元政治家の宮澤博行(みやざわひろゆき)さん。
磐田市議会議員を経て2012年12月の衆議院議員総選挙に初当選を果たし、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官、防衛副大臣兼内閣府副大臣の要職を歴任するも、2023年12月に不祥事により副大臣、2024年に4月に議員辞職しました。
そんな宮澤博行さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は宮澤博行の父は宮沢喜一ではなく既に死別…家族情報や家系図もまとめた!
という事で、宮澤博行さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
宮澤博行は土木職人!
宮澤博行さんについてご紹介します!
宮澤博行は土木職人ではなく元政治家!
まず、宮澤博行さんは元政治家で、土木職人ではありません!
土木職人を務めていたのは、宮澤博行の父親
であって、宮澤博行さん自身は、2024年4月まで政治家として活躍してきました。
宮澤博行さんは東京大学卒業後、1年間の就職浪人を経験。
レストランの厨房のアルバイトをして、なんとか食いつないだそうです。
翌年に、ミリオン貿易(現・KOYO証券)に入社。
その後、地元に戻り、塾講師や派遣管理者等として働きつつ、青年団や消防団の活動に参加。
そして、2003年に磐田市議会議員選挙で初当選を果たし、政治家としての道を歩み始めます。
2012年以降の主な経歴は次の通りです。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し初当選
2014年12月、第47回衆議院議員総選挙で再選
2016年8月、第3次安倍第2次改造内閣で、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任
2017年10月、第48回衆議院議員総選挙で3選目を果たす
2021年10月、第49回衆議院議員総選挙では敗れるも、比例復活(4選目)
2023年9月、第2次岸田第2次改造内閣で防衛副大臣兼内閣府副大臣に就任
2023年12月、政治資金パーティーをめぐる裏金問題で、防衛副大臣兼内閣府副大臣を辞任
2024年4月、女性問題により議員辞職
政府内で要職を務めていましたが、度重なる不祥事により議員を辞職されています。
そして、2024年6月16日配信の「ABEMA的ニュースショー」に出演し、有権者・支援者に向けて改めて謝罪。
今後はコメンテーターや、タレントとして活動されるのかもしれませんね。
宮澤博行の父親は土木職人!
宮澤博行さんの父親は、土木職人でした。
詳細な情報や顔写真は公表されていませんが、母親から既に故人であることが明かされています。
ここでは、宮澤博行さんと父親にまつわるエピソードをご紹介します!
宮澤博行は戦死した大叔父の存在と、父親の言葉で政治家を志した
宮澤博行さんの父親は、静岡県の旧磐田郡佐久間町出身。
結婚した際に、旧磐田郡龍山村にある宮澤家に婿入りしたそうです。
宮澤博行さんは、そんな宮澤家の長男として誕生。
土木職人として働く父親は毎日、泥と汗にまみれになって帰ってきたのだとか。
その父親の姿を見て、
働く人の姿はかくあるもの
と、宮澤博行さんは思うようになったそうです。
家族の為に懸命に働く父親のことを尊敬していたんですね。
ある時、宮澤博行さんは祖父の弟2人の遺品があること、2人が戦死したことを知ります。
祖母から話を聞いた宮澤博行さんは、
ご先祖さまが国のために命を捧げたのなら、僕も国のために頑張ろう。
と、思い、当初は自衛官になろうと考えたそうです。
しかし、中学校3年の夏に晩酌中の父から、
ことが起こってから国を守るのではなく、そのこと自体を防ぐ人間になれ。
と言われ、政治家を志すようになりました。
そして、
とにかく東京大学に行こう。そこに行ける高校に進学しよう。
と思い至って、磐田南高校、東京大学法学部に進学。
中学生で既に目標を見定めて、それに必要だと考えられる進路を辿るのは、並大抵の努力ではないですよね。
宮澤博行の父親は、息子が政治家になったことを喜んでいた
宮澤博行さんが女性問題で議員辞職した後、母親は息子を「本当にバカ野郎」と厳しく批判。
更に、母親は、
本音を言えば、(宮澤博行には就職に失敗した時点で)私は地元に戻って県庁に勤めてほしかった。それが政治の道に進むなんて…。
と、本来なら地元に戻ってほしかったとした上で、
ただ、亡くなった旦那は喜んでいました。旦那は政治が好きで、息子ともよく政治談議をしていました。息子が初めて市議選に出たときも、一生懸命選挙活動を手伝っていましたね。
と、父親は政治好きで、息子が政治家になったことを喜び、応援していたのだとか。
宮澤博行さんには、改めて父親の思いも背負って今後活動していただきたいですね。
宮澤博行の母や兄弟など家族も調査!
