モデルでタレントの神田うの(かんだうの)さん。
セレブなお嬢様キャラクターで一躍有名になり、ウェディングドレスや下着のプロデューサーとしても活躍されています。
そんな神田うのさんの実家やお父さん、お母さんはどんな方達なんでしょうか?
今回は神田うのの母親はフィリピン人?実家は金持ちで両親の顔写真もまとめた!
という事で、神田うのさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての情報を調べました。
目次
神田うのの実家はお金持ち?
神田うのさんの実家について調べてみました!
神田うのの実家の場所は、東京都港区南青山!
豪邸だとされている、神田うのさんの実家についてまとめました!
神田うのの実家の場所は、東京都港区南青山!
神田うのさんの実家は、現在東京都港区南青山にあるとされています。
一説では、青山にある「骨董通り」の裏手にあるのだとか。
南青山の実家は、実は2005年に神田うのさんが建てたもの!
当時、神田うのさんがデザインしたストッキングが大ヒットしたこともあり、「パンスト御殿」と呼ばれ話題になりました。
そんな豪邸の特徴は以下の通り。
地上3階地下1階
敷地面積50坪(約165.3㎡)
20畳の衣装部屋
外観は公表されていませんが、自宅内部は神田うのさんのブログで確認することができます。
写真は、実家で催されたホームパーティーの様子を写したもの。
白を基調とした部屋・家具で統一されており、高級感がありますよね・・・!
この豪邸は、もともと神田うのさんがご両親と住むために建てたもの。
しかし、神田うのさんが夫とともにマンションへ引っ越したため、現在はご両親だけが住んでいるとのこと。
神田うのさんと実家はタクシーで10分ほどの距離。
そのため、神田うのさんはご両親に頻繁に会いに行っているのだとか。
神田うのさんがご両親を大切にしていることがわかりますね。
神田うのの住まいの移り変わり
現在の実家は、南青山にある神田うのさん。
さらに実家について調べてみると、複数回転居していたことがわかりました!
インドネシア・ジャカルタ(1~4歳)
神奈川県横浜市栄区(小学校の途中まで)
神奈川県川崎市中原区
東京都港区南青山(2005年~)
神田家は、父親の仕事の都合でインドネシアに住んでいた時期もあったそうです。
最終的には南青山で落ち着いたようですね。
神田うのの実家はお金持ち!
神田うのさんは10代の頃からセレブキャラとして知られた存在。
キャラクターだけではなく、実際神田うのさんの実家はお金持ちです!
理由は以下の通り。
①神田うのの父・神田淳は、元通産省キャリア官僚
②神田うのや弟たちが私立校にも通っていた
③神田うのは幼少時代からバレエを習っていた
順に見ていきましょう!
①神田うのの父・神田淳は、元通産省キャリア官僚
神田うのさんの父・神田淳(かんだすなお)さんは、旧通産省(現:経済産業省)の元キャリア官僚!
経歴の詳細は後述しますが、課長級以上の役職で活躍されていました。
父・神田淳さんが勤めていた当時とは異なる資料ですが、令和4年度であれば課長級以上は年収1,260万円超。
また、父・神田淳さんは退官後も企業の常務取締役、大学の客員教授を歴任。
著書も複数あり、高所得者であったと言えそうです。
ちなみに、神田うのさんは、
「高校時代からヴィトンのバッグを持っていた」「どこの家でもロイヤルコペンハーゲンイヤープレート(高級食器)があると思っていた」
と、発言しており、お嬢様育ちだったことが窺えますね。
②神田うのや弟たちが私立校にも通っていた
神田うのさんには、2人の弟さんがおられます!
上の弟・神田伸一郎(かんだしんいちろう)さんは、お笑いコンビ「ハマカーン」として現在も活躍。
下の弟・神田昇二郎(かんだしょうじろう)さんは、元俳優で、現在は福岡県で会社員として勤務されています。
3人の学歴をまとめました!
神田伸一郎…川崎市立住吉中学校⇒私立桐光学園高等学校卒⇒東京農工大学農学部応用生物科学科卒⇒同大学院(生物制御科学科植物病理学研究室)中退
神田昇二郎…上智大学
皆さん優秀ですね!
