穂
辻仁成さんの元妻で女優・歌手の中山美穂さん。
女優として映画・ドラマ等に数多く出演。
歌手としても「世界中の誰よりきっと」などの名曲で知られており、2024年も全国ツアーを開催するなど精力的に活動されています。
そんな中山美穂さんと辻仁成さんとの婚姻期間は、2002年6月3日~2014年7月8日の12年間。
2004年1月に長男を出産されていますが、辻仁成さんとの協議離婚後、長男の親権は辻仁成さんが持つことになりました。
辻仁成さんと中山美穂さんの出会いは雑誌での対談で、それから8か月後のゴールインだったそう。
アーティストとしての直観が、結婚の決め手だったのかもしれませんね。
辻仁成と元妻・中山美穂の息子・辻十斗は大学生
辻仁成さんと元妻・中山美穂さんの長男・辻十斗(つじじゅうと)さん。
父・辻仁成さんのブログで度々登場されています。
辻十斗さんは2004年フランス生まれ・フランス育ち。
年齢は20歳(2024年現在)で、フランスの難関国立大学に在学中。
一度は別の大学に入学したものの、自身のやりたいことを学ぶために現在の国立大学に編入されたのだとか。
専攻は明かされていませんが、
大きな街を創造する仕事に就いて、フランスと日本をつなぐプロジェクトに参加したい。
と、辻十斗さんが語っていることと、
かなり、特殊な大学であった。専門性の高い、スペシャリストの大学・・・。就職の間口は前の大学の方があるように感じられた。
と、辻仁成さんが明かしていることから、デザインや建築・インフラ関連など、専門性の高い分野を学んでおられるのかもしれませんね。
また、辻十斗さんは音楽にも秀でており、なんと有名レコード会社からオファーが来るほど。
しかし辻十斗さんは、
ぼくは30歳まで大学で勉強をして、その道のスペシャリストになりたい。音楽は楽しいけれど、趣味は趣味で続けて、社会人として世に出るつもり。
と、音楽ではなく、自身の目指す職への道を追求したいと望んでいるそうです。
ちなみに、辻十斗さんは料理の腕前も相当なものなのだとか。
多才なところはご両親譲りなのでしょうね。
辻仁成の親類には童話作家や記者がいる!
辻仁成さんの親類には童話作家や記者の方もおられます。
辻仁成の母方の親類・東君平は童話作家
童話作家の東君平(ひがしくんぺい)さん。
東君平さんは、辻仁成さんの母・辻恭子さんの従姉妹・英子さんの夫。
「のぼるはがんばる」「くんぺい魔法ばなし」「おはようどうわ」シリーズで知られています。
1940年1月9日生まれで兵庫県神戸市出身。
医師であった父の逝去と破産で家族が散り散りになるなど、幼少時代は大変に苦労されたのだそう。
当初はイラストレーターとしてデビューし、その後童話作家の道へ。
しかし、1986年12月3日、風邪が悪化し肺炎のため46歳の若さで亡くなりました。
東君平さんの娘・東菜奈(ひがしなな)さんも絵本作家として活躍。
そして、甥にフリージャーナリストの東晋平さんもおられます。
辻仁成の母方の親類・東公平は将棋観戦記者でチェスチャンピオン
著名な将棋の観戦記者で、日本のチェスチャンピオンでもある東公平(ひがしこうへい)さん。
東公平さんは、辻仁成さんの母・辻恭子さんの従姉妹・英子さんの夫である辻君平さんの兄。
1933年生まれ、2024年で91歳になります。
東浩平さんは、将棋棋士を志すため超難関校・灘高等学校を中退し、奨励会に入会したものの初段で退会。
その後、日本将棋連盟職員を経て朝日新聞社と契約を結び、将棋の観戦記者として多くの記事を執筆。
チェスプレーヤーとしても活躍し、日本チェス連盟チャンピオンとなった後も日本チェス協会設立の発起人となるなど、日本のチェス界に大きく貢献されています。
以上、辻仁成さんの家族・親類について紹介してきましたが、こうして見ると芸術や執筆で秀でた方が多数いらっしゃいます。
もしかすると公表されていないだけで、他にも才能溢れる親類がおられるかもしれませんね。
辻仁成の実家はお金持ち?
まずは辻仁成さんの実家について調べてみました!
辻仁成の実家の場所は福岡県福岡市
辻仁成さんは、東京都南多摩郡日野町(現日野市)出身。
父親の仕事の都合で福岡県福岡市、北海道帯広市・函館市と各地を転々されていますが、現在の実家は福岡県福岡市にあります。
2023年、福岡県福岡市での公演に際して辻仁成さん自身が、
やったぁ、実家のある福岡での追加公演が決まった。親孝行ライブじゃ!
