俳優やファッションモデルとしても活躍中の宮沢氷魚(みやざわひお)さん。
TBS系人気ドラマ「コウノトリ」で俳優デビューし、NHK連続テレビ小説「エールで」朝ドラ初出演を果たすなど数々のドラマや映画で活躍しています。
そんな宮沢氷魚さんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は宮沢氷魚の父は宮沢和史!母親や実家の兄弟など家族もまとめた!
という事で、宮沢氷魚さんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
宮沢氷魚の実家はお金持ち?
まずは宮沢氷魚さんの実家について調べてみました!
宮沢氷魚の実家の場所は東京都世田谷?
宮沢氷魚さんはアメリカのサンフランシスコ出身で、東京都内で育っています。
実家の詳しい情報までは掴めませんでしたが、出身校や習い事の場所などから東京都世田谷区の可能性が高まっています。
①出身校の場所
幼稚園、小学校、中学校、高校まで「セント・メリーズ・インターナショナル」へ通学。
セント・メリーズ・インターナショナルは、東京都世田谷区瀬田にある私立の男子インターナショナルスクールです。
東急・二子玉川駅から徒歩10分ほどの場所にあります。
多国籍であり教育言語は英語のため、日本語は外国語の一つとして扱われているようです。
もし電車や自家用車で通学されていたとしたら、ここから1時間圏内の場所に実家があるのかもしれませんね。
②習い事の場所
野球少年だった宮沢氷魚さんは、中学生で「世田谷ボーイズ」に入団。
世田谷ボーイズの場所は、世田谷区玉堤1丁目21-7付近の河川敷グランドです。
以上2つの情報から、ご実家は東京都世田谷区付近の可能性が高いと思われます。
宮沢氷魚の実家はお金持ち?
宮沢氷魚さんのご実家はお金持ちだと言えるでしょう。
その根拠は以下の理由からです。
- 出身学校の学費が高額
- 実家の写真
- 父親は有名ミュージシャンで母親はタレント
①出身校の学費が高額
宮沢氷魚さんの出身校である「セント・メリーズ・インターナショナル」の学費を調べたところ、かなりの費用が掛かることがわかりました。
- 願書申し込み費用・・・20,000円
- 登録費・・・入学時1回のみ300,000円
- 学費・・・初等部2,380,000円 / 中等部2,420,000円 / 高等部2,450,000円
- 開発基金・・・1回限り返金なし600,000円
- ビルメンテナンス・・・年間100,000円
- スクールバス・・・往復利用で300,000円
幼稚園から高校までの学費総額は諸々含めると5000万近くかかっているのではないかと思います。
一環私立でインターナショナルスクールということもあり、日本の学校に比べたらかなり高額です。
これはさすがに裕福な家庭でないと通学できないことがわかりますね。
②実家の写真
実家に飾られたという豪華なクリスマスツリー。
大きなクリスマスツリーを飾っていますので、お部屋もそれなりに広いのではないでしょうか。
自宅で自撮りスナップをするという雑誌の企画で撮影したお写真がこちら。
少しわかりにくいですが、自宅ガレージの前で撮影しているようです。
そしてこちらはお庭で愛犬・クーパーを撮影したお写真。
お庭には石畳があり、愛犬が遊べるスペースもありそうです。
都内でガレージや庭付きの1軒家となると豪邸なのではと想像してしまいますね。
③父親は有名ミュージシャンで母親はタレント
宮沢氷魚さんの父親はシンガーソングライターで元THE BOOMのボーカル宮沢和史さんです。
1993年に「島唄」が全国発売され、売り上げ枚数150万枚以上の大ヒット曲となりました。
宮沢氷魚さんが誕生したのが1994年ですので、ちょうど1年前ですね。
その後1995年に発売された「風になりたい」も大ヒット曲となり、今では小学生の合唱曲としても演奏されています。
どちらも心打つ名曲として今でも多くの人に愛されていますので、印税収入なども考慮すると相当な稼ぎがあるのではないでしょうか。
母親はタレントやニュースキャスターとして活躍している光岡ディオンさん。
結婚後も育児と両立しながらお仕事を続けられているようです。
父親と母親を二人合わせると相当な世帯年収がありそうですね。
上記の情報を総合すると、宮沢氷魚さんのご実家はお金持ちの可能性が高そうですね!
宮沢氷魚の実家の両親(父・母)はどんな人?
宮沢氷魚さんの実家のお父さん、お母さんについても調べました!
宮沢氷魚の父親は元THE BOOMのボーカル宮沢和史!