宮澤博行さんの母親や兄弟姉妹についても調べてみました!
宮澤博行の母親は農協職員で曲がったことが大嫌い!
宮澤博行さんの母親に関する詳細な情報は公表されていません。
年齢は70歳代~80歳前後と推定されます。
母親と写る写真は見つかりました。
母親は元農協職員。
宮澤博行さんは、父親が婿入りしたと明かしているため、「宮澤」姓は母親のものなんですね。
また、「博行」という名前は、ご両親が「広く行き渡る様に」という願いを込めて名付けたのだとか。
ここでは宮澤博行さんと母親にまつわるエピソードをご紹介します!
宮澤博行の家族は勉強嫌いで、宮澤博行は突然変異?!
宮澤博行さんは、
楽をして稼ぐ多くのお金より、苦労して稼いだ少しのお金のほうがずっと値打ちがあるのだよ。
と度々母親が口にしていた言葉が、今も胸に強く残っていると明かしています。
宮澤博行さんは、中学生で政治家を志し、猛勉強の末東京大学法学部に入学。
その後、様々な職業を経て政治家にまで上り詰めました。
ところが、実はご両親は教育熱心ではなく、母親・妹も勉強好きではなかったのだとか。
母親は、
政治家を出すような家ではありません。(中略)言ってみれば、息子は突然変異です。
と、親族の中で宮澤博行さんは稀な存在だと明かしています。
宮澤博行さんは政治家の家系でなく、一般家庭から政治家にまでなったんですね。
母親は曲がったことが大嫌いで、息子に会ったら「グーでぶん殴る」
宮澤博行さんは、2024年4月に女性問題が発覚し議員辞職。
週刊誌の取材で、パパ活などの報道内容に対し、自身の不祥事を自覚しているとした上で、
はい、大変申し訳ございません。記憶にございます。
と、発言。
ネット上では、
(絶対にあってはならないことだけど)なんだか憎み切れない・・・
と、話題になりました。
報道を目にした母親によると、
即座に「バカ野郎!」とメールすると、本人からは「すみません」と返事がきました
と、連絡は取り合っているとのこと。
また、母親から逃げ隠れせず謝罪行脚するよう伝えたところ、宮澤博行さんからは、謝罪の電話を片っ端からかけていると連絡があったそうです。
母親自身も、地元で宮澤博行さんを応援してくれていた人達に謝罪して回っているのだとか。
母親は宮澤博行さんに対し、
- 逃げずに最後まで対応すること
- そして落ち着いたら体を使って働くこと
この2点を望んでいるとのこと。
そして、宮澤博行さんともし会えたらどうするかと問われると、
顔を合わせたら?亡くなった旦那も私も曲がったことが大嫌い。迷わず引っぱたきます。あるいはグーでぶん殴るか。
と、殴りつけたいほどの思いだと答えていました。
厳しいながらも、見捨てない優しさも感じますね。
なお、2023年12月の政治資金パーティーの問題の際に、宮澤博行さんは母親に、
余計な事を話すな
と、伝えていたそうです。
後に母親は当時を振り返って、
自分もそのひとりに入っているのに何をえらそうに話しているのか。バカじゃないかって。国会を追い出されるぞと思いました。で、その結果ねぇ。
と、明かしており、母親の呆れ顔が目に浮かびますね。
宮澤博行の母親は、宮沢博行ではなくその妻や子ども達が心配
宮澤博行さんには、妻と長男、長女、次女の3人の子ども達がいます。
宮澤博行さんの女性問題が発覚した際、
息子はどうでもいいけど、お嫁さんと孫が心配です。
と、母親は宮澤博行さんの妻や子ども達を真っ先に心配していました。
また、
孫は学校もある。今回のことで孫たちが傷つくのが何よりも心配です。
とも明かしており、年頃の子ども達への影響を最も気にしておられたようです。
女性問題の内容が内容なだけに、子どもさん達の精神面が心配ですね。
宮澤博行の妹は勉強嫌い?!