神田昇二郎さんの高校までの学歴は公表されていませんでした。
仮に神田昇二郎さんが中学まで公立校・高校から公立校だったとしても、3人の教育費は最低でも2,000万円と推測されます。
また、予備校に通ったり、神田昇二郎さんが理系の学部だったりした場合、より負担額は大きかったといえるでしょう。
③神田うのは幼少時代からバレエを習っていた
5歳からクラシックバレエを習っていたという神田うのさん。
神田うのさんは、名門・松山バレエ団に所属していました。
松山バレエ団では年代やレッスンの回数に応じて異なりますが、月額料金は月13,200~33,000円。
本格的に取り組んでいたという神田うのさんであれば、おそらく高額なコースだったと考えられますね。
そして、神田うのさんの実力は折り紙付き!
1992年の全日本バレエコンクールで入賞を経験。
神田うのさんには高校卒業後、フランス・パリのバレエ学校「コンセルヴァトワール」に留学する話がありました。
プロを目指す道が拓けていましたものの、
全寮制でのバレエだけの生活に疑問を感じて辞退した
と、神田うのさんはフランス行きを断り、モデルや芸能界の仕事に専念することに決めたのです。
自分の軸をしっかり持っているとことが、神田うのさんらしいですよね。
以上の情報から、神田うのさんの実家はお金持ちだとみて間違いないでしょう。
神田家が教育に力を入れて、子どもたち3人がそれぞれの道で活躍していることもわかりました。
神田うのの母はフィリピン人って本当?
神田うのさんの母親について調べてみました!
神田うのの母親はフィリピン人じゃない!
神田うのさんの母親に関して、
神田うのの母親はフィリピン人
と、ネット上では噂されているようです。
結論からいうと、神田うのさんの母親はフィリピン人ではありません!
純日本人の可能性が極めて高いとみられます。
神田うのの母親は大分県出身!
神田うのさんは自身の母親に関して、
佐伯鶴城高等学校卒業
祖母も母もそれぞれ24歳で出産している(2024年で73歳頃)
と、インタビューやブログで明かしています。
そして、「神田うのの母親はフィリピン人」と言われる理由は、
神田うのが幼少時代に海外生活をしていたこと
以上2点が噂の主な根拠だとされています。
これまでの情報では100%日本人だとは断言できませんが、フィリピン人とするには根拠には乏しいですね。
よって、神田うのさんの母親は限りなく日本人である可能性が高いといえるでしょう。
神田うのの母親は美人?!
神田うのさんの母親は美人だと噂されています。
しかし、残念ながら顔画像は公開されていませんでした。
この写真は、神田うのさんが家族で集まった時のもの。
右上に移る水色のニットの女性が、神田うのさんの母親だと推測されますが、顔が隠れていますね。
小顔な方なので、もしかすると神田うのさんは母親似なのかもしれません。
神田うのと母親のエピソード!
神田うのさんの母親にまつわるエピソードをまとめました!
神田うのはクラシックバレエを優先すると母親と約束していた
神田うのさんは幼少期から、街を歩くたびにスカウトされるような美少女でした。
しかし、神田うのさんが本気で取り組んでいたのはクラシックバレエ!
芸能界に関心はなかったそうです。
ただ、ファッションへの興味は強く、モデル事務所からのスカウトに関心を持った神田うのさん。
なんとかご両親を説得し、14歳の時にモデル事務所に所属します。
その際、母親とは「クラシックバレエを優先する」と約束。
しかし、クラシックバレエを優先することで、CMのオーディションをキャンセルせざるを得ないことがあったのだとか。
本来なら自分が出るCMのはずなのに・・・
と、幾度となく悔しい思いをしたそうです。
その後、高校卒業近くにバレエを辞め、芸能活動に専念したという神田うのさん。
母親との約束が、むしろ芸能界への思いを確かなものにさせたのかもしれませんね。
神田うのは母親と買い物に行くのが好き!
日常生活について、長年ブログに綴っている神田うのさん。
そんなブログで見られるのが、神田うのさんが度々母親と買い物に出かけている様子!
この時は、青山の骨董通りにあるアパレルショップや、チョコレート専門店を訪れていました。
神田うのさんは実家へ頻繁に顔を出したり、一緒に買い物を楽しむなど、親孝行な方なんですね。
神田うのの父はどんな人?
神田うのさんの父親についても調べてみました!
神田うのの父・神田淳は旧通産省のキャリア官僚!
神田うのさんの父・神田淳(かんだすなお)さん。
父・神田淳さんの経歴等をまとめました!