と、喜びを綴っていました。
詳細な場所は明かされていませんが、実家には母・辻恭子さんが一人で住み、近隣に辻仁成さんの弟・辻恒久(つじつねひさ)さんが住んでいるとのこと。
なお、辻仁成さんの転居の経緯は以下の通り。
- 出生~幼稚園・・・東京都(大規模団地である多摩平団地に居住)
- 幼稚園~小学校5年生・・・福岡県福岡市
- 小学5年生~中学校3年生・・・北海道帯広市
- 中学3年生~高校卒業・・・北海道函館市
- 大学以降・・・東京都(成城大学経済学部への進学のため、その後中退)
学生時代は転校が多く、環境の変化による負担も大きかったのではないでしょうか。
ちなみに、辻仁成さん自身は2003年からフランス・パリに移住し、今も現地を拠点に活動されています。
辻仁成の実家はお金持ち?
辻仁成さんの実家の経済状況について調査したところ、裕福な家庭であることがわかりました。
辻仁成の父親は、地主の家系で大手損保会社のエリート社員だった
辻仁成さんの父・辻信一(「つじのぶかず」または「つじしんいち」)さん。
辻仁成さんによると、
父さんの方は地主の家系だった。
とのこと。
父・辻信一さん自身は日新火災海上保険の社員で、一時は将来の社長候補と呼ばれるほど優秀な方だったのだとか。
辻仁成さん曰く、
猛烈社員(自らや家庭を犠牲にしてまでがむしゃらに働くサラリーマン)だった
と、その働きぶりは凄まじかったのだそう。
父・辻信一さんの現役時代は高度経済成長期の真っ只中で、働けば働くほど収入が増える時代でした。
父・辻信一さんの出自や優秀な社員であったこと、時代背景を踏まえると、辻家の所得や資産は大きかったと考えられますね。
母・辻恭子は社長令嬢
辻仁成さんの母方の祖父・今村豊さんは、地元の名士で今村製鉄所の社長でした。
母・辻恭子さん自身は恐らく主婦業がメインだったと考えられますが、潤沢な資産背景があったことは事実ですよね。
上記の情報を総合すると、辻仁成さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうです。
辻仁成さんやその親族は、自身の才能を発揮して資産を築かれていたんですね。
辻仁成の実家の両親(父・母)はどんな人?
辻仁成さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
辻仁成の父親はエリート社員で厳しかった!
辻仁成さんの父・辻信一(「つじのぶかず」または「つじしんいち」)さん。(写真左)
結婚式の時のものと思われる写真で、少し緊張した面持ちですよね。
ここでは、父・辻信一さんについて紹介します。
辻仁成の父・辻信一はエリート社員だった
父・辻信一さんは福岡県出身。
父・辻信一さんは日新火災海上保険に勤め、一時は将来の社長候補とされるほど優秀な社員だったのだとか。
しかし、
父は猛烈社員でしたが、ライバルに敗れ、最後は窓際族でした。
と、辻仁成さんが語るように、父・辻信一さんが社長となることはありませんでした。
多忙を極め、遊んでもらった記憶もほぼないそうですが、辻仁成さんは家族のために全力で働いてくれた父・辻信一さんに感謝しているそうです。
辻仁成の父・辻信一は厳しくも実は優しかった
仕事人間の父・辻信一さんは大変厳しい方だったそうで、
父と遊んだ記憶があまりないのです。抱っこされた記憶も、語り合った記憶もありません。(中略)怒鳴られた記憶、びくびくしていた記憶はたくさんあります。
と、辻仁成さんは振り返っています。
父・辻信一さんが自宅にいる日曜日は憂欝で、逃げ回っていたのだとか。
一方で、父・信一さんの教えてくれた、
「人に迷惑をかけるな」「人のものを欲しがるな」「手に職を持て」
という3つの言葉は今でもずっと心にあるのだそう。
そんな恐れながらも尊敬していた父・辻信一さんは2007年4月に病気のため逝去。
お墓は福岡県大川市にあるとのこと。
母・辻恭子さんは、「(社長になれず)悔しい晩年であったのではないか」とされていますが、周囲に弱い姿は見せず、むしろ晩年はいつもニコニコしていたのだとか。
自身の息子が作家になったことを大変喜び、博多の書店を回っては「自分の息子なんです」と誇っておられたそう。
辻仁成さんがデビュー前にお金に困って母・辻恭子さんを頼った際も、実は父・辻信一さんがお金を出してくれていたこともありました。
父・辻信一さんは、息子を前にすると素直になれず、ついつい厳しく接してしまっていたのでしょうね。
辻仁成の母親は弁士で多才!