宮沢氷魚さんの父親は元THE BOOMのボーカル宮沢和史(みやざわかずふみ)さん。
宮沢和史さんは音楽業界で大成功された人物です。
簡単にプロフィールをご紹介します。
- 氏名:宮沢和史(みやざわかずふみ)
- 生年月日:1966年1月18日生(58歳)
- 血液型:O型
- 出身地:山梨県甲府市
- 最終学歴:明治大学経営学部卒業
- 身長:171cm
- 職業:シンガーソングライター
- 趣味:釣り、バイク
これまでのおおまかな活動は下記のとおりです。
- 1986年にロックバンド「THE BOOM」を結成し、その後原宿の歩行者天国でバンド活動を始める
- 1988年にはSONYレコードのオーディションに合格
- その後数々のシングル曲を発売し、大ヒット曲「島唄」で人気に火が付き始める
- 紅白歌合戦を始めとして数々の音楽番組で熱唱し知名度を高めた
- 活動休止と再開を繰り返し2014年5月に結成25周年を迎えたが、年末にTHE BOOMの解散発表
世界中を旅して得たインスピレーションをもとに、独創的な楽曲を生み出してきた宮沢和史さん。
心に響くいくつもの名曲は多くの世代から親しまれてきました。
現在は多くのミュージシャンに楽曲提供を手掛け、シンガーソングライターや俳優としても活躍中です。
プライベートは料理好き
子供が小さい頃は家を不在にすることも多く、子育ては母親任せだったと当時を振り返っています。
学生時代にアルバイトしたレストランでコック経験を活かし、家にいる時は自ら買い出しに向かい家族に料理を振舞っていたのだとか。
ハンバーグや肉じゃがなど定番料理から、旅先で味わった美味しい料理、沖縄料理からブラジル料理まで、あらゆるジャンルの料理を楽しんで作っているようです。
彩りも栄養バランスも抜群でセンスの良さが感じられますね。
釣りは自分の中の一部
プロとして活動していく中で想像以上の心労が重なった時、趣味である釣りが緊張をほぐしてくれたと言います。
『自分にとって釣りは、人生の中の大切なひとコマ、自分の一部として存在する』ことに気づきました。そして『いつでも、釣りに帰ってくればいいんだ』と思えた瞬間から、張り詰めていた緊張もほぐれ、そこから怒涛の音楽人生も始まりました。
>引用:巻頭インタビュー・宮沢和史 「思い出に残る釣りを求め、足跡のない道を遡る」より | SHIMANO Presents Fishing Café
小学生の頃に父親に連れて行ってもらった川へ自分の足で訪れ、釣りに没頭する時間が疲れた心を癒してくれていたようです。
宮沢和史さんにとって釣りは、もはや趣味ではなく自分の一部であり、今後もそうあり続けることは間違いないと言います。
宮沢氷魚の母親はタレント・光岡ディオン
宮沢氷魚さんの母親はタレントの光岡ディオン(みつおかディオン)さん。
簡単にプロフィールをご紹介します。
- 氏名:光岡ディオン(みつおかでぃおん)
- 生年月日:1965年7月15日生(58歳)
- 血液型:B型
- 出身地:神奈川県横浜市
- 最終学歴:国際基督教大学教育学部卒業
- 職業:タレント、ラジオパーソナリティ
日本人の父親とアメリカ人の母親のハーフで、バイリンガルとしての強みを活かして多くのメディアで活躍しています。
主な出演番組は下記のとおりです。
- 1987年、MTV JAPANに出演し、洋楽のビデオクリップなどを紹介
- 1988年、NHK・Tokyo Music Joyに司会者として出演、知名度がぐんとアップする
- 1989年から1990年にかけて、CNNヘッドラインでキャスターを務める
- 東京FMで4代目ラジオパーソナリティーを務める
- 直撃LIVEグッディ!でコメンテーターを務める
光岡ディオンさんの音楽番組での活躍は、音楽を通じて国際的な交流を促進することに貢献しました。
音楽番組での成功を経て、報道番組でもわかりやすく世界情勢を伝え多くの視聴者の支持を集めました。
その後も才能を発揮し、多彩なジャンルで現在も活躍を続けています。
育児と家事を両立しながら仕事を続けていることから、強い意志とバイタリティの高さを感じますね。
宮沢氷魚の両親のエピソードも紹介!