1968年:東京大学工学部卒業
1970年:東京大学大学院修士課程修了
1970~1998年:旧通商産業省(現経済産業省)
2001~2011年:京葉ガス株式会社(常務取締役)
2011~2021年3月:高知工科大学客員教授
著書:「西洋のこころの研究」「すばらしい昔の日本人」「持続可能文明の創造」
趣味:歴史、宗教、哲学、倫理に関する研究
父・神田淳さんは旧通産省のキャリア官僚でした。
在官中は、以下の担当・役職を歴任されています。
中小企業庁技術課長
資源エネルギー庁原子力発電安全管理課長
資源エネルギー庁安全審査官
研究教育(埼玉大学教授)
ジェトロ・ウィーン所長
特に、エネルギー政策には最も長く従事されていたのだとか。
旧通産省のエースとして勤務されていたんですね。
また、78歳となった現在でも自身のホームページを運営されており、書籍の感想などを綴っておられます。
年齢を感じさせない、若々しい方のようですね。
神田うのと父・神田淳のエピソード!
神田うのさんと父・神田淳さんにまつわるエピソードをまとめました!
「うの」という名前は、父・神田淳が名付けた
神田「うの」さんという珍しい名前。
実は、歴史に精通した父・神田淳さんが名付けたそうです。
由来は、日本史上3人目の女性天皇・持統天皇の幼名である、
とのこと。
そのため、幼少時代の神田うのさんは、ご両親や祖母から「ひめ」の愛称で呼ばれていたのだとか。
一見するとひらがなの可愛らしい名前ですが、由来を知ると全く異なる印象になりますよね。
神田うのの寄付は父・神田淳の罪滅ぼしのため?
2011年に発生した東日本大震災に心を痛めた神田うのさん。
母親や税理士と相談し、日本赤十字社を通じて被災地へ1,000万円を寄付されました。
しかし、ある週刊誌で、
と、報道されます。
「今自分にできることは何か」と考えて行動した、神田うのさんの善意に水を差すような形になりました。
ただ、この報道を受けて、
神田うのの父親は、元官僚の神田淳だったんだ
という認識が広まったようです。
神田うのの父・神田淳は、篠山紀信の撮影に大反対!
17歳から雑誌モデルとして活躍してきた神田うのさん。
2024年1月4日の写真家・篠山紀信(しのやまきしん)さんの訃報に際し、
篠先生…報道で知ってから哀しみの渦…
と、言及。
篠山紀信さんと18歳の神田うのさんが出会った頃、
幻冬社立ち上げの一発目(最初)の写真集を是非UNOで撮りたいとの事で話が進んでおりました
と、重要な仕事が決まりかけていたことを明かしました。
しかし、その内容を知った父・神田淳さんが、
衣装もレオタードも着せないで撮影だなんてダメだ!!
と、「裸体にトーシューズ」という撮影に大激怒し、撮影は中止。
「あくまで芸術だ」と説得する篠山紀信さんと出版社・所属事務所でしたが、
なにが芸術だ!バレエという芸術を冒涜している!!芸術を全く分かっておらん篠山紀信をここに連れて来なさい!!
と、更に火に油を注ぐことに。
その結果、写真集の巻頭ページを担当することでなんとか決着。
神田うのさん自身は、このことで父・神田淳さんに反抗心を抱くことはなく、
まだ18歳だった私はもちろん成人前ですから親の管理下にある訳でして、ダメなものはダメと理解致しました
と、当時の心境を振り返っています。
ただ、世に出ることはありませんでしたが、篠山紀信さんと神田うのさんの2人で最終的に撮影にだけは臨んだのだそう。
いくら芸術とはいえ、娘の一糸まとわぬ姿が世間に広まることは、親としては賛成しがたいですよね。
父・神田淳さんが、娘・神田うのさんを大切に思う気持ちがよくわかるエピソードでした。
まとめ
今回は神田うのの母親はフィリピン人?実家は金持ちで両親の顔写真もまとめた!
という事で、神田うのさんの実家や両親、兄弟姉妹など家族についての記事をお届けしました。
- 神田うのの実家は東京都港区南青山にあり、お金持ち!
- 神田うのの母親はフィリピン人ではなく、娘と仲良し!
- 神田うのの父親は元キャリア官僚で、「うの」と名付けた!
以上の内容がわかりました。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。