辻仁成さんの母・辻恭子(つじきょうこ)さん。(写真左)
2024年6月で89歳になる母・辻恭子さんは、辻仁成さんのブログで頻繁に登場し、数々のエピソードが明かされています。
辻仁成の母・辻恭子は福岡県大川市大野島出身!
辻仁成さんの母・辻恭子さんは、1935年に福岡県大川市大野島の名士のもとに生まれます。
母・辻恭子さんのふるさとである大野島は、筑後川の最下流にある島。
その島の北部は「大野島」として福岡県大川市に、南部の「大詫間(おおだくま)」は佐賀県佐賀市にそれぞれ属しています。
正確には川の中州なのですが、2県にまたがる中洲は全国で唯一。
元々は2つの三角州として別々に存在し、中州を挟んだ柳川藩と佐賀藩は両島の領有を巡って対立。
最終的には、現在の大野島を柳川藩、大詫間島を佐賀藩が領有することで決着します。
しかし、その後も更に土砂の堆積が続き、2つの三角州は陸続きとなって1つの三角州となりました。
廃藩置県を経てもその境界が継承されて、現在に至っています。
辻仁成の母・辻恭子は弁士で強くて優しい!
辻仁成さんの母・辻恭子さん。(写真右)
辻仁成さんの母・辻恭子さんは幼少時代から池坊で華道を習い、腕前は大人をうならせるほどだったのだそう。
また、非常に弁の立つ方で、高校生の頃に名古屋で開催された全国弁論大会に福岡県代表として出場。
幼いころから弁士としての片鱗はあったそうで、中学生の頃には全校生徒の前でハキハキと弁論をしたり、弁論部として九州大会に出場し3位に輝きました。
地元のマドンナ的な存在となった母・辻恭子さんは集会や講演会、弁論試合に招待され、郵便局のポスターになったこともあるのだとか。
辻仁成さんの父・辻信一さん曰く、
内容もよかったと思うけど、あの気迫だったと思う。母さんには人のこころを鷲摑みにする迫力と強い説得力があったんだ。
とのこと。
結婚後は料理の才能を開花させ料理教室の講師をしたり、得意の刺繍でも講師をしていたのだそう。
多才な辻仁成さんを以てして、
ぼくは子供ながらにこの人はただものじゃない、と思っていた
と、言わしめる母・辻恭子さん。
母・辻恭子さんは辻仁成さんに大きく影響を与え、現在の活躍に繋がっているんですね。
辻仁成の両親のエピソードも紹介!
辻仁成さんは、著書やブログでご両親のエピソード数多く紹介しておられます。
辻仁成の母・辻恭子は強い
才能溢れる母・辻恭子さん。
父・辻信一さんはその才能を尊敬する一方、煙たくもあったのだそう。
母・辻恭子さんは特に弁が立ち、はきはきと大きな声ではっきりと意見を言い、説得力もありました。
辻仁成さんのご両親は喧嘩をすることもありましたが、
言い合いになると母さんが圧倒した。でも、母さんのいいところは父さんを追い込まないところにあった。
と、辻仁成さんはその様子を振り返っています。
母・辻恭子さんは、
人間は他人に対する尊敬の念が一番上にある。どんなに自分の方が弁が立っても、相手を追い込んではならない。(中略)大事なことはお互いを尊敬しあうことだ。言葉で勝つのではなく、こころで和解しなさい。
と、子どもたちに説いていたのだそう。
こうした母・辻恭子さんの言葉は、現在に至るまで辻仁成さんの記憶に残るほど強い影響力を持つんですね。
辻仁成の父・辻信一は、母・辻恭子が大好きすぎて閉じ込めた
辻仁成さんのご両親の結婚は母・辻恭子さんによると、
他に好きな人がいたというのに、結納金を握りしめて強引にやってきて半ば略奪するような感じで結婚させられた
ということですが、辻仁成さん曰くあくまでも母・辻恭子さんの言い分であって事実は未確認とのこと。
父・辻信一さんは、高校時代に母・辻恭子さんの噂を聞きつけて地元で開かれた弁論大会を見に行ったそうで、
父さんが母さんに一目ぼれしたのは、その時だったのかもしれない。
と、辻仁成さんは語っています。
頭が良く、マドンナ的な存在だった母・辻恭子さんを父・辻信一さんは溺愛。
東京での新婚生活が始まると、父・辻信一さんは次第に母・辻恭子さんの外出を制限するようになり、
外の世界は怖い。おかしなことを言ってくる連中ばかりだ。(中略)いいか、鍵をかけて、ぼくが帰ってくるまで外に出ないように。