宮澤博行さんには妹さんが1人おられます。
一般の方の為、詳細な情報や顔写真は公表されていません。
妹さんの年齢は、40歳代とみられています。
母親からは、勉強が好きではなかったということが明かされていました。
宮澤家では、年末に親族が集まって注連縄(しめなわ)やお餅を作っていて、妹さんも参加されているそうです。
父親は既に亡くなっているため、妹さんは母親のために同居したり、もしくは度々帰省しておられるかもしれませんね。
宮澤博行の実家や家系図も凄い?
宮澤博行さんの実家と、家系に関する噂も調査しました!
宮澤博行の実家は静岡県磐田郡龍山村(現:浜松市天竜区)の山の上
宮澤博行さんは、静岡県磐田郡龍山村(現:浜松市天竜区)出身。
宮澤博行さんは、以下の地元公立校を卒業されています。
- 龍山村立龍山北小学校(現・浜松市立横山小学校)
- 龍山村立龍山中学校(現・浜松市立光が丘中学校)
地図は旧龍山北小学校の所在地を示したものですが、見るからに山間部にありますよね・・・。
宮澤博行さんの自宅や、通っていた旧龍山北小学校に関する情報は次の通りです。
自宅は天竜川を見下ろせる、10軒ほどしかない集落の中にある
自宅は山の上にあったため、通学は行きは45分、帰りは1時間
自宅に繋がる林道は途中までしか通っておらず、最後は20分ほどは山道を自力で登らなければならない
夏は蛇、冬は猿の群れに遭遇する
通学するだけで大変ですよね・・・!
宮澤博行さんの育った地域は、林業の盛んな地域だったそうです。
雨や雪の日は相当な悪路だったのではないでしょうか。
宮澤博行の家系図が凄い?!宮澤喜一との関係は?
宮澤博行さんの家系に関する噂を調べました!
宮澤博行と宮澤喜一に関する噂
宮澤博行さんに関して、
宮澤博行の父親(もしくは伯父)は、元内閣総理大臣の宮澤喜一(みやざわきいち)
と、する噂があるようです。
そう言われれば似ているようにも見えますが、いかがでしょうか・・・
しかし、早速それぞれの家系を調べてみたところ、
宮澤博行と宮澤喜一は親戚関係ではない!
ということがわかりました!
詳細を確認していきましょう。
宮澤博行の実家は一般家庭
前項まででご紹介した通り、宮澤博行さんの実家は一般家庭です。
父親は土木職人、母親は元農協職員でした。
近い親戚に東大などの難関校に進学した人もわかる範囲ではおらず、加えて政治家もいません。
山間部に実家があるため、所有する土地は広大である可能性はありますね。
しかし、経済的にも一般的な水準の家庭だったと考えられます。
宮澤喜一の家系図は大物政治家揃い!
一方、宮澤博行さんと親戚だとする噂がある、宮澤喜一さん。
1919年10月8日広島県福山市生まれ、2007年6月28日没(享年87歳)。
「キー坊」の愛称で知られ、内閣総理大臣や財務大臣、大蔵大臣等の国務大臣を歴任するなど、大物政治家として活躍しました。
そんな宮澤喜一さんは、宮澤博行さんの父親や伯父だと噂されていますが、そのような事実は全くありません。
宮澤喜一さんの家系図を確認してみましょう。
家系図には、
- 鈴木善幸(すずきぜんこう)元内閣総理大臣
- 麻生太郎(あそうたろう)元内閣総理大臣
- 岸田文雄(きしだふみお)内閣総理大臣
と、そうそうたる面々が・・・!
しかし、宮澤博行さんは家系図には登場しません。
「宮澤博行さんと宮澤喜一さんが親戚関係」とする噂の具体的な出所は明らかではありませんが、
同じ「宮澤」姓だから
宮澤博行と宮澤喜一はいずれも東京大学法学部出身
と、勘違いや共通する点から、噂が生じたと考えられますね。
まとめ
今回は宮澤博行の父は宮沢喜一じゃなく一般人で既に死別…家族情報や家系図もまとめた!
という事で、宮澤博行さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 宮澤博行は元政治家で、土木職人だったのは宮澤博行の父親!
- 宮澤博行の母親は元農協職員で曲がったことが大嫌い!妹は勉強嫌い?
- 宮澤博行の実家は、静岡県の旧磐田郡龍山村の山の上の集落にある一般家庭で、宮澤喜一とは親戚関係じゃない!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。