バドミントン選手の大堀彩(おおほり あや)さん。
高校2年時で出場したアジアユースU19オープン選手権の女子シングルスで、日本人初の優勝を果たす。長らく続いた不遇の時代を経て、パリ五輪の切符をつかみました。
そんな大堀彩さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は大堀彩の姉もバドミントン選手!父母など実家の家族情報もまとめた!
という事で、大堀彩さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
大堀彩の実家はお金持ち?
まずは大堀彩さんの実家について調べてみました!
大堀彩の実家の場所は福島県会津若松市
大堀彩さんは福島県会津若松市富岡町のご出身です。
出身中学校は富岡町立富岡第一中学校。
富岡第一中学校2年生の時に東日本大震災を経験しています。
2011年3月11日、富岡町内は震度6強を計測、富岡駅周辺は津波の被害を受けました。
2017年に 福島第一原子力発電所事故による避難指示が北東部の帰還困難区域を除いて解除されるまで、住民の帰還は認められませんでした。
富岡町は福島原発から20km圏内なんですね。
大堀彩さん一家は福島県猪苗代町の宿泊施設「あるぱいんロッジ」に半年間ほど避難を余儀なくされます。
ご家族が無事だったとはいえ、大変な事だったと思います。
大堀彩さんもこの経験を
震災をさかいに精神的に強くなった
と語っています。
大堀彩の実家はお金持ち?
大堀彩さんのご両親は元バドミントン選手でした。
日本のバドミントン選手は大きく分けて、実業団所属選手とプロ選手になります。
最近はプロに転向する選手も増えてきましたが、ほとんど実業団所属です。
バドミントン選手の年収
・所属先からの給料
・スポンサーとの契約料
・大会の成績に応じた賞金
トッププレイヤーになると、億を超える年収の方もいますが、
選手全体の平均年収は500~1000万ほどと言われます。
大堀彩さんのご両親は二人とも実業団選手でしたので、一般的な会社員と比べれば高収入なのではないでしょうか。
また小学生の大堀彩さんは、バドミントン以外にピアノや習字を習って楽しく過ごしたそうです。
ピアノや習字は習い事の定番ですが、それだけ余裕があったということですからね。
上記の情報を総合すると、大堀彩さんの実家は少なくとも裕福なご家庭と考えて間違いないでしょう。
のちほど触れますが、大堀家はバドミントンと切っても切れない縁の深い一家です。
なんだかとても魅力的なスポーツに思えてきました!
大堀彩の実家の両親(父・母)はどんな人?
大堀彩さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
大堀彩の父親は所属チームの監督!
大堀彩さんのお父さんはトナミ運輸バドミントン部女子ヘッドコーチの大堀均(おおほり ひとし)さんです。
- 栃木県出身
- 55歳
- 日本体育大学卒業
- 選手時代はトナミ運輸所属。
- 全日本ジュニア単優勝、全日本総合複2位など成績を残しトップ選手として活躍
- 元・福島県立富岡高等学校バドミントン部監督
教本の出版
お父さんはバドミントンの本も書かれています。
レビューも高評価↓
大堀均さんは、桃田賢斗選手を世界ジュニア選手権で日本勢初の優勝に導くなど手腕が高く評価されています。
バドミントン強豪国・インドネシアのプレースタイルを取り入れ、世界トップクラスの選手を輩出しているのです。
娘である大堀彩さんも高校時代は父親の指導を受けていました。
実は、以前大堀彩さんが「ミライモンスター」に出演された時に、父親とギクシャクしていると言っていました。
7月26日(日)11:15〜の#ミライモンスター は🐣💫
— ライオンのミライ☆モンスター (@miraimonster_cx) July 20, 2020
3年ぶり5回目の登場‼️
ビミョーな親子関係だった
バドミントン界の #ミラモン 親子の
今に密着❗️
お楽しみに🌱#関根勤 #横山由依#磯村勇斗 #石田たくみ #岡部麟#日髙のり子 #橘遥菜 pic.twitter.com/TZbxb7D0zn
父親が指導者という環境は、それが当たり前。窮屈に感じることはほとんどなかったと言っています。
高校の時は娘ということもあって人一倍怒られていた。