と、命じたのだとか。
しかし、辻仁成さんから見ると二人は仲睦まじい夫婦に見えたそう。
そして、母・辻恭子さんもただ閉じこもっていたわけではありませんでした。
当初、頼み込んで華道を習いに出ていましたがそれを制限されると、今度は団地の人たちと仲良くなることで外の情報を収集するようになります。
そんな母・辻恭子さんがまず始めたのは、かき集めた情報から外の世界で食べられている料理を研究し、自宅で再現すること。
洋食が一般的でなかった時代だったにもかかわらず、
母さんはぼくら兄弟のために毎晩、ハンバーグだとか、シチューだとか、カルボナーラや魚の欧風グリル焼きなどを拵えてくれた。
と、辻仁成さんは明かしています。
情報源が限られる中でこれだけの料理ができたのは、努力と才能があってこそですよね。
父・辻信一さんの愛情が強すぎるようにも見えますが、母・辻恭子さんが弁の立つ方でありながらもそれに従っておられたようなので、きっと仲の良いご夫婦だったのでしょう。
辻仁成の兄弟姉妹も調査!
辻仁成さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
辻仁成の兄弟は弟!!
辻仁成さんには弟さんがおられます。
辻仁成の弟・辻恒久は元マネージャーでしっかり者
辻仁成さんの弟・辻恒久(つじつねひさ)さん。(写真中央)
2024年で62歳を迎えられます。
辻仁成さんや母・辻恭子さんからは「恒ちゃん」の愛称で呼ばれ、辻仁成さんの仕事を手伝っておられます。
弟・辻恒久さんは未熟児で生まれ、幼少時代は辻仁成さんにくっついて回っていたそうですが、
お兄ちゃんのような弟が一人います。
と、しっかり者であることを辻仁成さんが語っていました。
弟・辻恒久さんは、福岡県福岡市にある実家のそばに住み、母・辻恭子さんのお世話をされているとのこと。
母・辻恭子さんは、
あの子はすごかぞ。毎日、わたしに、美味しいごはんば作ってくださる。なんまんだ。
と、嬉しそうに語っていたのだとか。
弟・辻恒久さんも、母・辻恭子さんの言動を「制御不能」としているそうですが、きっと敬愛する気持ちは兄・辻仁成さんと同じなのでしょうね。
辻仁成の弟・辻恒久も多才!
千葉工業大学を卒業後、AKAI電気での設計業を経てラジオ制作会社に入社。
しかし、その制作会社も退社し、辻仁成さんのマネージャー兼運転手をされていました。
その後は地元・福岡県に戻り、FM局でディレクターをしていたのだそう。
更に、陶芸家としての道も歩みますが、辻仁成さんから誘われて個人事務所の代表を務めておられます。
写真は弟・辻恒久さん制作の洋陶器のランプ。
ちなみに、個人事務所の会長は母・辻恭子さんなのだとか。
2021年には電子書籍レーベル「DesignStoriesBooks」の販売配信企画責任者として、辻仁成さんの書籍を出版。
弟・辻恒久さんも多才ぶりを発揮されていますよね。
辻仁成の弟・辻恒久は婚姻歴があるが、現在は独身
弟・辻恒久さんに関して2021年のブログで、
兄貴として、独り者の弟に働くことの楽しさを思い出させたくて
と、綴っている辻仁成さん。
しかし、2008年11月に尺八奏者の方のブログにて、「諌山宗家のご令嬢」と弟・辻恒久さんの結婚披露宴の様子が記されていました。
記事では、弟・辻恒久さんがプロの陶芸家で、その兄が辻仁成さんも出席し代表として挨拶したとあります。
「諌山宗家」とは福岡県にある吟詠(詩吟)の流派の宗家。
良家のお嬢様と46歳頃に結婚されたようですがその後離婚されて、現在は独身ということになりますね。
まとめ
今回は辻仁成の家系図が凄い!?実家は金持ちで両親や兄弟など家族も調査!
という事で、辻仁成さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 辻仁成の家系は芸術・執筆に秀でている
- 辻仁成の実家は福岡県福岡市にあり、お金持ちの可能性が高い
- 辻仁成の父親はエリート社員で厳しかったが、母親は弁士で優しく強い
- 辻仁成の弟はしっかり者で多才
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。