宮沢氷魚さんと両親のエピソードについてご紹介します。
父親が語る子育てについての後悔
野球少年の宮沢氷魚さんは少年野球チームに入ると驚くほどすんなり上達し才能が芽生えたのだとか。
一時はプロ野球選手を目指すほどの時期もあったうようです。
そんな宮沢氷魚さんの野球の練習や試合にあまり参加できなかったという父親の宮沢和史さん。
試合や練習はいつも土日祝日であまり家にいてあげられなかったそうです。
行けるときはもちろん参加していたようですが他の親御さんに比べたら全然できておらず、今でも後悔しているのだとか。
子どもって自分が頑張っている姿や活躍している姿を、親に見てほしいでしょう。僕も子どものころ、そうだった。「すげえな、お前」とか「頑張ったな」とか何かひと言、言ってほしい。そういうことを言う機会が少なかったですね。
>引用:宮沢和史(57) 息子・氷魚への思い語る「子育てには後悔ばかりだったけれど」|CHANTO WEB
野球で頑張っている姿を見て、「すげえな、頑張ったな」とひと言伝えてあげたかったそうです。
氷魚という名前の由来
宮沢氷魚さんの珍しい名前は父親の宮沢和史さんが名付けたそうです。
「氷魚」は冬に極寒の琵琶湖で育つアユの稚魚です。
釣り好きの父親が「どんな環境でも生き抜けるように、、四方八方ふさがれても美しく泳いでほしい」という思いが込められているのだとか。
「ヒオ」という響きがとても素敵な日本語だと感じ子供に命名したいと思ったそうです。
その名の由来の通り、芸能界でのあらゆる環境下で柔軟に生き抜いているようですね。
インターナショナルスクールへ入学させた両親の想い
そんな宮沢氷魚さんは幼少期から色々な国の人が集まるインターナショナルに通学していました。
ご両親がアメリカンスクールではなくインターナショナルスクールへ入学させた理由は、「世界中には色々な人がいるということを小さい頃から見てほしい」と思ったからだそうです。
身体の大きい人や小さい人、様々な宗教、歴史や文化や習慣の違い。
これらを子供の頃から体感すれば差別する心を植え付けられないのではないかと感じたそうです。
そんなご両親の想いを受け止めたかのように、宮沢氷魚さんは人を差別をしたり上からものを言ったり誰かの愚痴を言うことなどは一切ないのだとか。
芸能界入りを決めたきっかけ
小さい頃から母親と一緒にドラマを見るのが好きだった宮沢氷魚さん。
ドラマを見ながら「あんな世界へ行ってみたい」と漠然と憧れを持っていたのだとか。
そして中学生の頃に見た父親のライブ映像を見て感動。
「2時間で何千人もの人を感動させている。自分も何か表現したい」と思いつつも踏み出せなかったようです。
その後大きな転機となったのが大学時代のアメリカ留学。
実家を離れ落ち着いて何がしたいのかを熟考したとき「やっぱり一度芸能界で挑戦してみたい」と思い自ら芸能事務所に履歴書を送ったそうです。
面接を何度か重ね、合格するまでは親のことを決して話さず、自らの手でつかみ取った芸能界入り。
ご両親の影響を受け芸能界入りした宮沢氷魚さんの今後ますますの活躍に目が離せませんね!
宮沢氷魚の兄弟姉妹も調査!
宮沢氷魚さんに兄弟や姉妹がいるかどうかも調査しました!
宮沢氷魚は3人兄弟の長男!!
宮沢氷魚さんは3人兄弟で2歳年下の弟と4歳年下の妹がおられます。
2歳年下の弟
弟の名前は海実(かいみ)さん。
一般の方でお写真は公開されていませんでした。
きっとご両親譲りの端正な顔立ちをされているのではと想像してしまいますね。
職業はアメリカで弁護士をされているのだとか。
歌がとても上手という情報もあり、音楽の才能を受け継いでいるのかもしれませんね。
ちなみに兄の宮沢氷魚さんはビックリするほど歌が下手で俳優の道を選んだと自身で公言しているそうです。
宮沢氷魚さんと同じく幼少期は野球少年だった弟の海実さん。
宮沢氷魚さんがTVでWBCの中継を見ていた際、一塁側の最前列観客席に弟の海実さんが映っていたのだとか!
こちらのチケットを入手することも高額金を払わないと難しいのではと思いますので、高収入なのかもしれませんね。
4歳年下の妹
妹の名前は琉歌(るか)さん。
妹さんも一般の方で写真は公開されていませんでした。
妹さんも美人さんなのではと想像してしまいますね。
兄弟3人とも珍しいお名前ですね。
父親の宮沢和史さんが沖縄が好きで、「琉」という漢字を入れたかったそうです。
ちなみに琉歌(りゅうか)とは、奄美諸島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島に伝承される叙情短歌形の歌謡だそうです。
奄美群島においては主に島唄と呼称されるということで、父親の宮沢和史さんの熱い思い入れがあるのかもしれませんね。
まとめ
今回は宮沢氷魚の父は宮沢和史!母親や実家の兄弟など家族もまとめた!
という事で、宮沢氷魚さんの実家や両親(父・母)、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 宮沢氷魚の実家は東京都世田谷区?付近の可能性が高い。
- 宮沢氷魚の実家はお金持ちの可能性が高い。
- 宮沢氷魚の父親は元THE BOOMボーカルの宮沢和史。母親はタレントの光岡ディオン。
- 宮沢氷魚は3人兄弟の長男で弟と妹がいる。
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。