『なんで私ばっかり』とは思っていたけど、今思うと『まあ、そうだよな』っていう感じ
どうやら大堀彩さんも大人になって、いろいろ解決したようですね。
コーチとしての父の金言
大堀彩さんには、1歳上に奥原希望選手、1歳下に山口茜選手というスター選手がいました。
「あのふたりがいるから1番になれない苦しさ」をジュニア時代から感じていたそうです。
どちらかに勝てても絶対にもう一人いる現実。
常に1番になれない状態が続くもどかしさ、超えられない自分へのいら立ち。
しかし、ある時すべて巡り合わせだと気づきます。
二人がいなければ優勝できるかもしれないけど、海外に出たらすぐ負けるかもしれない…
ふたりが突っ走ってひとりだけ取り残されている時期が本当に長かったけど、相手は世界で1番、2番。
引用:https://www.msn.com/
その時々の悔しさがあったから頑張れた部分もあると思います
大堀彩さんの武器は169㎝という長身を生かした強烈なショット。
それに加え、レシーブを強化したことが五輪への道につながったと言われています。
きっかけは、お父さんの言葉
攻めるには、まず守りが大事だろう
振り回されて体力を削られ、焦りから強打に頼ってミスをする――そんな試合展開が多かった大堀彩さん。
富岡高校教員時代は「『長所を伸ばせばよい』と思っていたが、それでは勝てない」と世界のレベルアップを痛感。
そこでお父さんは娘に「自分を知り、ライバルを知る。そして自らを変える」という課題を与えた。
レシーブ練習を増やしたお父さんに、「攻撃が持ち味なのに、どうして」と疑問に思うこともあった娘。
が、実戦を重ねることで、疑問は確信に変わります。
守りが強くなると、相手に強打を打たれにくい。
逆に甘いレシーブを強打し、得点を重ねる新たなパターンが生まれました。
それでも、元世界ランキング1位・山口茜選手、リオデジャネイロ五輪銅・奥原希望選手の壁は高かった。
東京五輪出場はかなわず、東京五輪後には、B代表に格下げ。
「先が見えない。やめたい」 引退が頭をよぎり始めます。
自宅で家族で食卓を囲んでいた時、悩み続ける娘にお父さんが声をかけます。
まだやりきれていないよね
このタイミングで選手生活を終える…
自分が勝てないことを他人のせいにして、人への不信感を抱えたまま人生を送ることになりかねない
同じ選手の経験があるお父さんならではの理解と危惧。
大堀彩さんは、父の言葉に奮起。
その後の大会を「これが最後だ」と思いながら、全力で戦いました。
約半年後の国内大会で優勝、A代表に返り咲きます。
最もしんどかった時期に、父の言葉から気づくことは多かった
それでも「最後」を意識するためか、ライバルのポイントを気にするあまり、自分の試合ができず自滅する日々。
お父さんから、「周りを気にして、よいことがあるか」と諭され、再度「自分がどうするかが大事」と思い直します。
技術が向上し、メンタルの整理をつけた大堀彩さんは奥原選手との直接対決に2勝!
とうとうパリへの切符をつかんだのです。
感謝
高校を卒業し、2016年に当時男子チームしかなかったトナミ運輸に唯一の女子部員として移籍。
富山県高岡市内で一人暮らしを始めた大堀彩さん。
その1年後にお父さんも高校の教諭をやめ、トナミ運輸のコーチになります。
かつて選手として所属していたトナミ運輸、コーチとして戻ったのは娘の単身所属の事もありますが、
生徒から刺激を受け、指導者としてもう一度、五輪に挑戦したい
と思ったから。
苦しい時も嬉しい時も父親と娘、二人三脚で歩んできました。
パリ五輪は大堀彩さん自身の集大成でもある。
厳しい父だが、自分を犠牲にしてここまで育ててくれた。パリも一緒に挑みたい
と娘がいえば、
パリでは力を出し切って、笑顔で終わってくれれば満足
小さい頃からバドミントンの土台を作ってくれて、オリンピックレースも最終戦まで一緒に帯同。
指導者冥利に尽きるというか、父親として感無量というか…
道のりは長かったけれど、夢舞台に一緒にたどり着けて本当によかったなと感謝しているとのこと。
いまだ復興の道を邁進する故郷にも触れ、
スポーツの力で、何かしらの勇気や感動っていうのを与えられれば、バドミントンをやってる価値っていうのもあるのかなと考えているそうです。
本当に精一杯頑張る姿っていうのを皆様に見てもらえるように頑張っていきたいとコメント。
お父さん、その背中を一番近くで支えてあげてくださいね!
大堀彩の母親はダブルスの選手
大堀彩さんのお母さんは大堀麻紀(おおほり まき)さん。
- 兵庫県神戸市出身
- 55歳
- 日本体育大学卒業
- 日本リーグの三協アルミ(富山県の実業団)でダブルスの選手として活躍
- 夙川学院高校時代(兵庫県)には全国高校選抜大会3位
現在は日本小学生バドミントン連盟の選手強化部長として選手の育成をされています。
小柄な選手が多い日本では珍しく、169センチの長身でサウスポーの大堀彩さん。
母親の麻紀さんもサウスポーでプレーも似ているそうです。
大堀彩さんのプレースタイル
・武器は上から振り下ろすショット
・思い切りの良い強打をフェイントに使い、同じスイングで少し角度を変えネット前に落とすカットスマッシュ
→世界でもトップクラスの切れ味
日々の練習や努力はご本人とお父さんの賜物。
ですが、天性の素質はお母さん譲りだったかもしれません。
2017(平成29)年からスポンサーとして支援を続けている「相馬屋」(福島県)さん。
パックごはんなどを製造する米穀卸売・小売業の会社です。
もともとのご縁は、社長・佐藤さんの趣味・バドミントンの先生が麻紀さん、お母さんだったんだとか。
写真は左から、父・均さん・佐藤社長・大堀彩さん・母・麻紀さんです。
幼稚園児の頃からよく知る大堀彩さんのオリンピック出場に、佐藤社長は「跳び上がって喜んだ」そう。
旧知といえば、原発事故発生後に身を寄せた猪苗代町の宿泊施設「あるぱいんロッジ」の元オーナー平山さんも。
五輪出場の一報に、「諦めずに頑張ってくれた」と言葉を詰まらせた。
苦しい時期を共に過ごした同志。
「町に明るい話題を届けてくれた。正々堂々、悔いの残らない試合をしてほしい」と平山さんは声援を送ります。
こうした数え切れない人たちの支援を受けてここまでたどり着いたと感謝する大堀彩さん。
ぜひ郷土の自慢のスターへと成長してほしいです!
…それにしても、さすが元アスリート、お母さんも背が高いですね~
大堀彩の両親のエピソードも紹介!
日体大の同期だったお父さんとお母さん。
出会いや馴れ初めは大学だった…という可能性も考えられますね。
そして、ご両親ゆずりの容姿を活かして、ファッションブランドのモデルのお仕事もしている大堀彩さん。
小さいお顔に長い手足がお似合いです。
占いで「アパレルの仕事に向いてる」と言われたこともあるそうです。
アスリートからモデルに転身…ないことはないですよね!
大堀彩の兄弟姉妹も調査!
大堀彩に兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
大堀彩の兄弟は姉!!
大堀彩さんには2歳年上のお姉さんが1人おられます。
齋藤優(さいとう ゆう)さんです。
どちらかというと、お姉さんの方がお母さん似ですかね?
- 1994年5月11日うまれ
- 青山学院大学卒業
- ジュニアバドミントン競技大会U-17 優勝
- 平成28年度 関東選手権 AWS 準優勝
青山学院大学ではバドミントン部の主将を務めていました。
実力だけでなく、信頼される、リーダーシップのある方だったんでしょうね。
姉妹対決!
同じ競技のアスリートだった姉妹。
高校生の時には大堀彩さんとの姉妹対決があったそうです。
大堀彩さんが中学3年生、優さんが高校2年生の時にジュニアバドミントン 競技大会U-17の決勝戦で対戦しています。
結果は姉・優さんが優勝!
姉妹で表彰台に立っています。
義兄もバドミントン選手
お姉さんは、2018年6月にNTT東日本所属のバドミントン選手齋藤太一さんと結婚されています。
義兄・齋藤太一(さいとう たいち)さん
・1993年4月21日うまれ
・千葉県出身
・得意技 スマッシュ
・早稲田大学卒業
・2016年NTT東日本入社
大堀彩さんと同じ富岡高校出身で、義父である大堀均さんに指導されていました。
齋藤選手は高校3年生の時、桃田賢斗選手とペアを組み、男子ダブルスで優勝しています。
かつての教え子が娘の旦那で、義理の息子になる…複雑じゃないんでしょうか?
まぁ、晴れて家族になっているんですから、関係は良好なんでしょうね。
お姉さんのカクテルドレスも可愛らしいですが、大堀彩さんの振袖もよくお似合いです!
インスタグラムのアカウント写真も結婚式のお姉さんとの2ショットが使われています。
あまり、公にお姉さんのことをふれた内容はみつけられませんでしたが、仲の良い姉妹のようです。
数少ないプライベートな投稿の中でも、お姉さんの誕生日を祝うコメントがありました。
アスリートの先輩でもあるお姉さん、きっとこれからも力になってくれる存在なんでしょう!
まとめ
今回は大堀彩の姉もバドミントン選手!父母など実家の家族情報もまとめた!
という事で、大堀彩さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 大堀彩さんのご実家はバドミントン一家!その道のエリート家族でした。
- 大堀彩さんのご両親は、指導者として現在も活躍するご夫婦でした。
- 大堀彩さんのお姉さんは、同じ競技をしていたアスリート同志。なんと義理の兄もバドミントン選手でした。
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。